裏口入学と渦巻く欲望㈡
傲慢な悪魔の嘘、天秤で丸裸にしますわ!元・奪衣婆令嬢の華麗なる無双劇
油江教授の研究室を後にした新子は、旧館の薄暗い廊下を無言で足早に進んでいた。
彼女の美しい顔には、令嬢としての柔らかな微笑みは消え失せ、冷徹な執行官としての険しい表情が浮かんでいる。背後を音もなく追随するマウトは、主の放つピリピリとした怒りのオーラを正確に感知し、周囲への警戒レベルを最大まで引き上げていた。
「……腹立たしいですわ。現世の権力者というものは、どうしてああも浅ましく、自らの欲望のために他者の人生を容易く踏みにじれるのかしら」
新子がギリッと奥歯を噛み締めながら吐き捨てた。
三途の川のほとりで数多の亡者の魂を量ってきた元・奪衣婆のエバにとって、人間の持つ『欲』そのものは決して珍しいものではない。欲求を持つこと自体は自然なことであり、それがあるからこそ人間は進歩し、現世は活気に満ちている。
しかし、その欲を満たすために他者の権利を侵害し、学生たちをモノのように扱い、法や秩序すらも金の力でねじ伏せる行為。それは、自らの魂に分厚い『傲慢の衣』を着せ、悪魔を喜んで招き入れる最悪の愚行に他ならない。
「お嬢様。心拍数の急激な上昇と、霊的エネルギーの無意識な漏出を検知しました。怒りの感情は冷静な判断力を奪い、任務遂行の妨げとなるバグです。深呼吸による精神の安定を推奨します」
マウトが背後から、氷のように冷たく、しかしどこか新子を気遣うようなタイミングで進言してきた。
「わかっていますわ、マウト。わたくしとしたことが、少し熱くなりすぎましたわね」
新子は立ち止まり、ふうと長く息を吐き出して精神を統一した。
怒りに任せて学長室に乗り込んでも、相手は狡猾な権力者であり、その後ろには超高位の悪魔が控えているのだ。冷静に、そして確実に彼らの化けの皮を剥ぎ取るための『盤面』を整えなければならない。
「午後の講義はすべてキャンセルします。このまま直接、中華街の『鳳凰』へ向かいますわよ。セトとサラを交えて、至急作戦会議ですわ」
「了承いたしました。最短ルートによる移動プロトコルを実行します」
二人はキャンパスを抜け、迎えに呼ばせていた菱倉家の黒塗りベンツに乗り込んだ。
運転手の河上が、バックミラー越しに新子の険しい表情を見て、何も言わずにアクセルを踏み込む。車内には、重苦しい沈黙だけが支配していた。
横浜中華街、中華飯店『鳳凰』。
営業前の静かな店内の奥、秘密のVIPルームの円卓には、すでに横浜地区を担当する三人の悪魔狩人が集結していた。
「……油江教授の言う通り、警察の動きが急激に鈍くなっています。県警本部の捜査第一課から、末端の所轄へと事件の管轄が移されようとしている。完全に、上層部からの揉み消し工作が始まっていますね」
セトがタブレット端末を操作しながら、苦々しい表情で報告した。
「朱鳥会の連中、相当焦っているみたいだね。忌部薫子の口を塞ぎ、自分たちの本丸である忌部義人学長と泉月理事長に火の粉が及ばないように必死ってわけだ」
サラが腕を組み、愛用の杖の石突きで床をコツコツと叩いた。
「ええ。美形で教養のある学生を、政治家や一流企業トップの愛人として斡旋し、その見返りに莫大な報酬と裏情報を得て日本を裏からコントロールする。……それが忌部義人の手口であり、朱鳥会の最大の資金源と権力の源泉ですわ」
新子は円卓の上に両手をつき、鋭い視線をセトのタブレットに向けた。
「あの男の魂には、権力欲、自己顕示欲、傲慢、嫉妬、そして底なしの貪欲がドロドロと渦巻いています。悪魔が寄生するには、これ以上ないほど極上の餌箱ですわね」
「問題は、その悪魔の規模です、エバさん」
セトが真剣な表情で新子を見据えた。
「忌部薫子に憑いていた悪魔でさえ、超高位のクラスでした。朱鳥会の実質的トップである義人学長の背後に潜んでいるのは、間違いなくそれを統括する『悪魔の王』……おそらく、堕天使サマエル本人か、それに匹敵する存在です。我々三人で挑むには、あまりにもリスクが高すぎる」
「リスクを恐れて、わたくしの通う学舎を悪魔の養殖場のまま放置しろと言うの? そんなこと、元・奪衣婆としてのプライドが絶対に許しませんわ!」
新子が声を荒らげると、背後に控えていたマウトが一歩前に出た。
「お嬢様の安全を第一とするならば、本件からの戦略的撤退、あるいは天界への情報提供による介入要請が最も合理的です。死神の計算プロトコルは、現在の戦力での勝率を著しく低いと弾き出しています」
「マウト、あなたは黙っていなさい! わたくしは、自分の手でこの現世の日常を守り抜くと決めたのです!」
新子が強く睨みつけると、マウトは「……了解しました。お嬢様の命令を最優先事項として上書きします」とだけ言い、再び無言の盾へと戻った。
「まあまあ、エバ。落ち着きなよ。あたしたちだって、尻尾を巻いて逃げるつもりなんて毛頭ないさ。ただ、相手が『王』クラスなら、それなりの準備と確実な罠が必要だってことだよ」
サラがニヤリと笑い、新子を宥めるように肩を叩いた。
「確実な罠……」
新子は深く息を吸い込み、思考を切り替えた。
悪魔の王を現世から完全に排除するためには、宿主である忌部義人の欲望の本質を、彼自身が最も肥大化させている瞬間――すなわち、彼の権力欲や貪欲が最高潮に達している絶頂の場面で暴き出し、精神的な拠り所を完全に破壊しなければならない。
「セト。忌部義人が次に、その愛人斡旋の密約や、政財界との裏取引を行う機会はいつですの? 彼らがこの窮地を脱するために、必ず大きな動きを見せるはずですわ」
セトはキーボードを素早く叩き、情報網をフル回転させた。
「……ありました。明日の夜、横浜港の沖合に停泊する超豪華クルーズ客船『クイーン・オブ・朱鳥』の船内で、朱鳥会の極秘の会員限定オークションが開催されます。表向きは美術品のオークションですが、裏のメインイベントは……」
「わたくしたちの大学の、美しい学生たちの『品定め』と斡旋、というわけですわね」
新子の声が、絶対零度の冷たさを帯びた。
「その通りです。警察の捜査網から逃れるため、公海上に近い船上を会場に選んだのでしょう。招待されているのは、彼らの癒着リストに載っている政財界のトップ層のみ。義人学長と泉月理事長も、間違いなくその船に乗り込んでいます」
「豪華客船での秘密のオークション……。悪趣味で傲慢な連中が、自らの欲望を満たすためだけに集う地獄の宴ですわね」
新子は冷ややかな笑みを浮かべ、腕を組んだ。
「素晴らしい舞台ではありませんか。逃げ場のない海の上で、彼らのその分厚い傲慢の衣を、一枚残らず引っぺがして差し上げますわ」
「潜入はどうするんだい、エバ? 当然、招待状なんてないし、警備はガチガチの悪魔付きの風紀委員やプロの傭兵で固められているはずだよ」
サラが尋ねると、新子はフンと鼻を鳴らした。
「わたくしを誰だと思っていますの? 菱倉商事の令嬢ですわよ。菱倉の財力とコネを使えば、もぐり込む隙などいくらでも作れますわ。それに……」
新子は自身の美しい黒髪を優雅に払い、不敵な瞳で二人を見つめた。
「彼らが求めているのは、美しく、教養があり、そして権力者にとって極上の『商品』となる女子大生でしょう? わたくし自らが、そのオークションの目玉商品として潜入して差し上げますわ」
「なっ……! エバさん、それはいくらなんでも危険すぎます! 敵のど真ん中に、自ら捕らわれに行くようなものです!」
セトが驚愕して立ち上がった。
「お嬢様の提案は、生存確率を極端に低下させる非合理的な戦術です。却下を強く推奨します」
マウトもまた、感情のない声で即座に反対を表明した。
「反対意見は受け付けませんわ。内部から食い破るのが、最も確実で迅速な方法ですもの。……それに、わたくしの美貌と教養ならば、間違いなく彼らの欲望を最大限に引き出すことができます。悪魔の王を誘い出すための、これ以上ない極上の餌ですわよ?」
新子は自信に満ちた妖艶な微笑みを浮かべた。
奪衣婆としての力と、菱倉新子としての現世の美しさ。そのすべてを武器にして、彼女は自ら悪魔の王の巣くう豪華客船へと乗り込む覚悟を決めていた。
「……はぁ。あんたのその無茶苦茶な自信と度胸、本当に閻魔大王の元嫁だけあるね。わかったよ、あたしとセトで、船の外側からのバックアップと退路の確保に全力を挙げる」
サラが呆れたようにため息をつきながらも、頼もしい笑みを浮かべて同意した。
「ありがとうございますわ、サラ。……マウト、あなたはわたくしの『護衛』として、適当な変装で船内に潜入しなさい。いざという時の物理的な盾は、あなたにしか任せられませんからね」
「了承いたしました。お嬢様の安全を最優先とし、必要であれば船内の全生命体を物理的に排除する準備を整えます」
「全員殺してどうしますの! あくまで『非致死性制圧』と『悪魔の浄化』が目的ですわよ!」
新子が頭痛を堪えるようにこめかみを押さえながら、マウトに釘を刺した。
作戦は決まった。
明日の夜、横浜港を出港する豪華客船『クイーン・オブ・朱鳥』。
美貌の女子大生たちを商品として弄ぶ、忌部義人と朱鳥会の醜悪なオークション。
その欲望が渦巻く狂宴の只中へ、自らを商品として潜入する元・奪衣婆のエバ。
人間の魂を喰らい、現世を支配しようと目論む悪魔の王との、美しくも苛烈な最終決戦の火蓋が、いよいよ切って落とされようとしていた。
反逆の令嬢は、漆黒の死神と共に、最も深い学園の闇へと華麗に身を投じていく。
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魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




