神罰という名の剥奪㈠
傲慢な悪魔の嘘、天秤で丸裸にしますわ!元・奪衣婆令嬢の華麗なる無双劇
横浜中華街での密談から一夜明けた、朱鳥女子大学のキャンパス。
新子は、イチョウ並木の枯れ葉を踏みしめながら、足早に歩を進めていた。彼女の少し後ろには、周囲の女子大生たちの好奇の視線を一切意に介さず、漆黒のスーツ姿の死神マウトが音もなく付き従っている。
「……マウト。周囲の警戒レベルを一段階引き上げなさい。今日から私たちは、この大学の絶対的な支配者である『朱鳥学生会』の縄張りに、本格的に足を踏み入れることになりますわ」
「了承いたしました。お嬢様を中心とする半径十メートル以内の動体予測を再計算し、不審なエネルギー波長を常時モニタリングします」
マウトの氷のような声に、新子は小さく頷いた。
昨夜の作戦会議で、新興宗教『浄化の光』の裏で糸を引いていた黒幕が、朱鳥女子大学の後援組織『朱鳥会』であり、その中枢に君臨しているのが学生会長の忌部薫子であると特定された。
人間の弱さを搾取する巨大な養殖場。それを束ねる『悪魔の王』の影。
平和に見えるこのキャンパスは、すでに悪意の結界の中に囚われているのだ。
「新子ちゃーん! おはよう!」
前方から、明るい声が飛び込んできた。
親友の大崎夕子と、その隣には、教団の洗脳から解放されたばかりの沙耶香が立っていた。沙耶香は以前のような華やかなブランド物のバッグを手にし、顔色もすっかり良くなっている。
「おはようございます、夕子、沙耶香さん。今日は一段と顔色がよろしいですわね」
新子が令嬢の完璧な微笑みを向けると、沙耶香は少し照れたように笑った。
「うん、なんだか長い悪夢から覚めたみたいで。最近変なサークルに出入りしていたみたいなんだけど、どうしてあんな地味な服ばかり着ていたのか、自分でも不思議なくらいなの」
「人間の心は、時に疲れ果てて迷子になってしまうものですわ。でも、本来の輝きを取り戻せて何よりです」
新子が優しく応えた、その時だった。
「……あ、あれ? これ、何だろう?」
沙耶香がバッグの中からスマートフォンを取り出そうとした際、一緒に小さな黒いUSBメモリがこぼれ落ち、石畳の上に転がった。
「沙耶香の? 大学の課題のデータか何か?」
夕子が不思議そうに尋ねると、沙耶香は首を傾げた。
「ううん、私、こんな黒いUSBメモリなんて持っていないはずなんだけど……。自分のじゃないわ。いつの間にかバッグに入っていたみたい」
新子の視線が、そのUSBメモリに釘付けになった。
ただの記録媒体に見えるが、新子の『霊視』の能力は、その小さなプラスチックの塊から、どす黒い悪意の残穢が微かに立ち上っているのを見逃さなかった。
それは、教団『浄化の光』の地下ホールに充満していた、あの高位悪魔の瘴気と全く同じ波長だったのだ。
(まさか……! 沙耶香さんが教団から解放される際、無意識のうちに持ち帰ってしまったというの!? だとしたら、その中身は……)
教団の裏帳簿、あるいは朱鳥会へと繋がる決定的な資金洗浄の証拠データ。
もしそうだとすれば、朱鳥会の連中がこの『失われたデータ』を血眼になって探しているはずだ。
「沙耶香さん。そのUSBメモリ、少し見せていただいてもよろしくて?」
新子が手を伸ばそうとした、まさにその瞬間。
「おい、お前たち。そこで何をしている」
背後から、氷のように冷たく、威圧的な声が響いた。
振り返ると、そこに立っていたのは、腕に『朱鳥学生会・風紀委員』の腕章を巻いた三人の屈強な女子学生たちだった。彼女たちの目は一様に虚ろでありながら、底知れぬ敵意と冷酷な光を宿している。
新子の直感が、瞬時に警鐘を鳴らした。彼女たちの頭上には、どんぐりほどの大きさの下級悪魔がへばりつき、彼女たちの『権力欲』と『攻撃性』を異常に増幅させている。
「風紀委員……? 私たちはただ、おしゃべりをしていただけですけれど。それが何か校則に違反していますの?」
新子がツンと顎を上げて言い返すと、風紀委員のリーダー格の女生徒が、沙耶香の足元に転がっているUSBメモリを鋭く睨みつけた。
「……探していたのはそれだ。忌部会長の命により、その学外の不正データを回収する。大人しくこちらへ渡しなさい」
「会長の命? これは私がたまたま拾った……キャッ!」
沙耶香が言い終わる前に、風紀委員の一人が強引に手を伸ばし、沙耶香の肩を乱暴に突き飛ばした。バランスを崩した沙耶香は石畳に倒れ込み、悲鳴を上げる。
夕子が慌てて沙耶香を庇うように抱き起こした。
「ちょっと! いきなり暴力を振るうなんて、いくら学生会でもやりすぎじゃない!?」
「黙れ。我々学生会の決定は、この大学における絶対の法だ。逆らう者はすべて排除する」
リーダーの女生徒が、無機質な声で宣告し、USBメモリを拾い上げようと手を伸ばした。
悪魔に完全に精神を支配され、忌部薫子の手駒と化した操り人形。彼女たちには、すでに同じ学生に対する思いやりや倫理観など微塵も残っていない。
「……随分と野蛮な法ですこと。朱鳥女子大学も地に落ちたものですわね」
新子の凛とした声が響き渡った。
同時に、新子の前に漆黒の壁が音もなく立ち塞がった。
「対象者の暴力行為、およびお嬢様の関係者に対する危害を確認。これより、障害の物理的排除を実行します」
マウトが、感情の欠落した氷のような声で告げると同時に、USBメモリに手を伸ばしていた女生徒の手首を、正確無比な動作で掴み取った。
「なっ……! 離せ、貴様は誰だ! 学生会に逆らう気か!」
「私のプログラムに『学生会』という例外規定は存在しません」
マウトは表情一つ変えることなく、女生徒の手首を軽く捻り上げ、彼女の重心を完全に奪って石畳の上に片膝をつかせた。骨を折る手前の、完璧に計算された非致死性の制圧術。
「き、貴様ら! やっちまえ!」
残りの二人の風紀委員が、狂気じみた怒声を上げてマウトに飛びかかってきた。彼女たちの腕力は、悪魔の増幅効果により、普通の女子大生を遥かに超えている。
しかし、マウトにとっては児戯にも等しかった。
飛びかかってきた二人の攻撃を最小限の動きで躱し、一人の襟首を掴んで引き寄せ、もう一人の背中へと軽く投げ飛ばす。二人はもつれ合うようにして倒れ込み、瞬く間に無力化された。
「すごい……。新子ちゃんのボディガードさん、本当に人間なの!?」
夕子が目を丸くして驚嘆の声を漏らした。
「彼は特別製のプロフェッショナルですわ。……マウト、ご苦労様。そのUSBメモリを拾ってちょうだい」
新子が命じると、マウトは女生徒たちを牽制しながら、石畳に落ちていた黒いUSBメモリを拾い上げ、恭しく新子へと手渡した。
「くそっ……! それを渡せ! それは朱鳥会の大切な……!」
床に押さえつけられた風紀委員のリーダーが、血走った目で新子を睨みつけながら叫んだ。
その言葉で、新子の確信は確固たるものとなった。やはりこのデータは、教団『浄化の光』と『朱鳥会』を繋ぐ決定的な証拠なのだ。
「お生憎様。このデータは、学外の不正な落とし物として、私が『適切な機関』へ提出させていただきますわ。……忌部薫子会長には、せいぜいご機嫌を損ねないように報告することね」
新子は完璧な令嬢の微笑みを浮かべ、USBメモリをトートバッグの奥深くへとしまい込んだ。
「夕子、沙耶香さん。ここは空気が悪いですから、場所を変えましょう。マウト、私たちを安全な場所まで護衛しなさい」
「了承いたしました。お嬢様の退避ルートを確保します」
マウトが風紀委員たちから手を離し、新子たちの背後を守るように立ち塞がった。
風紀委員たちは悔しげに地面を叩いたが、マウトの絶対的な実力差の前に、もはや手出しすることはできなかった。
「新子ちゃん、ありがとう。でも、学生会に逆らって大丈夫なの……? 忌部会長に目をつけられたら、退学にされるって噂もあるのに……」
カフェテリアへと向かう道すがら、夕子が不安そうに新子の顔を覗き込んだ。
「心配ご無用ですわ、夕子。私は菱倉商事の娘ですのよ? たかが学生会の会長ごとき、菱倉家の財力と権力の前では風の前の塵も同じですわ」
新子は夕子たちを安心させるために、あえて傲慢なお嬢様としての発言を口にした。
しかし、その内面では、静かに、そして激しく闘志の炎を燃やし始めていた。
(学生会を私物化し、悪魔の力を使って生徒たちを力でねじ伏せる……。忌部薫子、あなたのその薄汚い独裁政治も、ここまでですわ)
証拠のデータは手に入れた。
次は、このデータをどう使い、朱鳥会の中枢に潜む『悪魔の王』をあぶり出すかだ。
「マウト。今日の午後の講義はすべてキャンセルします。至急、中華飯店『鳳凰』へ向かいますわよ。……極上の反逆のシナリオを組み立てる時間ですわ!」
新子は力強くヒールの音を響かせ、キャンパスを後にした。
朱き鳥の檻の中で君臨する女王と、その背後に潜む強大な闇。
元・奪衣婆エバの、美しくも残酷な『神罰』の執行が、いよいよその牙を剥こうとしていた。
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魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




