中華飯店「鳳凰」の密約㈡
傲慢な悪魔の嘘、天秤で丸裸にしますわ!元・奪衣婆令嬢の華麗なる無双劇
「よろしい。では、これより実践的な戦闘訓練に移るよ、お姫様」
サラがニヤリと好戦的な笑みを浮かべ、椅子の脇に立てかけてあった、鈍い銀色に輝く杖を手に取った。その杖の頭部には、妖しい紫色の輝きを放つ天冥石が埋め込まれている。彼女が立ち上がると同時に、VIPルームの空気が一変し、肌を刺すような緊張感が室内に満ちていった。
「あら、望むところですわ。私をただの、ひ弱なお嬢様だと思っているなら、大間違いですことよ」
新子もまた、負けじとツンとした態度で立ち上がった。彼女の手元にも、サラのものと同じく、純度五十パーセントの天冥石が宿る特務機関支給の杖が出現する。
「おいおい、ここでやる気かい? 店を壊されたら困るんだがね」
セトがやれやれと首を振ったが、その瞳は二人を冷静に観察していた。
「心配いらないよ、セト。あたしの結界の中で、この新入りの実力を徹底的に測ってあげるだけさ」
サラが杖の石突きで、コンクリートの床を強く叩いた。
――カン、と硬質な音が響いた瞬間、新子の視界がぐにゃりと歪んだ。
中華飯店のVIPルームという壁が消失し、周囲はどこまでも続く、不気味な赤紫色の霧に包まれた空間へと変貌していく。これが悪魔狩人に備わった結界能力であり、一般人には決して見えない、天界や冥界の目すらも欺くための独立した戦闘空間であった。
「人間の肉体っていうのはね、あんたが思っている以上に不自由なんだよ。まずはその『器』で、どれだけ動けるか試させてもらうよ!」
サラの言葉が終わるよりも早く、彼女の足元に、複雑な幾何学模様で構成された紫色の魔法陣が、眩い光を放ちながら一瞬で描き出された。
サラの特殊能力は、この魔法陣を瞬時に展開し、悪魔を封印したり、あるいは破壊的なエネルギーへと変換して解き放つことにある。
「ハァッ!」
サラが杖を鋭く一振りすると、足元の魔法陣から、数条の引き裂くような光の矢が、猛烈な速度で新子めがけて放たれた。
「くっ……!」
新子は咄嗟に身を翻そうとした。しかし、頭での思考に対して、人間の肉体の反応がほんのわずかに遅れる。
ドサリ、と激しく地面を転がりながら、新子は光の矢を間一髪で避けた。頬をかすめた風が、じりじりと焼けるような痛みを残していく。
「冷たい水の中を歩いているみたいに、身体が重いですわね……!」
新子はアスファルトの地面を強く踏みしめ、乱れた衣服を気にする余裕もなく、すぐに立ち上がって杖を構えた。
冥界の底で亡者の衣を剥ぎ取っていた頃は、肉体の質量や重力、そして肺に酸素を取り込む息苦しさなど知る由もなかった。毎日食事を摂り、眠らなければ動かなくなるこの不完全な『器』は、戦闘においてはあまりにも多くのハンデを背負っているように感じられた。
「おやおや、避けるだけで精一杯かい? 悪魔はね、人間の心の隙を突いて、もっと容赦のない波状攻撃を仕掛けてくるんだよ!」
サラの叱咤とともに、再び空間に無数の魔法陣が浮かび上がる。今度は新子の頭上、足元、左右の退路を完全に塞ぐように配置されていた。
「セト、そっちから見て、この新入りの動きはどうだい?」
サラが攻撃の手を緩めないまま、空間の端で腕を組んで戦況を見つめているセトに声をかけた。
「そうだね。エバさんの魂の出力に対して、肉体という器のパイプが細すぎる。霊視で視る限り、彼女の体内の霊力の循環が、人間の感情というノイズによってひどく乱れているよ。これでは、本来の奪衣婆としての異能を十パーセントも引き出せていない」
セトの「霊視」の能力は、隠された悪魔を見破るだけでなく、味方の霊力の流れや憑依の度合いをも正確に察知する。彼のアドバイスは的確だが、同時に新子の焦りを煽るものでもあった。
「感情のノイズですって……? そんなもの、私は持ち合わせていませんわ!」
新子は叫びながら、迫り来る四方からの光の障壁に対し、自らの杖を大きく突き出した。
「イイジャーマジャアニウム!」
新子の口から、アラビア語で『レンタルフリー』を意味する召喚呪文が響き渡った。
彼女の特権、それは元夫である閻魔大王から特別に借り受けることができる、冥界の強力な神具の召喚である。
まばゆい光とともに、新子の頭上に、無数のダイヤモンドのような輝きを放つ、巨大な『壇茶幢』が出現した。それは、善悪を見分け、悪の重さを量るための強大な質量を持った神具である。
「落ちなさい!」
新子が杖を振り下ろすと、壇茶幢が凄まじい風圧を伴って、サラの展開した魔法陣の結界を上空から押し潰すように直撃した。
ドゴォォォン!
衝撃波が赤紫色の霧を吹き飛ばし、結界の空間全体が激しく揺れ動いた。サラの魔法陣は、その圧倒的な神具の質量に耐えきれず、ガラスが割れるような音を立てて木っ端微塵に砕け散る。
「へえ、さすがに閻魔大王の元嫁だね。そんな大層なものを、簡単にレンタルしてくるなんてさ」
サラは爆風を片手で遮りながらも、感心したように口角を上げた。しかし、その直後、彼女の姿が霧の中にスッと消えた。
「しまっ……!?」
新子がハッとした瞬間には、すでに背後に冷たい気配が迫っていた。知っている場所であれば瞬間移動できる能力を持つ新子だったが、サラの戦闘スピードはその先を行っていた。
「神具に頼りすぎだよ。器の燃費を考えな。そんな大きなものを一度に動かしたら、あんたの体力がどれだけ削られるか、わかってないね?」
サラの杖の先端が、新子の首筋の手前でピタリと止まった。
「……私の、負けですわね」
新子は悔しそうに唇を噛み締め、頭上の壇茶幢を消滅させた。その瞬間、急激な疲労感が全身を襲い、膝がガクガクと震えだした。額からは大粒の汗が流れ落ち、呼吸は完全に乱れている。
「いや、今のは悪くなかったよ」
セトが歩み寄り、パチパチと静かに拍手を送った。
同時に、サラが結界を解除し、世界は再び中華飯店「鳳凰」のVIPルームへと戻っていった。窓の外からは、相変わらず中華街の賑やかな喧騒が聞こえてくる。
「肉体の限界を超えた神具の行使は、執行規定の第二条『器の維持』に反する可能性、があるけれどね。エバさん、あなたの戦闘センスは確かだ。ただ、人間の肉体に魂を完全に馴染ませるには、もう少し時間がかかりそうだ」
「ふん、まあ、初日にしては上出来じゃない? あたしのしごきに、一回も泣き言を言わなかったことだけは、褒めてあげるよ」
サラは杖を消し、元のラフな姉御肌の笑顔に戻って新子の肩をバシバシと叩いた。
「い、痛いですわよ、サラ。……レディを叩くなんて、野蛮ですわ」
新子はよろけながらも、彼女たちの言葉にどこか救われるような気持ちになっていた。
その時、新子のお腹の中から、きゅるるるる、と非常に大きく、そして気の抜けた音が鳴り響いた。
「「…………」」
セトとサラの視線が、一斉に新子のお腹へと注がれる。新子の顔は、瞬く間に特製エビチリよりも真っ赤に染まった。
「あ、あの、これは……! 人間の肉体が、エネルギーの急速な枯渇を検知して放った、システムのアラートですわ! 決して、私が卑しいわけでは……!」
「あはははは! 最高だね、あんた! やっぱり執行規定の第二条は、あんたのためにあるようなもんだよ!」
サラが腹を抱えて大笑いし、セトもまた、クスクスと楽しげに肩を揺らした。
「ちょうどいい。訓練のご褒美に、店の一押しメニューを出してあげよう。器の維持は、悪魔狩人の立派な義務だからね」
セトが厨房へと向かい、数分後、円卓の上には信じられないほどの量の、豪華な中華料理が次々と並べられた。
山盛りのパラパラチャーハン、肉汁が透けて見える小籠包、鉄鍋でグツグツと音を立てる麻婆豆腐、そして香ばしく焼き上がった大ぶりの餃子。
「まあ……! なんて素晴らしい光景かしら!」
先ほどまでの疲労はどこへやら、新子は目を輝かせて箸を握りしめた。
まずは小籠包をそっとレンゲに乗せ、箸で皮を破って溢れ出た熱々のスープを啜る。口いっぱいに広がる豚肉の濃厚な旨味と生姜の香りに、新子の魂は至高の幸福感に包まれた。
「美味しい……! これなら、いくらでも食べられてしまいますわ!」
「おいおい、あんたのその胃袋、本当にブラックホールじゃないだろうね? そんなに食べたら、お嬢様の体形が崩れるよ?」
サラが呆れ顔で餃子を口に運びながら言った。
「問題ありませんわ。私は美容やスタイリストの技術にも長けていますもの。カロリーのコントロールくらい、異能を使わずとも完璧にこなしてご覧に入れます」
新子は麻婆豆腐をチャーハンの上に豪快にバウンドさせ、大きな口で頬張りながらフンと鼻を鳴らした。そのツンとした態度と、幸せそうに食べる姿のギャップに、サラはすっかり毒気を抜かれた様子だった。
「さて、エバさん。お腹が満たされたら、次の『仕事』の話をしようか」
セトが真剣な面持ちで、中国茶のカップを置きながら言った。
「仕事……。もう、横浜市内に悪魔の気配が?」
新子はスプーンを止め、セトの瞳を見つめた。
「ああ。私たちのセンサーが、朱鳥女子大学の周辺で、極めて不自然な魂の波動を感知した。人間の強欲や自己顕示欲を巧みに利用し、破滅の罠へと誘い込んでいる、中級以上の悪魔の影がある」
「朱鳥女子大学……、私の、通っている大学ですわね」
新子の脳裏に、キャンパスの美しい風景と、そこに通う親友の夕子の笑顔、そして、いつも自分をからかってくる油江教授の冷徹な瞳が浮かんだ。
「その通り。悪魔はすでに、あなたのすぐ近くに巣くっている。彼らが人間の倫理のストッパーを外し、決定的な惨劇を引き起こす前に、私たちはそれを『剥ぎ取ら』なければならない」
セトの言葉に、新子は静かに頷いた。
口の中に残る、麻婆豆腐の心地よい辛さと、現世の温かい料理の味。この愛おしい日常を、あの醜い悪魔たちに汚させるわけにはいかない。
「……承知いたしましたわ。私の通う学舎を汚す害虫など、元・奪衣婆の名にかけて、一枚残らず丸裸にして地獄へ送り返して差し上げます」
新子は最後の一口のチャーハンを綺麗に平らげると、優雅に口元をナプキンで拭い、不敵な、そしてどこまでも華麗な微笑みを浮かべた。
平和な日常の裏側で、悪魔狩人としての彼女の本当の闘いが、今、静かに、しかし確実に始まろうとしていた。
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魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




