中華飯店「鳳凰」の密約㈠
傲慢な悪魔の嘘、天秤で丸裸にしますわ!元・奪衣婆令嬢の華麗なる無双劇
横浜中華街。
極彩色に彩られた牌楼をくぐると、そこは異国情緒と活気に満ちた喧騒の坩堝だった。通りには食欲をそそる点心や香辛料の匂いが立ち込め、観光客や地元の人々の笑い声が絶え間なく響き渡っている。
そのメインストリートから一本裏路地に入った目立たない場所に、中華飯店「鳳凰」はひっそりと佇んでいた。一見すると古びた大衆食堂のようだが、一歩足を踏み入れれば、その実態がただの飲食店ではないことがわかる。ここは、冥界特務機関『祓魔』に所属する悪魔狩人たちが、密かに情報を交換し合うための活動拠点なのだ。
カラン、とドアベルを鳴らして店に入ったのは、菱倉新子――その内に冥界のエリート執行官・奪衣婆エバの魂を宿す令嬢だった。彼女は上質なカシミヤのコートを身に纏い、その容姿端麗な顔立ちにふさわしい、凛としたツンデレの気品を漂わせていた。
「いらっしゃいませ。おや、新入りのお嬢さんですね」
カウンターの奥から声をかけてきたのは、この店の店長であり、横浜地区担当の悪魔狩人であるセトだった。彼は長身で整った顔立ちをした男系の悪魔狩人であり、その瞳にはどこか底知れぬ冷たさと知性が宿っている。
「新入り扱いはやめていただけます? 私はこれでも、三途の川で数多の亡者の罪を量ってきた奪衣婆ですのよ」
新子はツンと顎を上げ、不満げに言い返した。
「わかっていますよ、エバさん。しかし、悪魔狩人としてはあなたが一番の後輩です。ここでは人間の年齢も冥界でのキャリアも関係ありません。まずは、この人間界でのルールを徹底的に頭に叩き込んでもらいます」
セトはそう言うと、手招きをして新子を店の奥にある隠し扉へと案内した。薄暗い廊下を抜けた先には、防音設備が施されたVIPルームが存在した。
部屋の中央にある円卓には、すでに一人の女性が座っていた。彼女もまた横浜地区を担当する悪魔狩人、サラである。彼女は女系の悪魔狩人で、革ジャンにジーンズというラフな出で立ちだが、その手元には天冥石(純度五十パーセント)が埋め込まれた杖が立てかけられていた。
「遅いよ、新入り。あたしは気が短いんだからね」
サラは鋭い視線を新子に向け、挑発的に笑った。彼女の役目は、新子に悪魔との実戦的な戦い方を容赦なくしごくことだ。
「お待たせして申し訳ありませんわ。でも、レディの身支度には時間がかかるものですのよ」
新子は優雅に微笑み返し、サラの対面の席に腰を下ろした。
「さて、茶番はそこまでにしましょう」
セトが円卓に歩み寄り、一冊の分厚いファイルをバサリと置いた。その表紙には『冥界特務機関 祓魔 悪魔狩人執行規定』と重々しい文字が記されている。
「エバさん。あなたは天照大神と閻魔大王の直轄機関である祓魔に、悪魔狩人として任命されました。担当エリアは、約三百八十万人の人口を抱えるこの横浜市全域です。私たち三人は、この広大なエリアに潜む悪魔たちを狩るために配置されたチームということになります」
「天界の不可侵条約を破り、人間界の陰で魂を貪る不正思念体……つまり、悪魔を秘密裏に処理するのが私たちの目的ですわね」
新子が確認するように言うと、セトは深く頷いた。
「その通りです。我々の目的は宇宙の因果律の維持であり、いかなる私情も介入してはなりません。では、執行規定の第一条から確認していきます」
セトはファイルを開き、淡々とした声で読み上げ始めた。
「第一条。標的の限定と人間の業への不干渉。狩猟対象は、人間の負の感情に寄生し、運命を強制的に歪める『悪魔』のみとします。人間自身が抱く強欲、嫉妬、殺意等の自発的な業に対し、執行官が直接裁きを下したり、運命を改変したりすることは固く禁じられています」
「要するに、人間同士の醜い争いや犯罪そのものには手を出すな、ということですわね?」
「そうです。我々はシステムのバグを排除する清掃員であり、現世の神ではありません。どんなに理不尽な事件を目撃しようと、そこに悪魔の介在がなければ、私たちはただの傍観者でいなければならないのです」
新子は少しだけ眉をひそめた。彼女は奪衣婆として善悪を見分け、悪の重さを量る能力を持っている。目の前で悪事が行われていれば、裁きを下したくなるのが性分であった。しかし、この規定に従う限り、彼女はあくまで「悪魔」だけを標的にしなければならない。
「第二条。存在の完全秘匿と器の維持。執行官は人間社会に完全に溶け込み、正体を悟られてはなりません。また、憑依した肉体の生命活動を維持するため、食事や睡眠等の人間的プロセスを怠ってはならないとされています」
その言葉を聞いた瞬間、新子の表情がパッと明るくなった。
「まあ! それはつまり、この人間界の美味しいお食事を、心置きなく堪能しても良いという免罪符ですわね!」
新子は目を輝かせた。冥界の無機質なシステムの中で生きてきた彼女にとって、現世の食事や温かい風呂は、何事にも代えがたい至福の時間なのだ。
「……あのねえ、あんた。任務中にお腹鳴らしたりしないでしょうね?」
サラが呆れたようにため息をついた。
「失礼な。私はレディですのよ。自己管理は完璧ですわ」
新子はフンと鼻を鳴らしたが、その実、最近は油江教授や真喜との食事を楽しみすぎて、少しだけカロリーを気にしているところだった。
「万が一、正体が人間に露見した場合、あるいは器が破損した場合は、直ちに任務を放棄し冥界へ強制帰還となります。肝に銘じてください」
セトの冷たい釘刺しに、新子は居住まいを正した。
「第三条。天界との衝突回避。悪魔は元来、天界の管轄から逸脱した堕落存在です。我々冥界が直接干渉することは越権行為となるため、狩りは常に人間の目にも天界の目にも触れぬよう『隠密』に行わなければなりません。大規模な物理的破壊行為は厳罰の対象です」
「隠密処理……。得意分野ですわ」
新子は自信ありげに微笑んだ。彼女には、知っている場所であれば瞬間移動できる能力がある。これを使えば、誰にも気づかれずにターゲットに接近することが可能だ。
「第四条。感情の利用と汚染の防止。現世の肉体に同調する以上、人間の感情というバグの影響を受けることは避けられません。これを悪魔の気配を察知する『センサー』として利用することは許可されていますが……」
セトはそこで言葉を区切り、新子を真っ直ぐに見据えた。
「執行官自身の魂が人間の愛憎に深く同調し、情に流されることは『深刻な汚染』とみなされます。常に冷徹なシステムの歯車としての客観性を保つこと。これは、現在のあなたにとって最も難しい課題かもしれませんね」
新子は言葉に詰まった。彼女の心にはすでに、猪突猛進に愛をぶつけてくる太田真喜や、危険な魅力で迫る油江教授への、人間らしい「感情」が芽生え始めている。冥界の天使養成校で『宇宙の調和を乱す最大の要因は個人的な感情(愛)である』と教え込まれてきた彼女にとって 、この感情はまさに排除すべきバグなのだ。
「……問題ありませんわ。私はプロフェッショナルですもの」
新子は強がって見せたが、その声には微かな揺らぎが含まれていた。
「第五条。絶対的剥奪と還元。悪魔を捕捉した際は、速やかに宿主たる人間の魂からこれを『剥ぎ取り』、その存在の核を完全に粉砕・浄化すること。悪魔の力を自らに取り込むことや、取り引きに応じることは言語道断です。悪魔を剥ぎ取った後の人間の魂は、本来の因果のレールへと速やかに還元し、事後処理を完了させてください」
「罪の衣を剥ぎ取るのは、私の十八番ですわ。悪魔の薄汚い思念体など、一枚残らず引っぺがして差し上げます」
新子の瞳に、奪衣婆としての冷酷で美しい光が宿った。
「最後に附則です。本規定に違反した執行官は、即座に特務権限を剥奪され、三途の川の底にて千年の初期化フォーマット刑に処されます」
千年の初期化フォーマット刑。それは、自我を完全に消去され、ただの無機質な歯車に戻されることを意味する。冥界の掟の厳しさを改めて突きつけられ、新子は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「以上が、悪魔狩人としての執行規定です。質問はありますか?」
「……いいえ、完璧に理解いたしましたわ」
新子は凛とした声で答え、覚悟を決めたようにファイルを見つめた。
「よろしい。では、これより実践的な戦闘訓練に移るよ、お姫様」
サラが立ち上がり、杖を手にした。その目には、獲物を狙う猛禽類のような鋭い光が宿っている。ここから先は、理屈ではない。命を懸けた、血と殺意にまみれた実戦の領域だ。新子――エバは小さく息を吐き、自らの内に眠る奪衣婆としての強大な力を静かに呼び覚まし始めた。
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魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




