暴かれた偽りの暗示㈠
傲慢な悪魔の嘘、天秤で丸裸にしますわ!元・奪衣婆令嬢の華麗なる無双劇
朱鳥女子大学の最寄り駅前にある、お洒落なオープンテラスが人気のカフェ『ル・ポワソン』。
温かなオレンジ色の間接照明と、挽きたてのコーヒー豆の香りが漂う店内は、講義を終えた女子大生たちで賑わっていた。
その一番奥のボックス席で、新子は目の前に高くそびえ立つ『季節限定イチゴとマスカルポーネの特製パンケーキ』に、うっとりとした熱い視線を注いでいた。
雪山のように盛られた純白のマスカルポーネクリームの上には、ルビーのように輝く大粒のイチゴが惜しげもなく散りばめられ、甘酸っぱいベリーソースが芸術的な軌跡を描いて滴り落ちている。
「まあ……! 写真で見るよりも、ずっと立体的で素晴らしい造形美ですわ。このクリームの質感、まさに現世が誇る至高の芸術作品ね」
新子はうやうやしくナイフとフォークを手に取り、パンケーキに入刀した。
ふんわりとした生地に濃厚なクリームとイチゴをたっぷりと絡め、大きく口を開けて頬張る。途端に、マスカルポーネの芳醇なコクとイチゴの爽やかな酸味が口の中いっぱいに広がり、悪魔との戦闘ですり減った魂のエネルギーが、急速に満たされていくのを感じた。
「美味しい……! これなら、いくらでも食べられてしまいますわ!」
新子が至福の笑みを浮かべて頬を押さえると、対面に座っていた夕子がホッと胸を撫で下ろした。
「よかったあ、新子が無事に希海先輩を見つけてくれて。先輩、本当に何かに取り憑かれたみたいにフラフラ歩いてたから、すっごく心配だったんだよ。そのまま大学の保健室で休ませてくれたんでしょ?」
「ええ。少し貧血を起こしていたみたいでしたけれど、もうすっかり元の希海先輩に戻っていましたわ。夕子が早く知らせてくれたおかげですのよ」
新子はパンケーキを咀嚼しながら、夕子に向かって完璧な令嬢の微笑みを向けた。
悪魔の催眠に操られ、クリニックの窓から飛び降りようとしていた事実など、この心優しい親友に教える必要は微塵もない。平和な日常の裏側で蠢く地獄の釜の蓋は、新子と、そして背後に立つ寡黙な盾だけで押さえ込んでおけば十分なのだ。
そう。新子の背後には、先ほどから彫像のように微動だにせず直立している、漆黒のスーツ姿の男がいた。
「……で、新子。さっきからすっげえ気になってたんだけどさ」
新子の隣に陣取っている真喜が、パンケーキには目もくれず、背後の男――死神マウトを親の仇のように鋭く睨みつけていた。
「この血色の悪い、お化け屋敷のスタッフみたいな男は一体誰なんだよ! なんで新子の後ろにピタリと張り付いてるんだ!」
「言葉を慎みなさい、真喜さん。彼は今日から菱倉家に雇用された、私の専属ボディガードの土出真羽人ですわ。お祖父様が最近の物騒な世間を心配して、勝手に手配してしまったのですの」
新子が紅茶を啜りながら淡々と紹介すると、マウトは真喜に向かって、感情の一切こもらない機械的な一礼をした。
「土出真羽人と申します。お嬢様の安全を脅かすあらゆる障害は、私が物理的に排除いたします」
「障害を物理的に排除だぁ!? ふざけんな、新子を守るのはこの俺の役目だ! あんなどこの馬の骨ともわからないボディガードなんて必要ねえよ!」
真喜が立ち上がり、マウトに向かって犬歯を剥き出しにして食ってかかった。大型犬が、見知らぬ来訪者に対して猛烈に縄張りを主張しているような構図だ。
しかし、マウトは真喜の威嚇を全く意に介さず、氷のような瞳で見下ろした。
「私は剛蔵様より正式に雇用されたプロフェッショナルです。あなたのような感情的で予測不可能な行動をとる一般市民は、護衛対象であるお嬢様にとって、むしろリスク要因になり得ると推測されます」
「なんだと!? 俺が新子のエラーだって!? 表に出ろ、俺の愛の深さがどれほどのものか、その無表情な顔面に叩き込んでやる!」
「やめなさい真喜さん! カフェの中で騒ぐなんて、野蛮にも程がありますわよ!」
今にも飛びかかりそうな真喜の首根っこを、新子が慌てて掴んで引き戻した。
真喜の純粋すぎる愛は、時に悪魔の精神汚染すらも跳ね返すほどの熱量を持っているが、同時に周囲の空気を一切読まないという致命的な欠陥がある。一方のマウトは、感情というバグを持たない完璧な盾だが、人間の機微を理解しないため、火に油を注ぐような発言を平気でしてしまう。
(この二人……相性が最悪ですわね)
新子は頭痛を堪えるようにこめかみを押さえ、残りのパンケーキをヤケ食いするように口に放り込んだ。
「まあまあ、真喜くん。新子のお家はお金持ちなんだから、ボディガードがつくくらい普通のことだよ。それに土出さん、すごく強そうだし、新子が安全ならそれでいいじゃない」
夕子が苦笑いしながらとりなすと、真喜は「ううっ、夕子がそう言うなら……」と渋々席に座り直した。
「でもな! 俺は絶対に認めないからな! 新子に近づく虫の野郎どもは、俺が全部ぶっ飛ばすんだから!」
「対象者『太田真喜』の敵対的執着を確認。お嬢様への接近が規定距離を越えた場合、実力行使による排除を検討します」
「検討するな! マウト、あなたも少しは空気を読みなさいな!」
騒々しいカフェでの時間は、こうしてドタバタと過ぎていった。
悪魔との死闘を終えた直後だというのに、この現世の日常はあまりにも騒がしく、そして温かい。新子は呆れながらも、この愛おしい喧騒に心地よさを感じていた。
翌日の午後。
朱鳥女子大学のキャンパスは、いつものように穏やかな空気に包まれていた。
新子は講義の合間を縫って、旧館の最上階にある犯罪心理学研究室へと足を運んでいた。彼女の後ろには、相変わらず漆黒のスーツを着こなしたマウトが、音もなく付き従っている。
「失礼いたしますわ、教授」
重厚なマホガニーの扉を開けると、油江颯はデスクの前に立ち、タブレット端末の画面を鋭い視線で見つめていた。
新子の姿を認めると、彼はゆっくりと顔を上げ、眼鏡の奥で知的な瞳を妖しく光らせた。
「いらっしゃい、エバ。……今日は随分と、物騒な番犬を連れているようだね」
油江の視線が、新子の背後に立つマウトへと注がれた。
マウトもまた、油江の存在を『潜在的な危険要素』として認識したのか、氷のような瞳で油江を静かに見据え返した。二人の間に、目に見えない火花が散る。
「私の専属ボディガードですのよ。最近、物騒な事件が多いですからね。……それで、教授。今日は私に何の御用かしら? 美味しいお紅茶でも淹れてくださるの?」
新子はマウトを背後に控えさせたまま、優雅にソファへと腰を下ろした。
「紅茶の準備ならできているよ。だが、その前に君に確認しておきたいニュースがあってね」
油江はタブレット端末をローテーブルの上に滑らせた。
画面には、今朝のニュースサイトのトップ記事が表示されている。
『元町の有名メンタルクリニック、何者かにより襲撃。院長の神代零氏、意識不明の状態で発見される』
記事には、粉々に砕け散った巨大なガラス窓と、荒れ果てたカウンセリングルームの写真が掲載されていた。神代零は外傷こそなかったものの、重度の記憶障害と精神的錯乱を起こしており、現在は警察病院に収容されているという。
「……あら、恐ろしい事件ですわね。横浜の治安も地に落ちたものですわ」
新子は記事を一瞥し、全く関係がないというように澄ました顔で言った。
神代の記憶処理と現場のカモフラージュは、セトとサラが完璧にこなしてくれたようだ。悪魔の存在を警察が突き止めることは不可能であり、事件は『正体不明の暴漢による襲撃』として処理されるだろう。
「とぼけるのが随分と上手くなったね、エバ」
油江はローテーブルを回り込み、新子の隣へと座った。彼が纏うほろ苦いブラックコーヒーの香りが、新子の鼻腔をくすぐる。
背後に立つマウトがピクリと動こうとしたが、新子は手で制して彼をその場に留まらせた。
「昨日の午後四時頃、このクリニックの周辺で、一時的に強烈な『空間の歪み』と電磁波の異常が観測されたんだ。……それは、以前君がキャンパスでストーカーを退けた時と全く同じ波長だった」
油江は新子の顔を覗き込み、逃げ場を塞ぐようにソファの背もたれに腕を回した。
「君がやったのだろう? エバ。君のその見えない力で、神代の催眠術を打ち破り、彼を無力化した。……一体、どんな心理的アプローチを使えば、あそこまで完全に人間の精神を崩壊させることができるんだ?」
油江の瞳には、犯罪心理学者としての狂気的なまでの探求心と、新子の秘密をすべて暴き出し、自らの支配下に置きたいという歪んだ独占欲が渦巻いていた。
彼に『悪魔』の存在を教えるわけにはいかない。
新子はふっと口角を上げ、完璧な令嬢の仮面を被ったまま、油江の知的好奇心を満たすための『極上の嘘』を紡ぎ始めた。
X(Twitter)でも連載しています。
https://x.com/TakumiFuji2025
魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




