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【2017•山口のハワイ島にて】

死に場所を求めて山口県周防大島へとやって来た男。そこで出会ったヒッチハイクする親子は誘拐犯と子供なのか?男五人でおりなすドタバタ劇。

海が見たい。息を呑むほど美しい海。

そして輝く白い砂浜に降り立って、両手を広げ眠りたい。



そう思い立って、広島尾道から車を走らせ、山口県周防大島まで向かう。瀬戸内の島の中では淡路島、小豆島に次いで三番目に大きいとされる島で、下関で働いていた頃、先輩からよく聞かされていた。


なんでも時間が経つのがゆっくりな、日本のハワイだ、と。生まれてこの方海外には行ったことがないので現地と比べることはできないが、ハワイはいつか行って見たい場所なので期待値も上がる。温暖な気候、美しいビーチ、優雅なサンセット、そして陽気で嫌なことはすぐに忘れられる、ハッピーな世界……。

行くなら今しかない。どうか、ハワイパワーに癒されたい。


安直と言われてしまえば返す言葉はないが、朝陽が昇ってすぐ俺は愛車のプリウスを走らせ、西へと向かった。こうしてすぐ行動に移すのは俺の長所だと思う。ただひたすら、気に入っている音楽を聴きながら進み、時に歌い、そして音楽が一周したからニュースに切り替えてみる。



───Y県H市で小学生の男の子が下校途中に行方不明になって三日、警察は公開捜査に踏み切りました。名前は───

───連日発生しております窃盗団の情報をお伝えします。K市の空き家から、窃盗団が潜伏していたと見られる痕跡が見つかり───



物騒な事件が起こっている。いずれも目的地から近い。ニュースも切って、ただひたすらハンドルを握り進む。運転をしながら、俺は数年前に別れた恋人のことを思い出した。



「兄ちゃん、いい尻してんな」


人力車の車夫のバイトをしていると、こんなセクハラめいたことを言われるのは日常茶飯事だった。真夏でも容赦なく日光にさらし日焼けした肌、車を曳く為に鍛えた上腕二頭筋。そして、カッチカチに膨らみジューシーなハムのように艶めく大腿筋と大臀筋。特にこの脚が観光地でも目立つようで、旅行に来て開放感で大胆になっている観光客から舐めるように熱い視線を向けられる。

自慢じゃないが、俺はめちゃくちゃモテた。それも、声をかけてくれる人の割合は男女で六・四だ。筋肉質なこの肉体と、不釣り合いな童顔八重歯のアンバランスさが絶妙らしく、仕事を終えた後料金を戴く際にはチップ、おひねり、連絡先、花束をくれる客も多かった。すごい時は、家の鍵やカードをポンとプレゼントしてくれた客もいた。そんな中で、真宮さんは"別格"だった。


「明広って、本気で誰かを好きになったことないでしょ」

真宮さんの運転する車の助手席に座り、ウトウト微睡んでいたときに見透かされたように言われ、内心ドキッとした。

当時俺は新卒で入った神戸の会社が合わなくて、仕事もそこそこに真宮さんの神戸の別宅に入り浸っていた。真宮さんは全国に会社がある敏腕経営者、としか聞いていない。下関で人力車を曳いていた時に懇意にしてくれていた太客の一人で、詳しいことは聞かないのが暗黙のルールだった。


「ひどいな。俺は真宮さんのこと本気で好きなのに」

どうだか、と真宮さんは甘いマスクで笑う。煙草とブルガリの香水が鼻をくすぐり、俺は真宮さんの胸に顔を埋め、スーツ越しにその匂いを嗅ぐのが好きだった。

確かに俺は今まで求められるがままに人と交際し、相手が厄介になり出したら次へ行く、というスタンスで過ごしてきた。大体、「アンタは私のこと本気で好きじゃない」と言い出すのが目安。そう言われたら、他に好きな人ができたと言って相手を怒らせ幻滅してもらい、交際を終了する。コツは、相手にとっても面倒くさい男になりきることだ。煙草を吸うなとか理不尽なことを言ったり、相手の仕事を否定したり。とにかく嫌な男になりきって、次の寄生先へ移動する。

だから真宮さんから本気で人を好きになったことがないと言われ、ああ、ここも潮時かと思った。羽振も良くて可愛がってくれて、結構この生活が気に入っていたのだけど。

だけど真宮さんは俺がどんなにクズに徹底しても住む場所も金も提供してくれ、ズルズルと交際は続き、俺の最長記録となった。


真宮さんが、別居していた旦那さんと正式に離婚したと聞かされたのは二年前。そして俺との結婚を前提とした真剣交際を打診された。俺はヒモ生活を堪能しており、養ってもらえるならそれでいいと思っていた矢先、真宮さんから大学生になる息子さんを紹介された。

そのときの衝撃といったら。


───俺は、この人と会う為に今まで生きてきたんだと思った。


年甲斐もなく一目惚れした。あどけなく笑う純朴少年、という表現がピッタリな彼のことを、俺は一瞬で好きになった。よりによってそれは、恋人の息子という禁断の相手だった。


それから何度も食事に誘ったりして親睦を深めたが、俺はこの想いを知られないよう慎重に過ごした。ただ彼の側にいられるだけで幸せだったから、それ以上のことは求めなかった。本気で人を好きになったことがない、と言う言葉がこんなところで回収され、しかも相手が同性ということで誰に相談していいか分からず、見境なしに過去の恋人に相談の電話をしたりした。


そして今まで人との縁を躊躇なく切って傷つけてきた報いは、最悪の形で受けることになった。


真宮さんとの逢瀬より彼との食事や遊びへのお誘いが多いことを、最初は疑問に思ってなかったようだが、過去の女に連絡をしたことがバレて浮気を疑った真宮さんによって設置された監視カメラにより、俺の想い人が彼であることを真宮さんと彼、二人同時に知られてしまったのだ。

夜叉の如く怒り狂った真宮さんからは二度と顔を見せるなと言い捨てられ、彼には避けられ目線すら合わせてもらえなくなった。

俺は尾道に借りていた真宮さん名義のマンションも追い出され資金源も失ったが、なによりあの子に二度と会えなくなってしまったことが、地獄に落とされるより悲しい出来事だった。


毎晩泣きはらし鬱状態となり、ようやく仕事を再開できるようになるまでにかなりの時間を要した。あんなに褒めて貰えていた自慢の筋肉もすっかり萎れ、痩せこけた頬が不健康そうな見た目に更に拍車をかけている。

───働けるようになったからといって、元気なわけではない。


宮島のSAで缶コーヒーを買って休憩する。財布には、おろしてきた全財産の札束が入っておりずっしり重たい。先ほどガソリンメーターが示す目盛が残り少ないかな、と思ったが、周防大島までは余裕で保つだろう。帰りについては考える必要がない。───片道切符ならぬ、片道運転の予定だからだ。最期に見る景色は、綺麗な海と砂浜がいい。




カーナビの案内に従い玖珂ICで降りると、ひたすら南下する。昼飯は豪勢に刺身がいいな。山口だから河豚もいい。最後の晩餐は好きなものをたらふく食ってやる。

車道は空いており、少しくらいスピードを出しても問題なさそうだと思いアクセルを踏む。もう一度音楽をかけて運転していると、前方に大きな山のようなものが見えた。


あれが周防大島。


すぐ近くに、観光センターらしきものがあり、何やら人影が見えた。それも大きな影と小さな影が二つ。どうやら大人の男と小さな男の子のようだ。男の子の方が手をブンブンとさせており、大人の方は『周防大島』と書かれた紙をかざしている。これはもしや、ヒッチハイクか。


面倒なことは嫌だと思い、無視しようとすると、なにを思ったのか紙を持った方のオッサンがすごいスピードで車の前に飛び出してきて制止するように両手を広げた。俺は急いでブレーキを踏み、車は寸前のところで止まった。なんとか轢かずに済み無事だったものの、心臓がバクバクいってハンドルを握る手も震えている。


「危ねぇだろ!何してんだ!!」


こんなに大きな声で叫んだのは何年ぶりだろうか。オッサンはぼりぼりと顔を掻きながら、

「お兄さん、どうせ島いくんでしょう?載せてっておくれ」


見ると、小汚い格好をした冴えない中年親父といったような男だ。帽子を深く被り、この暑い中長袖のパーカーを着ている。男の子が駆け寄ってきて、どうしたの!?と叫んだ。男の子は小学生低学年くらいか。こちらもキャップを被り、半袖半ズボンでリュックを背負っていて、やんちゃそうな顔をしている。


親父一人なら断っていただろうが、子連れとなれば話は変わってくる。同情を誘う作戦かもしれないが、どうせ行き先は同じだし、こんな所で車が通るまで二人で待っていたのかと思うと親父はともかく子供は可哀想だ。まぁ最後くらいは人助けしておくか。


「……いいですよ、どうぞ」

外に出て、後部座席のドアを開けてやった。

「悪いな、お兄さん。恩に着るよ」

親父は図々しく助手席側のドアを開けて隣に座り、男の子は後部座席に座った。なんでやねん。


イライラを子供にぶつけるわけにはいかず、後部座席のドアを優しく閉めてあげる。子供は広い広いとはしゃいで、早くシートベルトを閉めろと注意するも、興奮しているのか全然聞きやしない。


「すまんなぁ、カミさんとはぐれちゃって。この島の先にいるはずなんだよ。お兄さんは、観光かい?」

ええ、まぁ、と濁すと、後ろでえ?何?と身を乗り出してきた。


「なんの話?」「コラ!ちゃんとシートベルトしろっつったろ!」「オッチャン何歳?父ちゃんとおんなじくらい?」


子供の無邪気な質問に愕然とした。

オッチャン……!?父ちゃんと同い歳……!?


俺は今年二九歳で、ガキからしたらオッチャンの歳なのかもしれないが、隣のオッサンはどう少なく見積もっても四十後半くらいだ。これを、同い歳だと……!?まさか俺はここ数年の間に一気に老け込んだのか?

恐ろしくなってさりげなくルームミラーを確認する。幾多の男女を惑わせ射止めてきた自慢のベビーフェイスは鬱になってから激痩せと過食で見る影もないが、それでもアラフィフと見間違えられるなんて島に着く前に一気にテンションが下がる思いだ。


「今日はいい天気だから、島を楽しめると思うぜ」

「オッチャンは、父ちゃんの友達?何が好き?」


ガキが割り込んできて質問してきた。たった五分で友達認定されたらたまったもんじゃない。こんな、名前も得体もしれないオッサンと。

「すみませんねぇ、落ち着きがなくて。でもまだ自己紹介してませんでしたね。私は八代と言います。あなたは」

オッサンは見かけによらず、丁寧に挨拶した。


「……俺は竹原明広。今日は尾道から観光で来た」

「ほぅ、尾道から。いらっしゃい」

「尾道?尾道ってどこにあるの?僕はコースケ!よろしくね!!明広くんって呼んでいい?僕のことはコースケって呼んでね!」


マシンガンのような途切れることのない一方的な会話に、早くも車に乗せたことを後悔した。間も無く海が見え、島にかかる橋が見えた。周防大島には、フェリーではなく大島大橋という橋で渡るらしい。立派な橋だが、無料で渡れるのがありがたい。


「あのね、歩いても渡れるみたいだけどね、島は大きいから車に乗せてもらおうって父ちゃんが言ってね」

「コースケ、せっかくだから海を見なさい。ホラ、綺麗だろう」

「だから車が来るのを待ってたんだけどね、なかなか来ないからどうしようって思っててね、でも来たのが明広くんでよかった!ところでこれなんて音楽?」

人の子の親は凄い。こんなのに四六時中付き合っているのか。目配せすると、八代さんは苦笑いした。コースケは止まらず話し続けている。俺が返事をしなくとも話すことに満足しているようで、俺と八代さんは黙って聞いているとあっという間に橋を渡りきり、周防大島へ上陸した。


海岸沿いを道なりに進んで運転する。島はサイクリストも多くて注意が必要だが、気持ちよさそうに走る姿を見ると、俺も元気な若い頃に乗っておけばよかったと思った。ハワイを謳い文句にしているだけあって、島には南国にあるような高い木が沢山並んでいる。潮風を受けながら走るのはさぞかし気持ちがいいだろう。

「南国って感じがするでしょう。ここはハワイと姉妹都市ならぬ姉妹島縁組してるんです」

八代さんはそう言っていきなりパーカーを脱ぎ出した。下にド派手な色のハワイアンシャツを着ている。しかもリュックから何かを取り出したかと思うと、それはウクレレだった。え?歌うのか?こんな所で?出会って数分で?


〜エーハワイ〜 アロハ〜オエ〜


しかも音痴じゃねーか!!せめて上手くあれよ!!


突如始まった八代のオッサンの車内リサイタルに、負けじとコースケも喋り倒す。

「あ!スナメリクルーズだって!スナメリってなに?イルカの仲間?イルカってサメと同じ?クルーズって船に乗るの?乗りたい!乗ろうよ!!僕船って今まで二回乗ったことあってね、……」


カオスだ。


小さな車内に乗るのは、音痴なウクレレシンガーとマシンガントーク小学生。そして、終の住処ならぬ終の場所を探し彷徨う、俺。


この上ない有終の美を飾れると思い選んだ周防大島は、一気に謎の集団のランデブーの舞台と化した。だからヒッチハイクなんて受けるべきじゃなかったんだ。



一通り歌って満足したのか、八代のオッサンは額の汗を拭いながら、

「そういや何処を見るおつもりですかな」

無心で運転し続けていた俺は、話しかけられていることに気が付かなかった。

「ホラホラ、あそこの真宮島。今なら干潮で島まで行けますぞ」

しんぐうじま、と言われただけでは何も思わなかったが、看板に書かれた真宮の字に思わず目が止まった。


せっかくだから行ってみるかと思い、車を近くに停めて歩いてみることにした。二人も着いてきて、コースケは砂浜を見るなり駆け出した。

「あっコラ!走ったら危ないぞ!」

オッサンの声などまるで聞こえていないように一目散に駆けていったせいで、海水を蹴り上げたコースケの足元はビチャビチャに濡れている。あーあ、と目線をやった先には、透き通るほど透明度の高い碧い海が広がっていた。思わず呆けて、しばらくそのまま目線を徐々に上げていき彼方まで見つめると、小さな島が立ち並んで、何処までも碧くきらめいている。


「……綺麗でしょう?島がたくさん臨めるこの景色は、東洋のエーゲ海とも言われてるんですよ」


潮騒も心地よく耳に届き、いつまでも見てられそうな気がした。


「明広くーん!こっちこっちー!早く来てー!!」

余韻なんて関係ないとばかりにコースケが叫ぶ。子供は島の景観より探検の方が楽しいらしい。こういった干潮の時だけ行ける島は小豆島にしかないと思っていたが、意図せず来れて良かったな。しかも丁度渡れる時間だったからラッキーだった。どうせなら、もっと島のこと色々調べてこれば良かった。


「うげぇ。コースケお前……靴がビチャビチャじゃねぇか。もう脱げ!そんな靴で車内に入るな!」

脱いでいいと分かると、叫びながら靴も靴下も脱いで海の中に入って行った。おいコラパンツは濡らすなよ!と叫びふと横を見ると、八代のオッサンもサンダルを脱いで海に入っていた。カオス再び。


「明広さんも入ればいいじゃないですか」

悪魔の誘いだ。俺は運転もあるしタオルもないのでいいです、と返したその瞬間、コースケが俺の顔に海水をぶっかけた。

「ワァオ!ヘビィー!」「あははは!明広くんびしょ濡れー!」


……俺は何をしてるんだ。一張羅の服も海水で台無しになり、気がつくと俺は叫びながら暴れていた。


「こんのやろぉぉぉぉ───!!」


歳も我も忘れ、俺たちは水を掛け合った。オッサンの皮を被った三人の悪ガキだ。気が済むまでそうしていたが、ついに体力が切れて少し休憩する。しゃがみ込んで、コースケに耳打ちした。

「お前、母ちゃんはどうしたんだよ。こんな所で遊んでて怒られないか?」

カミさんとはぐれたと言っていたが、てっきりこの周防大島で待ち合わせでもするのかと思っていた。しかし八代のオッサンは携帯を操作するどころか連絡をとる素振りも見せない。


「母ちゃん?今日は一日好きにしていいって言ってた」

「ふーん……?父ちゃんとはよく遊ぶのか?」

「うん。でも今日は明広くんがいてくれて楽しい。こーんなに綺麗で楽しい所、これからももっと一緒に来たいな」


思わずコースケの頭を撫でてやった。

俺も久しぶりにあんなに大声で叫んで、我を忘れるくらい暴れて、楽しかった。すると、八代のオッサンも俺の頭をぽんぽんと叩く。

「いやぁ楽しかったですな。またみんなで来ようではないですか」


───また、みんなで───。


八代のオッサンの言葉が胸に刺さる。悪いが、それは叶わないだろう。俺はこの島で永遠に眠るつもりなのだから。


「こんなに綺麗な島を汚すなんて、けしからんですな」

見ると誰かが捨てたライターが砂浜に落ちている。オッサンは拾って、俺の目を見ながら言う。

「なぁ。明広さん、そう思いませんかな」

逸らすことなく見つめられ、口どもる。


なんだろう、この、見透かされているような居心地の悪さは───。


それ捨てたの俺じゃないですよ、と答えると、被せられるようにお腹すいたー!とコースケが叫んだ。俺たちは濡れに濡れた靴と服のまま車内に戻って、昼食の為に入浴場がある施設まで向かうことにした。


入った施設には売店があり、Tシャツやサンダルを購入した。死装束のつもりで着てきた服がTシャツに変わるのはどうかと思ったが仕方がない。

コースケが僕これがいい!と勝手に選んでシャツと半ズボンを渡してきた。おい父ちゃんに買ってもらえ、とつっ返すと、

「じゃあ今から落語を見せます!面白かったら買ってください!えー、私生まれは広島、育ちは山口の瀬戸内っ子でございまして……」


勝手に始める。コイツ自由人過ぎやしないか。周りも、あら可愛い噺家さんねとちびっ子寄席を見にくる始末。

ああもう分かった、分かったから、と無理やり口を塞いでやり八代を探すも、あの野郎肝心の時にいやしない。

まぁ使い果たすつもりで全財産をおろしてきたんだから、コースケに使ってやってもいいか。そう思い、ついでにミニカーも買ってやった。


コースケの買い物も終わらせて、八代の姿が見えない中レストランに先に入らせてもらった。海鮮丼と、コースケはパンケーキを注文し待っていると、


「すいません、相席いいですか」

爽やかな青年が声をかけてきた。

サラリとした髪をツーブロックにして、身長は俺より少し低いくらい。涼しげな目元で色白な男の子だ。若い男の子から声をかけられるのは新鮮で、旅先での出会いに緊張と感謝する。だが、周りを見渡すと席は沢山まだ空いているようで、どうして声をかけてきたんだろうか。


訝しんでいると、

「ちょっと約束すっぽかされちゃって……。寂しいんで、話してもらっていいですか?さっきのボクの、落語が気に入っちゃって」


そう言われてパアァと目を輝かせると、コースケは注文したパンケーキが届くまでずっと落語を披露していた。ようやくサゲまで来て一息つくと、すでに到着していたパンケーキに貪りついた。俺は既に海鮮丼を食べ始めている。

「可愛いですね。弟さんですか?」

コースケに拍手をし終わってから青年が質問してきた。まさかヒッチハイクで拾いましたとは言えず、ああ、まぁ、と曖昧に濁す。青年にもコーヒーとケーキを奢ってやり、少し話をすることにした。


青年の名前は柳井くんといい、今日は友達との約束がドタキャンされ、一人寂しく島を観光しているとのことだった。


「あ……じゃあよかったら、一緒に来る?車の方が移動しやすいでしょ」

「え?いいんですか。ありがとうございます」


柳井くんは俺の手を握り喜んだ。この無邪気な感じが真宮さんの息子さんを彷彿させ、胸がキュンと疼いた。そして思い出す。


───彼は元気にしているんだろうか。

───俺が死んだと知ったら、悲しんでくれるかな。

───そもそも、もう俺のことなんて覚えてないかもな───。


途端にネガティブが渦巻いて、顔を暗くしてしまう。どうしたんですか、と柳井くんに顔を覗かれ、何でもないよと慌てて取り繕った。急に近くに顔が来たものだから、赤くなってしまって挙動不審に思われていたら嫌だ。


コースケが唐突に、口に頬張ったパンケーキを飛ばしながら言う。

「明広くん!僕宮島の鳥居に行きたい!」

「宮島の鳥居……?広島まで行けって言うのか?」

呆れて俺が訊くと、違いますよ、と柳井くんが言った。

「この周防大島にも厳島神社と同じ鳥居があるんです。この近くなんで、僕案内しますよ」

「へぇそうなのか。でももう一人一緒にいる奴がいるから、そいつが帰ってきたら伝えなきゃ。しかしコースケ、お前よくそんなの知ってたな」

コースケはえへへ、と笑いながら、


「そこにずっと行ってみたかったんだ!父ちゃんと母ちゃんが昔見たって」

そう言って、レストランの中を走っていく。

「あっ!コラ!待ちなさい!」


給仕中の店員の横をするりと抜け、テーブルの下に入り、出てきたかと思うとまた走っていく。捕まえようにもなかなかすばしっこく、いつ人にぶつかって怪我させてしまうかとハラハラしながら追いかける。


───何で俺がこんなことをしているんだ。八代のオッサンは何処へ行ったんだ。俺に、子守を押し付けるな!


他のお客さんの迷惑になるだろう!と叫びようやくコースケを捕まえた瞬間、知らない男性に思いきりぶつかってしまい、俺も男性もその場に倒れた。男性を下敷きにしてしまって、一瞬で血の気が引く。


「す……、すみません!大変失礼しました。お怪我はありませんか」手を差し出して上体を起こすも、男性は痛た……と足をさすっている。メガネをかけた中肉中背の男で、こちらもよそ見していてすみません、と言ってくれたが、明らかに悪いのはこちらだ。


「ああ……大変。どうしよう。ホラ、コースケも謝れ」

「ごめんなさい……」

頭に手をやり無理やり頭を下げさせた。コースケは自分のせいで人に迷惑をかけたことに反省しているのか、一気に消沈する。

「いいよ。ボク、ちゃんと謝れて偉いね。痛た、」

男性は足を痛めたのか引き摺るようにしている。三十代後半の風貌だが、動作がゆっくりで見た目より歳をとっているのかもしれない。慌てて、


「すみません。何かお詫びができればいいのですが」俺が申し出ると、

「えっと、……では、もし車で移動されてるなら、私の行きたかった場所まで連れて行ってくれませんか。ここから近いので」

男からの提案に、俺は返す。

「はい。そんなことなら是非。任せてください」

「良かった。バスで来たんですがなかなか不便でね。逆に助かったよ。私は萩野と言います」


萩野さんはサッと手を出した。こちらも名乗り、握手をする。

コースケと八代のオッサンから始まり、柳井くんに萩野さん。思わぬ形で同行者が増えていく。はじめは気ままな一人旅行だったのに、ますます死にづらくなってきたなと内心苦笑いした。


コースケが、「おじさんも一緒に行くの?沢山人が増えて楽しいね」なんて言ってもう機嫌を直している。現金なやつだ。だが子供は元気な方がいい。


「僕はコースケだよ!よろしくね!あと、トイレに行きたい!」

ああ、もう忙しくて目が回りそうだ。

萩野さんに断りを入れ、先に駐車場へ行ってて貰うよう頼んだ。俺はトイレを捜してようやく見つけられると、コースケを個室に入れた。


一息ついてから出入り口で待っていると、手を洗っている男がいることに気づく。どぎつい色のアロハシャツ……八代のオッサンだった。アッと声を上げると、


「おや明広くん、どこに行ってましたか。私はお風呂に入ってました。食事はもう済ませましたか」


ここは温泉があって最高だ!とサッパリした顔で言う。先ほど頭まで海水に浸かっていたから風呂に入ってスッキリしたかったんだろう。だが、自分の子供を初対面の男に預けて自分は悠々と風呂に入るなんて、いささか自由すぎやしないか。俺はお前がいない間、代わりにコースケの世話をしてたんだぞ。沸々と怒りが湧き上がり肩を震わせた。


「ちょっとアンタ……コースケの父親だろう。何好き勝手してんだ。俺が誘拐犯だったらどうするつもりだよ!」


思いの外声は大きく出てしまい、自分でも困惑した。周りも俺の声に驚いて集まってきたらしく、ざわついている。視線から逃れる為に出入り口ではなく中に入り、鏡の前でもう一度言う。


「コースケが可哀想だ!何やってんだよ!」

「それはすみません。でも、あなたもここに悲しいことをしに来たでしょう?」


突然脈絡もないことを言われ、図星だったため思わず目を見張った。八代の逸らすことなく見つめられる視線が痛くて怖くなり、慌てて逸らす。

「私分かるんですよ。そういうことしに来る人。いけません」

「……」俺は黙ったまま何も発せなくなってしまった。

こいつは、俺が死に場所を求めてここへ来たことに気づいている。何故バレたのかは分からないが、その通りなので反論できない。


さっき海岸でこの周防大島の海を眺めた時、あまりの美しさにこの綺麗な景色の島を俺の死で汚してしまってはいけないと強く思った。だがそれと同時に、今死んだらあの海に浮かぶ島の一つになれないかな、なんてことも思った。くだらない幻想だが、美しい瀬戸内湾に浮かぶ島となり永遠に海と空の青に揺蕩っていたい。もうこの世の辛く悲しいことから、解放されたいのだ。


「……私、明広さんに死んでほしくない。今日の旅が、あなたにとって救いになることを祈ってます」

八代は出て行った。見た目はふざけたオッサンなのに、あんな風に諭されてなんだか悔しい。

何も言えず立ち尽くしていると、個室から、泣きそうな顔をしながらコースケが出てきた。


───一部始終を聞かれてしまった。まだ年端もいかない、小さな子供に。


慌てて、「ごめん……コースケ……俺……」

口どもっていると、コースケは黙って俺にしがみついた。俺もしゃがんで、コースケと同じ目線になるとしっかり抱きしめてやる。

あんな父親だろうと、コースケの大切な家族だ。親が、俺みたいな見知らぬ男に怒鳴られているところなんて見たくなかっただろう。ごめん。コースケ……。

しばらくそうしていたが、コースケが思い出したように言った。

「あ。手、洗うの忘れてた」「……」

しっかり洗わせた。




トイレから戻ると、柳井くんが心配した顔で待っていた。

「大丈夫ですか?先ほど誘拐とかなんとか叫ばれてましたが……」

聞かれていたのか。恥ずかしくなり、赤くなった顔を手で仰ぎながら大丈夫だと念を押した。会計を済ませてから施設を出て、一緒に歩く。柳井くんの前では余裕のある大人を演出したいのだが、八代とコースケが同行している以上、この先も恥ずかしい所をみられてしまいそうだ。


同行者が他にもいるけどいいですかと断りを入れ、駐車場へ向かうと、萩野さんが待ってくれていた。遅くなったことに詫びを入れてから車に案内すると、既に俺の車の前で八代が待っている。さっきの手前気まずいが、仕方ない。

俺とコースケと八代のオッサンと、柳井くんと萩野さん。この五人で移動する。本来の旅行の目的から大幅に逸れそうだな。そう思いながら、まずは厳島神社の鳥居を目指した。


車の中が大所帯になり、コースケは興奮して先ほどより更にパワフルみが増している。車内でも喋り倒して、隣同士になった柳井くんと萩野さんが苦笑いしながら相槌を打ってくれていた。申し訳なく思いながらも、俺は運転に集中できていい。八代は、相変わらず外を見ながら鼻歌なんて歌っている。相変わらず子守は他人任せなのか。

鳥居は車ですぐの距離にあり、近くで見るため近くにあった駐車場に停める。俺たちが車から降りても八代は特に動こうとしなかったため、もう無視することにした。萩野さんも足が痛いのでやめておきます、とのことで、俺とコースケと柳井くんだけで鳥居のある海岸まで歩いた。


砂浜の黄色と、鳥居の朱、そして空と海の青が映えて神秘的な空気が漂っている。鳥居は本物と比べて迫力はないが、海に佇み美しく、太陽に照らされてキラキラ輝いていた。コースケはひとり、感動しながら鳥居を見つめている。一通り写真を撮り終わり黄昏ていると、柳井くんが話しかけてきた。

「コースケくん、楽しそう。良かったですね」

そう言ってくれ、先ほど傷つけてしまったかと思い少し不安だったがコースケはこの旅を満喫しているようで安心した。やっぱり大人しくて萎縮しているコースケなんてらしくない。

「竹原さんて運転上手いですね。お仕事は何されてるんですか?」

俺は、以前までは会社勤めしていたことや人力車の車夫をしていたこと、今は休職していたが、徐々に再開し出したことを伝える。

「きっと、人を乗せる仕事が好きなんだな」俺が笑うと、

「やっぱり。ガッチリとした体型で何かスポーツとかやられてたのかなって思いました」

そう言って二の腕を触ってくる。

「この後、どこへ行く予定してるんですか?僕もついて行っていいですか」

そう言われて、ドキッとした。決してそんな意味はないのだろうけれど、ただ純粋に、俺も少しの時間でも柳井くんと一緒に過ごすことができたらいいと思っていた。だから是非来てほしいと思ったが、コースケと八代のオッサンは、どこに行きたいんだろうか。周防大島まで、と言われて乗せたが、アイツらはどこまで乗り続けるんだろう。


「こ、コースケ達の都合を訊いてみないと……」

「え?コースケくんとは兄弟じゃないんですか?」

てっきり兄弟か親戚とかかと思ってました、と言われ、俺は意を決し、ここに来るまでにヒッチハイクで二人を乗せたことや、面識がないことを伝えた。すると最初こそ驚いていたようだが、

「わかりました。後で僕の知り合いがやってるお店があるんで、ちょっとそこで休憩してからコースケくん達は離脱してもらいましょう。僕たちは、もう少し一緒にいませんか?」

手を重ね、熱い視線で誘われた。


───こんなことあるんだ。人力車を曳いていないときでも、中年太りまっしぐらでも、未だ俺を求めてくれる人がいるんだ。感動しつつ、心の中は満開の花畑状態に踊り出しそうなほど浮かれている。やっぱり俺は今でも男女関係なくモテるんだな。ニヤける顔を必死で抑え、フワフワした夢心地で車内に戻る。

八代のオッサンと目が合った。───この旅で

生きる目的を見つけたぞ!とハグしてキスしたい気分だ。俺も大概現金だが。


次は、萩野さんの行きたいと言っていた、「しあわせ祈岩」。

立岩、厳門、帯石観音、岩屋権現という四つの岩を巡ることで開運につながるというパワースポットだという。


「へぇ、萩野さん、こういうのがお好きなんですね」

「お恥ずかしい。でもここは本当に、パワーをくれる所なんですよ。若い頃に何度もここへ足を運んでました。午前中に帯石観音と岩屋権現は行ってきたので、立岩と厳門。よければ皆さんと一緒に行きたいです」

「岩?大きな岩があるの?」

コースケの疑問に、そうだよ、と萩野さんが返す。

「願いが叶うの?何を願うの?」萩野さんはうーん、と唸った後、


「願いが叶うわけじゃないんだ。叶えるために頑張ります、だから何かあった時だけ、ほんの少しだけ助けてください、ていうお願いをするんだ」「ふーん」

会話がひと段落し、俺はラジオをつけた。丁度ニュースを読み上げている。


───昨夜未明、父親と見られる男性と男の子の遺体が浮かんでいると通報があり、××県警では身元の確認を急いでおり───


「……無理心中……か」

萩野さんがポツリと言った。コースケが無理心中てなに?と返す。誰も答えない。子供が犠牲になる事件は、痛ましくて耳を塞ぎたくなる。途端に空気が重くなる車内に、またニュースが響く。

───H市で小学生の児童が行方不明になっている事件です。警察は児童の写真を公開しました。───


「H市か。近いな」八代が言う。

「子供が行方不明なんて、……恐いですね」柳井くんも言った。続けて、「……こういうのって、身代金目的の誘拐とかなんでしょうかね」と言った。

シンと静まる車内。俺が、

「じゃあこの、今行方不明になってるっていう子も、有名政治家の子供だったりするんですかね」

冗談混じりで言って、少し不謹慎だったかなと反省する。ラジオは淡々と続きを読み上げる。


───不明児童の名前は、ナガトコウスケくん、六歳───

「あ、僕の名前だ」

コースケが呟いた。更に車内は静まり返った。




誰も何も発しなかった。俺は無言で運転しながら、必死で様々な可能性について考える。

①、隣の八代のオッサンが、コースケを連れ去って逃げている誘拐犯。俺は、まさかの逃亡の片棒を担がされているパターン。───

②、ただの同姓同名の行方不明男児であり、後ろに座っているコースケは単に父親と二人で周防大島に遊びに来ただけのパターン。───

③、俺が誘拐犯だと、後ろの二人に思われているパターン。八代のオッサンと俺が共謀してコースケを誘拐していると思われて、警戒されている。───


そんな、ドラマみたいなことあるわけないと思いつつも、②以外はどちらも最悪だ。


でも確かに、最初からオッサンとコースケは何かがおかしかった。母親とはぐれたといいつつ、連絡を取ろうとしない八代。そもそも顔も全然似ていないし、本当の親子ではない可能性が高い。だがコースケは八代が父親であることに矛盾した行動もとってないし、万が一八代が本当に誘拐犯だったとして、コースケがこんなにも従順に一緒に過ごすものだろうか。


ああもう、誰か何か話してくれよ!!この沈黙が居た堪れない。どうしてこんな時に限って、コースケも静かなんだよ!!


バックミラー越しに後部座席を確認すると、柳井くんと萩野さん、二人ともとバッチリ目が合った。二人とも疑いの眼差しを俺に向けているように見える。───誤解だ!


向けるなら、せめてこの八代のオッサンにしてくれよ!と横目で睨むも、オッサンは相変わらず外の景色を堪能してやがる。自然とアクセルを踏む力が強くなり、スピードが上がっていく。過ぎる景色は一瞬で後方に飛んでいき、風の音が轟音のように響く。

カーナビが立岩周辺を指し、道路案内を終了することを告げた。駐車場を見つけ車を停めると、皆無言で車から降りてきた。


「……コースケくん、おいで」

車から降りてすぐ柳井くんが声をかけた。顔は青ざめており、声も震えていた。コースケは何も言わず駆け寄ろうとしたとき、

「ダメだコースケくん、危ない!!」

今度は萩野さんが叫んだ。コースケは驚いてピタッとその場に止まる。どうしていいか困っている様子のコースケは、俺と目が合うと、こちらに向かって笑って駆け出した。

俺はスローモーションで駆け寄ってくるコースケの姿を見ながら、ただただ頭の中は疑問符でいっぱいになっていた。


───お前は誰だ?本当に、誘拐された子供なのか?───


そのとき、八代の方を見た。八代は、満面の笑みで俺を見つめてる。

───お前は一体、なんなんだ?コースケの父親じゃないのか───!?───


コースケが俺をハグするように両手を大きく広げたその時、俺はすごい勢いで横からタックルされ、地面に飛ばされ崩れた。

何が起こったか分からず、突き飛ばした本人───柳井くんを見上げた。


「え……?な、なんで……?」

「こっちの台詞だ、この、誘拐犯め」

柳井くんは恐ろしい形相でこちらを睨みつけながら、コースケを保護するように優しく抱き留めた。

違う。俺は誘拐犯なんかじゃない、と弁明しようにも、萩野さんも冷たい視線でこちらを睨んで警戒しており、取りつく島もない。

柳井くんはコースケを抱っこしたまま少しずつ後退りし、もう大丈夫だよ、とコースケに向けて囁いた後、更に言った。


「……これで、身代金は俺のものだ」

隠し持っていたナイフをコースケの顔に近づける。コースケが驚いて叫び、俺もパニックになって叫んだ。


一体何が起こっている……!?なんで、柳井くんが……!?一同が驚愕している中、柳井は言う。

「お前らが逃走中の誘拐犯だってことは、早い段階から気づいてたんだよ!」

「な、何言って……」


じり、とにじり寄るのを威嚇するようにナイフを見せ、後退せざるを得なくなる。

「……明らかに子供慣れしてないのに子共連れて、財布の中も札束でパンパンだったからな。身代金をせしめた後に子供の解放場所に悩んで逃げてたんだろ。ホラ、子供を傷つけられたくなければ、せしめた金を全部よこせ!!」

コースケは恐怖で泣き出した。俺も恐怖でガタガタと足が震え、どうしたらいいかわからず狼狽えるより他ない。


あんなに礼儀正しくて優しかった柳井くんが。───まさか最初から、このために俺に近づいたのか。全部演技で、気があるように見せていたのも、全て油断させるための嘘だったのか。

奴は俺と八代のオッサンが誘拐犯だと勘違いしているようだが、存在しない身代金を寄越せと言われても、そんなものがない以上どうすることもできない。俺にできるのは、叫ぶことだけだった。

「おい!その子を放せ!!」


───絶体絶命で誰もが動けない中、唯一人だけ平然と歩き柳井の目の前に立つ男がいた。

目を疑った。───八代のオッサンだ。


俺は驚愕して、

「───!?な、何やってんだオッサン!!コースケが危ない!退がれ!!」必死で叫んだ。

柳井は怪訝な顔を俺に向けたが、次の瞬間。

柳井の持っていたナイフはスルリと手の中からすり抜けて宙を飛び、ポーンと遠くまで飛んでいった。

一体何が起こったんだ。柳井も俺も唖然としながら、理解の範疇を超えた出来事にフリーズする。誰もが硬直し動けなくなっている中、萩野さんが捨て身のタックルで柳井を地面に叩きつけ、ねじ伏せた。


「───柳井慎二!暴行と殺人未遂の現行犯、及び強盗容疑で逮捕する!!」


刑事ドラマでよく見る犯人確保の瞬間がそこにあった。萩野さんは手錠を素早く柳井の手首にかけて拘束する。呆然としている俺とコースケ、そして柳井とは裏腹に、萩野さんは無線で確保の報告を行い慌ただしくしている。


「……ッ、畜生、お前サツか!なんでここに……」

「K市の窃盗団の一味がこの付近に潜伏していると情報が入り、付近を警邏していた。お前の素性も事前に把握済みだ。後で仲間の情報も白状させてやるからな」


萩野さんは柳井を立たせると、コースケに向かって、

「恐い思いさせちゃってごめんな。大丈夫だったかな」

「すごーい!刑事さんだったんだ!!ピストル持ってる?」

目を輝かせながら飛び跳ねて興奮している。俺は一気に緊張が解け、萩野さんに寄った。


「……あ、じゃあ足を痛めたってのも」

「君たちについていくためについた嘘。で、」

おもむろに、柳井の手首にかけた手錠の、もう片方を素早く俺の手首にかけた。


「……え……?」

萩野さんは鋭い目線で俺を睨みながら言う。

「略取及び誘拐の疑い。来てもらおうか」

一気に血の気が引いた。コースケもびっくりして固まっている。


「ええええ!ちが、違いますよ刑事さん!!」

「何が違う。私も、お前が慣れない子供と二人で旅行しているのをずっと怪しいと思っていた。この男がお前たちに接触したから私も怪我したフリして同行したが、まさか窃盗犯と誘拐犯を同時に捕まえるとはな」

「だ、だから違うって!俺は誘拐犯なんかじゃ……!」

「嘘を言え!さっき車のトランクも調べさせてもらった。ロープに煉炭……お前、この子を殺すつもりだったな。殺人未遂だ」


鳥居を見ていた時だろうか。まさかトランクの、俺が自殺する為の道具を見られていたなんて。俺は必死に叫ぶ。

「俺は何もしてない!!ただヒッチハイクしてた親子を乗せてやっただけだ!」

「親子?何言ってる。この子の親はどこにいる」

「だからそこに!」


バッと八代のオッサンの方を見ると、そこには誰もいない。目を見開き辺りを見渡すも、まるで消えたように砂浜と海が広がるだけだった。


「……!?八代のオッサン……どこへ……?」

慌ててコースケにも確認する。

「コースケ、お前も父ちゃんと一緒に車に乗ったよな!?俺たち三人で真宮島に行って水遊びしたじゃないか」


必死に説明を求める俺とは裏腹に、キョトンとしているコースケ。埒が開かないため、項垂れている柳井にも檄を飛ばす。

「お前!お前も助手席に座る八代を見てただろ!?あれがコースケの父ちゃんだよ!それに俺と八代のオッサンがトイレで言い合いしているのを聞いたって言ってたじゃないか!」


柳井は怪訝な顔をしながら、

「……俺はこの刑事さんがコースケの父親かと思って会話してたけどな。助手席には誰も座ってなかった。それは、刑事さんも見てただろ」

目配せし、萩野さんも頷く。

「それに、トイレで何か喋ってんなとは思ったけど姿は見えなかった。お前さっきから何言ってんの?」

サアァ、と血の気が引いて、一気に体温が下がり背中に悪寒が奔った。


考えたくはない。けど、先ほどから皆が八代を見ていないと言っている。悪趣味な口裏合わせやゲームでないなら、思いつくのはひとつ。まさか───。


「幽、霊……?」


顔を引き攣らせ、目線を泳がす。無意識に体が震えた。

コースケは幽霊?オバケってこと?いるの?どこ?と空気を読まず飛び跳ねている。考えたくはないが、先ほど果敢に柳井の前に立ちナイフを放り投げた仕草も、八代が幽霊だとしたら説明はつく。あまりに荒唐無稽な話で、信じられないが。

萩野さんは呆れ顔で、


「そんな都合のいい話に騙されるか。お前はK市の強盗容疑と殺人未遂の現行犯」柳井を指差して言い、

「そしてお前は略取及び誘拐罪だ。ホラッ応援が来たら車に乗れ!」俺に向かって叫んだ。


逮捕……と絶望している俺に、パトカーが来るの!?僕乗れるの!?とコースケが相変わらずはしゃいでいる。

「パトカー来たら写真撮ってよ!僕のは撮れないから」

そう言うコースケに、はた、と思いつく。そうだ、写真!

写真になら、八代の姿が一枚は残っているかもしれない。そうすれば俺の言っていることが嘘ではないと信じてもらえるかも。そう思って萩野さんに俺の携帯を見てもらうよう頼んだ。しかし、皆で確認するもそこには真宮島や鳥居の写真はあっても人は映り込んでいなかった。

絶望しつつも、さっきのコースケの言葉が引っかかる。


「……ん?コースケ今、僕のは写真が撮れない、って言ったけど、まさか携帯持ってるのか?」

俺が言うと、コースケは、

「うん!僕携帯持ってるよ!写真は撮れないけど!」

そう言ってリュックサックの底から、小さな携帯を取り出した。キッズケータイと呼ばれるものだろうか。カメラ機能はないが、簡単に会話できるタイプのものだ。

「けど充電してないから電源がつかないの」

あっけらかんと答え、俺は、

「刑事さん!俺のカバンの中に充電器があります。そいつを使って充電してやってくれ!そしてこいつの親に連絡してくれよ!!」


そう叫んだ。


親と連絡が取れたら、誘拐じゃないことを証明してもらえるかもしれない。今はとにかく、掴める藁が一つでも欲しい。

充電プラグに差し込むと、十秒程度経ったのち、すぐけたたましくベルが鳴る。皆が目配せする中コースケが通話ボタンを押すと、

「光輔───!今、何処にいるの!!」

母親らしき女の声が、スピーカーなどしていないのにその場に大きく響いた。




到着したパトカーに乗って、俺たちは警察署へ連れて行かれた。俺は柳井やコースケとは別室に案内され、今日一日の経緯を事細かに話した。しかし、八代がいたという事実を証明することができず、そのまま長い時間拘束されることになった。


───とんだ旅行になった。死に場所を求めてきたとは言え、まさか子供の誘拐犯にされてしまうなんて。八代は本当に、俺にだけ見えていた幽霊の類だったんだろうか……。


───私、明広さんに死んでほしくない。今日の旅が、あなたにとって救いになることを祈ってます。───


八代はそう言っていた。俺を生かすために現れた、……まぁ幽霊や精霊だったとして、こんな風に犯罪者にされたらたまったもんじゃない。もしかしたらコースケも幽霊で、親子で俺を化かしたのかとも思ったが、コースケのことは皆認識しているし共に警察署へ来たからそれはなさそうだ。


しかし、コースケも八代を見ていないと言ったのが本当にわからない。俺としては親子でヒッチハイクしていたのを拾ったし、俺が父ちゃんの友達なのか、という話題を振ってくれていたのは、他でもないコースケだったのに。


部屋に一人で残されていると、萩野さんが入ってきた。なんだか不服そうな顔をしている。


「釈放だ」椅子に座るなりそう言って俺を睨んだ。


釈放……?つまり、疑いは晴れたということか。俺は思わず立ち上がり、よかった、と心の底から安堵して脱力しながらもう一度座った。


「私としては納得いってないが、当の光輔くんが誘拐なんてされてない、と曲げなくてな。それにH市の行方不明児童もさっき見つかったらしいし、今回は、柳井慎二の逮捕協力ってことで多めにみてやる」

傲慢な態度に、何が多めに見てやるだ、冤罪だったじゃないかと酷く憤り怒鳴ってやりたかったが、気持ちを落ち着かせた。今は何より無事に帰れることが嬉しい。


「不明児童が見つかった、って……そっちは、コースケのことじゃなかったんですか」

「ああ。同姓同名の別人だ。あっちは一つ歳下で、山で怪我して動けなくなっていたが、運良く山菜や果物を食べて数日間凌いでいたらしい。ちゃんと保護されたよ」


萩野は机に身を乗り出し、それで、と前置きを行ってから、

「光輔くんとその両親からも話を聞いた。まず、八代なんて人間は、やっぱり誰も見ていないし知らないとのことだった」


萩野は続ける。

「今日は朝から光輔くんの父親の友達が遠方から車で来てくれることになっていて、一緒に周防大島へ行こうと計画を立てていたらしい。だけど父親が腹痛でトイレに篭っているうちに、お前が車で通りかかった。

そこで光輔くんは自分の目の前で停まったお前を父親の友達だと勘違いして、一緒に島へ行った、というのがことの顛末だ。子供が父親の友達の名前も顔も把握してなかったから起きた、すれ違いと勘違いのようだ」


一気に脱力した。

車の中で明広くんは父ちゃんの友達かといってきたのは、一応コースケなりの確認でもあったようだ。それにしても、トイレから帰ってきて息子がおらず、車で来た友達もコースケを見てないし乗せてもないと言った時のご両親の恐怖と絶望は、想像に余りある。さぞかし心配しただろう。

「ご両親から、光輔くんを強盗犯から守ってくれたことへの感謝を伝えたいと言われているが、会っていくか?」

そう言われ、咄嗟に断ろうと思った。勘違いとはいえコースケを連れ回してしまったのは俺だし、恐い思いもさせてしまった。しかも、ヒッチハイクだと思って車に乗せたなんてどう言い訳しても納得してもらえそうにない。

だけど、やはり大人としての責任を果たすべきだろう。今俺にできることはこのまま逃げることじゃなく、ちゃんと面と向かって謝罪することだ。


ドアを開けると、コースケ、それに父親と母親と見られる二人が立っていた。明広くん!と叫んでコースケが抱きついてくる。ご両親と目が合い、お辞儀する。

「あの……この度は恐い思いをさせてしまい、コースケくんも危険な目に晒してしまって、誠に申し訳ございませんでした」

深く頭を下げ陳謝する。頭を上げられずにいると、どうか頭を上げてください、という声と共に、


「こちらこそ、光輔と一緒にいてくれてありがとうございました。元はと言えば私が光輔を一人にさせていたのが原因です。光輔も、あなたと一緒に真宮島や鳥居を見に行けて良かったって喜んでるんですよ。……その、八代さんという方は見ていないそうですが」

誰も見ていない八代のオッサンを父親だと誤認してコースケを車に乗せただなんて、荒唐無稽で怪しい言い訳を繰り返す不審者だと思われただろう。だが誘拐犯なら、もっとマシな言い訳を思いつくんじゃないだろうか。

「……最初は我々も嘘だと思いましたが、この子があんまりにも……明広くんは悪くない、僕は遊んでもらってただけだ、と言うものですから」

足にしがみついていたコースケが顔を上げて、にんまり笑う。

「……なので、私たちも信じることにします。本当にありがとうございました」

ご両親は深々と頭を下げ、そう言ってくれた。二人の温情に安心し、涙が出そうになった。明広くんどうしたの、とコースケが相変わらず空気を読まずに訊いてきたが、なんでもないよと答えておいた。


警察署から出て、せっかくだから一緒に夕陽を見ようとコースケが提案し、もう一度島にかかる大島大橋まで戻ってきた。既に夕陽が沈みかけていて、見事なサンセットだ。

柳井は、俺が熱視線を向けることでその気があると悟って、甘い言葉で油断させようとしたらしい。萩野伝えで教えてもらった。


───相変わらず、人の見る目のなさに辟易するな───。


散々な一日で、もう自殺する気も引っ込んでしまった。それでも酷い悪意に晒され、もう人を信じることにも自信を失くしてしまった。このまま生きていくのもしんどいし、徒労感で頭はいっぱいだ。


「……あの、」

コースケの父親が俺に話しかける。見たところまだ若そうで、コースケが車の中で俺に父ちゃんと同い歳くらいかと訊いたのは、俺の隣にいた八代ではなくこの本当の父親のことを指していたことが今分かって、ほっと胸を撫で下ろす。

「間違ってたらごめんなさい。竹原さん、もしかして……何かよからぬこと考えてこちらに来られたりしましたか」

一生懸命言葉を選び、俺に問いかける。

「……車のトランクに、そういったものがあったって聞いて……。あの、これも何かの縁ですし、考え直してくれればなって」

辿々しくも必死な様子で言ってくれた。───俺に死んでほしくないと八代のオッサンも言ってたが、会って数時間の人間にそこまでお節介をやく理由はあるのだろうか。

「……アンタ、いい人だな。人助けのつもりか」


俺が素っ気なく言うと、プッと笑い、

「いえ、すみません。妻にも言われたんですが、私はよく人助けしてるようです。そんな意識したことないんですがね」

照れながら続ける。

「……でも、八代さんて人が現れたのも、竹原さんを助けるためだったんじゃないかなって私は思うんですよ。知ってますか、周防大島は、八代島とも言われているんです」

そう言って、優しく笑う。

「だからやっぱり、八代さんは竹原さんに生きて欲しいと思って、竹原さんにだけみえる形で出てきてくれたんだと思います」


おーい、明広くん、こっちー!、とコースケが大きく手を振って俺を呼ぶ。お父さんに頭を下げてから駆け寄った。コースケは親から携帯を借りたのか、一緒に写真撮ろう、と言ってきた。俺も先ほど自分の携帯を見た時に、人を映した写真が一枚もないことに気づいて少し寂しかった。無意識に未練を残さないようにしていたのかもしれない。

すみませんこちらもいいですか、と言って母親に自分の携帯も渡す。

「ほら、島が見えるように撮ろう。ピース!」

コースケの明るい声に促され、条件反射でピースサインをしてしまう。


数枚写真を撮って貰ってから携帯を受け取り、写真を見返す。眩しい笑顔の子供と、疲れた顔を無理やり笑顔にした男が映っている。だがようやく俺の携帯に、人と写った写真が追加された。


「ねぇ明広くん!次はいつ会える?決めちゃおうよ!」

「いや、俺はまたお前に会う資格が……」

「しかく?って何?それがいるの?なんでいるの?僕はまた会いたいよ!」


子供に、大人の建前は不要なのだろう。見るとコースケもお父さんもお母さんもみんな笑っていた。

許されるなら、またここへ来る約束をしていいだろうか。そういった小さな未練を作っていいのだろうか。

コースケはぎゅっと俺の手を握った。小さくて温かい手だった。


「……本当はね、トイレで明広くんが誰かと喧嘩してた時、僕のことで怒ってたから、嫌われちゃったのかなって思ったの」


握った手が更に強くなる。

「でも、明広くんは僕が殺されそうになってたとき、助けてくれようとしたね。……ずっと言いそびれてたけど、ありがとう」

そう言って、着ているTシャツを指さし、

「Tシャツも買ってくれてありがとう!今日一日、一緒に遊んでくれて、ありがとう!」


無邪気で屈託のないコースケの言葉が沁み、頭の先からつま先まで満たされる思いだ。みっともないが、このまま泣いてしまいたかった。


ひとを助けることは、満たされ生かされることなのかもしれない。この思いを得るために、生きていくのもいいじゃないか。

いつかまた、誰かを助けることがあるかもしれない。そして、俺も誰かに助けられ───救われるんだろう。


「竹原さん、光輔のためにも、また周防大島に来てください。私たちも待ってますから」

コースケのお父さんが言う。

「……はい。毎年。必ず来ます」力強く答えた。


美しく広がる空と海の青に、散らばるように見える島々。そこで体験した、ちょっと危険で不思議な旅。

八代のオッサンが幽霊なのか精霊なのか、はたまた神様なのかはもう知る術はないが、毎年来たら一度くらいはまた会ってくれるだろうか。


そのときは、またあの下手くそなウクレレと歌で歓迎されるといいな。

俺はフフ、と笑い、島に背を向けて歩き出した。



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