【2026•直島のアドマイヤ あるいはヤブイヌの反旗】
香川県直島に、かつて文通した憧れのイラストレーターの痕跡を探しに来た進路に迷う女子高生。そこで出逢った女性は、もしかして、その憧れのその人ではないだろうか。疑惑が確信に変わる小旅行。
推し活ときいて、何を思い浮かべるだろうか。
アイドル、俳優、声優、動物、キャラクター。少し変わったものでいうと、虫の他に飛行機や電車といった無機物なんかもある。それらを追いかけて、愛でて、全身で愛を表現するために、わざわざ遠方までコンサートなど活躍を観にいったり、グッズを買い込んで身につけたりする。
当然お金もかかるが、推し活をしているときは日常を忘れられて、推しから活力を貰い、英気を養う。それに散財は愛の証だと免罪されている気がして、お金を使えば使うほど愛が深い、推しにお金を落とすのはお布施と一緒、なんて考える人もいる。
街を見ても、一見オシャレな服を着たお姉さんでもカバンをひっくり返せば一面ゲームのキャラクターの缶バッチやアクリルスタンドを貼り付けているなんて人たくさんいるし、SNSで酔狂に愛を叫んでる人はごまんといる。
私、津山美咲も、そんな推し活をする女子高生のひとりだ。ただ、私が推しているのはアイドルやキャラクターではない。私の推しは、正体不明の人物───。男かもしれないし、女かもしれない。どこに住んでるかも不明。日常生活も謎に包まれた、謎の覆面作家、『甘平さん』だ。
甘平さんは、今一番日本を席巻しているイラストレーターだ。ヤブイヌを可愛くデフォルメさせたキャラクター、『ヤブタロー』で一世を風靡した。そもそもヤブイヌなんてあまり一般的ではない動物を、お年寄りから子供まで知る動物にしたのは甘平さんの功績だと思う。犬とタヌキの間のようなその生態は、愛らしいけど少し凶暴で、可愛いのに少し情けない顔をしていて、そこがたまらなく魅力的だ。
ヤブタローは見ない日がないほどの大人気で、はじめはよくあるゆるキャラのように地域限定的な流行りだったが、とあるインフルエンサーに見つかって紹介されてからは徐々にその可愛さに気づく人が現れ出した。企業とコラボしアニメも放送され、街中にも専用のグッズショップが立ち並ぶようになった。ヤブタローとその仲間たちが日々を生きるイラスト漫画はSNSで連載されており、流行り出した3年前から、ほぼ毎日更新されていた。そう、2ヶ月前までは。
甘平さんは、体調不良でしばらく毎日行っていたSNSでの投稿をお休みすることを発表した。表向きはそういうことだったが、実際は炎上を受けての自粛だと言われている。甘平さんがあげた、ヤブタローが友達にちょっかいをかけて遊んでもらうという漫画が虐めを助長させるとアンチコメントが殺到したのだ。
普段からヤブタローは甘平さんを代弁して「どこへ行ってきた、何を食べた」というような感想イラストをアップされていたのだから、作者の甘平さんが友達に意地悪を働いたと認識した人がいたらしい。しかもタイミングが悪く同じような内容を投稿した人がいて、模倣ではないかと嫌疑をかけられ炎上してしまった。
それまでほぼ毎日アップされていたヤブタローのイラストや漫画は、それから少しづつ更新頻度が落ち、ついに甘平さんから体調不良のためしばらくお休みすることが発表されてからは心配の声も見られたが、アンチによる勝利宣言でSNSが荒れに荒れた。
本当にくだらないと思う。今も全国で行われている虐めの縮図が、そこにあった。理由なんてないただ日頃の鬱憤を晴らすためだけのリンチに、ヤブタローと甘平さんが巻き込まれただけだ。
ここで念を押して言っておきたいのが、私は決してヤブタロー推しではなく、作者の甘平さん推しであるということだ。甘平さんは自分の気持ちをヤブタローに代弁させて何かを発信することが多いが、私はヤブタローを生み出した、甘平さんの感性と創造性、そして日常をこんな目線で見て面白くできるんだという着眼点と独創性に魅了された。
ヤブタローのグッズは1日に見ない日はないというくらい、今では誰もが身につけたりメディアでも取り上げられている。私もキーホルダーを着けているしスマホケースもヤブタローだが、本当に着けたいのはヤブタローではなく、『みかん月うさぎ』という、兎と三日月とみかんがモチーフになった知る人ぞ知るキャラクターで、これこそが、甘平さんの無名時代に作られたと思われるキャラクターなのだ。ただ、そう思っているのはおそらく全国でも私だけで、確証もない。でもそう思うのにはいくつか根拠がある。
私は大昔に甘平さん(と思われる人物)と文通したことがあり、そこに描かれていたのが、みかん月うさぎだったからだ。
あれは私が7歳くらいの頃、旅行で訪れた愛媛の道後温泉で、無料で置かれていた街中情報誌を手にしたことから始まった。よくあるフリーペーパーで、お店の紹介やタクシーの電話番号が書かれているようなものだったが、その中にとても可愛らしいうさぎのイラストがあった。編集者の一言の隣に本当に小さく描かれただけだったけれど、何故だか私はとても惹かれた。
お店の人に頼んで別の号も見せてもらうと、どうやら毎回描き起こしているようで4コマ漫画が描かれている時もある。私はドキドキして、なんだか宝物を見つけた気分になった。冊子を全部貰って家に持ち帰り、書いてあった制作会社に手紙を送ってみた。
雑誌の感想と、みかん月うさぎのファンであること。これを描いたのは誰ですか、応援してます。確かこういったことを書いたと思う。それは人生で初めてのファンレターだったけれど、私の人生を確実に変えた。返事が来たのだ。
『津山美咲ちゃんへ みかん月うさぎを好きといってくれてありがとう。みかん月うさぎは、この広報誌『フリーマークス』の公式キャラクターになれるよう頑張ります。描いたのは、ここで働いている柑橘子という者だよ。また愛媛に遊びに来てね。待ってるよ。 柑橘子より』
そう手書きで書かれた便箋に添えられた、みかん月うさぎのイラスト。柑橘子さんが、私のためだけに描いてくれた、みかん月うさぎ。私は嬉しくて嬉しくて、その手紙をファイリングして大切に保管した。
そして後から知ったのだが、出版したその会社は神戸が本社で、そちらが出している冊子では特にイラストは採用されておらず、あくまで愛媛県内で発行された冊子でのみみかん月うさぎは活躍しているようだった。しかし、その冊子もある日を境にテイストが変わり、みかん月うさぎも登場しなくなってしまった。柑橘子さんも会社を去ってしまったのか、手紙を送っても返事は当たり障りのない内容が書かれたものが届くだけになった。
みかん月うさぎはフリーマークスの公式キャラクターになれず、人知れず消えた。私は悲しくて誰かこのキャラクターを知ってる人はいないか、柑橘子さんは今も活躍されてないか必死で探した。だけど手がかりもなく、誰もあの素敵なイラストを描かれていた柑橘子さんのことを知らないまま時間は過ぎていった。私も高校生になり、みかん月うさぎのことはもう思い出の片隅に置いていたのだが、ある日偶然SNSで見かけたイラストに雷に打たれたような衝撃を覚えた。
それこそがヤブタローで、作者は甘平さん。姿形も全然違うそのキャラクターは、それでもどこか柑橘子さんを彷彿とさせた。テイストも違うし、作者の名前も違う。だけど、なんとなく作画が同じ気がする。何より、手書きで書かれている文字が手紙に書かれていたあの文字と似ているのだ。
私は甘平さんは名前を変え、柑橘子さんとして活躍されているのではと思い、リプライを送ってみようかと思った。だけど万が一違っていた場合に、万人に見られる仕様での名指し行為は迷惑をかけると思いそれも出来なかった。ファンレターもどこに送っていいか分からず、日に日に募る疑問と期待。そして炎上による、甘平さんの休業宣言。私は、私の中に燻ったままのこのやるせない気持ちをなんとか発散したく、行動を起こすことにした。
香川県、直島。瀬戸内海に浮かぶこの小さな島は、芸術とアートの島として知られるようになって久しい。
世界的建築家の安藤忠雄氏による美術館やアーティストの草間彌生氏による赤かぼちゃなど、様々な作品が見られるこの場所は、ただ観光や写真映えのためだけにくる人だけでなく、クリエイターを目指す人の成功を願掛けに来る、験担ぎの場所でもある。沢山の作品に触れ、創作意欲を刺激されたという人もいれば、島特有の海と空に囲まれた、開放感によってインスピレーションを得る人もいるのだろう。只の思い込み感も否めないが、ここに来ると、先人の力にあやかり私も何か素晴らしいものが作れるんじゃないかという謎の万能感が湧き出てくるという。
折角岡山県に生まれ、すぐに行ける距離にあるんだからと、私は朝早くから電車に乗って宇野港からフェリーに乗り、この直島に向かうことにした。
赤い水玉模様の船が港に着き、その大きさに驚きながらも乗り込んでいく。女子高生がひとりで浮かないかな、と最初は不安だったが、案外1人で旅行する人や通学として利用している人も多く、その他にはカップルやおじさんもいる。たった20分程度で直島に着くらしいが、折角なのでデッキに出てみると、テーブルやベンチが沢山置かれていてそこに腰掛けた。天気は良く、日差しは柔らかい。フェリーに乗るのは中学生以来だ。出航し冷たい潮風に揺られながらどこまでも続く青の世界を眺め、上がる白い波飛沫に思いを馳せる。
今日直島に来たのは、甘平さん───もとい、柑橘子さんの痕跡を探すためだ。
あの道後のフリーペーパーの編集後記に、直島に一泊二日で旅行したことが書かれた記事があった。柑橘子さんがどこかへ行ったことを書かれた記事はそれだけで、勝手な憶測だけれど、もしかしたらその時にイラストやサインとか、何か手掛かりとなるようなものを残しているかもしれない。学生だから宿泊するようなお金はないが、頑張れば直島の観光名所を巡り、みかん月うさぎにちなんだものを見つけられるかも。……そしてあばよくば、私も柑橘子さんと同じ景色を見て、アートに触れて、同じくらい素敵なイラストを描けるような人になりたい……。痕跡を探すのは無謀な試みだけど、今回の旅はほぼ後者、つまりは柑橘子さんにあやかって将来の夢の験担ぎに来たのだ。
高校も2年になり進路について考えなくてはいけない時期だが、私は昔から絵を描くのが大好きで、イラストレーターになりたいという夢がずっとあった。まわりからは儲からない、下火だ、現実を見ろと散々言われてきたため最近は口に出すのも億劫になってしまっていたが、それでも夢を持つのはいいことだと思う。今日も柑橘子さんからの手紙をお守りにとして忍ばせ、直島に来たのだ。
ふと横を見ると、女の人が近くのテーブルにひとり座っている。歳は30代後半だろうか。少しふくよかだが身なりが綺麗で、帽子を飛ばされないように押さえている。そしてその奥には、長身でいかつそうな体格の男性もおり、腕を組んだままじっとその女性を睨んでいる。知り合いかな、と思ったが、女性は気づいていないようだ。そうこうしているうちに、まもなく直島港に着くとアナウンスが流れ、椅子を片付けて船内に戻った。
到着し、ターミナルから出るとすぐに草間彌生の赤かぼちゃを発見した。直島の観光名所としてよくテレビでも取り上げられる作品だが、いざ目の前にするとその存在感に圧倒された。写真を撮っていると、先ほどの女の人が横を通り過ぎさまにカツンと音をさせ何かを落として行った。
なんだろうと思いながら、しゃがみ込んで拾う。そして驚き思わず目を見開いた。
「えっ……これって……」
慌てて顔を上げるも先ほどの女性は居なくなっていた。あたりを探すももう見つけられず、拾ったキーホルダーを握りしめる。
あの人、どうしてこれを……。
その場に立ち尽くしていると肩を叩かれ、振り返ると、デッキにいたあのいかつい男の人が立っていた。びっくりして固まっていると、
「それ、さっきの女の人の落とし物だろう。知り合いだから返しといてあげる。さぁ、渡して」
男は手を差し出す。見た目は30代後半くらいで、世間的にはイケメンの部類なんだろうけど無愛想な男だ。背は高く、ガッチリとした体型だから余計に高圧的に見える。
知り合い……?なら、どうしてさっき船の上で声もかけずに後ろから見つめていたんだろうか。
黙っていると、男は痺れを切らしたのか無理やりキーホルダーを手から取ろうとしてきた。私は慌てて、
「大丈夫です。私が直接あの人に返しますから!」
そう言って、走ってその場を立ち去った。突然のことで心臓はまだバクバクしている。普段ならあまり面倒なことにならないようにそのまま手渡していただろうけど、今回ばかりはそうはいかない。
信じられない。今私の手の中にあるキーホルダーは、ヤブタローが流行り出す前にプロトタイプとして作られた、『ヤブイヌやぶ太』として売られていた時のグッズだ。流行らなかったのか、今では無かったことにされている。だけどこの時のグッズはかなりプレミアがついていて、知る人ぞ知るお宝グッズなのだ。
「どうしてあの人がこれを……」
思わず呟いていた。コアな甘平さんファンなのか、ただ偶然持っていただけなのか。とにかく、価値のあるものだからちゃんと本人に返さないと。
バスに乗ってもよかったけれど、時間も体力も使えるうちに使いたいと思い、レンタサイクルをして島を巡りながら先ほどの女の人を探すことにした。島は整備されていて走りやすく、家族連れも自転車を利用している人が多い。海沿いを走りながらのんびりとキラキラ光る海面を眺めた。
───素敵。こんな所で毎日過ごせたら、気持ちいいんだろうな───。
柑橘子さんも、ここ直島で沢山のインスピレーションを得たのかな。確かにこんな穏やかで時間の流れがゆったりした気候のいい所に居たら、アーティストでなくとも創作意欲が湧いちゃうかも。
美術館にも行きたいと思ったけれど、入館料が決して安くないことがわかり、その中でも比較的安くて入りやすいベネッセハウスミュージアムに行くことに決めた。しばらく自転車を漕いでいると、先ほどの女性が日傘を指して歩いているのを見つけた。
「あ、あの!」
声をかけると、女性は振り返って止まった。私は自転車を停め近づくと、先ほどのキーホルダーを差し出し、
「これ、落としました」
女性は目を大きくしありがとう、と言って受け取った。
「わざわざ私を見つけてくれたの?助かったわ」
「いえ。あの……それって、ヤブタローの前のキャラのレアグッズですよね。今じゃなかなか手に入らないやつ。好きなんですか?」
思わず聞いてしまった。只のヤブタローではないこの商品を持っているということは、かなり古参の甘平さんファンなのかも知れないと思ったのだ。
「……ええ。可愛いわよね。あなた、学生さん?」
おっとりとした感じで返された。はい、と返事すると、
「よかったらこのお礼にお茶しない?ご馳走するわ」
ふわりとしたセミロングの髪をなびかせ、帽子の下の顔が微笑む。綺麗な人だ。
そんなつもりでは、と慌てていると、女性は急に顔を青ざめ、私の後ろを一点に見つめている。なんだろうと振り返ると、先ほどの男性がじっとこちらを見ていた。
「……あ、ごめんね、じゃあまた」
女性は慌てた様子で去って行った。もう少し話したかったのに。見ると、男性ももうそこにおらず、私はひとりその場に立ち尽くした。
ベネッセハウスミュージアムはホテルとアート、自然と建築を融合したコンセプトのようで、博物館のように一つ一つ解説を読みながら進むというよりかは、目で見て感じる、感性を磨くための場所という感じがする。中には動いて喋る作品もあって、退屈はしないんだけど私には少し難しいかも、と思った。自然とアートというのであれば、ここに至るまでの自転車路も美しかったから、やはりこの島全体がアートそのものなのかもしれない。
小腹が空いたので館内にあるカフェで昼食を取ろうと思い入ると、先ほどの女性がひとり座っているのを見つけた。声をかけようかと思い近づくと、小さなスケッチブックと鉛筆がテーブルの上に置かれており、つい今しがたまでスケッチしていたようだった。
「……絵、描くんですか」
思わず話しかけてしまった。女性は驚いて手元の絵を隠すも、すぐにああ、さっきの、と気づいてくれた。対面の椅子に座らせてもらい、コーヒーとスパゲティを頼んだ。
「……下手くそだけどね、絵を描くのは好きなの」
ふふ、と花のように笑った。女性は、松山と名乗った。私も名前を聞かれ、素直に答えた。松山さんはよくこの直島に来るという。
「ここに来ると、なんだか力が貰えそうな気がしない?だから、よく来ては絵を描いたりしてる」
そう言って、手元のスケッチブックを見せてくれた。赤かぼちゃや、今朝着いた直島港の絵が描かれている。画家さんのように綺麗な絵だ。
「今日は1人で来たの?」
「あ、はい。直島で何か、創作意欲とか得られるかなって……て、私べつに何か作ったりしてるわけじゃないんですけど!」
慌てて取り繕う。アーティスト気取りの生意気な小娘だと思われたかな。ただの進路に悩む高校生だというのに、恥ずかしい。
「それで自転車で島を巡ってるの?若いなぁ。羨ましい。私も昔はしまなみ海道横断とかできたのに」
松山さんはそう言って笑った。
「私、出身が愛媛でね。今はちょっと早い夏休みをもらってるの」
「そうなんですか。……お仕事って、何関係なんですか」
「昔は会社勤めしてたんだけど、今はフリーで……創作とか、そういうの」
お待たせしました、とスパゲティが運ばれてきた。松山さんはコーヒーを飲み、気にせず食べてね、と言ってくれた。スパゲティを食べながら思う。創作関連のお仕事をしているなんて、すごい。クリエイターのお仕事はこの世にごまんとあるが、それでも成功したり食べていけているのはほんの一握りだろう。見たところ松山さんは身なりも綺麗で、高そうな時計も着けている。会社勤めを辞めたということは創作一本で生活しているのだろうか。
「可愛いね、それ」
私の、ヤブタローが一面にプリントされているスマホを指差して言う。
「みんな持ってる。流行ってるもんね。こういうキャラクターものとか好き?」
「あ、はい」
「私も好きだったなぁ。バリィさんとか。いっぱい集めてた」
バリィさん、と言われて思わず身を乗り出す。
「今治バリィさん!可愛いですよね!私も大好きです!わぁ、好きなものが一緒で嬉しいです」
共通の好きなものを見つけ嬉しくて、ついテンションがあがってしまった。そしてその興奮のまま、話す必要がないことまで喋ってしまう。
「……私本当は、こういうキャラクターを生み出す人になりたいんです」
旅のテンションは、初対面のよく知らない女性に夢を語るということまで引き起こした。側から見たら相当に痛いだろうが、私は止まらなかった。
今までに何度か、ゆるキャラの公募に応募したこと。そして投票は現地で行われるため何度もその地を訪れなければならないという事情に泣いたこと。本来ゆるキャラは地元に来てもらうのが目的だから、当然なのかも知れないが、お金のない学生には難しい話だった。イラストレーターになりたい。でも、現実は厳しい。
「あら素敵じゃない。……私も、昔はそうやってがむしゃらに描きたいものを描いて夢見てたわ。……今は……」
目線を落とす。なんだか事情がありそうだ。
松山さんのお仕事も気になるが、それ以上に、気になることがある。
「あの……、さっきのキーホルダー、ヤブタローの前身の『ヤブイヌやぶ太』ですよね。かなりレアなものなので、持っている人は少ないはずです。……どうして、持っているんですか」
私は我慢できずに聞いてみた。このグッズを持っているのはかなりの古参ファン、もしくは、甘平さん本人かとても近しい人に限られる。
松山さんは少し目線を泳がすと、
「……人に貰ったの。そんなにレアなんだ。知らなかった。それじゃあ、ここは私が払っとくね」
そう言って伝票を持って出て行こうとした。あ、待って、と言いかけたその時、松山さんはまたすぐに同じ席に座った。
「……ごめん、ちょっとこのまま匿って。……あの人が来てる」
姿を隠しながら言う。横目で出口を見ると、アッと声をあげそうになった。先ほどの男がキョロキョロと人を探すように移動していた。
「……あの人、私のストーカーなの」
松山さんは震える体を押さえながらこっそりと言った。本当に恐ろしいようで顔が真っ青になっている。男はこちらに気づくことなく去って行き、もう大丈夫ですよと声をかけると、安心したように深いため息をついた。
「……警察に連絡したほうが……」
「ダメよ。もう何度も言ってるのに、実害がないって断られるの。最近は家の近くにまで来て家族にまで接触しようとするの。……恐いわ」
どうしていいかオロオロしていると、恐がらせてごめんね、と謝ってくれた。
「最初は私の作品を気に入ってくれていいビジネスパートナーだったのに、最近はああした方がいい、こうするべきだ、って高圧的に命令してきて、私もまいっちゃって……。それでちょっと疲れちゃってお休みもらったんだけど、まさかここまで着いてくるなんて」
確かにあの男はどこか挙動不審で、血走った目で松山さんを探していた。ああいうのを、ギャラリーストーカーというらしい。そんな熱烈で厄介なファンもいるなんて、松山さんて、一体何者なんだろう。
どれだけ断っても、松山さんは私の分のスパゲティを払うと言ってきかなかった。ご馳走してもらったお礼に、私は先ほどの男が近くに来た時にすぐ対処できるようにしばらく一緒に行動することにした。自転車を押しながら、ふたりで海岸沿いを歩く。
「ごめんね。自転車でたくさん観光したかったんじゃないの?」
「いえ。実はひとりで寂しかったから、松山さんが一緒にいてくれて嬉しいです。それに、お仕事のこととか聞かせて欲しいです。……私、進路で迷ってるんで」
近くにクリエイターの仕事をしている人がいない私にとって、生の声を聞く機会は貴重だ。できるなら、いろんな事を質問してみたい。
「美咲ちゃん、イラストのお仕事してみたいって言ってたよね」
松山さんは私の少し前を歩きながら言った。私は自転車を押しているせいで距離ができ、顔が見えない。
「……イラストのお仕事って大変よ。芽が出るまで時間もかかるし、アルバイトしながら二足の草鞋でやっていかなきゃいけない。……人から求められているものを見極めて、時には衝突することもあるし、それでも自分の一番いいと思うものを貫かなきゃいけない」
「……わかってます」
話を聞きながら、甘平さん、柑橘子さんのことを思い浮かべた。どれだけ有名になってもちょっとしたことで炎上することもあるし、公式キャラクターになりたいと思ったとしてもお金と人気がなければその夢は叶わない。世の中には星の数ほど仕事はあれど、それでも私は手を動かしペンを走らせ、何もないところからいのちを生み出す、そんな仕事に憧れてやまないんだ。
「私の道は、これしかないと思ってるんです」
松山さんは振り返って、じっと目を見ながら言う。
「辛くて大変なことの方が多いわ」
「分かってます」
「あなたが思うよりずっと泥臭くて汚くて、会社勤めで上司に怒られてた方がマシだって何度も思うことになる」
「それでもなりたいんです」
「……そう」
黙ってしまい、二人で海沿いを歩く。なりたい、と口に出したらなれるものでもないし、誰かに認められてようやくなれるものでもない。会社に就職するわけでもないから、どうすれば私はイラストレーターですと言えるのかもよく分からない。松山さんは会社勤めをしてたこともあると言っていたし、フリーで働くことの酸いも甘いも知っていて、そして私に忠告してくれているのだろう。黙々と歩きつつ、松山さんは、
「でも、美咲ちゃんに夢叶えてもらいたいな。きっと大変なことも多いと思うけど、私に出来ることがあればお手伝いしたい」
そう言って貰えて、素直に嬉しく思う。
大きな穴の空いた船の頭のようなオブジェと、そのさらに奥に広がる紺碧の海を二人で見つめた。本当に至る所にアートがある。
それからさらに歩いて、黄色の南瓜を目指すことにした。少し距離はあったものの、海を横目に互いの好きなゆるキャラの話をしているうちに、目当ての南瓜が見えてきた。まるで海にどすんと浮かぶ巨大生物のような形が面白い。スマホを取り出し写真を撮っていると、
「美咲ちゃん、ちょっと私そこのカフェでお手洗い行ってくるわ」
そう言われ、一人待つことにしたが、せっかくだからもう少し写真を撮るかとひとりで南瓜に近づいてみる。すると、
「おいあんた」
振り向くと、ストーカーの男がいた。
「え、な、なんですか」
松山さんは今いない。周りを見渡しても私しかおらず、こいつは私に話しかけている。どうしてなのかと驚いていると、
「あんた、あの女から離れろ」
そう言ってにじり寄ってくる。男は無表情で威圧感があり、意図が分からず私は恐怖で固まってしまう。どうしていいか分からないでいると、男は私の腕を掴んだ。
「今すぐ帰れ。邪魔するな」
「じゃ……邪魔って、あなたこそ松山さんのことストーカーして、邪魔してるじゃない」
「ああ?」
松山さんが仕事をお休みしているのだって、きっとこいつが妨害したり付き纏っているせいだ。芸術家は繊細な人が多い。この人のせいで、松山さんは創作ができなくなったんじゃないかと思った。
目立つような場所で大の男が女の子に言い寄っていると周りも警戒したのか、人が集まってきた。バツが悪くなったのか、男は私の手を離し立ち去って行った。松山さんもお手洗いから帰ってきて、何かあったのかと声をかけてくれたが、私は呼吸を整え、なんでもないですと答えた。余計な心配をかけたくない。
ふと、松山さんのスマホのロック画面が見えた。そこには、ヤブイヌやぶ太がいた。
───ヤブタローではなく、ヤブイヌやぶ太。もう誰も持っていないはずの、やぶ太のキーホルダー。……まさかね。そんなはずはない。
松山さんは愛媛出身と言っていた。甘平さんは出身地などプライベートは一切明かしていない。だけど、柑橘子さんは愛媛在住で直島旅行をしたこともあると言っていた。そして、しまなみ海道も自転車で横断したことがあるとフリーペーパーに書いてあったし、松山さんも若い頃横断したと言っていた。ゆるキャラも好きで、年齢的にも、同じくらいじゃなかろうか───。
いやいや、そんな偶然あるはずがない。たまたま行った直島で、甘平さんに会えるなんて。あまりに出来すぎた話だ。でももしそうだったとしたら───。
「あ、松山さん、ちょっと甘いもの食べたくありませんか?そこのカフェに寄っていいですか?」
写真を撮っていた松山さんにそう言うと快諾してくれ、私たちはすぐそこにあったカフェに立ち寄った。だが景色のいいそのカフェは丁度休憩どきで混んでおり、名前を書いてお待ちください、と店員さんに言われた。松山さんはペンを取り、名前を書く。
───!
思わず息を呑む。松山、と書かれたその字は、私が何度も読み返した、あの手紙に書かれた字とよく似ている気がする。そして、甘平さんのSNSに書かれている手書きの文字とも似ている。
───やっぱり、松山さんは、甘平さんで、そして、柑橘子さん───!?
今日一番心臓が踊る。息も荒く、興奮して思わず胸を押さえた。
「うーん、かなり混んでるわねぇ、しばらく待つみたいだけどいい?」
「……やっぱり、テイクアウトで外で飲みませんか?お願いします」
そう言って、レモンソーダを二つ頼むと、私たちは南瓜の前まで歩いた。ちょうど人がはけ、そこには私と松山さんしかいない。勢いよく波が上がり、飛沫で少し濡れた。私は緊張で買ったレモンソーダをすっかり飲み干してしまった。空になったコップを握りしめ、決心すると、震える声で言った。
「……松山さんって、ヤブタローの作者の……甘平さんですか?」
松山さんは驚いたようにこっちを見る。
「……どうして、そう思うの?」
「ヤブタローじゃなくて、敢えてやぶ太を持ってるから……。やぶ太は先生の初期の作品で、いつまでもそのときの気持ちを大切にしてるのかなって……あ、いや、でも間違ってたらごめんなさい。忘れてください」
急に恥ずかしくなって顔の前で手を仰いだ。すると松山さんは、
「……もし、私がその先生だったらどうする?」じっとこちらを見つめている。私は見つめ返すと、
「……私、先生に憧れてこの道に進みたいと思ってるんです」
ヤブタローもやぶ太も、みかん月うさぎも。全部私を元気づけてくれて、光だった。いてくれるだけで幸せにしてくれる、そんなキャラクターを作り出す人は、私にとって神様だった。
「だから、ありがとう、って……伝えたいです」
海を背に佇む松山さんが微笑む。風が強く吹き、空と海が繋がりどこまでも綺麗だ。涙が溢れてきて、震える私にハンカチを差し出してくれた。
「……よく気づいたね。誰にもバレたことなかったのに。みんなには内緒だよ」
もう一度、二人で来た道を戻る。本当はサインも欲しいし握手もして欲しい。キャラクターを生み出した作成秘話も聞きたいが、覆面作家として活躍されている以上、沢山聞くのはタブーのような気もした。無言で、ゆっくりと進んでいく。ずっと憧れた甘平さんの隣に居られることが、とてつもない幸せだった。陽がゆっくりと落ちていき、私は自転車を返すと、帰りのフェリーを待つために一緒に腰を下ろした。
───あと少しで離れてしまうのが名残惜しい。何か話したい……。
そうだ、あの話をしよう、と思いつき、カバンに忍ばせてきた柑橘子さんからの手紙を取り出した。
「松山さん、いや、甘平さん。昔、道後のフリーペーパーにイラスト描いてなかったですか?」
私はずっと伝えたかったことを伝える。
「あのときに描かれていた、みかん月うさぎ。あれも、甘平さんじゃないですか?あのときは柑橘子さんて名乗ってた。私、あのときあなたに手紙書きました。これ、そのときのお返事。今も大切に持っててお守りにしてます」
「それは私じゃないわ」
ピタ、と手紙を持ちながら制止した。驚いて一瞬何も考えられなかった。
───同一人物だと思っていた甘平さんと柑橘子さんは、別人だった……?全部、私の勘違いだったの?
「それよりも、美咲ちゃん」
ハッとして我にかえると、松山さんは私の手を取って、耳元で言った。
「美咲ちゃんにだけ特別に教えてあげられる話があるんだ。フェリーの中で、少しお話しない?」
ヤブタローの話だろうか。それともイラストレーターについてか。目を輝かせ、フェリーに乗り込んだ。
フェリーの椅子に対面で座ると、松山さんはパンフレットのようなものを出してきて私に言う。
「これは私の秘密のオンラインサロンなんだけど、ごく一部のファンに向けて発表している作品が、ここでだけ見られるようにしているの」
上から松、竹、梅と書かれて、それぞれ目玉がとび出るような値段が書かれている。
「学生さんには月額で払えるサービスもあるわ。普段はご新規さんは受け付けてないんだけど、美咲ちゃんにだけ特別。どうかしら」
言葉を失っている私と、それとは対照的にニコニコ笑っている松山さん。途端に、家庭科の授業で習った詐欺やデート商法を思い出す。こうやって相手の懐に入り、高額商品を売りつける……。私は、松山さんにとって格好の餌食だったんだろうか。それとも、やっぱりこの人は柑橘子さんでも、甘平さんでもない……?黙っている私の手を取り、眩しいほどの笑顔を見せる。
「今、SNSはお休みしてるけど、こっちは活動してるのよ。ちゃんとした顧客様相手だもの。松プランならリクエストにも応えられるようになってるわ」
そう言われ、スマホのロック画面を見せてくる。やぶ太がこっちを見ている。途端に何も考えられなくなる。
イラストレーターはこんな仕事もしているのか。これが普通なのか。やぶ太を持ってるし、松山さんはやっぱり甘平さんだ。
「イラストレーターを目指してるなら、業界の人を紹介出来るようにしてあげるし、美咲ちゃんの活躍できる場所も提供してあげるわ」
初対面の私にここまで優しくしてくれるなんて、やっぱりいい人だ。甘平さんの普段は見られないイラストが見られるならそれだけで価値があるじゃないか。松プランは難しくとも、竹プランなら契約できるかもしれない。高くて払えなくなったら、そのときは親に相談しよう。
そう思って、ほぼ衝動的に竹プランを指さそうとしたとき、急に視界が暗くなった。見ると、あのストーカー男が私たちを上から見下ろすように立っている。男は口を開くと、
「……お前、今度はイラストレーターを詐称しているのか」
男の言葉に、松山さんはギョッとして慌てて机の上のパンフレットを片付け出す。
「こんな子供まで騙して。今度こそ警察に突き出してやる。来い!」松山さんの腕を掴むも、バッと素早く離されてしまった。
「チッ、また邪魔して……!だが残念だったね。未遂だから証拠不十分だよ。私は捕まらない!」
そう言って松山さんは立ち去っていく。呆気に取られていると、男は去り行く背中にに向かって言った。
「次またその姿を見せてみろ。今度こそ証拠掴んで警察に突き出してやるからな!二度と現れるな!!」
周りも何が起こったのかとザワザワし、こちらに注目している。座ったまま動けない私に、男は対面に座り、話し出した。
「あれは、よくこのフェリーに現れる詐欺師だ。直島に来るクリエイター志望の人間に取り入って金銭を搾り取ろうとする」
「……でも、そんなふうには」
「見えないように巧妙に相手の懐に入ろうとするんだよ。ターゲットを観察して、共通の話題をみつけたり、話しかけられやすいようなネタをチラつかせるんだ。常套手段だろう」
「……っ、やぶ太だって……!」
ヤブタローじゃなくてやぶ太のキーホルダーを落として私に拾わせたのも、全部私に取り入ろうとするための罠だったの?
「最近の若い奴は大体このあたりの流行り物を見せればすぐ食いついてくる。アンタみたいに一人でいる奴は狙われやすいんだ。心配だったからずっと見てた。アイツはいつも、トイレに行くと言ってその隙にカモの好きそうなディテールを調べ上げる。それから崇拝するモノになりきるんだ。だからあの時忠告しようとしたんだ」
黄色南瓜の場所で邪魔するな、と言ったのは、俺がこの女を捕まえるのを邪魔するな、ということだったのだろうか。
「なりきる……って、じゃあ、やっぱりあの人は甘平さんじゃないのね?」
「アイツが同じように画家や陶芸家になってるのを見たことがある。あんな嘘に騙されるな」
「よかった……」
テーブルに突っ伏した。安心したら涙が出てきた。
「ああ、騙されなくてよかったな」男性が言う。
「そうじゃなくて、甘平さんが、詐欺師なんかじゃなくてよかった。本当によかった……」
甘平さんは、私の神様だ。あんな人に詐称されて悲しい、酷いという怒りよりも、とにかく神聖なままでいてくれたことがなにより嬉しい。騙されそうになったことよりも、ずっと嬉しかった。ヤブタローも、やぶ太も、みかん月うさぎも。みんな私の大切な心の支えで、光なのだから。
「……ところで、あなたは一体……」
男性は黙ってケースから名刺を取り出した。書かれている名前を読み上げる。
「古民家アートカフェ……店長、竹原さん?」
「そうだ。直島で営業している。今日たまたまフェリーに乗ったときにあの女を見かけて、ずっと監視していた。どうしても現行犯じゃないと捕まえられないから、泳がすことになったがな。……悪かったな」
「いえ、そんな。助けてくれてありがとうございました」
深々と頭を下げて感謝する。竹原さんがいなかったら、私は騙されてお金も取られていたかと思うとゾッとした。
まもなく宇野港に着くアナウンスが流れ、私はもう一度竹原さんにお辞儀してから移動した。───色々あって、気疲れした一日だった。結局私の憧れた甘平さんにも柑橘子さんにも会えなかったし、サインも痕跡も何もなかった。直島に行って創作意欲を掻き立てられたどころか詐欺に遭いかけて、寧ろ削がれたと言ってもいい。……誰かの光になるということは、誰かの悪意に晒されたりすることもあるから、頭を使って賢く回避しなくてはいけない場面も出てくる。……私には、どだい無理かもしれない。こんなに分かりやすい悪意に引っかかり、簡単に騙されてしまうような世間知らずでは。
デッキに今一度出て、海を眺める。激しく波立つ水面と揺れる船に身を任せて、自分の情けなさと悔しさに涙が滲んだ。
───今泣いたら、水飛沫だと誤魔化せるかな。
下船のために並ぶ人たちを横目で見つめ、最後尾に並ぶ。これから先、今日のことを思い出して辛くなってしまうからもう直島には来れないなと思った。さようなら、アートと自然の島。
「あのっ……」
声をかけられ振り向くと、竹原さんが少し遠くに立っており、
「今日はこんなことになっちゃったけど……でも、また直島に来てよ。お店で待ってるから」
手に持った名刺を指差し、ここに居るよ、と呼びかけてくれた。
ありがとうございます、と返事し、貰った名刺を目線に掲げて会釈する。ふと、名刺の裏に何かが書かれているの見つけた。
───"アートが、あなたの救いになりますように。"───
甘平さんの作品が私にとって救いと光になるように、私もいつか、誰かを救い光となり、導くことができるだろうか。
手書きで書かれたその文字は、下手くそだけど味があっていい。一枚一枚、わざわざ書いたのかな。そういえば松山さんの字を見て甘平さんだと勘違いするなど、審美眼のなさに我ながらため息がつく思いだ。竹山さんは言った。
「あの女との話、少し聞いちゃったんだけど、ヤブタロー描いてる甘平が好きなの?いいよね。可愛くて」
そう言って、スマホを掲げた。
ロック画面に映る画像に、私は、声が出せないほど驚いた。
───うさぎと三日月とみかんのキャラクター……みかん月うさぎ!!
どうして、その画像を……!───
「俺はヤブタローより、こっちが好き」
「あ、なた……は……!そんな、なんで」
甘平さんは、正体不明でプライベートも一切非公開。男かもしれないし、女かもしれない。……どこに住んでいるかわからないけれど、もしかしたら、柑橘子という名前で、以前は愛媛のフリーペーパーを作る仕事をしていたかもしれない。
でも、全て私の憶測であり、誰もその正体を知らないのだ。
「また来てね。その時には、ぜひ夢を叶えて」
「……はい。また来ます。直島に。必ず」
私は竹原さんと直島に背を向けて、船を降りた。貰った名刺に書かれた手書きの文字は、穴が開くほど観察した、あの甘平さんの字には似ていない。竹原さんは、やっぱり甘平さんじゃないかもしれないし、甘平さんかもしれない。
けど、もういいんだ。
私の作品が、いつか誰かの救いになるように。光となり、人生を彩るお手伝いができますように。私は私の夢に向けて、進んでいくと決めた。
「……また来るね。直島」
やっぱり直島にはパワーがある。人を動かし、希望をくれる。これからも何度だって、直島を訪れよう。
私は地面を強く蹴り上げ、一歩を踏み出した。
ーーーーーーー
竹原はフェリーに残り、乗客が残ってないか点検して回った。普段から懇意にしている船長の手伝いをするようにしているのだ。忘れ物がないか、不審なものがないかもチェックし終わると、声をかけてから喫煙所へ向かった。
煙草を取り出し一服すると、スマホに表示されているみかん月うさぎが、可愛い顔で竹原を見つめていた。友達にこの画像を見せると、いかつい体のわりに可愛い趣味してるんだねとほぼ毎回言われる。
───船内で怪しい詐欺行為をはたらく女が出没することは報告を受けており、船長と協力し合い、日々船内と直島のパトロールをするようにしていた。今回も詐欺師の女は若い少女に狙いを定めたのか、遠くから少女を観察し、流行りのキャラクターグッズを身につけて緊張と警戒を解いてから懐柔するという方法で金銭を巻き上げようとしていた。遠くから二人を注視しているつもりだったが、何度か女に接触したこともあったため警戒され、ストーカー呼ばわりされてしまった。今回の対象がまだ学生らしき少女だったため泳がすのは危険で気が引けたが、隠れて二人の話を聞いていて、非常に驚いたことがあった。
───この女の子は、甘平の大ファン。それも、柑橘子時代の甘平を知っている初期から応援してくれている子だ。───
煙草の煙を吐き、はるか昔、10年近く前のことを思い出す。
───私は、アンタが否定したゆるキャラの世界で天下を取ってやる!───このみかん月うさぎとやぶ太を絶対流行らせて、街中に溢れさせてやるんだからね!───
そう俺に啖呵を切ってこの画像を送ってきた元恋人。俺が幼稚なせいで別れてしまったけれど、伊代は定期的に俺に連絡をよこし、イラストレーターとしてこなした仕事の報告をしてきてくれた。残念ながらやぶ太とみかん月うさぎは流行ることがなかったが、その次に出たヤブタローは今や見ない日などないほどの大人気で、俺もヤブタローのマスコットを買って写真を送ってやった。ぬいぐるみを買うなんて昔の自分からしたら考えられなかったが。
ヤブタローは大人気だが、俺は初めてファンができた、と喜び教えてくれたあいつのキャラクターである、みかん月うさぎが好きだ。このキャラは、野心に燃えた若さ特有の痛々しさを感じる。あいつが、自分の一番いいと思うものを全部ぶつけて描いたキャラクター。今でもスマホのロック画面はみかん月うさぎにしている。
久しぶりに、電話してみるかな。第一声は、『甘平じゃなくて柑橘子のファンに会ったよ』。
それから、『昔はお前の仕事を認めなくて本当にすまなかった、ごめん。本当に天下とってすごいな』。
そして言ってやろう。『炎上なんか気にしないで、お前を待ってるファンのために早く帰って来いよ。直島で、待ってるぞ』って。




