愚か者に、花束を
ピーピー、とウミネコたちが群青の空を飛び交いながら歌っている。崖の下からさざめく潮騒がそれと二重奏になって周辺を騒がせていた。
ここは車で二時間ほど走った末に辿り着く、太平洋の水平線を一望できる海岸崖。
少し先を行ったところには灯台が経っているのだが、この付近は段差が激しく僕がいる地点からだと頭しか見えない。もう少し崖側に寄ったらその全貌見えてくるだろう。
いかにも一昔前のサスペンスドラマの終盤に出てきそうなロケーション。
両親殺しの真犯人を追って僕らはここまでやってきた。
そしてこの場所には、僕の両親、雨宮沙都子と雨宮海散の墓標が立っている。
僕はそれが並び立つ、一本の木の下に向かって歩を進めていた。
しばらくすると、目印の木の全体像が視界に収まる。その足元に身を寄せる二つの墓石の前でしゃがみ込んでいる影を、一つ見つけた。
くたびれたスーツの背中姿を晒すその人物の隣に、膝を折って姿勢を落とした僕は、目の前の二人へと華車に見繕ってもらった花束を供える。
「前にも話したかな。二人の墓石がここにある理由。ここが、あの二人がタッグを組んで初めての事件を解決した場所だってことを……」
サスペンスドラマのロケーションどころか、実際にサスペンスなドラマが演じられた場所。主役はお母様、お父様はその相棒というわけだ。
「えぇ、初めてここに連れてきて頂いた日に伺いました」
「そうか……そうだったな………」
僕らは静かに黙祷を捧げた。
後ろ足にそこから少し距離を取った僕は、未だ腰を低くするその人物––––宮本武の背中を彼の気が済むまで眺めていた。
「……海散、沙都子さん、これが最後の餞だ。少し背伸びをして高い店で買ってきたんだ、この身なりで行ったからな、きっと定員さんに鼻で笑われているよ。あとそれと、お前たちが好いていた九州の地酒も持ってきたんだ。俺はあまり口に合わなかったんだがな……俺が九州まで出張があると言ったらお前たちは構わず着いて来ては、おかしな事件に巻き込んでくれた。その帰りがけに飲んだ酒だったな……俺は職務できているから飲めないと言ったのに、お前たちが頑なに迫るものだから困ったものだった……」
それで言いたいことは言い切ったのか、おじさんはよっこらしょと膝に手をついて立ち上がり、僕に背を向けたまま続ける。
「……さてと、懐かしの記憶に浸るのはこれまでにして、これからの話をしよう。智、お前がここに来たというこということはそういうことでいいんだな?」
「……はい」
「そうか……なら、話を聞くとしよう」
そう言っておじさんはようやくこちらに顔を向けた。
それは酷く落ち着いていて、とても穏やかな表情だった。
おじさんのその姿を見た瞬間、足が、指先が、喉が、頭が、全身という全身の細胞が今までの人生で感じたことがないほど震えている。
脚がすくんで踵に根が張ったよう。
指先の感覚を一切感じない。
喉は掠れて己の声を忘れてしまいそう。
思考は霧がかかったように判然としない。
でも、
それでも、
もう止まらないと決めたから、敢えて疑問符はつけないこととしよう。
そこは探偵らしく、
「五年前のあの日、あの場所で、僕の両親を殺害した真犯人は、
––––––宮本武、あなたですね」
ビシッと人差し指を突きつけて、僕は断言した。
刹那、おじさんの口許が綻んだ気がした。
––––––だが、それは直ちに厳かな雰囲気を湛え始める。
「そうだ、俺がお前の親を殺した。この銃で、撃ち殺した」
それから、上着の内側から一丁の拳銃を抜き放つと、容赦無く、互いに銃口を視線の先の敵の頭蓋へと傾けた。
僕の手元をおじさんが一瞥した。
「それは……海散が生前に備えていたやつか」
「はい、数少ないお父様の形見です」
「確かにあの日、あいつは丸腰だった……。あるいはこの時を予見してお前のために用意していてくれたのかもな」
「そんなことはないと思いますよ……、五十重の施錠がかけられた仕掛け扉を開いた先にあったんですから」
本来であればもう少し早く使徒の屋敷に帰ろうと思っていたのだが、これを見つけ出すのに数日かかってしまった。
まったく、カラクリ好きなんだから、あのお父様は……。
「はっはっは、あいつらしいと言えばらしいのかな」
おじさんは愉快そうにカラカラと笑う。
「何故わかった、とか聞かないんですね」
「今のお前には必要のない言葉だろ……いや、それはあの日から必要のない言葉だった。だってそうだろ智……俺があの日、二人の死を報せたその時にお前は俺が犯人であると気づいていたんだからな」
「……」
「そのことに俺が気づいていないとでも思ったか?」
「いえ、今まで散々ヒントをくれていたんですから、あなたがそのことに気づいていることくらい知っていましたよ」
彼のこれまでの言動を思い出せば、幾つも思い当たる節がある。その言葉を聞くたびに、僕は耳を塞いできたんだから……。
「中学に進級するときに俺たちの家を出て行ったのも……」
「はい。あなたの近くにいる、それだけであなたを犯人と断定してしまう自分が嫌だったからです」
酷く冷たい現実に目を向けたくなかった。
嘘でもいい、ぬるま湯のような夢でもいいから見ていたかった。
だけど、それをおじさんは許さなかった。
おじさんはあの日からずっと死場所を求めて彷徨っていた。そして、ずっと僕にヒントを与えていたのは、復讐の心に苛まれた僕が自分を殺すのを期待してのことだった。
確かに、両親を殺したあなたが憎い。許せない。そう思う。
でも……だけど、あなたはここで僕に殺されるつもりなんでしょうけれど、
「——僕は、あなたを殺したくない!」
それもまた僕の心からの叫びだった。
定まっていたはずの照準がカタカタと震え出しておぼつかない。
そんな僕の様子を見ておじさんは冷めた視線を飛ばした。
「ここにきて何を甘えたことを言っている! 俺はお前に銃を取り出し、お前もまた銃口を俺に向けた! その瞬間から俺たちは敵同士だ! 両親の仇を前にして軟弱な心を見せるな! 覚悟をしたなら引き金に指を通せ! 躊躇いなく撃鉄を落とすんだ!」
「確かに覚悟は決めました! でも! 僕はあなたを諦めたわけじゃない!」
そう諦めてなんていない。
居場所を一つしか選んじゃいけないなんて誰が決めた? 神様か?
いや今更、そんなあやふやな存在の奴を気にしてなんてやるものか!
あなたは僕に自由になれと言った。
なら、この選択だって飛び込んだ先の自由で掴み取っていいはずのものじゃないか!
あの日のことがあって、僕は誰も信じれなくなった。
でも、ここ最近の出来事があって、久しぶりに心の底から誰かを頼って、任せて、再び信じてもいいかもしれないとそう思えてきた。
だから僕は、あなたの心の底のどこにあるであろう本心を信じたい。
この後に及んで都合のいいことを、と言うのであれば、全てを疑ったきた探偵らしく。
僕は––––––僕に殺されたいと願うあなたの本心を、信じない。
この状況の全てを僕は認めない。
名探偵は信じない。
––––だが、
「話にならない」
おじさんは短くそれだけ吐き捨てて、
「智、お前には失望したよ」
その引き金はゆっくりと絞られていく。
スパン、と短い銃声に続いてノズルから弾丸が放たれた。
飛び出した弾丸は目にも止まらぬ速さで虚空を駆け抜ける。
そして、僕––––ではなく、おじさんの手の中に吸い込まれ、握られていた拳銃を遥か後方へ弾き飛ばした。
「……!」
おじさんの表情が瞠目に歪む。
背後を振り返ると、段差の影から紺髪の少女の上半身が突き出していた。
僕の脇を通過したあの銃弾は、彼女が両腕で支えるそれから打ち出されたものだった。
四ノ葉さん……。
僕を貫く彼女の眼差しは、諦めるなと告げていた。
そうして必要のなくなった凶器を懐に戻す。
「……おじさん」
僕らを別つ深い溝は埋められた。僕はその距離をゆっくりと縮めていく。
そして、あと一歩のところまでやってきた。
「智、どうして……俺が憎くはないのか?」
どこか寂しそうに訊かれた。
「憎いですよ、悔しいですよ。おじさんが二人を裏切ったことが何よりも、悲しいですよ。……でも、それを置いても、僕はまだあなたの声を聞いていたい、今はもう見ることの叶わない二人の、両親の残滓をあなたの言葉から感じたい。
もう……誰一人として大切な人を失いたくない!」
おじさんは口を噤み、僕の紡ぐ言葉を全身で受け止めてくれていた。
「おじさん、死だけが唯一の罪の償い方じゃないんです」
僕たち人間の社会には法がある。秩序がある。
一度過ちを犯したとしても、遍く全ての人に罪を償う機会が与えられる。
死んでしまったらそれだけ。それ以上の罪を償うことはできなくなってしまう。
おじさん、もしあなたが、相応の罪の意識があると言うなら、そんな楽な方法で罪を償ってはいけない。
それは卑怯な行為だ。
そんなのは亡き両親に対する、冒涜だ。
いつかのあなたの言葉を思い出し、僕は、
「どうか……僕の一世一代の我儘、聞いてくれませんか?」
一歩を踏み出した。
足元のそばには二つの墓石。視界の隅には崖の先の灯台の頭が覗いていた。
ピーと頭上でウミネコが鳴いた。崖の底から岩肌を叩く波の相槌。
すぐそこにおじさんがいる。
昔から変わらない暖かな匂いが鼻先を撫でる。
しっとりとした声が鼓膜を震わせる。
「……どうして、言ってほしくない時に限って、お前たちは我が儘を言う」
はあと重いため息を吐いて、おじさんは困ったように微笑んだ。
「おじさん……」
そう呼びかけて目を瞬いた須臾、
「––––––っ⁉︎⁉︎」
僕の胸に強い衝撃が走った。その途端、足の指先から地面を離れ、身体の軸はゆっくりと後ろに傾いていく。
脳がやっと長い処理を終えて、理解した。
僕はおじさんに突き飛ばされたのだ。一瞬、拒絶されたのだと思った。
だが、その寸前、視界の隅で何かが煌めいていた。
それから小さな炸裂音がして、後を追うように、伸ばした手の先で赤い飛沫が跳ね上がった。
その様子はまるで、花を咲かせた彼岸花のようだった。
スローモーションに映る視界の中で、おじさんのスーツが胴体の中心から鮮烈な赤に染め上げられていく。
「おじさん‼︎‼︎⁉︎」
次の瞬間、背中全体に鈍い痛みが駆け巡った。
「––––––ぐあっ‼︎‼︎」
もんどり打って倒れた末の衝撃に僕が悶えている隙に、後方で控えていた使徒の数人が駆けつけ、ふたりを囲うように陣を組んだ。
「くっそ! なぎっち、撃ったやつはどこにいる⁉︎」
「夜光! あの灯台だ! 怪斗、夜光に続け! 迎撃するぞ!」
「ええ⁉︎ ボクも前に出るんかいな!」
夜光の怒号と、的確に指示を出す伯闇くんの声、驚愕に満ちた尼水くんの叫び声が聞こえる。
「菊野、雨宮くんを介抱してあげて!」
「わかりました! 四ノ葉さんは?」
「私はあの人が狙われないよう射線を切るわ!」
そう言って、彼女は肩に抱えた大柄の棺桶を地面に突き立てた。
一発だけだと思われた銃声はあれから何発も続いていた。各々、天然の障害物を利用しながらそれを迎撃している。
視界の外で銃弾が飛び交う音が鳴り響く中で、僕の目路を華車の顔の割合が埋め尽した。
「雨宮くん、大丈夫ですか?」
切迫した状況には似ても似つかない普段通りの表情。そのギャップで高鳴っていた鼓動が落ち着きを取り戻す
「大丈夫です……それよりおじさんは……」
僕らはちょうど木の影に入っていて相手からは見えていないけど、おじさんはそうではない。そちらの方に視線を急がすと、四ノ葉さんの棺桶が盾となっておじさんを凶弾から守っていた。
菊野くんは木の影に残し、痺れる身体に鞭を打って、僕はおじさんのところに駆け寄った。
「おじさん……!」
芝生の上に仰向けになって横たわるおじさんは、息も絶え絶えの瀕死の状態だった。
「さ…とる」
「おじさん、傷口が開くから喋らないで‼︎」
胸の傷口の上にハンカチを敷いて圧迫する。
「今から止血しますから!」
ハンカチはすぐに血液で膨らみ、隙間から吸いきれなくなった血液が滲み出てくる。
「もっと何か大きな布……そうだ! 服だ!」
「……雨宮くん」
僕は彼女の声を無視して、脱いだ上着を再び傷口に重ねる。
「大丈夫です……大丈夫ですから」
「雨宮くん!」
「……さとる」
おじさんがボソリと漏らした。
「そこの…お嬢さんの話をちゃんと……聞いてやれ……仲間…なんだろ?」
「………」
そう指摘され、口を噤むが僕は止血の手を止めない。
「雨宮くん、その傷はもう……」
「……わかっています、わかっているけどっ!」
「さとる……」
それでも僕は諦めない。掌の付け根に全体重を乗せる。
「……そんなに、強く押されたら……痛いじゃないか」
うるさいうるさい。そんなこと言うなら、押し飛ばされた時の僕の方が痛かった。
「……すまないな、智。……どうやら……お前の…我が儘………最後まで……聴けない……みたいだ………」
今はそんな謝罪なんか聞きたくない。
四ノ葉さんが苦々しく表情を崩す前で、僕は必死に腕の力を保ち続ける。
棺桶の向こうから、焦燥に駆られた夜光の声が上がった。
「まずいぞ! 相手方に増援が来ている‼︎ もっと激しい銃撃戦になるぞ!」
それを境に、周囲を飛び交う銃弾の影が急激に増加し始めた。棺桶の表面を叩く音がさらに加速する。
「雨宮くん! このままだとみんなが危険! 撤退すべき!」
趨勢の変化を見てとって四ノ葉さんは含みを持って言葉で伝える。
「だけど! 傷を負ったおじさんはどうするんだ? このままにするって言うのか?」
僕がそう切り返すと、四ノ葉さんは返す言葉を失ったように押し黙る。
「くそっ! 敵の数がどんどん増えてやがる!」
「こっちの手数もえらい勢いで削れてってるで〜‼︎」
「おい智、このままだとあと五分も持たねぇぞ! どうするかすぐ決めろ‼︎」
どうするかって……そんなの!
すぐに決められるわけないじゃないか!
「……智」
がしりとおじさんが僕の腕を掴む。その手を振り解くことができず、止血する僕の手はそこで止まった。
「俺の人生は……後悔ばかりの…人生だった……だが……そのすべてが…必要のない……後悔だったとは…とても思えない。智…いいか…これが俺からの最後の言葉だ」
––––納得のできる後悔をしろ、おじさんは風が吹けば掻き消さる声で言い放った。
「…どんな選択をしても……人は必ず後悔することに…なる。今、お前がすべきは……未来のお前が納得のできる選択をすることだ…! 仲間を死なすことが……お前の納得のできる後悔なのか?」
「……そんなの…」
ずるいじゃないか……。
僕は腕に込めていた力をスッと解いた。
「雨宮くん!」
「全員、今すぐ撤退っ‼︎‼︎ 路肩に停めてる車に乗り込め!」
付近にいる全員に聞こえるよう声を張り上げ、僕はそのように指示した。
次の瞬間、僕らはおじさんをその場に残して、一目散に駆け出した。
立ち去る間際、
「娘を頼む」
おじさんは最後にそう僕に言い残したのだった。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
これからも応援してくださると嬉しいです。
現在、『宵星館』という作品を執筆中です。
ぜひ、こちらも一緒に、お楽しみください。むしろ、『宵星館』の方に意見やコメントしていただけるとありがたいです。




