それは決別の花束である
演奏が終わり、コンサートホール中に大きな拍手が鳴り響く。
斯くいう僕も目の前のステージで素晴らしい演奏を披露してくれた義妹の宮本信子、引いては遍く全ての吹奏楽部員たちに天蓋のない賞賛を送った。
隣の席に座って聴き入っていたおじさんは、途中、何度も感慨深そうにボロボロと涙を零していた。
こうして、義妹の中等部最後のコンサートは大成功を収めて、閉幕と相なった。
その後、僕とおじさんは群衆の流れに乗って会場の外へ出ると、予め待ち合わせに指定していた場所で義妹の到着を待っていた。
未だおじさんの涙は治る気配がなかった。
「ほらおじさん、僕のハンカチです」
「すまない智……ありがとう」
そう言っておじさんは僕からハンカチを受け取り、涙の線を拭った。
「まさかあの子が、あれほどになるまで頑張っていたとは思わなかった。いつも智の後ろをついて行ってばかりだったあの子が……うぅ、自分から自分のやりたいものを見つけられてよかった!」
「そうですね、僕ものぶちゃんがあそこまで成長しているとは思いませんでした」
「どうしてこう子供の成長ってのは早いのかな。昔はこんなにちっちゃかったのに」
「そんなにちっちゃくはなかったでしょ?」
身振り手振りで語るおじさんにジト目を送るのぶちゃん。
いつの間に来たのやら。気配を全く感じなかったよ。
「のぶちゃんお疲れ様。素晴らしい演奏だったよ。つい聴き惚れてちゃった」
「本当⁉︎ やったー‼︎ お兄ちゃんに褒められて私嬉しい!」
僕の素直な感想に、のぶちゃんは両腕を伸ばして喜ぶ顔を見せてくれる。
すると、はいと言って彼女は自分の頭を差し出した。
「どうしたの?」
「……もう、鈍感なんだからお兄ちゃんは……、昔みたいに褒めてってこと」
そういうことか。でもだからって、なんで人目が多いところでねだるのか……。
まあ、やらないわけじゃないけど……。
整えた髪型が崩れないよう配慮しながら丁寧に撫でると、手元からでへへと弛み切った声が溢れる。
「これでいいかな?」
「うん! ありがとうお兄ちゃん!」
「信子! お父さんも撫でてやろ」
「––––お父さんのはいらない!」
鋭い一発。おじさんは今にでも膝から崩れ落ちそうだ。そんなことはつゆほど気にしてなさそうに、のぶちゃんは会場の入り口付近に視線を送りながら、
「この後、吹奏楽部で集まって集合写真を撮るの。それから少しミーティングをやったりするから三十分くらい時間空くけどお父さんたちはどうする?」
そう尋ねられたおじさんは、まだ意識が戻っていないようなだったから、代わりに僕が応えることにした。
「近くのベンチか……カフェで待たせてもらうよ。身柄が解放されたら連絡して、一緒に迎えに行くから」
「身柄が解放されたらって、もう……お兄ちゃんは仕事人間過ぎだぞ! でもうん、わかった。諸々が終わったら連絡するね」
それじゃ、と振り返り際に手を振って、彼女は仲間たちの元へ飛び込んでいった。
仲睦まじそうに部員たちと触れ合っている光景を眺めていて、胸のどかでチクチクと針に刺されるような違和感が走った。
不快感を振り払うようにおじさんの肩を持って僕は近くのベンチに移動する。道中で自販機の前を通りかかったから、そこで飲み物を二本購入した。
一息ついたところで、缶コーヒーのプルタブを外して一口飲んだ、おじさんが再びしみじみとした口調で呟いた。
「本当。子供の成長ってやつは早い」
「……そうですね」
相槌を打ちながら、僕もお汁粉で喉を潤す。こんな時期になんでお汁粉なんだって? 美味しいじゃないかお汁粉、小豆の強調された甘味が脳に響いて。
「そうですね、って。お前のことも言ってるんだぞ智」
「僕ですか?」
「そうだ……まあ、相も変わらず甘ったるそうなものを飲んでいるのは変わってないが」
「そんなっ! 僕をそこいらの甘党と同じ範囲で括らないでください!」
甘味の中に感じる深みを僕は愉しんでいるんだ!
「その返しとか……お前のお母さんそっくりだ。親子は変わらない、とはよく言ったものだな。……探偵としての才能が受け継がれている分、二人のよくない癖も同時に継がれているような気がしてならないぞ」
それはまあ……ぐぬぬ。反駁できないのが悔しい。
「そんなに似てますかね僕と、お父様お母様たちは……」
「似てるよ。まるで生き写しみたいだ……」
おじさんは空を仰いで、嘆くように吐き捨てる。
「……すまなかった」
それは誰への謝罪か。僕か、はたまた両親に対してか。おじさんは明示しなかった。
「確かに俺なら救えたはずなんだ……あそこで俺が……二人を………」
「おじさん」
過ぎ去った記憶に沈んでいくおじさんの意識を僕は無理矢理に引き上げた。
「あぁ、すまないつい………」
二人して言葉を失い、僕は呆然と空を眺めていた。
すると、おじさんは大切なことを思い出したかのような声を上げる。
「あっ……そうだ智。お前に渡さなきゃいけないものがあったんだ」
そう言うと、おじさんは鞄から二本のUSBメモリが入ったポリ袋を取り出し、隣の僕に流してきた。
「これは?」
「一本は富川が殺害される前後を記録した録音データだ。言っただろ? 殺害された場所が取調室だったって。最近の取調室は加害者の人権問題から録音装置が取り付けられるようになってな、それに残っていたものだ」
「……⁉︎ もう一つは?」
「これは……昔にお前が欲しがっていたものが入っている」
僕が昔に欲しがっていたもの? ……それって、
「あぁご察しの通り、『明星カンパニーホテル爆破事件』についての捜査資料だ」
「でもおじさん……これって秘密情報扱いだったんじゃ⁉︎ ……ということは、その認定が解けたんですか?」
「いや、そんなことはない、誰に言われるまでもなく俺の判断で持ち出した」
だけどそれってつまり……。
「なーに、そんな心配そうな顔をせんでいいさ。俺もそろそろいい歳だ。若い奴らに立場を譲って、勇退しなくちゃならない。それはその足がかりに過ぎないんだよ」
おじさんはとっくに決心ついたように、案じる僕を宥める。
だけどおじさんそれってつまりは……、
「おじさんは警察としての誇りを捨てたんですか?」
それはおじさんがとても大切にしてきたもの、ずっと大事に胸に抱えてきた、お母様とお父様との繋がりを象徴したもののはず。
「どうして……」
「智……こんな不出来な俺を慕ってくれる優しいお前に、伝えるようなことじゃないのはわかってる。でもな智、俺の警察としての誇りってやつはな、全部あの日に無くしちまったものなんだよ。だから、これまでのはその残滓みたいなものだ」
残滓にしては長過ぎたがな、と自嘲するおじさん。
そして優しい微笑みを口許に湛えて、おじさんは僕の目をまっすぐに見つめる。
「今日はいい日になった。
俺はダメな親父でな、母親が消えて一人になったあの子の面倒を何一つ見てやれなかった。年相応に構ってやれなければ、時々の悩みを聞き相談に乗ってやることもできなかった。あいつはこんな俺を心のどこかでは憎んでるんじゃないかそう思えてならなかった。だけど、あいつはなこんな俺を『お父さん』だなんて敬称で呼んでくれる。そんな俺からはなにも与えてやれなかった、でも俺には多くを与えてくれた娘の、信子の成長を肌で感じられた。もう、あいつは俺なしで生きていけるんだと、今日、そう実感した。
そして智、一緒に暮らした時間は短かったが俺はお前を本当の息子のように思っていたよ。血のつながりもない勘違いおじさんのことを、お前は認め愛してくれた。
そうだそうだった。あの日に俺は心に誓ったんだ。俺はもういつ死んでも構わないと。それがこんなジジイになるまで生きてしまった。
なあ智。勇敢で美しかったあの二人の、優しい優しい息子の智よ。これは死に場所を間違えた、『おじさん』からの最後の願いだ」
––––––どうか、俺じゃなく、二人の死に向き合ってやってほしい。
優しい優しい俺の息子よ。どうか……この物語に終幕を。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
これからも応援してくださると嬉しいです。
現在、『宵星館』という作品を執筆中です。
ぜひ、こちらも一緒に、お楽しみください。むしろ、『宵星館』の方に意見やコメントしていただけるとありがたいです。




