狐は尻尾を隠さない
杳靄から姿を現したのは、真面目で直向きな正義の代理人こと––––警察官の富川巡査であった。
先ほどのこともあったから、珍しく身構えてしまったが、どうやら杞憂のようだった。
「二人とも夜の巡回を手伝ってくれているのか?」
富川巡査は懐中電灯を持つ手はそのままでそう言った。
周囲が暗いということもあって、懐中電灯の光は輪をかけて眩しい。
「……えーっと富川巡査、その……話の前にライトの方をどうにか……」
「ああっ! ごめんごめん」
すぐさま手元を下に向けた富川巡査。
「あらほら〜目がチカチカします〜」
頭の上にでもヒヨコが回っていそうなことを口走るブロンドの少年。瞳孔が適切に萎められるまで、それはあともう少しだけ続きそうだった。
視界が意識下に戻ってきたところで、僕たちは公園のベンチへと場所を移した。
「またもや君たちには、すまないことをした!」
「い、いえ、そんなことないですよ」
とは言ったものの、確かに今回の責は富川巡査にあった。前回と立場が反対だ。
「いや〜とてつもなく強力でしたよ富川巡査! あのまま光を浴びていたらお先真っ暗でしたよ!」
あははははは‼︎
声を張り上げるな! 近所迷惑になるでしょうが!
「……」
ほら見ろ、富川巡査だって反応に困ってる!
「富川巡査、彼のことは気にしないでください。むしろ気にしたら負けです」
「菊野助手はいつもこんな感じなのかい?」
「そうですけど……」
「そうか……なんというか君も、大変だな」
「え、そんな憐れむような目で見ないでください心外です」
「二人とも、私に対してなんか当たり強くなってきてません?」
華車の言下に突然––––ベンチの前に茶色い影が飛び込んできた。
脈絡もなければ、兆しもない、突発的な出来事に三人の目が点になる。
尖った耳。太い尾。洗練された細いフォルム。全身を覆う黄金の毛。
「「「狐⁉︎⁉︎」」」
そう、僕らの視線が釘付けになったそれは、本来であればこんな場所にいるはずもない、むしろこことは真逆の土地が住処であるはずの四足獣。
「なんで狐⁉︎」
「というかずっとこちらを見つめてますよ」
「一緒に写真撮ってもらえませんかね?」
「「言うとる場合か‼︎」」
その登場に誰もが混乱をきたしていた。ただ一人を除いて、彼だけは平常運転だった。
「富川巡査、これって警察の仕事ですよね」
「いやいや、突然そんなこと言われてもなんの用意もないし。それどころかどこかのお宅の迷子のペットかも知れないよ雨宮探偵」
「いやいや、確かに僕は探偵ですけど、迷子の狐を届けた経験なんてないですよ」
と言うか皆無に等しい。稀有にも程があるわ!
「いや俺も野生動物をどうこうしたことこととかないし!」
「僕だって……」
「あの……お二人とも……」
「「なんじゃい! 喧しいやつめ!」」
「わあ、ここまだきたら当たりが強いどころじゃないですね、もうなんていうか、当たり屋だと思ったら殺し屋だったみたいな……そんな場面に出くわした心境です。……いやいやそうではなくてですね! お二人とも、あの狐何か口に咥えていませんか?」
華車の指摘を受け、富川巡査が瞬発的に狐の口許をライトで照らした。
彼の言う通り、黄金の四足獣は確かに何かを口に咥えていた。
それは長方形でとても軽そうな、と言うかあれは、
「あれ私のスマホじゃないですか……」
「「えええぇぇ‼︎」」
「どうしてそんな冷静でいられるんだ菊野助手⁉︎」
「人の文明を知るために山から人里に降りてきたかも知れない可能性を思うと……うう」
「泣いてる⁉︎ 泣いてるの菊野助手⁉︎ 雨宮探偵からも何か言ってくれな––––」
「あ、逃げた」
そうこう騒いでいるうちに狐は公園の奥へと駆け出した。
そりゃあ、目の前で大きな音をあげられたら、逃げ出すよな。
「待って〜私の携帯!」
狐を追って僕らも走り出す。手を伸ばしながらそう叫ぶ少年は最後方を走っていた。
僕らが追いかけてくるのを確認し、狐は公衆トイレの裏に広がる小さな林の中へと飛び込んで行った。
それを見た僕と富川巡査は緑を前にして狐の追跡を諦めるが、流石に自分の持ち物を獲られたからだろうか、華車は僕らの間をつき抜けて、林の中へ携帯を探す旅に出た。
「菊野助手ー‼︎‼︎」
「富川巡査諦めましょう。彼にはもう……帰ってくる見込みがありません!」
「雨宮探偵、あれでも一応君の助手でしょ?」
「ええ、彼は立派な助手でした」
「でした、ってまだ彼生きてるから! 携帯盗られただけだから! それも狐に!」
「身につけていたはずの携帯を狐にスられてる時点で、優秀な助手としての彼は死んだも同然です!」
「確かにお間抜けさんではあるけれど! 君、思ったより毒舌だね。テレビに出てるイメージから、もっと大人しい好青年だと思っていたよ」
「嘘と真実が錯綜する世界を生き抜くには、演じるほかありませんから」
「だとしたら俺は君にどっぷりと騙されていることになるよ⁉︎」
「まあ、軽口はここまでにしまして……」
「ようやくか、と言うかどうして俺は、突っ込み役に回ってるんだ? 初登場に結構な大ボケかましたのに?」
それは適材適所ですよ富川さん。収まるところに収まったというだけのこと。
しかし、スマホを奪取され頼る光もなく、真っ暗な林の中に飛び込んでいった彼は果たして無事に戻れるのだろうか?
面倒だけど、華車をこのまま放置するわけにはいかないし、明かりも何もない中探し回って下手に怪我でもされたらたまったものじゃない。屋敷の住人の生活を保証する者として、怪我をするのをみすみす見過ごすわけにはいかなかった。
携帯の内蔵のライトを付けて林の中へ踏み入ろうとした時、ふと嗅ぎ慣れた香りが風に流れて鼻腔をくすぐった
鼻の奥にねっとりと絡みつくような不快感のある臭い。そうそれは、
「……腐臭だ」
慣れたくはなかった、慣れ尽くした臭い。
その呟きを拾った富川巡査が僕を問い糺す。
「なんだって?」
「富川巡査、今一瞬ですけど腐臭がしたんです。近くに死体があるかも知れない」
「そんな馬鹿な! それにそんな腐臭なんて……」
スンスンと鼻を鳴らす富川巡査。
「いや確かに腐臭のようなものを感じる……」
「手分けして探しましょう!」
宙を漂う臭いを辿り、僕は林の方を探る。紐を手繰り身を寄せていくように、臭いの発生源へと着実に近づいていく。
そして、ついに風が吹いても臭いが流されないポイントを見つける。臭いが放たれてるの、はこの草の垣根の奥からで間違いなかった。
僕は恐る恐る垣根を掻き分けてその奥を覗いた、するとそこには––––
「………」
カラスの死骸が二つ転がっているだけだった。
安堵から胸を撫で下ろす。僕は臭いの原因が動物の死骸であったことを富川巡査へ告げようと辺りを見渡すと、どこにも彼の姿が見えない。
不審に思って名前を呼ぼうとするより先に、富川巡査の僕を呼ぶ声が聞こえる。
「雨宮探偵! 速く! 公衆トイレの方へ!」
だがそれは僕を呼ぶだけにしては、やけに大きく緊張感を孕んでいた。
嫌な予感を感じて、僕は彼の指示通り公衆トイレへ駆けつけた。
真っ先に男子トイレに立ち入ったその瞬間、鼻と口を覆いたくなるような臭いを感じる。
「……くっ! ここのトイレ換気扇がないのか?」
だがそれは、咽せ返るようなアンモニア臭が充満しているだけで腐臭ではない。更に言い添えるなら、真っ暗な部屋の中に富川巡査の姿はなかった。
もしやと思い僕は隣の女子トイレへと駆け込んだ。
するとビンゴ! 暗闇の中で富川巡査の後ろ姿を見つける。だがこれはそう喜べる状況ではないみたいだった。何せ彼の足元には懐中電灯に照らし出された、眼球のない女性の死体が横たわっていたのだから……。
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