着火 その2
「ただのしがない研究家さ……。君とはいずれ再びまみえると確信するよ。どうかそれまでこの肩書きを忘れないでおくれ……」
それだけ吐き捨てると、白衣の男はこの公園を出て行った。
姿が見えなくなる瞬間を見計らって、僕はその後を追うべく駆け出した。
何がとは言わないけど、不穏な気配がする。あの男を野放しにしておくのは危険だと探偵の直感が警告していた。
道路に飛び出し男の行った方へ視線を向けるが、そこにはもう男の背中はなかった。
「なんだったんだ本当に……」
そう虚空に呟いていると、背後に何者かの気配を感じた。
まさか! そう思って僕は腰を捩じ切る勢いで振り返った。
だがそこに予想した白衣の男の姿はなく、それどころか、白とは真反対の黒のローブを深く被った子供(?)が僕の方を睨んで立っていた。
「……ふむ。当てが外れたと言うわけではない。どうやら取り逃しちまったようだ……」
いや違う、この子の視線は白衣の男が向かった道を向いてるんだ。
この子があの白衣の男が言っていた鬼ごっこの鬼?
それは遅れて僕の存在に気づいた。そして、じっと表情を窺っている。
「ふん……面影はなくもない。ただ、奴らに比べて半分も出来上がっていない。上級の器を用意されておきながらこのザマか……なんとも嘆かわしい」
男とも女ともつかない中性的な声。
それに到底似合わない厳格でいて、おどろおどろしい雰囲気。さっきの白衣の男とはまた方向性の違った危なさが滲み出ていた。
放たれる一つ一つの言葉が実体を持ったように重い。
「貴様。名を雨宮智と言ったな?」
「えぇ、はいその通り、僕は雨宮智ですけれど——」
待て。なぜ僕の名前を知っている?
警戒して僕が身構えるも、それはなんの反応も示さない。
「そうか、改めて記憶させてもらった。ここ最近、我も頭に焼きが回ったようでな。ネズミ一匹を捕まえるだけだと言うのにこの醜態だ。笑ってしまうだろ?」
そう投げかけられるも、飲み込んだ唾が喉に張り付いて言葉が出ない。
「なるほど保身だけなら一丁前と……。ふむ、それが自身を蝕んでいることに気づいていない………いや、気づいてはいるようだ。気づいていながら見ない振りをしている。ふむ、器用なことをする。そこは母親譲りと言うべきか、もっとも物腰は父親譲りと見える」
「お前、僕の両親を知っているのか?」
「ふむ、両親の話をされ口を開くようになるか」
「いいから! 僕の質問に答えろ!」
「……ふむ」
はあはあと犬のように息を切らした声が耳朶を掠める。
やけに喉が痛い。こんなにも喉が渇いていたのか? いや違う、僕が怒鳴ったんだ。両親を話題に上げられ、気が狂ったように僕が叫んだんだ。
「落ち着けと言っても無駄か。心のリミッターが壊されている。しばらくしたら治るだろうが、それまでは安静にした方がいい。眠らせるだけなら可能だが、それを望むか?」
「そんなことよりも、どうして……あなたが二人を知ってるのか教えてください」
「ふむ、なかなかどうして……親孝行を忘れたクソガキだと思っていたが、我の認識を改める必要がありそうだ。よし興が乗った、貴様の望む通り質問に答えてやろう」
「……!」
本当に答えてくれるとは思ってもいなかった僕は、それの以外にも協力的な態度に呆気に取られる。
「ふむ、確かに我は二人を知っている。雨宮沙都子と森本海散を知っている」
森本はお父様の旧姓。
探偵一族、雨宮家の血を引いているのは母様で、お父様は婿養子だ。
確かにこの子供は僕の両親を知っている。だがそれにしたって詳しすぎる。
「そして貴様がもっとも知りたがっているであろう、二人の死の真相についても我は知っているぞ」
「––––⁉︎」
まさか、こいつが? こいつがお父様とお母様を?
いや、違う。それは絶対にない。
仮にそうであったとしても、ここで僕にそれを伝えるメリットがない。
落ち着け。落ち着いて剣呑を振り払え、思考を働かせるんだ。
「……ふむ、すんでのところで踏みとどまったか。我を両親殺しの犯人であると言及しなくていいのかね?」
「あなた自身がさっき言った感想の通りです。すんでのところであなたは犯人でないと僕は推理しました」
ふむ、とそれは唸る。どうやら口癖のようだ。
「わざわざお膳立てしてやるまでもなかったか。少し小突いてやればいいだけのことだった……。だが、現状を見てそうも言ってられまい、対策を講じておくとしよう」
「何を言ってるんです?」
「貴様が知る必要のないことだ。それに雑談はこれで終わりだ。ほら、貴様の連れだぞ」
そう言うと黒ローブの背後の闇から、コンビニ袋を携えた華車の姿が現れた。
きょとんと首を傾げ、理解が追いついていない様子である。
「おや、雨宮くん。この方はどなたですか?」
彼の疑問に答えようと口を開きかけるが、黒ローブの子供に押されて阻まれる。
僕を押し退けた黒ローブは、そのまま僕の背後の道に広がる闇と溶け合うようにして消えて行ってしまった。
「なんだったんだ……」
「どうやら災難にあったようですね」
また面白がってると思って彼を振り向くが、華車の表情は笑っているようで笑っていなかった。ただ闇の先を淡々と見つめている。
「……華車?」
「? どうされました雨宮くん」
「……いや、なんでもない」
そのまま声をかけなかったら、君がどこかへ行ってしまいそうに見えたなんて……、そんなこと言えるはずがなかった。
僕は笑って曖昧に誤魔化した。
「華車、申し訳ないけど買ってきてくれた飲み物、貰えるかな?」
「そうでした。雨宮くんのためにお茶を買ってきていたんでした」
僕は華車からお茶のペットボトルを受け取り、蓋を開けて一口煽った。
味がしない。だが、酷かった喉の渇きだけは拭われた。
なんだか、ようやく一息つけた気分だった。休憩が聞いて呆れる。結局、この公園で身も心も休まることはなかったんだから、華車と一緒に飲み物を買いに行った方がよかった。
ほんと、後悔は何故、前に立ってくれはしないのだろうか……。その方が随分と生きやすくなるというのに。
「雨宮くん! 前です!」
「今度はいったいなんだ!」
一息つけたと思ったら、畳み掛けるように華車の悲鳴が上がる。一難去ってまた一難というが、今の僕は二難去ったばかりなんだ。少しは手加減をしておくれ。
道の先を占める暗闇の中に一つの点が白く浮かんでいた。
「……懐中電灯?」
それは周囲の闇を切り裂きながら僕らに向かって歩みを進めている。
眩い光の束が僕たちを照らした。
「––––––っ!」
咄嗟に腕で顔を隠していると、数メートル先に驚愕の声音が迸った。
「って! 君たちは! 雨宮探偵と菊野助手⁉︎」
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