いつか君は僕をそう呼ばなくなるだろう
私立天白学園中等部三学年エリア。
退屈な授業からようやく解放された生徒たちの他愛のない雑談は、教室と廊下の境界をなくし喧騒となって一体となっていた。
この騒がしさは学部が変わっても変わらないものだ。
一抹の懐かしさを胸に僕は廊下を闊歩する。
中等部が保有するクラスは五つであり、実に高等部の半分である。
確か彼女のクラスは……。
一つ一つ教室の中を覗いて進んでいくと、折り返しの地点で目的の人物を発見した。
教室の窓際で友人と思われる複数の女子生徒と机を囲んで昼食に興じているが、彼女一人だけはどこか上の空といった様子で、目の前に開かれた弁当に手をつけることなくソワソワと落ち着きがなかった。
「……」
直接彼女に声をかけていいものかと少し迷う。
例え二年間同じ屋根の下で過ごし、僕を実の兄のように慕う彼女だけれど、急に教室に押しかけて声をかけるのは迷惑にならないだろうか……。
年下の兄妹を持つ友人の話を聞く限り、あまりいい印象ではないことは確かだ。思春期特有の反応にその友人は深く嘆いていたが僕はどうか。
でも、おじさんの忘れ物を回収しないといけないわけだし。警察の機密情報を例え義理とはいえ妹である彼女に握らせておくのも忍びない。
決して怯んでいるわけではないが、僕は教室内の扉付に立っていた男子生徒に声をかけることにした。
「そこの君、少しいいかな?」
そう言うと、声をかけられた男子生徒は僕の顔を見てあっと声を上げて驚いた。
「あああああ雨宮副生徒会長様⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」
「えっ––––様?」
教室内に止まらず廊下全体にまで響き渡った男子生徒の叫び声に触発され、周りにいた全ての生徒の視線が一挙に集まる。
「副会長ってあの?」
「うわ〜本物だぁ」
「あれが少年探偵の⁉︎⁉︎」
「雨宮先輩!」
「あの暴走列車の生徒会長を調教してるって噂の⁉︎ あの雨宮副会長が⁉︎」
「なんでなんで?」
きゃーきゃー。わーわー。がやがやがや。
一時は困惑していた生徒たちの声がだんだん歓声へと変化していく。
とうとう僕では手の施しようのないほどの大騒動になってしまった。
「……」
こんなはずじゃなかったのに!
遠いところで菊野くんの笑う声が聞こえる。ほんとあの人は! というかあの人、どさくさに紛れて僕のあることないこと喋ってなかったか? 調教しているとかなんとか。
こうなっては仕方ない。目的のものはすぐそばにあるんだし観念して、話題の渦中に収まるとしよう。
声をかけてからずっと身体を振動させている少年に、耳打ちの要領で要件を伝える。
「あの……このクラスにいる宮本信子さんに用があってきたんですが……、声をかけてもらうことってできますか?」
「はははは、はい! えーっと……宮本さんですね? わかりました。少し待っていてください!」
男子生徒はそう言うと一思いに息を吸い込んだ。
ちょっと待て、普通に声を掛けに行ってもらっ–––––––
「宮本さん! 宮本信子さん! 天白学園生徒会の副会長で在らせられる雨宮智副会長様があなたに大事な用があるようです‼︎‼︎」
「–––––⁉︎⁉︎⁉︎」
ビクリと呼ばれた少女の肩が跳ね上がった。
はあ、やれやれ……。
どうやら、彼女はあの騒がしさの中でも、意に介さずあのまま浮き足立っていたようだった。
慌てふためき周りを見回して、ようやっと僕と目が合った。
僕は苦笑を浮かべながら控えめに右手を挙げる。
その瞬間、顔を真っ赤に染め上げながら、尋常ならざる素早さで僕の前まで寄ってきた。
周囲の生徒は噂話で手一杯のようだ。
「どど……ふぅ、どうしたのお兄ちゃん、私に大事な用……あるんだよね?」
一息挟んで心を落ち着ける少女–––––宮本信子。宮本武の一人娘であり、二年間だけ僕の義理の妹をしていたショートヘアーの女の子。
彼女は昔と変わらず僕をそう呼んだ。
「え、えぇまあ、大事な用と言えば大事な用なんですけど……」
少女の瞳が期待に膨らむ。
だけど、僕は彼女と同じようには振る舞えなかった。
「えーっと、《《宮本さん》》……少し時間を頂いてもいいですか?」
「––––いやだ」
「即答⁉︎」
「……私その呼び方嫌い」
そんないじけた子供みたいなことを……。
宮本さんの機嫌は少し、いやだいぶ不機嫌だった。
「宮本さんそんなこと言ってないで、ほら周囲の目もありますから……」
「イヤ」
「僕にも副会長としての面子が……」
「そんなの知らない」
「……信子さん。これで……いいですか?」
「………」
そっぽを向く少女。
……。
やけに周囲が騒がしい。
菊野くんは、ヤジを飛ばしながらも、可笑しさで腹を抱えて笑い転げる一歩手前だ。
「……信子ちゃん」
「––––、…………」
少しだけ少女に反応が見られる。
だが、それでも一向に彼女は口を開こうとしない。
こんな衆目の前で口にするのは躊躇うが、これも全て事件解決のため。ひいては使徒のみんなのため……。
僕は観念して、小さくため息を吐いた。
「……《《のぶちゃん》》」
「ん? お兄ちゃんなんか言った?」
「––––っ。のぶちゃん! 君に大事な用があった来たんです、お話をさせてもらっても……いいかな?」
「はい喜んで」
それはもう、最高潮の菊野くんに負けず劣らずの勝利の笑顔だった。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
これからも応援してくださると嬉しいです。
現在、『宵星館』という作品を執筆中です。
ぜひ、こちらも一緒に、お楽しみください。




