被害者《かのじょ》たちから奪われた世界《もの》
「おーい! こっちだ智!」
多くの警察官が入り混じる立ち入り禁止の黄色のテープのその奥で、くたびれたスーツに身を包んだ壮年の男性が頭の上にアーチを描くように腕を振っていた。
声を張り上げこちらを見つめるその男性こそ、僕がお世話になっている知り合いの刑事。
おじさんこと––––宮本武刑事だった。
「すみません、はあ……遅れ、ました」
学園から現場まで走ってきたこともあって、僕は肩で呼吸を繰り返しつつ思わず膝に手をついた。
「おいおい智、お前さんまさか学校からここまで走ってきたんじゃないだろうな?」
「はは…‥都合のいい交通機関が見当たらなくて」
汗が張り付いた顔に作り笑いを浮かべる僕に、おじさんは大きくため息を吐くと、
「はあ、言ってくれたら車で迎えに行ったのに……」
と、頭の後ろを撫でながら気を遣った言葉をくれる。
その心遣いに胸が暖かくなるのを感じながら、僕は申し訳なさそうに口を開いた。
「そんな、ただでさえおじさんは忙しいのに、僕の我儘一つでそれを邪魔するわけには行きません」
「そうか、その気遣いはこの老体に染みるが、お前はもっと誰かに対して我儘になってもいいと思うぞ」
「……そうでしょうか? 今でも十分、我儘を聞いてもらっていると思うのですが……」
「そうか? 俺がそのくらいの頃は、お前の父さんから今のお前の十倍ほどの我儘を聞かされていたがな」
「お父様はおじさんを頼りにしていましたから……」
「……。そうだったな、その通りだ」
わずかな沈黙を経て、おじさんはゆっくり頷いた。
しまった、と僕は思う。
だが吐いてしまった唾は飲み込めない。僕は恐る恐るおじさんの顔色を伺う。沈んで見えたが、すぐに優しい笑顔がそこに宿る。
こほんと息をついて、おじさんはテープを少し持ち上げた。
「さて、本題に入ってもいいかな、小さな名探偵」
一歩踏み出せば、そこから先は探偵にとっての聖域だ。気持ちと思考をそれに切り替え、迷いなく僕はテープの下を潜った。
「被害者の身体はどうですか?」
どうとは遺体の損傷についてである。
「その目で確かめた方がいいだろう」
いつにもなく悲痛のこもった声だった。僕らは事件があったとされる部屋の玄関を跨ぎ、とうとう事件現場へと踏み入った。現場は学生アパートだけあって一人で暮らすには十分だが、少し手狭に思える。
奥に進むたびに増していく鼻につく腐臭さえ今はもう何も感じない。
慣れてしまった、慣れたくなかった匂い。
「———なっ‼︎⁉︎」
遺体は枕を頭に寝台の上に仰向けになって寝かされていた。
驚愕に染まる僕の瞳を奪って離さないのは、枕に染み込んだ血の跡でも、首元にくっきりと残った縄の跡でもない。
本来、そこにあるべきものがすっぽりと抜けて落ちており、代わりに円球体状の窪みに蝋が流し込まれている。今でこそ血の流れこそ止まっているが、枕のシミはそこから噴水が如く溢れ出た血液によってできたものだとはっきりと想像できる。
到底人間にできるとは思えない所業だった。
僕はこのことがニュースとして全国に報道されなくてよかったと心底思った。
だってそうだろ。
こんな結末、到底人間が最後に迎えていいものでは、決してないのだから。
———被害者の遺体からは、おおよそ眼球と呼べる器官が、根こそぎ奪われていた……。
———『続』———
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
これからも応援してくださると嬉しいです。
現在、『宵星館』という作品を執筆中です。
ぜひ、こちらも一緒に、お楽しみください。むしろ、『宵星館』の方に意見やコメントしていただけるとありがたいです。




