第6話 師匠GUNSHOTを勝手に師事します
午後になって、私は完全に現実逃避を始めた。
大学のことを考えると胃が痛くなる。
バイトのことを考えると、もっと痛くなる。
食料のことを考えると、冷蔵庫を開けたくなくなる。
だから私は、動画サイトを開いた。
逃避先が攻略動画なのは、たぶん健全なのか不健全なのか分からない。
でも、今の私にとっては必要だった。
部屋から出ると、バトロワの島に落とされる。
電話もLINEも使えない。
外に出られない。
牛乳も買えない。
そんな意味不明な状況で、唯一まともに繋がっているのがネットだった。
見ることだけはできる。
だったら、見るしかない。
私はローテーブルの前に座り、ノートを開いた。
スマホを立てかけ、動画サイトの検索欄に文字を打つ。
『ゼロビルド 立ち回り 初心者』
『ゼロビルド 終盤 勝ち方』
『リーコン 使い方』
『撃ち合い 勝てない 逃げ方』
検索結果には、たくさんの動画が並んだ。
派手なサムネイル。
最強武器。
誰でも勝てる。
今シーズンぶっ壊れ。
これを使えばビクロイ量産。
どれも魅力的ではある。
けれど、今の私には少し眩しすぎた。
誰でも勝てる、という言葉を見ると、勝てない自分が余計に情けなくなる。
私はしばらくスクロールして、見慣れたサムネイルで指を止めた。
GUNSHOT。
登録者数は、ものすごく多いわけではない。
動画の再生数も、何十万回という感じではない。
でも、コメント欄にはいつも同じような名前の人たちがいて、みんな妙に熱心だった。
『この人の解説が一番落ち着く』
『派手じゃないけど実戦で使える』
『撃ち合い弱い人ほど見てほしい』
『逃げ方の解説助かる』
その文字を見ただけで、少し安心した。
私は最新動画を再生した。
画面の中で、GUNSHOTの声が流れる。
『今回は、ゼロビルドで初動死を減らす考え方を話します。撃ち合いの練習も大事なんですけど、そもそも負ける場所に降りないことが一番大事です』
私は思わず背筋を伸ばした。
初動死。
私だ。
完全に私のことだ。
『まず、降下中に見るのは、行きたい場所じゃなくて、人がどれだけ来ているかです。物資が強い場所でも、人が多すぎたら初心者にはきついです。強い場所に降りるより、生きて動ける場所に降りてください』
私はノートに書く。
強い場所より、生きて動ける場所。
昨日、私はガソリンスタンドへ降りた。
人は少なそうだった。
でも一本、光の筋が見えていた。
今日は森の小屋へ降りた。
周りの光は少なかった。
その選択自体は、たぶん間違っていなかった。
でも、家に入る前の確認が甘かった。
家に入った後も、逃げ道を完全には把握していなかった。
窓から逃げられたのは、たまたま近くにあったからだ。
『降りたら最初にやることは、武器を拾うこと。でも、その次にやるべきなのは、周囲を見ることです。敵が来ているか。車があるか。逃げ道があるか。建物の出口はいくつあるか』
私は一時停止した。
建物の出口はいくつあるか。
昨日の裏口。
押して開かず、引いたら開いた。
あの一瞬のもたつきで、私は本気で死ぬと思った。
「出口……大事」
書く。
出口の数。
押すか引くか。
窓。
屋根。
車。
岩。
木。
書けば書くほど、今まで自分がどれだけ何も見ていなかったのか分かる。
ゲーム画面で遊んでいたときも、私はたぶん、目の前の敵と武器しか見ていなかった。
上手い人はもっと見ている。
地形。
音。
安置。
敵の位置。
逃げ道。
漁夫の可能性。
自分が次にどう動けるか。
「情報量、多すぎ……」
私は頭を抱えた。
心理学科の授業で、注意には限界があると習った。
人間は、見えているものを全部処理しているわけじゃない。
重要だと思ったものだけに注意を向けて、他のものはこぼれ落ちる。
今の私は、こぼれ落ちているものだらけだ。
だから、何を見るか決めておく必要がある。
私はノートの新しいページに、大きく書いた。
『降下後チェックリスト』
1、近くに敵はいるか
2、武器は拾ったか
3、回復はあるか
4、出口はどこか
5、遮蔽物はどこか
6、逃げるならどっちか
7、銃声はどこからか
8、安置はどっちか
八個。
多い。
でも、これくらい見ないと、私はすぐ倒される。
動画を再開する。
『あと、初心者の人ほど、敵を見つけると撃ちたくなるんですけど、撃たない選択肢を持ってください。自分が不利なら撃たない。相手に気づかれていないなら、先に良い場所を取る。倒すことより、生き残ることを優先してください』
私は画面を見つめた。
倒すことより、生き残ること。
その言葉は、今の私には重かった。
ゲームなら、キルを取りたい。
撃ち合いに勝ちたい。
強くなりたい。
もちろんそう思う。
でも、今の私は、本当に生き残らなきゃいけない。
倒されても部屋に戻る。
今のところはそうだ。
でも、痛みは残る。
物も失くす。
そして何より、心が削れる。
倒されるのは怖い。
だから、生き残ることを優先していい。
「逃げてもいいんだ……」
口に出してみると、少しだけ肩の力が抜けた。
隼人だったら、たぶん違う。
あいつはきっと、敵を見つけた瞬間に前へ出る。
遠距離武器を持っていても距離を詰める。
撃たれながら笑って、無茶な角度で一発当てにいく。
咲だったら、どうするだろう。
たぶん、降下場所と敵の数を記録する。
安置の寄り方もメモする。
武器ごとの勝率を表にするかもしれない。
二人とも、私とは違う。
私は隼人みたいに突っ込めない。
咲みたいに最初から冷静にもなれない。
でも、怖がりだからこそ、危ない場所には敏感かもしれない。
「臆病は、悪いことだけじゃない……?」
自分で言って、自信はなかった。
でも、ノートの端に書いておく。
臆病だから、先に気づける。
それは、いつか自分を助ける言葉になる気がした。
動画は、次にリーコン系アイテムの使い方へ移った。
『リーコン系は、ただ敵を見つけるアイテムじゃありません。使うタイミングが大事です。敵がいそうな場所に入る前。撃ち合いの途中で見失った時。終盤で相手の位置を確認したい時。逆に、何も考えずに投げると、音や光で自分の存在を知らせることにもなります』
私は昨日のことを思い出す。
背後に敵がいて、とっさに投げた。
青い光が弾けて、敵の輪郭が見えた。
でも、見えた瞬間に撃たれた。
使い方が遅かった。
敵が近すぎた。
投げる前に、もっと早く気づくべきだった。
でも、見えた。
あの瞬間、確かに敵の位置が分かった。
あれをもっと早く使えれば。
もっと落ち着いて使えれば。
私はノートに書く。
リーコン系は早めに使う。
近すぎると遅い。
使ったらすぐ移動。
見えた敵にすぐ撃たない。
位置を確認して逃げ道を作る。
書いているうちに、少しだけ楽しくなっている自分に気づいた。
「……いや、楽しくはない」
慌てて否定する。
だって、実際に行くのは怖い。
撃たれるのは痛い。
負けるのは嫌だ。
でも、分からなかったものが少し分かるようになる感覚は、嫌いじゃなかった。
心理学の授業でもそうだった。
人の行動や感情に名前がつくと、少しだけ世界が整理される。
怖い。
逃げたい。
焦る。
固まる。
撃てない。
それらを、ただの弱さだと思っていた。
でも、もしかしたら全部、理由があるのかもしれない。
怖いのは、危険を感じているから。
焦るのは、情報が多すぎるから。
固まるのは、選択肢が多すぎて処理できないから。
だったら、選択肢を減らせばいい。
敵を見つけたら、まず撃つ。
ではなく。
敵を見つけたら、まず隠れる。
距離を見る。
遮蔽物を見る。
勝てなさそうなら逃げる。
勝てそうなら、一発撃って移動。
「……これなら、できるかも」
私は小さくつぶやいた。
動画が終わる。
関連動画に、別のGUNSHOTの動画が並んでいた。
『初心者がやりがちな負け行動』
『ゼロビルドで生き残る移動ルート』
『今シーズンの拳型アイテムはこう使う』
『終盤で焦らないための考え方』
私は迷わず、再生リストに追加した。
勝手に師事。
いや、元々師匠化してたけど、今は意味合いが違う。
本人は、私のことなんて知らない。
もちろん、私が部屋から出るたびにバトロワ島に落とされているなんて、知るはずもない。
でも、今の私にとって、この人の動画は命綱に近かった。
私はノートの表紙に、ボールペンで小さく書いた。
『GUNSHOT師匠メモ』
書いた瞬間、少し恥ずかしくなった。
「何やってんだろ、私……」
でも、消さなかった。
誰かに師事するというのは、少し大げさかもしれない。
けれど、今の私には必要だった。
一人で考えていると、怖さに飲まれる。
でも、画面の向こうの誰かの言葉を借りれば、少しだけ前に進める。
私は新しいページを開く。
『次の目標』
1、降下中に敵の数を見る
2、建物に入る前に周囲を見る
3、出口を確認する
4、リーコン系を早めに使う
5、撃ったら移動する
6、無理に倒そうとしない
7、生き残ることを優先する
書き終えて、深呼吸した。
少し眠い。
徹夜と恐怖と緊張で、頭が重い。
体もだるい。
でも、寝ている場合なのかどうか分からない。
部屋の外に出られない。
でも、体力がなければ向こうでも動けない。
「休むのも作戦……だよね」
誰に確認しているのか分からない。
私はベッドに座り、スマホを枕元に置いた。
送信失敗のLINEが目に入る。
咲。
隼人。
まだ届かない。
私はトーク画面を開いて、送れないと分かっていながら文字を打った。
『師匠できた』
送信ボタンは押さなかった。
押しても、どうせエラーになる。
代わりに、その文章を下書きのまま眺めた。
咲なら、たぶん「勝手に師匠にしない」と言う。
隼人なら、「俺の方が師匠向きだろ」と言う。
想像したら、少し笑えた。
そして、笑ったあと、急に寂しくなった。
会いたい。
二人に会いたい。
タコパの帰りみたいに、どうでもいい話をしたい。
隼人の雑な理屈に咲が突っ込んで、私がそれを見て笑う。
そんな普通の時間に戻りたい。
そのためには、強くならなきゃいけない。
少なくとも、ドアを開けるたびに何もできず倒される私のままではだめだ。
私はスマホを伏せ、横になった。
目を閉じる。
でも、眠る前に、頭の中でGUNSHOT師匠の声が再生された。
撃ち合いに勝つことより、勝てる状況を作る。
倒すことより、生き残ること。
負ける撃ち合いをしない。
私は布団の中で、小さくつぶやいた。
「師匠、勝手に弟子になります」
もちろん、返事はない。
それでも、少しだけ心強かった。
眠りに落ちる直前、私は決めた。
次にドアを開けるときは、ただ怯えて降りるんじゃない。
師匠の動画をひとつずつ試す。
見る。
隠れる。
逃げる。
撃ったら移動する。
初期スキンみたいな私でも、ちゃんと覚えれば少しずつ変われるはずだ。
たぶん。
いや、変わる。
だって私は、まだ牛乳を買えていない。
そして、泡ミルクのコーヒーをもう一度飲むまで、終わるわけにはいかない。




