第7話 撃つ前に、見つける
目が覚めたとき、部屋は薄暗かった。
カーテンの隙間から、夕方の光が細く差し込んでいる。
どれくらい眠っていたのか分からない。スマホを見ると、午後五時を少し過ぎていた。
「……バイト」
声に出した瞬間、胃がきゅっと縮んだ。
本当なら、今ごろ私はスーパーのバックヤードにいるはずだった。
段ボールを開けて、ペットボトル飲料を棚に並べて、値札の位置を直して、店長に「風宮さん、こっちもお願い」と言われている時間。
でも、私はワンルームのベッドの上にいた。
無断欠勤。
その言葉が頭の中に浮かぶ。
違う。
無断で休みたいわけじゃない。
連絡したい。
ちゃんと謝りたい。
でも、電話は繋がらない。LINEもメールも送れない。
私はスマホを手に取って、バイト先に電話をかけた。
発信中。
無音。
切断。
やっぱりだめだった。
「すみません……」
誰にも届かない謝罪が、部屋の中に落ちた。
店長の顔が浮かぶ。
ぶっきらぼうだけど、売れ残りの惣菜をこっそり持たせてくれる人。
あの人はたぶん、怒る。
でも、それ以上に心配してくれるかもしれない。
それが苦しかった。
私はベッドから降り、冷蔵庫を開けた。
タッパーの中には、唐揚げがひとつとポテトサラダが少しだけ残っている。
卵は一個。
牛乳はない。
「……節約っていうか、籠城だよね」
笑えない冗談を言いながら、私は唐揚げを半分だけ食べた。
残り半分は、またタッパーに戻す。
情けない。
でも、今は本当に食料を大事にしないといけない。
水を飲んで、ローテーブルの前に座る。
ノートを開く。
表紙には、昨日書いた文字。
『GUNSHOT師匠メモ』
やっぱり少し恥ずかしい。
けれど、消す気にはならなかった。
私はスマホを立てかけ、師匠の動画を再生した。
『今回のテーマは、索敵です』
画面の中で、GUNSHOT師匠の落ち着いた声が流れる。
索敵。
敵を探すこと。
撃つ前に、見つけること。
私はペンを握った。
『ゼロビルドでは、先に見つけた方がかなり有利です。逆に、先に見つけられると、遮蔽物がなければほぼ負けます。だから、エイム練習と同じくらい、敵を見つける練習をしてください』
動画の中で、師匠は高い場所から周囲を見渡していた。
ただぼんやり眺めているわけじゃない。
木の揺れ。
開いた扉。
不自然に壊れた壁。
遠くで動く車。
地面に落ちたアイテムの光。
そういう小さな違和感を、ひとつずつ拾っていく。
『敵そのものが見えなくても、敵がいた跡は見えます』
私はその言葉をノートに書いた。
敵そのものではなく、敵がいた跡を見る。
「跡……」
心理学の授業で聞いたことがある。
人の行動には痕跡が残る。
机の上の配置、視線の向き、椅子の距離、話す順番。
本人が意識していなくても、そこには何かしらの傾向が出る。
ゲームでも同じなのかもしれない。
開いている宝箱。
壊れた柵。
拾われていない弾薬。
乗り捨てられた車。
足音。
銃声。
そして、静かすぎる場所。
私はページに大きく書いた。
『敵を見る前に、跡を見る』
動画は続く。
『あと、音です。銃声の方向、足音、車、グライダー、回復音。音はかなり情報量が多いです。怖いからといって耳をふさぐと、逆に危険です』
私は昨日の自分を思い出した。
銃声が鳴るたびに、肩をすくめていた。
足音が近づくたびに、頭の中が真っ白になった。
音を情報として聞く余裕なんてなかった。
でも、聞かなければいけない。
怖い音を、怖いだけで終わらせない。
情報に変える。
私はノートに書く。
銃声=戦闘位置。
足音=敵との距離。
車音=移動している敵。
回復音=近くに弱っている敵。
静かすぎる=誰かが待っているかもしれない。
書いているうちに、少しだけ頭が整理されていく。
怖さは消えない。
でも、名前がつくと少し扱いやすくなる。
私は動画を止めて、部屋の中で目を閉じた。
冷蔵庫の音。
外を走る車。
隣の部屋の物音。
自分の呼吸。
スマホの小さな通知音。
普段は気にも留めない音が、いくつもある。
「聞こえてる……」
当たり前のことなのに、少し驚いた。
私は目を開け、ノートに今日の目標を書いた。
『第4回降下目標
1、敵を撃つ前に見つける
2、敵そのものより跡を見る
3、音を情報として聞く
4、リーコン系アイテムを探す
5、倒すより、生き残る』
五つ。
昨日より少ない。
これくらいなら、覚えていられるかもしれない。
私は立ち上がった。
体はまだ重い。
でも、少し眠れたおかげで頭は昨日よりましだった。
ジャージの上に、薄いパーカーを羽織る。
ポケットにノートの切れ端とボールペン。
スマホは置いていく。
靴紐を結ぶ。
玄関の前に立つ。
ドアノブに手をかける前に、一度だけ部屋を振り返った。
ローテーブル。
ノート。
空の牛乳パック。
ミルクウォーマー。
送信できないLINEが残ったスマホ。
「行ってきます」
誰もいない部屋に、小さく言った。
ドアノブを握る。
冷たい。
低い振動。
もう、驚きはしない。
怖いけれど。
「撃つ前に、見つける」
私はそう言って、鍵を開けた。
かちゃり。
ドアを押す。
風が吹き込む。
草の匂い。
金属の焦げた匂い。
遠くの銃声。
足元が消える。
体が前に引っ張られる。
そして私は、四度目の空へ投げ出された。
――降下開始。
今回は、すぐに下を見なかった。
まず、周囲を見る。
同じ高さを落ちていく光の筋。
右に三本。
左に一本。
遠くの街に、かなり多い。
後ろにも一本。
私は息を吸った。
「近いのは、左の一本……」
声に出して確認する。
左の光は、私と同じ方向へ流れている。
目的地が被るかもしれない。
私は進路を少し変えた。
目指すのは、小さな丘の上にある電波塔のような建物。
周囲には岩が多く、木もある。
近くに大きな街はない。
ただし、物資も少なそう。
でも、今日の目的は勝つことじゃない。
見ること。
私は丘の斜面へ降りた。
着地。
膝を曲げる。
衝撃はあるが、転ばない。
すぐに走らない。
しゃがむ。
見る。
木。
岩。
電波塔。
小さな小屋。
道路。
遠くに車。
足音は、聞こえない。
銃声は、街の方から。
私は小屋へ向かう前に、地面を見た。
草が少し倒れている。
自然に倒れただけかもしれない。
でも、小屋の扉が開いていた。
「誰か、いる……?」
心臓が速くなる。
昨日までなら、そのまま中へ入っていたかもしれない。
武器が欲しいから。
物資が欲しいから。
でも今日は、足を止めた。
敵そのものではなく、跡を見る。
小屋の前に、弾薬がひとつ落ちている。
でも、青い瓶はない。
武器も見えない。
扉は開いている。
窓の下の木箱が壊れている。
誰かが漁った後かもしれない。
まだ中にいるかもしれない。
私は小屋には入らず、横の岩へ移動した。
岩の陰から、小屋を見る。
数秒。
何も動かない。
でも、安心はしない。
そのとき、かすかに音がした。
しゃり。
足音。
小屋の中ではない。
後ろの斜面。
私は体を低くした。
見つけたわけではない。
でも、聞こえた。
心臓がうるさい。
私は振り返りたいのを我慢した。
急に動けば、こっちの位置がバレるかもしれない。
しゃり。
しゃり。
音は近づいている。
右後ろ。
私は岩を挟むように、ゆっくり左へ移動した。
真っすぐ逃げない。
遮蔽物を挟む。
視線を切る。
岩の反対側へ回ると、斜面の上に人影が見えた。
いた。
まだ、向こうはこちらに気づいていない。
私は息を止めた。
初めて、先に見つけた。
手が震える。
銃は持っていない。
まだ何も拾っていない。
でも、私は先に見つけた。
それだけで、昨日までとは全然違った。
相手は小屋の方を見ている。
たぶん、私が中にいると思っているのかもしれない。
だったら、今は撃たない。
そもそも武器がない。
私は岩の陰に隠れたまま、相手の動きを見る。
相手は小屋へ近づく。
入り口の前で一度止まる。
銃を構える。
中を確認する。
慎重だ。
私より、ずっと慣れている。
その背中を見ながら、私はゆっくり後ろへ下がった。
逃げる。
でも、ただの逃げじゃない。
相手に見つからず、距離を取る。
岩から岩へ。
木の陰へ。
少しずつ。
足元の枝を踏まないように。
草の音を立てないように。
こんなにゆっくり動いたのは初めてだった。
遠くで銃声が鳴る。
相手がそちらを向いた。
その隙に、私は丘を下りた。
下には、小さな倉庫があった。
扉は閉まっている。
窓は割れていない。
周囲に足跡のようなものは見えない。
「まだ、漁られてない……?」
私は耳を澄ませる。
足音なし。
車音なし。
近い銃声なし。
扉を開ける前に、周囲を見る。
右。左。後ろ。屋根。
何もない。
私は扉を開けた。
中には、ショットガンと青い瓶。
それから、見慣れた青白いラインの機械があった。
「リーコン系……!」
声が少し弾んだ。
私はまずショットガンを拾う。
次に青い瓶を飲む。
そして、リーコン系アイテムを手に取った。
冷たい。
手のひらに収まる大きさ。
昨日、とっさに投げたものと同じだ。
今回は、追い詰められてからではなく、先に使う。
私は倉庫の扉を少し開け、外を確認した。
さっきの敵が追ってきているかもしれない。
私はリーコン系アイテムを、倉庫の外の岩場へ向かって投げた。
青い光が弾ける。
周囲の空気が、薄く波打つ。
一瞬、地形の向こうに人影の輪郭が浮かんだ。
一人。
さっきの敵だ。
丘の上から、こちらへ降りてきている。
「見えた……」
今度は、近すぎない。
まだ距離がある。
こっちは倉庫。
出口は正面と、奥の小さな窓。
遮蔽物は、外の岩と木箱。
撃つ?
いや。
まだ撃たない。
相手は私の位置を正確には知らない。
でも、リーコンの光で何かに気づいたかもしれない。
私は倉庫の奥の窓を開けた。
ぎい、と小さな音。
まずい。
でも、今ならまだ間に合う。
私は窓から外へ出て、倉庫の裏側に回った。
直後、正面の扉が撃たれた。
ばばばっ!
木の扉が砕ける。
私は息を呑んだ。
もし中に残っていたら、撃たれていた。
師匠の言葉が頭に響く。
撃ったら移動する。
見つけたら移動する。
同じ場所にいない。
まだ撃っていない。
でも、リーコンを使った時点で、もう移動するべきだった。
動いてよかった。
相手が倉庫の正面から中へ入る。
私は裏の岩陰から、その背中を見た。
ショットガンを構える。
距離は近い。
撃てる?
心臓が暴れる。
手が震える。
でも、相手はまだ私を見ていない。
先に見つけた。
先に位置を取った。
逃げ道もある。
今なら、撃っていい場所かもしれない。
私は息を止めた。
引き金を引く。
どんっ!
反動で肩が跳ねた。
相手の体が大きく揺れた。
当たった。
「当たった……!」
でも、倒れてはいない。
相手が振り返る。
私は二発目を撃とうとして、手元がもたついた。
遅い。
相手の銃口がこちらを向く。
私は岩の陰へ飛び込んだ。
銃声。
弾が岩に当たって、破片が頬をかすめた。
痛い。
でも、生きている。
私は岩の反対側へ回り込む。
真っすぐ逃げない。
視線を切る。
相手の足音が近づく。
追ってくる。
私はもう一度ショットガンを構えようとした。
けれど、焦ってうまく持ち直せない。
指が滑る。
息が乱れる。
岩の横から、相手が出てきた。
近い。
私は撃った。
どんっ。
外れた。
相手が撃った。
衝撃。
視界が白く弾ける。
また負ける。
そう思った。
でも、消える直前、私は確かに覚えていた。
小屋の扉が開いていたこと。
草の倒れ方。
足音の方向。
リーコンで見えた輪郭。
倉庫の出口。
岩の位置。
先に撃てた一発。
今日、私はただ撃たれて終わったわけじゃない。
見つけた。
考えた。
動いた。
当てた。
世界が白く消えた。
⸻
目を開けると、ワンルームの床だった。
戻ってきた。
私はしばらく、仰向けのまま天井を見ていた。
胸が痛い。
頬も少しひりひりする。
でも、傷はない。
「……負けた」
声はかすれていた。
でも、昨日ほどただ怖いだけではなかった。
私はゆっくり起き上がり、ノートを引き寄せた。
手は震えている。
けれど、ペンは持てる。
今日分かったことを書く。
4回目。
丘の電波塔近くに降下。
小屋は漁られた跡あり。
扉、壊れた木箱、落ちた弾薬。
足音で敵に気づいた。
先に見つけた。
撃たずに逃げられた。
倉庫でショットガンとリーコン系を拾った。
リーコンは早めに使うと強い。
使ったらすぐ移動。
倉庫の中に残っていたら撃たれていた。
先に一発当てた。
でも二発目で焦って負けた。
そこまで書いて、私はペンを止めた。
そして、最後に大きく書いた。
撃つ前に、見つける。
その文字を見て、私は小さく息を吐いた。
勝ってはいない。
ビクロイなんて、まだ遠すぎる。
牛乳も買えていない。
大学にも行けていない。
バイトも無断で休んでいる。
問題は何ひとつ解決していない。
それでも、私の中で何かが少しだけ変わっていた。
敵は、突然現れるものじゃない。
現れる前に、跡がある。
音がある。
違和感がある。
それに気づければ、私は少しだけ早く動ける。
少しだけ早く動ければ、少しだけ長く生き残れる。
私はノートを閉じ、キッチンを見た。
空の牛乳パックは、まだそこにある。
「……待ってて」
牛乳パックに言う言葉ではない。
でも、私は真面目に言った。
ミルクウォーマーにも。
泡ミルクのコーヒーにも。
普通の朝にも。
咲と隼人にも。
全部に向かって、言ったつもりだった。
「もう少しで、ちゃんと見えるようになるから」
窓の外は、すっかり夜になっていた。
部屋の中で、スマホが小さく光る。
送信失敗のままのLINE。
届かない言葉。
繋がらない日常。
私はそれを見て、ノートをもう一度開いた。
次のページの上に、こう書いた。
『次は、見つけたあとにどう動くか』
その下に、師匠の動画タイトルをメモする。
生き残る移動ルート。
撃った後の位置替え。
終盤で焦らない考え方。
やることは多い。
怖さは消えない。
現実の問題も積み上がっている。
でも、私は初めて少しだけ思った。
この島には、ただ怯えるだけじゃなく、学べることがある。
それは、たぶん危険な考えだ。
ゲームみたいに面白がっていい場所ではない。
私は実際に撃たれて、痛みを感じて、何度も泣いている。
それでも。
分かるようになることは、少しだけ怖さを減らしてくれる。
私はペンを置き、深呼吸した。
そして、スマホでGUNSHOT師匠の動画を開く。
次のサムネイルには、こう書かれていた。
『撃った後、その場に残るな』
私は小さく笑った。
「……それ、今日の私に言ってますよね」
再生ボタンを押す。
部屋の中に、師匠の声が流れ始める。
ドアの向こうには、またあの島がある。
でも次は、もう少しだけ長く生き残る。
そのために私は、今日もノートを開いた。




