45章 勇者と魔王 14
皆の微妙な視線に見送られて、ボスの女吸血鬼『始祖カーミラ』の方へ歩いていく。
10メートルまで近づくと、女吸血鬼が唇を笑みの形に動かした。ゾッとするほど美しい笑顔、と表現すべきなのだろうか。俺には獲物を見つけた蛇にしか見えなかったが。
それはともかく、問題はその笑顔と同時に、俺の方に不可視の力がすごい勢いで吹き付けてきたことだ。それは物理的なものではなく、神経を逆撫でするような、強烈な精神的不快感だった。なんというか、不安とか恐怖とか絶望とか、そんな感情が一斉に湧き上がってくる感じだろうか。
たぶんこれが『精神干渉』という奴だろう。これの弱いものなら異世界で何度か食らったことがある。もちろんそれで操られるほど勇者は弱くない。
精神干渉も、むしろ不快感と感じられるならそれは効いていない証拠である。効いていたら逆に甘美な感覚にとらわれるらしい。
「私の力を受け付けぬ男……? 何者ですか、貴方」
「勇者だ。お前みたいなモンスターの天敵だよ」
「私をモンスター扱いするとは、なんたる不遜。いいでしょう、その心がいつまで耐えられるか試してみましょう」
『始祖カーミラ』の両目が怪しく赤く輝き、『精神干渉』の圧が一段と高まった。不快感が強くなり、しかもその一部がわずかに快感に裏返る感覚がある。なるほどこれは確かに強力だ。
振り返るが、メンバーたちには特に動きはない。まあこのタイプの力は距離で大幅に減衰するか、射程距離が短いことが多い。俺が耐えれば問題なさそうだ。
俺が平気な顔で一歩近づくと、『始祖カーミラ』は柳のような眉を顰めた。
「これでも効かぬというのですか。人間には持ちえない精神力。勇者とは一体どのような存在なのですか」
「だからお前みたいなモンスターの天敵だって。精神干渉はほとんど効かないから、さっさとかかってきたほうが早いぞ」
「なんと無粋な。ですが、そこまでの力を持つ者なら、むしろ我が眷族とするに値します。その血を啜って差し上げましょう」
始祖カーミラは嗜虐的な笑みを浮かべると、両腕を顔の前で交差させた。するとその両手の指先の赤い爪が50センチ程伸びた。合わせて背中に赤い蝙蝠の翼が広がって、それで戦闘態勢完了のようだ。
俺は右に『聖剣天之九星』、左に『魔剣ディアブラ』の二刀を持ち、『機動』魔法も発動して空中戦に備える。
「始めましょうか」
その場で虚空を引っ掻くように右腕を振る始祖カーミラ。
瞬間俺の首筋にビリッと電流が走り、その勇者の直感に従って俺は大きく飛び退いた。
ほぼ同時に、俺のいた場所に真紅の光が5本現れて消えた。よくわからないが、たぶん自分の攻撃を離れた場所に出現させるという遠距離攻撃なのだろう。離れた場所に炎やら氷やらを出現させる魔法はあるが、そのスキル版といったところか。
「良く避けましたね。ではこれからが本番です」
始祖カーミラは羽根を羽ばたかせて飛び上がると、連続で爪を振るった。それだけ見ると一人で空中を切っているだけの動作だが、もちろん俺の周囲には、赤い爪痕のような光が連続で現れる。
周囲に現れる、と言ったが、それは俺が『高速移動』で避けているからで、実際は全てが俺を狙って放たれた攻撃である。当然ながらフェイントや先読みなどの攻撃も含まれているので、単に動き回れば避けられるなんて単純なものではない。
もっとも逆に言えば、始祖カーミラは高度な技術を使って俺を斬り裂こうとしていることになる。それがかすりもしないのだから、女吸血鬼の美貌にも多少の苛立ちが現れるというものだ。
「私の『無限爪』を難なく避けるとは、なんという人間。いったいいかなる知覚を有しているというのでしょう」
「勇者の勘ってやつだな」
さて、『無限爪』なる技は大体わかったので、俺は一気に空中に飛び上がって始祖カーミラに突っ込んでいった。『高速移動』を併用した俺の動きは、音速の壁を余裕で超えていく。
『魔剣ディアブラ』の一撃を躱した始祖カーミラだが、次の『天之九星』の一撃は爪で受け止めるしかない。
爆発的な金属が響き、赤い爪が2本宙を舞う。
『天之九星』に爪を切断されて、始祖カーミラは驚愕の表情を浮かべつつ、素早く身体をひねりつつ距離を取った。
「私の爪を斬ることのできる剣、その剣も並のものではありませんね」
「こいつは聖剣だからな。お前が一番嫌いなものだよ」
「やはりそうですか。しかも……爪が戻らないとは……」
始祖カーミラは斬られた爪を再度伸ばすつもりだったようだが、『天之九星』の再生妨害効果は強力だ。そもそもこういう奴を倒すための剣である。
「さて、先を急ぐんでね。終わらせてもらうぞ」
俺はそう言って、始祖カーミラに突撃する。嵐のような二刀による攻撃に、始祖カーミラは防戦一方になる。
少し戦って分かったが、こいつは精神干渉に特化したSランクモンスターで、通常の戦闘能力が強いタイプではないようだ。
しかも俺が振るうのは、触れただけで魔力を吸い取る『魔剣ディアブラ』と、最強の聖属性持ちにして再生を妨害する『天之九星』だ。残念ながら搦め手特化型ボスに勝ち目はない。
「この下賤が……調子に乗るなァッ!!」
追い詰められていきなり本性を表す女吸血鬼。醜く歪んだその顔の、赤い瞳が強烈に発光する。
全身を駆け巡る、吐き気を催すほどの不快感。そして腹の奥あたりに生じてくる妙な快感。物理的に身体を拘束してくるほどの強烈な精神干渉だ。これがたぶん、こいつの奥の手だろう。
だが残念、100万のモンスターを斬って斬って斬りまくった勇者に、そんなもので揺るぐ精神はない。
いささかもひるまない俺の姿に驚愕する始祖カーミラ。
その首は『天之九星』によって両腕ごと斬り飛ばされ、吸血鬼の親玉は驚きの表情のまま消滅していった。




