間章ⅩⅥ<霊珠>
絶え間なく、振動する音が聞こえる。
静かにたゆたう空気が、均一の振動を宿し、ゆっくりと旋回する。
それ故、空間の中にじっと佇んでいると、不可視の物体がゆっくりと、顔のすぐ前を横切っているのではないか、という錯覚に陥ってしまう。
ばさり、と巨大な翼がはためく音がした。薄闇の中に、矩形の闇が広がる。
否、それは翼などではない。
大きくはためいたのは、外套であった。それを纏っている男は、紅の瞳のまま、緩やかな下降を続けながら、部屋の中央にあるそれをまじまじと眺めた。
人の身長を超える直径は、三メートル弱といったところか。完璧な球形をしている、半透明な球体。
苔生した台座に安置されているものの、ひびは愚か曇り一つ見えぬ。
台座の周囲には清浄な流水が取り囲み、そのさらに外周を四つの獣の彫刻が監視している。
霊珠、といわれるものであった。超高濃度の魔力結晶体と定義されているものの、材質や製造方法、その他一切は判別できていない。ただオールマイア地下より偶然に発掘されたとされるその品は、非常に高い融魔力値を示していた。
それ以来、数多くの魔術師たちの研究対象となったが、現在はその機構の解明よりも、利用方法についての研究が進んでいた。
つまり、仕組みは分からないが応用活用を試行錯誤で探している、ということである。
それだけ、この霊珠の持つ力は強いということであった。
現在もこうして、西洋の魔法陣のみならず、東洋の結界をも利用して、霊的な安定した環境内に置かれているということからも、貴重さが伺えよう。
男が、床に降り立った。風を孕んでいた裾が、ふわりと遅れて落ちる。
短く刈られた髪と、紅の瞳。黒い革の手袋に握られているのは、幅広の奇妙な装飾を持つ、長剱。刀身に走る二条の赤い線は柄に近づくと曲線を描き、そうして生まれた間隙には紅玉が嵌っていた。
男は抜き身の剱を握ったまま、じっと霊珠を見上げていた。
狭く天井の高い玄室内には、人影はない。
男は視線を動かさずに、しかし空間に揺らぐ力の流れに微かな乱れを見出していた。
現在は、それは修復され、損害はないに等しい。だが、水の流れにたとえるなら、僅かだが波紋の残滓は残っている。
ヒルヴァイロに呪符を飛ばした際の、亀裂か。
すいと左手を伸ばし、男は力の流れに手首までを埋没させた。それはまるで、本物の水流に手を浸しているかのように、確かに抵抗を感じるものであった。
男の気を感じ取ってか。その直後に、流れは変化した。
男の視界が元に戻ったのは、それからどれくらい経ってからのことか。
霊珠の玄室とは全く違った光景が、そこにはあった。
浮いているのか、飛んでいるのか。地表は遥か眼下にあり、広がっているのは荒涼とした大地。
およそ肥沃という言葉は数千年前に放棄したと思わせるほどの、生命を抱かぬ大地。
そのひび割れ、乾いた地表を割って、五つの光の柱が屹立していた。
力強く、そして消えることなく、あたかもそれは天蓋を貫通する礎のように。
その光の中に、影があった。
目を凝らす。人だ。
人影だ。男もいれば、女もいる。
武具甲冑に身を包んでいる者もいれば、長衣と錫杖を抱く者もいる。
しかし、これは誰なのだ。もっと近くに寄らねば見えぬ。
そう、男が感じたとき。
「鍵持たぬ異邦人よ……これより先、踏み入ること能わず」
声がした。
瞬きをすると、男は元の玄室に戻っていた。
夢か。一度瞼を強く瞑る男の右手の中で、黒い剱がびぃんと強く震えた。
はっと振り仰ぐ。
頭上で、力の流れが歪んでいた。




