第十六章第二節<Conspiracy>
アイアトン家邸宅、星の宮殿を軍駐屯地として接収してから一週間後。
その夜、アーサー・ソーンダイクは再び、ジュリアン・アイアトンに知らせを持って宮殿を訪れていた。
開け放たれた門を過ぎ、庭園を通り過ぎ、正面玄関へと馬を進める最中、アーサーはそれとはなしに、邸宅の様子を観察していた。
白い砂利が敷き詰められた歩道に、見事に刈り揃えられた植え込み、そして青々と茂る芝。石像が点在し、傾斜のついた池には噴水がしつらえてある。その全てが、あの豪雨の日にここを訪れたときと何等変わりなく、目の前にある。
もしかすると、自分たちは貴族院の力を見縊っていたのかも知れぬ。
馬上のアーサーは、ふとそのような不安に駆られた。
王宮内において、貴族院への対処を決定した当初の目論みはこうであった。有事に際し、緊急を要する貴族院への出費、私設の無償貸与を明記した条例を提示することで、平時における貴族への特別課税徴収を遥かに上回る経済的圧迫を強いることによって、経済力を殺いでいく。
恐らくは今頃は、同時にヒルヴァイロ国教会、そしてヘイスティングス家においてもニコラスが条例をつきつけていることだろう。最近は姿を見せぬフラムスティード家においても、近日中に同様の措置がとられることが決定している。
殊にバベル・フラムスティードは他の二名と違い、何等公職に関わってはいない存在であるために、逆に手が打ちやすいとも考えられていたのだが。
この星の宮殿に限って見ても、何等変化がないのだ。
我々聖守護騎士団の軍勢二○○○名を越える人間を収容、管理し、生活をさせていても、アイアトン家それ自体は以前と変わりない生活を続けていられる。余裕があるということは、それだけ手を広げやすいということ。この状況下で、急遽貴族院三冠が叛乱を起こせば、果たして自分たちに鎮圧が可能であろうか。
否、それは狭窄的な視点における勝敗ではない。戦争という、多大な浪費を強いられる状況下において、少しでも頭の切れる相手であれば、まず間違いなく長期戦に持ち込むだろう。
国内の鎮圧と、国外の出征と、それらに関わる出費に、果たして国庫は耐え切れるのだろうか。
いや。
アーサーは眩暈がするほどに強く頭を振り、どす黒い気を吐き始めている思考を振り払った。
「武装解除?」
ジュリアンは、書状から顔を上げるとアーサーをまじまじと見た。
今回、アイアトン家に下された勅令は、貴族院の抱える双璧の軍事力の一つ、獅子皇騎士団の武装解除であった。
ジュリアンが驚くのも無理はない。視線をしかと受け止め、アーサーははっきりと頷いた。
「閣下の御意志だ」
陳腐な言葉でジュリアンの疑念を打ち返しながら、アーサーはじっと表情を観察する。
これは囲い込みの罠だ。ジュリアンがその条件を飲むならばよし、こちらの目論見どおり、獅子皇騎士団は実質上の武力を失う。そしてもしジュリアンが従わねば、閣下に反逆の意志ありとして、正式に聖守護騎士団を獅子皇騎士団及びアイアトン家討伐という名目で派遣する。
「いいでしょう。しかし、お聞きしたいことがございます」
ジュリアンは書状をまるめ、身を乗り出した。
「ヒルヴァイロは今や、ラスケイピアと全面交戦という立場に置かれてございます。その中で、我々が持つ騎士団の武装解除とは、如何なる御意志でしょうか」
「生憎と、私は軍人でな。これ以上の閣下の御意志をうかがう機会には恵まれていない」
「これは出過ぎたことを申し上げました、どうかお忘れくださいますよう」
アーサーはジュリアンの応対を確認し、立ち上がった。
「現在、獅子皇騎士団はどこに駐在をしている?」
「我等が邸宅の一つ、ここから北東に向かった山間にございます、月光の宮に」
「二日待つ。その後、我等騎士団より調査隊を派遣するまでに、武装を解くように」
頭を垂れるジュリアンに、アーサーは背を向けたときであった。
「そうそう、もう一つお伺いしたいことがございまして」
椅子から腰を持ち上げたジュリアンは、両手を背中で組んだまま、ゆっくりと暖炉に歩み寄った。
「貴殿の率いる聖守護騎士団、そして今も遠方の地で戦いに身を投じていらっしゃる聖十字、聖槍騎士団の方々……その御力と閣下の御威光の前には、ラスケイピアなどとるに足らぬと思いますが……」
胸の悪くなるほどに、美辞麗句を並べるジュリアンに、アーサーが一言を放とうとするが、それより早くジュリアンは先を続ける。
「万が一、この島に軍勢が上陸しました際……我等ヒルヴァイロの民を守る必要が生じた際、獅子皇騎士団は文字通り、張子の虎となるのでありましょうか」
「そのような時は、即時連絡をしよう」
「はい、ですが、多くの民の命が目の前で失われようとしている最中においては、我等は閣下のお考えに背き、剱と鎧をその手に取り戻すやもしれませぬこと、お伝えしておきましょう……それすらも許されぬとあらば、我等は甘んじて蛮軍の捕虜となりますが……」
ふん、とアーサーは鼻を鳴らした。転んでもただでは起きぬというわけか。
ジュリアンの言葉に隠された牙を感じたアーサーは、無言のまま、退室した。
自室へと割り当てられた部屋に戻っても、アーサーの心境は穏やかではなかった。
面と向かってではないが、ジュリアンの最後の言葉は、自分に対し、いや軍務省、閣下に対しての牙を隠し持っているということを匂わせる意味をも含むものであった。
広さにしても、十数人は不自由なくくつろげるほどの空間にたった一人で、アーサーはソファに身を預けた。
錯綜する目論見の果てに、何が待つ。貴族院は、今は従属を演じているだけだ。我等の間隙を縫い、いつかその本性を表す。
それまでに、戦乱が終えられるか。
自問し、アーサーは自ら否定する。
これは遊びではない。そうそう、こちらの思うように事は運ばぬ。
指を組み、膝に乗せ、目を瞑る。
そのときだった。
『何をお悩みでいらっしゃいますの?』
女の声が、耳元で聞こえた。
同時に、背から胸元にかけ、細く白い腕が抱きしめるように投げかけられるのが見える。
目を閉じていてもなお、そうした光景が脳裏に閃く。はっと身を硬くするアーサーの耳元で、声が続ける。
『あなたの失脚を望む輩を守るよりも、もっと大切なものがおありではなくて?』
知っている。この声は、聞いたことがある。
それは、玉座を前にした、あのとき。
ワルキュリエ共和国、フェリシア領の霊珠を経由した呪符攻撃が行われたと閣下にお伝えしたとき、耳元で聞こえた声だ。
覚えている。
いいお顔を、していらっしゃいますね。あのとき、声はそう告げた。
クリストファー・ランデルマンに功を奪われ、歯噛みしたとき、声はそう告げた。
俺に、ヒルヴァイロを売れというのか。誉ある騎士団元帥の地位を捨て、名も知らぬ賊の一味になれと。
「見縊るなッ!」
気迫を乗せた声を叩きつけ、アーサーは背後に感じる女を退けた。
かっと目を見開き、傍らに置かれた剱を抜き払うと一閃を放つ。
だが、背後には誰もいなかった。
剱は空を裂き、視線の向こうではただ絹のカーテンが揺れているだけであった。




