間章ⅩⅣ<重圧>
貴族院アイアトン家邸宅の一つ、星の宮殿は夜半すぎに予想しえぬ訪問者を迎えていた。
まるで天空の甕をひっくり返したかのような凄まじい豪雨が降り注ぐ夜、ジュリアンのもとをずぶ濡れの執事が訪れた。屋敷の門を越え、軍隊が邸宅に迫っているとのことを伝えると、ジュリアンはやおら寝台から体を起こした。
まさか、こんなところで軍務省の騎士団と戦闘を展開する羽目になったかと身を固くするが、続く執事の言葉でその可能性は否定された。
先方は面会を申し出ている。その名は聖守護騎士団元帥、アーサー・ソーンダイク。
名を耳にしたとき、ジュリアンはいまだ自分たちが窮地に陥っているのではないことを確信する。
それから一時間後、ジュリアンはアーサーと向かい合って座っていた。アーサーはずぶ濡れの軍服を変え、そして騎士団の多くは無数にある部屋でそれぞれに休息を取っている。
突然の訪問をしてきた一個大隊の軍を収容し、かつ支障なく対応し、また相手が不快と感じぬだけのもてなしを提供する。
これが貴族院の力、というわけか。
まったく混乱する気配も見せずにこれらの手筈が整えられるということは、常時それだけの余裕を持っての生活が成り立っているということだ。謳われている貴族院の力を調べるため、あえて無礼を承知でこうした手を打ってみたが、少なくともアイアトン家の経済力はアーサーの予想を遥かに越えていた。
そして、今更ながらに自分が国に残ったことについて、さしあたり安堵に胸を撫で下ろす。
一週間前の軍議でのように、ラスケイピア攻略に三騎士団が出撃したとあっては、国内の混乱を鎮圧する軍事力が手薄となる。しかも、貴族院査察をニコラスだけに一任しているというのは、如何に人材が足りぬという状況であっても、自殺行為に他ならぬ。
君主書簡室に書類を提出し、急遽聖守護騎士団もまた、国内に滞留することが決定した日の夜、アーサーは素早く行動に移したのだ。
「無礼な訪問への歓迎、痛み入る」
「ああ、そのようなことであれば気になさりますな」
ジュリアンは笑顔を浮かべ、頭を垂れるアーサーに頷いてみせる。
「深夜までのお勤め、ご苦労様でございますな」
言葉が真意から遊離する不思議な感覚のなか、先に手札を出したのはアーサーであった。
「お休みのところ、大変に申し訳ないが、これを見ていただきたい」
アーサーが取り出したのは、一通の書状であった。君主書簡室長のサインとクレージェント王宮の紋章の捺された書状を広げるジュリアンを、アーサーはじっと観察する。
有事の際の、貴族院に対しての全面協力の通達を綴られた公式書類であり、またそれは正式な手続きを踏んで作成されたものである。
「成程」
ジュリアンは書状を卓に置き、そして膝の上で指を組んだままアーサーに視線を戻した。
「話は分かりました。では、私めはどのようなお力添えを?」
この程度では揺るがぬか。
「現在、我等がヒルヴァイロが追い詰められていることは知っていよう?」
「ええ、存じておりますよ。聖槍騎士団の方々には、とんだ災難でございましたな」
この男がどこまでの情報を掴んでいるのか、アーサーは唐突に疑問に思った。とんだ災難、という言葉は、事実上聖槍騎士団のエセル中将率いる部隊が殆ど被害を蒙っていないということから導かれた言葉であるのか。
こちらから追い込んでいるはずであるのに、いつしか暗く深い迷宮に身を投じているような、そんな焦燥感が沸き起こる。
「我が部隊はこれより、<緋なる湖畔>への警備に当たる。故にこの敷地内を、聖守護騎士団の駐屯地として接収したい」
屋敷一つを奪われてなお、その表情が陰らぬか。
ばたばたと窓ガラスを雨粒が打ち据える。だいぶ、風も出てきているようだ。じじっと燭台に並ぶロウソクの芯が鳴る音が、やけに大きく聞こえてくる。
「よろしいですよ」
笑顔を絶やさぬまま、ジュリアンは大きく頷いて見せた。
「ただし、失礼ながら私どもの使用人に身辺のお世話をお任せしていただければ、一層滞在は快適なものとなると存じますが、如何でしょうか」




