間章ⅩⅡ<運命の車輪>
ニルヴァールヘイム調査団派遣決議より二週間。
金鷲騎士団中将ジェラルド・バーンズ率いる騎士十五名からなる調査団は、ラーヴェルク海峡を渡り、大陸に上陸し、途中ベル・ジェルード、ファレイアーク、ソルトガイアの三つの公領を経由してニルヴァールヘイムへと到達していた。
途中の公領では何処も中立の意思を示し、彼等の行軍を妨げるものはなにもなかった。人々の胸中では、黒い渦が渦巻いてはいたのであろうが、それが現実となることはなかったのである。
そして今日。調査団は、ついにクレージェント二世の書状をつきつけ、事態の真相に迫る場所に辿りついたのであった。
会議室の一つに通された調査団は、十名の騎士を武装させたまま背後に控えさせ、そして礼服を纏ったジェラルドを初めとする上級将校らとの会談という形をとって行われた。
相手の国の、しかも公邸においてなお自国の武装騎士を入室させるなど、無礼の極みとも考えられるが、それはクレージェント二世の強硬な態度のあらわれであった。
不法な領域侵犯、それも騎士団に対する呪的干渉。それは宣戦布告と了解されても全く反論ができるほどの、強烈な相手国への武力干渉であった。
しかも、自国からの直接的な行為ではなく、中立国の霊珠を経由しての魔力改竄とあっては、恐らくは弁解の余地もない。
だが、ここで面と向かって宣戦布告を飲めぬ理由が、ヒルヴァイロにはあった。
それはすなわち、国内の混乱である。
数世紀にわたって貴族が独占してきた、数々の権益の実態を暴露し、人々の前に曝け出すことによって、世論の力で貴族等の力を削ぎ落とすという偉業を成したクレージェント二世ではあったが、それに対する抵抗は想像を超えていた。中級貴族までは、奪い去られた権力と財源に失速し、また膨れ上がる支出に圧倒され、五年を待たずに次々と姿を消していくなか、アイアトン家、フラムスティード家、ヘイスティングス家の貴族院三冠と呼ばれる者等は、徹底して抵抗を続けた。
その三つの家系に対し、クレージェントはこれまで、他の貴族たちには用いなかった思い切った政策を幾つも考案したものの、実行に移すことを躊躇い続けてきた。
躊躇した所以は、実質はアイアトン家の私兵集団から成長した獅子皇騎士団と、ヘイスティングスを頂点に頂くヒルヴァイロ国教会の僧兵、天遣聖徒団という武力の存在であった。これを本格的に使われたら、確実に国内は内乱状態になってしまう。オールマイアの混乱やヴァライア諸侯国連合の分裂など、大陸では戦乱が相次いでいた時期があったために、クレージェントは必要以上に慎重にならざるを得なかったのだ。
それは現在も変わらぬ。いや、ラスケイピア領内ニルヴァールヘイムという明確な敵対行為の正体が暴かれた以上、さらに緊迫した状況になってきていると言っても良かった。
会議室でジェラルドを出迎えたのは、白い奇妙な服装をした男であった。
武器を携えて戦う類の人間ではなさそうだったし、また政府の高官という雰囲気でもない。飄々として、まるで実体が掴めぬ、希薄な存在感を纏った、不思議な男であった。
「遠路はるばる、ご足労頂きまして恐悦でございます……金鷲騎士団ジェラルド・バーンズ殿」
男の麗句を織り交ぜた挨拶に、ジェラルドは微かに鼻を鳴らしただけであった。
しばしの無言の刻を挟み、ついで口を開いたのは、またしても白衣の男。
「これは申し遅れました。私はティアリーズ・レオヴォルド。今回の件での総責任者と考えていただいて、結構でございます」
「では、総責任者殿にお尋ねしよう」
名乗ったにもかかわらず、敢えて名を呼ばずにジェラルドは口を開いた。
「我がクレージェント軍務省の聖槍騎士団への呪符干渉、そして永世中立条約締結国であるワルキュリエ共和国フェリシア領内の霊珠の外部起動、以上の条例違反行為の真相を、お教えいただきたい」
張り詰めた空気が流れる会議室の中、レオヴォルドは黙ったまま机の上で指を組み、じっとジェラルドを見つめていた。その表情には、痛いところを突かれ狼狽する感情はなく、ただ薄笑いすら感じられる。
騎士らに囲まれ、単身出迎えたこの男はよほどの胆力を持っているのか、それともただの命知らずか。
「答えられぬか……だろうな」
ジェラルドは、自分を落ち着ける意味も込め、冷笑と共に嘆息をついた。
無論、弁解を求めての場ではない。ここで詰問し、言い逃れの出来ぬニルヴァールヘイムに対し、賠償金を交えた条約を突きつける。
それが今回の、金鷲騎士団に課せられた任務であった。
この場で相手が慌てふためき、見苦しくもとってつけたような言い訳を並べれば、それだけジェラルドの怒りをあおる結果となったのであろうが、そこまで相手は愚かではなかったらしい。
「それでは、我がヒルヴァイロの意向をお伝えしようか」
胸元から取り出した書状を読み上げようと、ジェラルドが大きく息を吸い込んだときであった。
本来ならば、その場で耳にするはずのない音が、ジェラルドの耳に届いた。
動きを止めるジェラルド。だがすぐ隣にいる男の動揺した顔から、それが自分にだけ聞こえた空耳ではないことが知れた。
その音、いや声は、レオヴォルドから発せられていたのだ。小刻みに肩を震わせ、顔を俯かせ、レオヴォルドは―――笑っていた。
「……何が可笑しい」
口髭を震わせ、かろうじて怒号を堪えたジェラルドが問いただす。
「いえね、ヒルヴァイロの意向とやらを、お聞きしようと思いましたが……こちらの考えをお伝えしたほうが、短そうだ」
その言葉には、激しく強烈な侮辱の響きがありありと感じられた。
取り巻く騎士たちが腰に吊った剱の柄に手をやる中、ジェラルドはそれを制した。
レオヴォルドを救おうというのではない。真意を探り、斬るべきならば斬る。
「考えとは?」
「恐らくは、呪務管理局長オーウェン・ファーニバル殿のお手元にあるのでございましょうが……」
レオヴォルドは、テーブルの上に一枚の書類を置いた。
「ジェシカの壁の、開門儀礼書をお渡ししていただきたい。これはニルヴァールヘイムのみの考えにあらず」
それは、書類にしては妙に小さく、そして縦に長い。ジェラルドが不審に思い、それを表に返したとき。
「ラスケイピア国王、イヴァルツェル五世閣下のご意向なり」
それは、書類などではなかった。
シジルと呼ばれる特殊な契約文字。
途端に室内に、身の毛もよだつほどの瘴気が満ちる。喉を押さえ、苦悶する騎士たちの声と共に、ジェラルドは自分が罠にかけられたことを知った。




