第十二章第三節<A drop in river>
翌朝、ジュライは物音に目を覚ました。
まだアウレティカも結女も起きる様子はない。寝具の中、じっとしたまま物音に耳を済ませていると、多くの人間の行き交う音、馬のいななき、そして金属音が間断なく響いてくる。軍隊の野営地という場所を考慮すれば、テントの外で何が起きているのか、想像することは難しくなかった。
移動の準備か、戦闘への備えか。
どちらにせよ、この場所にこれ以上居続けるということは、考えられることではなかった。
ジュライは息を潜めたまま、そっと腕を伸ばすと傍らに置いた剱の鞘を掴み、引き寄せた。考えたくはないが、もし騎士団が新たな任務に就くということであれば、確実に自分たちは厄介者となる。そして軍隊の内部を少しでも知るものであれば、ひそかに切り捨てたとしても、自分たちが根無し草の冒険者なのであれば、滅多に足がつくことはない。
毛布の下に鞘を引き入れ、いつでも抜き放てるように柄を握る。外の物音は、今のところ、テントに近づいてくる様子はない。ジュライはそっと起き上がると、周囲の気配に気を配りつつ、アウレティカと結女をそっと起こす。
二人とも、今の自分が置かれている状況を把握しているのか、眠りは浅いようであった。
すぐに瞼を押し開け、緊張に引き締まった表情を見せる。
「どうしたんですか」
小声で尋ねるアウレティカに、代わりに答えたのは結女であった。
「外が騒がしいでしょ? きっとこれから、行軍するのね」
起きたばかりだというのに、結女は素早く情報を分析するだけの回転の速さを持ち合わせていた。
伊達に魔術師をやってはいない、そうジュライは頼もしくさえ感じる。
「いつでも対応できるようにしとけ。普通なら、とっくに朝飯を運んでくる時間だ」
テントの生地を透かして入ってくる光は、朝の陽の光ではなく、変わらぬ紅。それであっても、様々な身体感覚からほぼ正確な時刻を、睡眠を挟んでもなお把握し続けることができるというのは、ジュライが冒険者としても一流であることの証拠であった。
だが、騎士たちは三人の捕虜のことなど忘れ去っているかのように、物音をさせ続けている。
まさか、そうやって警戒心を抱かせることが目的だったのではないか、と思えてきた頃。
突然、テントの垂れ幕がばさりと乱暴に打ち払われた。それに反応して、ジュライは素早く腰を落として剱を抜き払う。
入ってきたのは昨日までのメロウではなく、甲冑を着た一人の男であった。両者の視線が互いにぶつかりあう中、男はジュライから目を背け、背後の二人を見る。戦う意志はない、そう言っているように、男は無手のまま、だらりと腕を下げているだけだ。
「来い」
男は短く命ずると、相手の反応を待たずにテントに背を向ける。拍子抜けした顔をしたジュライは、アウレティカと結女と顔を見合わせる。
「行ったほうがいいですよ、別に殺されるふうじゃない」
「そう祈るよ」
ジュライはアウレティカの言葉に曖昧に頷くと、剱を鞘に戻した。
三人がテントの外に出ると、既に周囲の光景は昨夜とはがらりと異なっていた。
無数に並んでいたテントはあらかたが片付けられ、紅の光が男たちの甲冑に奇妙な陰影を宿していた。
そんな中、三人を捕らえたエセル中将は、兜を脱いだままの甲冑姿で、馬上にあった。
「急な話ではあったが、我が部隊はこれより王都へ帰還することになった」
エセルは重々しい口調で話し始める。
「だが、お前たちを王都まで連れて行くわけには行かぬ」
エセルの言葉に従い、脇に控えていた騎士が何かを取り出した。やおら槍で突かれるのではないかと過敏に反応するジュライであったが、予想に反して取り出したのは、大きめの革の袋であった。
騎士はそれを投じ、結女が受け止める。皮袋はずしりと重く、肉の香りがした。
「川はすぐ近くにある。ここに捨て置くことになるが、せめての情けだ、受け取るがいい」
皮袋を結女が開くと、中には干し肉と固い携行食用のパンが入っていた。
それだけを言い残すと、エセルは手綱を引き、馬を進める。それに倣い、騎士たちも無言のまま、三人のすぐ脇を次々に通り過ぎていく。
呆気に取られる三人の眼前を、ふと見覚えのある顔が行きすぎようとする。
メロウであった。
皆と同じように馬に乗り、軽装のままの彼女と、目が合った。
同じ部隊に属する以上、上官の命令は絶対なのだ。メロウの瞳には、謝罪の訴えが満ちていた。
だが、ここでそれを口にすることは出来ぬ。仲間の見ている前であるが故、無言で頭を垂れることすら、できぬのだろう。
ただ、視線を向けることだけ。
名残を惜しむように、メロウは馬上よりじっと見つめる。
『<緋なる湖畔>、あの地は……我々が触れてはならぬものなのかもしれんな』
昨夜、深い森を前にしてメロウが残した言葉が脳裏に蘇える。
我々が触れてはならぬものが、もしあるとすれば。そして、それが今まさに、眼前にあるとすれば。
人は、それを手に入れずにいられるだけの、強き心を持ちうるものなのだろうか。
禁忌とされるものは、そうでないものよりも、一層人の心を惹き付ける。
いつだったか、そんな言葉を受けたことを、結女は思い出す。
思い出しながら、三人は少しずつ遠ざかっていく馬上のメロウを見送る。人影は、うねりながら続く丘陵地帯の、不動の波の向こうに消えやってしまった。
「……もう一度、あの丘に上ってみないか」
誰にともなく、ジュライがそう切り出した。
いきなり、平原の只中で放り出されたのだ。
次に行く当てもないままに、アウレティカはそっと頷いた。




