第十一章第一節<Divine orb>
聖槍騎士団、<緋なる湖畔>周辺にて交戦せり――
その情報が議事堂にてもたらされたとき、人々の間を無言の緊張と動揺が、駿馬のように走り抜けた。興奮が冷め遣らぬ間に、王宮内において開会された緊急会議において、呪務管理局長オーウェン・ファーニバルは含みのある答えをのみ残し、閉会を迎えた。
その後、四日してから第二回目の対策会議が催された。
議題は、聖槍騎士団の今後の対応と、オーウェンの調査結果報告。
だが列席者はオーウェンの調査に期待はしていなかった。今までもずっと、人を食ったような表情を浮かべ、また相手を焦らすような報告だけを残し、真実をひた隠しにしてきたような男である。諸国から、戦力を狙い撃ちにされるという国の一大事においても、その態度だけは変わらぬのではないか。
賛否両論が渦を巻く中、二回目の会議は幕を開けた。議長は前回と同様、獅子皇騎士団元帥クリストファー・ランデルマンであった。それ故、今回はクリストファーの厳格な追及の前に、オーウェンも言い逃れが出来ぬのではないか、とも思われていたのであった。
だが、同席した者らの予想は、会議の幕が上がったと同時に、呆気なく破れることとなった。
クリストファーの指名を受けて素直に立ち上がったオーウェンは、会議の中核とも言える発言を堂々と、しかも明瞭に、口にしたのであった。
「それでは手短に申し上げます。先日、聖槍騎士団と交戦状態に入った呪符魔術の干渉源は……ワルキュリエ共和国、フェリシア領内と判別いたしました」
人々がその発言の意味を反芻するよりも早く、オーウェンは席に戻る。この言葉は、ある意味において、議会におけるオーウェンの主導権を絶対的なものとするに足る効果をも併せ持っていた。
フェリシア領より、クレージェントに霊的干渉。
ワルキュリエ共和国については、周辺各国は以前より注目を詰めていた場所であった。しかしその理由は、共和国内レイシス領における叛乱因子の動向についてであり、今回のフェリシア領においては完全に盲点であった。
否、盲点というよりも、フェリシア領の行動の理由がわからない。どうしてクレージェントに対し、明らかな軍事行動ともいえるような干渉を仕掛けてきたのか。
今回の行動が意味するものは何であるのか。
まるで、通りすがりの見ず知らずな人間に唐突に拳で殴られたような、完全なる困惑が議場を支配していた。
だが、その事実を、報告より以前に知る人間が、一人いた。フィリアゲートより召喚を受けた男、ゾットール・シェルダーリオンである。
「何を迷う必要があるか。これはれっきとした、フェリシア領の示威行為ではないか!」
テーブルに拳を勢いよく叩きつけ、ニコラスが語気を荒くした。
「これについて、しかるべき対処をせねば我等がクレージェントは、臆病者の謗りを受けることは必至……」
「では、国内の情勢については如何お考えか、ニコラス卿」
落ち着いた口調で、アーサー・ソーンダイクが釘を刺した。
「呪符干渉一つで即時軍事行動をとれば、国民のいらぬ不安を扇動することにもなりかねん。これは子どもの喧嘩とは違うのだよ、お分かりか?」
「しかし、干渉一つと申しましても……」
今度ばかりは、臆病者の異名を持つニコラスも容易に引き下がるということをしなかった。そして、その心情は会議に列席する幾人かの者と、同じくするものであった。
「アーサー卿」
口を開いたのは、静かに卓上で指を組んだままのゾットールであった。その言葉、そして人間には決して真似のできぬ、繊細な旋律を含んだ響きのある深い音色の声に、一堂は水を打ったように静まり返る。
「フェリシア領内には、あの巨大な霊珠がございます」
―――霊珠。
その単語に、はっと我に返るような顔つきの者が、幾人かはいた。
それは完璧な球体を象った、透明な宝珠であった。直径1メートル45センチのその宝珠は、材質や生成年代、目的、製作者その他一切の情報が不明な出土品であった。
旧オールマイア、ハルクースト領内地下において、地質学者と考古学者らが口を揃えて主張する古代都市の残留区画があることを認めるとすると、フェリシア領内より発掘されたその宝珠もまた、そうした古代文明の技術によって生成されたものである可能性が高かった。
だが、研究が怠っていたわけではない。文献には一切が記されてはいないものの、現存する魔術技術において、その宝珠が強い魔力融和性を持つことは立証されていたのだ。
つまり宝珠それ自体に付加魔術をかけたり、またあらかじめ宝珠に魔力を封入しておくことにより、本来の魔力を一時的ではあるが増幅することが出来ることが証明されているのであった。
魔力それ自体を一つの力の波と捉えるならば、宝珠は光を収斂させるレンズの役目を果たす―――この仮説は数多の実験によって確立し、現在では魔術師であれば知らぬ者など折らぬまでの存在にまで、名を高めたものであった。
そして、霊珠の存在をゾットールがここで持ち出したことの意味を、人々は読み誤ることなく理解することが出来た。
「<ジェシカの壁>を破る目的で、フェリシアの霊珠によって呪符魔術の作業効率を高めたと?」
「可能性の問題です。私はあくまで、その可能性もありうる、と申し上げたまで」
もしその話が本当であれば、事態はさらに深刻なものとなるはずであった。何故なら、フェリシアの霊珠はワルキュリア・ヴァルエーク条約によって、正式な手続きさえ取ることができれば、その利用は他国の魔術師や技術者といえど、可能だからである。
もし、フェリシアが悪意ある同意を示したということは。
大陸に潜む、姿の見えぬ貪欲な悪意の魔獣が、身じろぎをしたかのような戦慄を感じさせるには充分であった。
「では、如何様な手が最善とお考えか」
口調こそは大人しいが、声に不可視の刃を含ませたアーサーがゾットールに詰め寄った。霊珠の存在をここで口にすることで、参加者にいらぬ動揺を与えた者に対して、アーサーは主導権を再び回復させるために言葉によって圧力をかけようというのであった。
その意図はすぐにゾットールにも知られるところとなったのだが。
「然様」
ゾットールは頷きつつも、改めてこの会議の中に漂う粒子の帯びる気配に、辟易した。
国家の危機に対して開かれた会議においてもなお、そうした瑣末な権力闘争を持ち込むという、狭小な感覚が理解できぬのだ。
今はそうしている場合ではなかろう。幾度、その言葉が喉元に競り上がってきたことか。
そのたびに、ゾットールは意志の力によって、それを胸元深くに押し込めてきたのだ。
だがその我慢も、そろそろ限界に達しようとしていた。
「恐らく、アーサー卿におかれましても、ラスケイピアそしてワルキュリエに対し、宣戦布告を叩きつけるなどという愚行は犯しますまい。このような国家の元で戦を起こそうものなら、クレージェントは必ずや、外なる敵ではなく内側から、滅びましょうぞ」
その言葉に眉を動かしたのは、オーウェンであった。
「貴族院三冠、だな?」
言葉が珍しく大きく響いたのは、その場にジュリアン・アイアトンがいなかったせいであろう。貴族院の管轄である獅子皇騎士団上級大将のジュリアンを欠いた席上において、貴族院に対する発言は人々の心を揺さぶった。
それは、如何なる時でさえも側耳を立てている者がいるかもしれぬ、という警戒に真っ向からぶつかる態度でもあったのだ。
「貴族権益を剥奪され、今国内において不満が高まっているのは民衆よりも奴等のほう。となれば、戦乱に乗じ、貴族院が内側から獅子身中の虫となって暴れよう展開は、充分に想像できような」
オーウェンの発言を受けて、ゾットールの胸中にはもう一つの、不吉な仮説が浮かんできた。だがそれは、今ここで口にすべき事柄ではない、という判断から、彼の唇は言葉を紡ぐことなく引き絞られた。
「失礼、私は先刻、具体的な対策案を、貴殿に尋ねたつもりなのだが?」
「分かっております」
軽い頭痛のする頭をなんとか叱咤し、ゾットールはアーサーを視界から外した。
「国内情勢の安定もありますが、呪符干渉を黙って見過ごすことはないでしょう……ならば、各国への調査派遣を、騎士団よりお願いしたい」
言葉の上では、騎士団という特定を避けたが、人々にはそれがどれを指す言葉なのか、もう分かっていた。
「事の真偽を正し、同時にクレージェントの対応もはっきりと見せ付ける。これ以上の対策がおありであれば、お聞かせ願いたい」
ゾットールの視線に同調するように、列席する者のほとんどが、アーサーへと顔を向けていた。




