第九章第一節<Doubt>
結女の禁呪によって、凶鳥の襲撃は終焉を迎えていた。
無傷とまではいかないものの、傷を自己修復するという、悪夢の産物としか考えられぬ相手三体を前にして、負傷者二十名死者なしという数字は幸運というべきであった。
メロウを含め、ほとんどの騎士たちは戦闘後の復旧作業に勤しんでいた。
事前に渡された情報では、この地区における戦闘は考慮されておらず、また戦闘状態を想定に入れぬ隊列、兵装、兵数であったためであった。部隊再編と緊急時の対策会議、その他の諸労務に追われる中、アウレティカ、ジュライ、結女の三人は改めて、エセル中将の前に並んでいた。
呼び出された用件は、明白であった。
先の戦闘において、結女の術の貢献は大きい。恐らく、あの結女の禁呪がなければ、もっと被害は拡大していてもおかしくはなかったはずであった。
だが、その事実をエセルがどのように受け止めているのか、が問題なのであった。
普通に考えれば、結女の功を労うものであろう。しかし自尊心の強いエセルの性情を考慮すれば、己の騎士としての力が結女の術に遅れを取っていると見せ付けられたと取られかねない。著しくプライドを傷つけられたエセルが、彼等に対して不当な対応をすることは充分に考えられることであった。
ゆえに、召喚を受けた三人の胸中は複雑であった。
しかるべき人間に対すれば効果を持つゾットールの書状も、この場で握りつぶされる虞すらあるのだ。
まこと不本意ではあったが、ここはエセルをこれ以上刺激せぬような言葉を選ぶ必要があった。
エセルのテントに足を運んだ三人は、剥き出しの地面の上で膝をついた。無言のまま三人を迎えたエセルは、ややあって深い溜息をついた。
「お前たちは、旅と雇いを生業とする者だな?」
「……ああ」
短い間を挟んで、ジュライが頷いた。エセルの両脇に控えた兵士が、敬語を使わぬジュライの返答に反応しようとするが、エセルがそれよりも早く、手を伸ばして制する。
「ならば問いたい。我が軍を襲った、あの鳥を見たことがあるか」
「一度もございません」
今度は、結女が先に口を開いた。それは、答えを逸早くエセルにもたらすというよりは、こうした形式的な場に不慣れと思われるジュライの返答を封じるという目的からであった。
「もとより、あの鳥は現実に生きている鳥ではなく、何者かの魔術によって作られた幻です」
結女は、凶鳥を解呪した際に手に入れた、破れた呪符のうちの一枚を、改めてエセルに差し出した。
「ということは、我等がこの地に向かっていたことを知っている者がいる、ということか……?」
「詳しいことは、存じ上げません」
今の時点で、事実確認が出来ないことは、口にしないほうがいい。エセルは腕を組んだまま、じっと固い表情のまま、黙考していた。
<緋なる湖畔>への遠征の情報が、何処で漏洩したのかなど、エセルには分かろうはずはない。
今、彼の頭の中で渦巻いているのは、疑念の塊であった。
あの魔物にもし、この者たちと出会わなかった時点で遭遇していれば、間違いなく騎士団は壊滅とまでは行かずとも、被害をこうむっていた。運が悪ければ、任務遂行に障害が出ていたかもしれない。そうなれば、まずエセルの指揮官としての資質を問われることとなり、また聖槍騎士団の貴重な兵力を減退させることにもなる。エセルの騎士団の中での立場は著しく不利なものとなり、また同様にして軍務省においても目をつけられることとなろう。
自分をそうした罠にはめる、可能性のある人間を四人目まで数え上げたところで、エセルは思考を中断した。
「第二の襲撃が続くかも知れん。全軍に、警備体制を強化するように伝えて来い」
「はっ」
部下の兵士が、エセルの命を受けてテントから出て行こうとしたが、布を捲り上げる直前にちらりとこちらを振り返り、そして慌てて姿を消す。慌しい足音が去っていってから、エセルは腰を上げると三人へと鋭い視線を改めて向けた。
「ところで、お前たち……ここで、何をするつもりだ?」
それは三人にとって、最も答えにくい質問であった。もとより、確固たる理由があってこの地を目指しているわけでもない。かといって、それを正直に言ったところで、信じろというほうが無理なほどに、不審な言い訳に聞こえることだろう。
エセルの問いにどう答えるか。
結女とジュライが顔を見合わせ、背中にいやな汗を感じたときであった。
「人を、捜していました」
それまで一言も発していなかったアウレティカが、よく通る声でそう告げた。
はっとなったのは、エセルではなくジュライと結女。
「人、だと?」
「はい、名も知りませんが、その方は湖について、話していました。ですから、湖の近くにいらっしゃるのでは、と」
アウレティカの口にしたことは、全くの嘘ではない。フィリアゲートで、結女を侮辱したあの魔術師の男を捜している、という話は、むしろ正しい。
しばし腕を組んだままの姿勢を崩さず、アウレティカの視線を受け止めていたエセルはややあって深い息を吐いた。
「まあ、お前たちが何を考えていようと、そんなことまでは関係はないがな」
それは、半ば冒険者に対する蔑視の念がこめられていたようであった。しかし如何に軽蔑されたとはいえ、ここで不当な拘束を受けるよりはましだ。
もともと、根無し草の生活をしている以上、足を止めた村から石を投げられるように追われたとして、それは一晩の宿を失う程度のことでしかない。
「まあ、お前たちの実力がどれほどのものかと言うことも検分できたのはよしとしよう」
エセルは立ち上がり、緩慢な足取りで歩み寄る。
「拘束はせんが、テントの外にみだりに出ることは許さぬ。我等がこの地より撤収するときまで、自由行動は一切禁ずる」
エセルの言葉通り、三人は縄によって自由を奪われることはなかったが、兵士の見張りのあるテントの中に軟禁状態にあるまま、夜を迎えた。
三人ともに、日没後に与えられた食事を終えてしまうと、話すこともなくなってしまった。普通の状態であればまだしも、会話が全て兵士に筒抜けになっているという状態では、迂闊なことは話せない。
そのままに夜も更け、いつしかテントの外の気配も静まり返ったころ。
毛布がむくりと動き、ジュライが上体を起こした。
気になることがあったのだ。
こんなことになるのなら、もっと早くに聞いておくべきであった。アウレティカの名を呼んでみるが、夜の空気のなかで、その声は意外にも大きく聞こえた。
三度呼んでみても、アウレティカが起きる様子はない。眠っているところを、わざわざ起こすまでもないか、と自分を納得させようとしたとき。
「気になるのね」
起きていたのか、それともジュライの声で目を覚ましたのか。
仰向けのまま、結女が声を落として囁いた。
「……脅かすなよ」
薄闇の中に話しかけると、結女もまた、体を動かした。寝返りを打つようにうつ伏せになり、少し離れた場所で眠っているアウレティカを、頬杖をついて眺めていた。
「この子が、秘蹟能力者だったなんて……あなた、心当たりはないの?」
「あったら、今頃聞いてる」
無愛想だが簡潔な答えに、結女は溜息を漏らした。
「……まぁ、そうよね」
外は、風が強いようだ。テントの布は波打ち、どこか近くでも同じようにばたばたと布がはためいている音がする。
「アウレティカの能力……何なのかしら」
武具顕現であれば、襲撃を受けた時に使っていただろう。呪紋顕現であったなら、フィリアゲートでの魔術師がアウレティカを見たとき、何かの反応をしたはずだ。
技能顕現か。
「自分でも、気づいてないってこともあるんじゃねえか? こういっちゃ失礼だが、あいつはすげえ田舎の村で暮らしてたんだ……秘蹟能力者として偶然に生まれてくれば、農村じゃあそんなことにも気づかねえだろうよ」
そうなのかもしれない。
秘蹟能力は、それ相応の力を引き出す環境になければ、あまり気づかれることはない。
そもそも、秘蹟を発動させる際に必要な、「御名」と呼ばれる言葉は、それ自体が密儀なのだ。おいそれと一般の人々が知ることはできないし、また知ったとしても、数多くある御名のうち、どれが自分の能力を発動させられるものなのかもわからぬ。
今わかることは、アウレティカのなかには、秘蹟能力があるということだけなのであった。
それが何であるのか。
分かる日は、果たして来るのだろうか。
風の奏でる不協和音を子守唄に、二人はそれぞれの不安を胸の奥に押し込め、再び瞼を閉じた。




