第八章第三節<Lance of Georgius>
凶鳥は、テントの上を掠めるようにして、最初にいた位置から五十メートルは離れた場所へと倒れこんだ。
その躰の下で、テントの四本の支柱が大きく軋み、たわむ。暴れながら飛んだ凶鳥の鉤爪がテントの生地を引き裂き、絡みつくようにして引き剥がされたのだ。
身を固くするメロウの眼前で、それまで衛兵が護っていたテントの中身が、露になった。
テントの中にあったものは、メロウの予想をあらゆる意味で違えるものであった。武器でも、魔術の道具でも、また大陸の東にあると聞く火と爆風を生む黒い砂塵でもなかった。
支柱に縛り付けられた、三人の男女。見たところ、それは軍人のようには見えなかった。
一般人か。
ならば、どうしてこんな軍の駐屯地に、一般人が、しかも捕縛されているというのだ。
だが、その逡巡を振り払わせるようにして、手負いの凶鳥が地霊を呼ぶが如き深く響く声を発する。既に、幾度も躰を光の槍で貫かれているにもかかわらず。凶鳥はむくりと立ち上がると、力強く翼を振るい、天へと舞い上がる。
まさか。先ほど、翼を破られ、既に瀕死であったはずなのに、何故。
幾つもの疑問が交錯する中、メロウには一つだけ分かっていることがあった。
一刻も早い、三羽の凶鳥の殲滅は喫緊の任務。それをなくして、問いを抱き続けることは出来ぬ。
ぞわぞわと輪郭を不明瞭にしている闇色の羽毛は、傷を塞ぐ力を有しているというのか。一気に致命傷を与えることが出来なければ、今のように、修復してしまうのだとしたら。
メロウは、頭上に舞い上がった凶鳥を見上げ、ついで三人に視線を移す。
そのうちの女性と、ふと目があった。猿轡のように、布を噛ませられているために、言葉を発することは出来ぬ。しかし、何らかの意志に満ちた瞳で、じっとメロウを見据えていた。
無言のうちに交わされる、意志の疎通。
メロウは数秒で意志を決すると、地に落ちた剱を拾い上げ、三人の縛り付けられた柱へと駆け寄った。
どの道、このような乱戦の只中で身動きが取れないのならば、早々に命を落とすことは必死だ。メロウは素早く、三人の手首に食い込んでいる縄の結び目に刃の切っ先を当て、鋭利な先端で縄を切り始めた。
思ったより刃は鋭く、短時間で縄にほころびが出来、さらに繊維の断絶は深くなった。半ば引き千切るようにして両手を自由にすると、あとは彼等が自分で動いた。痺れた手首を軽く回すと、後頭部で結ばれた布を解き、顎と舌を解放する。
「あれは何だ」
「わからない」
ジュライの問いに、メロウは短いが正確に答える。
名を交わすなどはあとでいい。今、必要なのは、現状を正しく、冷静に分析することだ。
メロウは槍を掲げると、その柄を額に押し当てた。はっとなる三人の前で、メロウは目を閉じたまま、小さく呟いた。
<屠龍の力を我に、聖なるGeorgius……その御身に宿る加護をも我に!>
先刻の、騎士団を包んだ光がメロウを包む。
メロウもまた、騎士団に在籍する以上は秘蹟能力を持つ者なのであった。
しかし、見よ。馬を駆らぬままのメロウは、防具と呼べる類のものは何等身につけてはいなかった。それでも、光の導きによって、全身には重装甲冑が纏いつくように出現したのだ。
重量にして、大の大人であっても馬に乗らねば動けぬほどの、分厚い鋼鉄の板からなる、フルプレートメイルである。それを身につけながら、メロウは苦悶の表情一つ浮かべぬ。
本当にメロウが鎧を身に着けていたのであれば、動くことは愚か立っていること自体、苦痛であるはずなのに。生半可な筋力であれば、あっという間に大地に引き倒され、大の字になったまま、誰かに鎧を脱がせてもらうまで、手首一つ動かせないであろうにもかかわらず、である。
さらに驚くべきは、彼女の手にある槍であった。
五つの切っ先を持つその槍は、他の騎士の持つ武器よりも優に二回りは大きいものであった。鋭く研ぎ澄まされた切っ先で標的を貫くと同時に、槍の持つ重量と刺突の際の衝撃力を併せて相手を粉砕する、重量武器であった。
武器と防具、それらが一瞬にして物質組成され、メロウはそれを纏う。改めてその力を間近で見ることが出来た三人は、息を呑んだ。
これが、秘蹟能力者の実力なのか。
だが、いつまでも驚いていることは出来なかった。頭上に一時離脱した凶鳥は、今や受けた傷の大半を塞ぎ、回復させ、反撃の機会を狙っているではないか。
「あなたたちは、戦えるの?」
「無論」
頷いたのは、結女であった。
「どんな化け物でも、この世界に存在している以上は、私の術は効くわ」
「それは頼もしいわね」
メロウは凶鳥に視線をあわせた。
頭上に一体、離れたところに二体。どう、殲滅するか。
メロウが、ジュライが、アウレティカが考えるよりも早く、結女が動いた。
異国の奇妙な言葉とともに、結女は指に黄色く縦に長い紙片を挟み、鋭い視線で凶鳥を射た。怪訝そうな顔をするメロウの隣で、ジュライは笑みすら浮かべていた。
これが、噂に聞くヴォン・ヨー・ズか。
大陸東端で生まれ、独自の進化を遂げた、亜流の術体系。結女の唇の間から短く呼気が吐き出され、手首を一閃。紙片はまるで、投擲された短刀のように空を裂き、弧を描き、凶鳥に肉迫する。
「だめ、あれは傷を」
傷を癒す力を持つ、そうメロウが言いかけたときであった。
「禁!」
ぱん、と勢いよく手を打ち鳴らした結女が、女とは思えぬほどの気迫を乗せた声を放った。
続いて響いたのは、凶鳥の上げた驚愕と混乱の雄叫び。それまで、巨大な翼で悠々と空を泳いでいた凶鳥は、呆気なくその巨体を再び地に落とした。
何が起きたのか、理解できたものは皆無であろう。だが、戦闘における相手の隙を看破する能力は、ジュライやメロウ、そして騎士団の人間は有していた。
今度は、同じ過ちは犯さぬ。その決意を体現するかのように、執拗な集中攻撃によって、凶鳥の回復能力を遥かに凌駕する攻撃力によって、凶鳥の巨躯に光の槍を打ち込んでいく。それはまたメロウも例外ではなく、彼女の槍の刺突は五筋の閃光となって、黒い羽毛を引き裂き、四散させ、地に縫いとめた。
結女の術によって、勝敗の大半は決していた。
彼女の術は、ヴォン・ヨー・ズの正道においては秘術とされた、禁呪と呼ばれるものであった。東方呪術観における禁呪と言う呼び名は、禁じられた呪術という解釈ではなく、「禁ずる呪術」であった。
すなわち、この世界の事象のあらゆるものを禁ずるのだ。鋼を禁ずれば錆び朽ち果て、刃を禁ずれば如何な名刀といえどなまくらとなる。つまり、彼女は凶鳥の翼を「禁」じたのであった。
飛行能力を喪失させ、こちらの攻撃可能圏内に留める事が出来れば、回復能力を持っているとしても恐れることはない。それによって、飛ぶことができなくなった凶鳥は、攻撃と回避の双方において絶大な依存をしていた翼をもがれたも同然となり、またそれは通常の傷のように回復可能な損失ではなく、結果として命を落としたのであった。
だが、三羽の凶鳥が動かなくなった後も、結女は表情を緩めることはなかった。鋭い視線のまま、地に伏せた凶鳥をねめつけていると、やおら足元の一体に向け、懐から取り出した直刀を投じた。
それは動かぬ凶鳥に突き刺さったかと思うや否や、即座に鳥の輪郭は失われ、霞と消えた。
残るは、刃に貫かれた、正方形の紙片だけであった。結女は足早に近寄り、刀を抜くと、破れかけた紙片を取り上げる。
「今の相手は、本物の鳥ではありませんね」
狼狽するエセル中将に向け、結女は紙片を突き出した。そこには赤いインクで、円の中に幾何学的な紋様が描かれてあった。
「呪術によって放たれた、私の世界でいうところの式神です。お心当たりはありますか、エセル中将殿」




