第八章第二節<Sinister birds>
暮れなずむ空の彼方から、近づいてくる影があった。
メロウの視力は、その形をはっきりと捉えていた。
逆光になるために、細部までは見て取ることが出来ない。だが、ゆっくりと大きな翼を羽ばたかせながら、こちらへと向かってくるその姿から、相手が恐ろしく巨大な鳥であることは容易に想像がついた。
距離感が分からない。それほどに、鳥のシルエットは異様に巨大であった。
翼の差し渡しは、推測でも数メートルはあろうと言う規模である。そのような、巨大動物が生息していると言う情報は、この地方には今まで存在していなかった。
突然変異か。
それとも、湖の魔力の所為か。
しばし呆然となるメロウの傍らを、慌しく男たちが走り抜けていく。翼ある相手に、どう戦うのかという問いは、彼等が準備を進めている武具によって答えが出された。
巨大な弩。車輪のついた木組みの土台に、丸太の先に鋭利な穂先を括りつけた武器が、天空に向かって突き出されている。
同時に、メロウはまた有効な戦法だ、と納得した。巨大な体躯を持つ相手は、通常比例して緻密な動きが出来ない。巨体それ自体を武器として、突進してくることはあっても、回避能力は逆に劣っているのである。
それは空を飛ぶ動物であったとしても、同じであるのが道理。翼を破り、また腹を貫けば、如何に巨大な鳥といえど、ひとたまりもないに違いない。
見る間に発射準備が整えられていく手際のよさは、やはり騎士団の日ごろの訓練の賜物か。引き絞られ、あとは発射の号令を待つのみとなった五台の弩に向け、鳥はゆっくりと、そして大胆に、接近してくる。
発見された時と比べ、鳥の大きさが二倍ほどになったときであった。
「撃てッ」
エセル中将の号令とともに、五つの弩が天空に向けて発射された。矢尻についたロープは見る見る巻き上げられ、たとえ初撃で致命傷を外しても、命中さえすればそのロープを牽引することで、相手の飛行能力を失わせる働きのある武器であった。
だが、次の瞬間、男たちは驚愕と絶望の深い深淵が足元に大きく口を開けていることに、気づくことになった。
恐ろしい勢いで飛来する弩は、多くの男たちの見守る中、軌道を逸らし、くるくると回転をしたのである。
それが、鳥の翼の生み出す、常識を遥に逸脱した風圧による乱気流であると気づくよりも早く。気流に弄ばれ、また翼に激しく打ち据えられた丸太は、今度は巨大な打突兵器と化して地上にいる男たちに襲い掛かった。
悲鳴と混乱の怒号の中、五つの丸太は大地を深く抉り、幾人かを薙ぎ倒し、突き刺さることになる。
そして同時に、鳥はその異様な巨体を大地に舞い下ろさせた。
メロウの推測は間違ってはいなかった。まるで漆黒の焔を纏ってでもいるかのように、鳥の体躯の表面はちりちりと黒い影が明滅している。四メートルはあろうかと言う体躯から生み出される羽ばたきは、疾風となって騎士を襲う。
長い首をもたげ、本来であれば眼球があるはずである、嘴の上の部分には、深い裂傷がいくつも刻まれていた。黒曜石のように光る嘴からは、赤く膨れた舌が時折覗き、まるで人肉を求めるかのように睥睨する。まさにそれは、凶鳥と呼ぶに相応しい、悪夢の産物であった。
それが、三羽。がっしりとした、蜥蜴にも似た足が大地を踏みしめることなく、地表すれすれのところで滞空しているその間に、男たちは素早く次なる行動に出ていた。
武具をつけ、馬に乗り、槍を構える。
双眸を凶鳥から刹那も離すことなく、しかと見据え。
手に掲げた槍を、中空へと突き上げ、叫ぶ。
「屠龍の加護持つGeorgius、我に力を!」
「Georgius、我に力を!!」
エセルに続き、配下の騎士たちも呼応するように高らかに唱える。
すると、見よ。それまでは、何処の軍隊にもあるような、量産品としての鉄の槍でしかなかったそれは、それぞれの騎士たちの手の中で、光り輝く五つの穂先を持つ槍と化しているではないか。
しかも、騎士たちの着込んだ甲冑にも異変は起きていた。光は明度の差こそあれ、一様に甲冑全体を包み込み、兜からは雄牛の角のような装飾をも生み出しているではないか。
これこそが、クレージェント国軍務省直属の騎士団員には不可欠とされる能力、秘蹟なのであった。
そのうち、彼等が持つ力は<武具顕現・槍>。武器としての槍だけではなく、相応の棒状の物質であるならば、いつでも精神力に呼応させ、御名を唱えることによって、光の槍を生み出すことが出来るのだ。
突如として出現した、魔を祓う聖なる光に、凶鳥はたじろぎはしたものの、撤退しようという気はないようであった。鳥の攻撃の意図が空腹によるものか、それともどこかに魔獣使役術者がいるのかは分からぬが、交戦は避けられぬ。
嘴を開き、堤防が決壊するほどの濁流の渦のような声を上げると、凶鳥は攻撃を開始した。
その翼に向け、数条の光芒が放たれたことが、戦闘開始を告げる合図となっていた。
先刻の弩とは違い、初撃を甘く見ていた凶鳥のうちの一羽が、翼を貫く一撃を蒙った。悲鳴を上げ、飛行能力を失い、どうと地表に落下するや否や、近隣の騎士は我先にと殺到し、留めの一撃を加えようと逸る。
だが、やはり凶鳥は翼をもがれた程度で戦意を喪失するような相手ではなかった。無事なほうの翼を打ち振るい、そして鎌首をもたげ、一人でも多くの道連れの魂を伴って冥府に落ちようとでもするかのように、反撃の手は緩まない。
怒号と悲鳴、風圧、砂塵が舞う戦場。
そのとき。
倒れたはずの凶鳥は、やおら首をむくりと持ち上げると、大地を掴むには不得手な足を震えながら踏み出し、何かに気づいたかのように無事な翼を力強く羽搏いた。巨躯を宙に舞い上がらせるには無理だが、無様にではあるが繰り出される槍の牢獄から離脱するには充分過ぎる力で、飛んだ。
それを見たメロウの顔から、血の気が引いた。
凶鳥は、何と自分目掛けて飛び込んできたのだ。
いや、正確には、自分のすぐ近くにある、テントに向けてではあったが。
衛兵が控えているような、貴重品のある場所だ。そこにもし、危険な物資が封印されているのだとしたら。
メロウの鼓動が、もう一度、不規則に痙攣した。




