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新編 Nostalgia Episode7  作者: 不死鳥ふっちょ
第一部  Eternal twilight dominated all of the island.
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第五章第一節<Forbidden Name>

 フィリアゲートに限らず、寒冷な地方の酒は強い。体温を高くする、もしくは保温効果のある料理や食材にも多く使われている。そうとは知らぬジュライは、頼んだ酒にすっかり酔わされ、酩酊状態でテーブルに突っ伏してしまっていた。


 この時期、特に雪が降り始めてからは旅人や行商人も滅多に街を訪れない。それ故、明らかにこの地方の人間ではない格好をしたアウレティカとジュライの二人組みは、酒場に並ぶ人間の注目を浴びていた。


 アウレティカの隣に座っていたのは、大学の教授であると名乗っていた。無精髭を生やしていたその外見からは教授であるなどとは想像がつかなかったが、それが事実だろうと嘘だろうと、アウレティカにはどちらでもよかった。


 ともすれば、すっかり消息を絶ったために間違いなく心配しているであろう、村の人間たちのことを考えて塞ぎがちになる気分を紛らわせてくれるなら。矢継ぎ早に繰り出される質問に答え、そしてジュライの頼んだ酒を何杯も煽っておきながら、酔いすら感じさせないその男の口調に半ば感心していたとき。


「お待たせ」


 アウレティカの正面に、いつの間に帰ってきていたのか、結女が腰を下ろした。


「すっかり待たせちゃったわね……あらなに、こいつ、酔い潰れてんの?」


「そりゃあ、余所者がサラマンダーブレスなんぞ引っ掛けた日には、なぁ」


 男は自分の杯の横に置かれた、焼き物の瓶を結女に指し示した。


「どうだい、あんたも飲んでみるかい」


 結女は手を伸ばし、男の差し出してきた瓶を取り、顔を近づけるや否や。


「何これ……ほんとに飲み物!?」


 たまらずに顔をしかめるその反応に、男は満足そうに笑った。


 サラマンダーブレスとは、地酒の一つであった。臭気からも分かるように、通常の酒など及ばぬほどの強いアルコールを含み、口に含んだだけで焼け付くような刺激を覚えさせる。だが強烈な刺激ゆえに愛飲する者も多く、胃を焼くほどに強い感覚を楽しむのだそうだ。黒褐色の、とろりとした口当たりが特徴的なそれを、男は自分の杯に注ぎ、煽る。


「用件は、終わったんですか?」


「ええ、すっかり待たせちゃったわね」


 結女は笑顔で向き合うと、改めてジュライに視線を落とす。


 泥酔した者特有の、真っ赤というよりは黒い顔色のまま、腕に頭を乗せて眠るジュライは、恐らくは当分は起きないだろう。彼の酔った姿を見るのははじめてであったが、ここで無理に起こすことは得策ではなかろう。


 さっきは、嫌な思いをさせてごめんなさい。


 その言葉は、国立図書館をあとにした時から、もっと正確にはゾットールの部屋を後にしたときから、ずっと結女の胸の中の何処かに引っかかっていた言葉であった。あの男の、如何にも排他的、高圧的な態度のせいなのだが、それとは対照的なゾットールの態度もあったのかもしれない。


 そしてそれは、自分にも当てはまることかも知れなかったのだから。


 今になって、こんなことを言うのは卑怯だ。


 しかし、二人に無理を言って同行させてもらうようにしたときには、単に旅の仲間が欲しいという、それだけの理由だったことを信じて欲しかったのだ。


 私は、二人にあのような思いをさせてしまったのは事実であるのだから。


 言い訳がましくなっても、言わないよりは、謝罪したほうがいい。そう、確かに思っていたのに。


 アウレティカの顔を見、何の夢を見ているのか幸せそうに眠りこけるジュライを見たとき、そんな風に考えていること自体、間違いであるかのような気分になってしまったのだ。


「ここにいる間、誰かに狙われなかった?」


 結女は気持ちを押し込め、そしてアウレティカに小さな声で不安げに尋ねた。頼りにしていたジュライがこの有様で、もしレヴィエラでの刺客がここまで来ていたら。


「大丈夫でした」


 晴れやかな顔で頷くアウレティカ。結女はほっと胸を撫で下ろし、そして、先刻の館長室で盗み聞きをした話の内容を思い出す。


「ねえ、<緋なる湖畔(エスフォート・ライネ)>って、あなた知ってる?」


 アウレティカが返答するよりも早く。


 隣で地酒を舐めていた男の顔色が、さっと変わった。


「あんた、この国に来てどのくらいになる?」


 その表情から、自分が口にした場所が途轍もなく大きな意味を持っていることを、結女は読み取っていた。


「海を渡ってきたのは、半月前よ。大陸になら、もっと前からいるけれど」


「詳しい事情は知らないが、興味本位で話してるなら、今すぐその話は止めた方がいい。俺から言ってやれるのはそれだけだ」


「ちょっと……そんな言い方、逆に気になるじゃない」


 結女は身を乗り出した。


 だが、それ以上の追求を避けようとしているのか、男は先刻までのような、人懐こい笑顔を向けようともしない。その反応が腑に落ちないのか、結女は眉間に皺を寄せた。


「ねえ、その名前は、何かの禁忌なの?」


「僕も、詳しくは知らないんですが……」






 途切れがちに、アウレティカは話して聞かせた。


 <緋なる湖畔>がどのような場所で、近づいた者がどうなってしまうのか。


 周りの人々の耳を考え、できるだけ声を落として。


 知る限りの情報を伝え終え、アウレティカが顔を上げる。その視線を迎えたのは、好奇心と懸念が程よく入り混じった結女の顔であった。


「何か、隠されているのは事実ね」


「そうでしょうね」


 近づくことすら許されぬ、禁断の地。


「この国の人間なら、知らない人なんていません。言うことを聞かない子どもは、湖から来る悪魔に攫われて、親も家も忘れさせられて暗い牢獄に閉じ込められる、って話さえ聞かされるんですから」


 数々の迷信の源流にもなっているその地は、古くから言い伝えの中にまで名を残している。


 この地に長く住むものならなおさら、禁忌として記憶に封印をしていることも頷ける。


「アウレティカ……」


 結女がその先を口にするよりも早く。






「大いなる真理の探求と無知蒙昧なる欲望の相違を解せぬ者、深き奈落へと身を貶める者数多なり」


 結女の背後で、若い男の声がした。アウレティカは、その声がこちらに向けられていることに気づき、視線を上げた。


「…<天空の焔 実践教本>序章、だね」


 視界の先にいたのは、漆黒の髪を持った青年であった。


 癖のない柔らかな髪の下から、こちらを見つめる視線は、明らかに結女の発言を見下していた。白銀の外套を着込んだその下には、胸元に提げたメダリオンが揺れているのが分かる。痩身の肢体を包んでいるのは学徒の纏う服ではなく、また年恰好から講師教授の類でもなかろう。


 しかし彼から感じられる気配には、多くの修練を潜り抜けてきた者特有の匂いがあった。口元に愚か者を嘲るような笑みをへばりつかせ、青年は溜息をついて見せた。


「短い時間で閃く考えなんて、他の誰にだって出来るってことだよ。それにも気づかないで自惚れていく人間は、別に魔術師の中にだっているってことか」


「言ってくれるじゃないの」


 結女は自分に向けた皮肉に対し、勢いよく席を立った。


「さっきの言葉、私たちを莫迦にしてるってことよね」


「それ以外の意味に聞こえたんなら、教えてくれるかな」


 青年は笑みを崩すことなく、結女にちらちらと視線を向けている。


「あんた、何様!?」


「名乗るほどの者じゃないよ」


 結女の激昂など、まるで取るに足らないとでも言うように、青年はカウンターに硬貨を置くと、踵を返して酒場の出口へと向かう。


「待ちなさいよ、ちょっと!」


「話す相手も選ぶようにって、教えられてるんでね。さっきのは僕からの忠告だ……ああ、無料でいいよ」


 完全に頭に血が上っている結女を残し、青年は一度も振り返ることなく、殊更に結女の感情を煽る言葉を残して酒場の外へと出て行ってしまった。

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