#18 静かに狂う歯車
『局長、昨日の件はどうなりましたか?』
『…やぁ、君か』
翌朝――
フロストはいつもより早い時間に出勤し、その足でブラックウッドの元へと向かった。言いたいことはあったが、怒りを堪え、答えだけを待つ。
フロストがブラックウッドへの報告と指示待ちを行ったのは、あくまでも形式上のことであって、本来なら即答で許可が下りるものだと考えていた。だが、保留にされた上、あろうことか、処理もせずに帰宅をしていた。
これまでブラックウッドの人柄や仕事ぶりにマイナスの感情を抱いたことはなかったが、今回ばかりはどうしても理解ができない。一分一秒を争う大事件への介入に、のらりくらりと対応されたのでは、部下に対しても示しがつかない。
『昨日報告しました件について、早急に許可を頂きたい』
『…うむ。その話についてなんだが…』
ブラックウッドの言葉に、フロストは信じられない思いで目を見開いた。
――何かが、静かに狂い始めている。
『いったい、どういうことですか?』
『…』
グレンとノアが出勤してすぐに、フロストから声がかかる。昨日の件だろうと急いで執務室へと来てはみたが、フロストから出た言葉はあまりにも予想外の内容だった。
『証拠がない状態では動きようがないと言われた』
『だから、許可が必要なんじゃないですか』
『踏み込む正当な理由がない。かと言って、不法な潜入はさせられない』
『…』
『君たちの気持ちも分かるが、かと言って、局長は間違ったことを言っているわけではない』
『…』
『証拠がない以上、最悪の場合、君たちの虚言も疑う必要があると』
『そんなッ…本気で言ってますか?』
『もちろんだ。ただ、私は君たちを信じている。それでも、君たちが誰かに騙されているという可能性は否定できない』
『その心配は、ありません』
相変わらず、人の目を真っ直ぐに見つめて淡々と話す上司の姿は、いつも通りのようにも見えるが、どこか違和感を感じる。
――何かが、おかしい。
『今日からしばらくは内勤だ』
『え?内勤?』
『あぁ。根も葉もないことで騒がれたらesもたまったものではないだろう』
『ッ!…まさか…esに筒抜けではないですよね?この話』
『問題ない。局長の判断だ』
『何を言って…』
理不尽な話を当然のように続けるフロストに、グレンもノアも言葉が出なかった。
…味方だと思っていたが、違ったのだろうか。
まさか、本当にesに言ったのか?
だとしたら、すべてが狂ってしまう。
局長はいったいどういうつもりなのか。
こういった時にスムーズに動くための部署が特治であって、その特治において全権限を有する唯一の立場が局長のポストだ。
…部下を信じて、迅速に的確な指示を下ろせないトップなら、必要はない。
『…監は、今のこの状況をおかしいとは思わないんですか?』
『どういうことだ?』
『…』
『とにかく、今日から一週間は内勤だ。外へ出ることは許さない』
『…』
ここまで話すと、フロストは「もう言うことはない。戻れ」と告げて、自分の仕事に取り掛かってしまう。グレンとノアは信じられない思いで、納得もできないまま、それでも、言われたように部署内で仕事をするしかなかった。
――信じていたものが揺らいだ時、人はようやく、自分たちがどれほど危うい場所に立っているのかを知る。
『クソッ!いったいどうなっているんだッ!!』
『…なんか、明らかにおかしくなかった?』
昨日とは打って変わった上司の姿。
異捜と違って特治は大丈夫だと安心したのも束の間――
やはり、上司だろうが何だろうが、信じてはいけないということか?
『…マジでesに言っちまったのかな』
『どうだろうね。まぁ、言われてたらとんでもないことになりそうだけど』
『証拠がないから捜査できないっていう割に、なんでそれをesに話すんだよ。どう考えてもおかしいだろ』
『もし本当に言ってしまったのなら、ちょっとesに行くのは危ないかもね』
『…』
フロストは融通は利かないしドライな性格で、人当たりも良くない。仕事はできるし部下思いな一面もあるにはあるが、総じて付き合いづらい上司だ。だが、グレンはフロストのことを嫌いではなかった。むしろ、このくらいに理知的でクールなタイプの方が、むしろ人として信用できるとさえ思っていた。だが、先ほどの様子を見る限り…
『裏切られたのか?俺たちは』
『…監にはそんな気なかったりしてね』
『それなら、あれだけ人の目を真っ直ぐに見て、何であんなことが言える?』
『…』
『昨日までは信じるに値する上司だと思っていた。でも、信じたとたんに手のひら返しだ』
『…』
『…まともだったら、この事態は絶対に招かないだろ』
『…確かにね』
フロストは、話す時に真っ直ぐに相手の目を見てくる。あのクールで感情の読めない目で真っすぐに見つめてくるので、部下の中にはフロストを本気で怖がって嫌がる者もいる。グレンは、人と話す時に目を合わせるのは当然のことだと思っている上、フロストに対するそもそもの評価が高かったため、特に苦と感じたことはなかったが…
『…全部、いつも通りだった』
『どういうこと?』
『いつもと変わらず、真っ直ぐに俺の目を見て言った』
『…』
『本気だってことだろ?』
『…』
『誤魔化している感じも、迷っている様子もなかった』
『…』
『あれが建前ならどこかに何かしら出るはずだ。でも、何もなかった』
『…』
『つまり、俺たちのことを本気で疑っているってことだ』
この一件だけではなく、グレンは、これまで自分たちが積み重ねてきたすべてに対して、疑いを持たれたような衝撃を受けていた。真意の読みづらいフロストのことを信じた自分がバカだったのか。上司を信用できないとなれば、いったい警察内でどう動けばいい?
『…ノア、暫くは署内だろうが出先だろうが家だろうが、どこにいても絶対に気を抜くなよ?』
『うん、分かってるよ』
監と局長の二人を信用できない以上、身動きが取れないばかりか、たとえ特治内にいたとしても、身の安全は保障できそうにない。




