#10 届かない正体
『お前は、ロキだな?』
『…』
グレンは、これまで生きて来て一度も感じたことのない恐怖とプレッシャーに
押し潰されそうになっていた。
――サイキックの本能が警告を発している。
今目の前にいるサイキックには、自分は絶対に勝てないだろう。
だからと言って、このまま何もせずに殺されるわけにはいかない。
ご丁寧に、相手がシールドを張ってくれた。
…どう考えても自分には崩せそうにない強度のシールドだ。この中で、どちらかが死ぬまで、このシールドはなくならないだろう。
唯一感謝できるとしたら、このシールドのおかげでアレンやノアがとばっちりを食らう心配は無いし、辺り一帯の家々や通行人たちにも影響は出ないということか。
『答えろ、お前はロキだな?』
『…だとしたら、なんだ?』
アレンの奴、まさか、こいつのことを「ルナさん」と呼んでいたわけじゃないよな。確かに、形容し難いほどの美しい容姿の持ち主とは思うが、それにしたって、男じゃないか。
グレンは混乱気味の頭で、再びこのサイキック――ロキに問いかける。
『…なぜ弟に近づいた』
『…』
本当に実在するのかどうかも怪しい存在だった。
「ロキを追う」と決めてからも、心のどこかでは今の今まで、見つかるわけがないという思いも常にどこかに感じていた。
だが、このサイキックを目の前にしたとたん、あり得ない存在だったものが突然にして、圧倒的な存在感を持って、当たり前に目の前に存在している。
――こうなった瞬間、逆に、今までどうやって潜んでいられたのかが理解できなくなるくらいに、圧倒的だ。
『…』
中性的な美しさに加えて、細く華奢な肢体、そして、二十歳そこそこにしか見えない若さ…。
見た目だけなら正直、ノーマル並みに力がなさそうにも見える。
…おそらく、このサイキックのPSIの強大さを本能で感知できない、感知能力の鈍いサイキックには、この者の強さは瞬時には理解できないだろう。
ただ…どうしても解せないのは…まるで、奇跡のようなその見た目。
――ロキはどう若く見積もっても八十歳以上のはず…。
いくらサイキックがノーマルに比べて老いのスピードが遅く、また、寿命を迎える頃にも実年齢の半分以下の若さを保てる存在だとしても…これは、あまりにも若すぎやしないか。
『答えろ!なぜアレンに近づいた!』
『お前に答える義理はない』
言い終わらないうちに、ロキの指先から鋭い閃光が伸びる。
グレンはその閃光をかろうじて逸らせた。
『…弾くことが出来るのか』
『…』
『面白い。それなら、これはどうだ』
『!』
一直線の閃光を弾いた瞬間、今度は逸らせようのないほどの網目となった複数の閃光を放ってくる。
――次の瞬間、グレンの目が真っ赤に染まった。
――見える。
無数に張り巡らされた閃光の「到達点」が、同時に頭の中へ流れ込む。
『――ッ』
体が、思考より先に動く。
一歩、半歩、僅かなズレ。それだけで、致命の軌道がすり抜けていく。
――だが
『…』
完全には避けきれない。肩口をかすめた光が肉を引き裂いた。
『チッ…』
舌打ちと同時に、裂けた傷が瞬時に塞がる。
ヒーリング――
止血と再生を同時に行いながら、グレンは距離を取る。
『…なるほど』
ロキの声が、静かに落ちた。
『未来を見ているのか』
『…さぁな』
軽口で返す。だが、余裕など、まったくない。
グレンにとって、見えているのはほんの一瞬先。
それでも、その「わずかな先」がなければ、今ので確実に終わっていた。
『ならば――』
ロキの姿が、消えた。
『ッ!』
来る。
次の位置は――
『そこだッ!』
グレンの姿が掻き消える。
同時に、空間そのものを圧縮するような衝撃が一点に叩き込まれた。
――ロキが現れるはずだった場所へ。
『…』
手応えはない。
だが、確かにそこに「何か」はいた。
『…読んだつもりか』
声が、背後から落ちる。
『!』
振り返るより先に、全身に圧が叩きつけられた。
空気が、潰れる。
――骨が、軋む。
『ぐッ…!』
咄嗟にサイコキネシスで衝撃を逸らす。
完全には防げない。
それでも、直撃だけは避けることができた。
『…』
――速い。
いや、違う。
…速さじゃない。
『…ズレてる…』
未来が、合わない。
さっきまで見えていたはずの「少し先」が、
微妙に噛み合わない。
『…未来を読むだけでは足りないか』
ロキの声に、わずかな愉悦が混じる。
『その先を「外す」ことも出来る』
『…ッ』
――理解した瞬間、背筋が冷えた。
こいつは、ただ速いんじゃない。「未来に干渉」している。
『…化け物が』
思わず漏れた言葉に、ロキの目からわずかに光が沈む。
『そうだな』
次の瞬間――
世界が、歪んだ。
『――ッ!』
連続でテレポートを重ねる。
一度、二度、三度。
――それでも、気配が離れない。
『逃げ切れると思うな』
『逃げてるわけじゃねぇよ』
余裕など微塵もないが、グレンはあえて笑って見せた。
その瞳は、未だ赤く染まったままだ。
『…ただ、「届く場所」を探しているだけだ』
その瞬間、グレンの姿が再び消える。
次に現れたのは、ロキの真正面。
――距離は、ゼロ。
『――ここだッ!!』
圧縮された衝撃が、空間ごと叩き込まれる。
『…』
――初めて、触れた。
ほんの一瞬。
ロキの輪郭が、わずかに揺らいだ。
『…ほう』
その声は、驚きとも、興味ともつかない響きを帯びていた。
ほんの一瞬、ロキの輪郭に触れた感触が、まだ指先に残っている。
『…』
グレンは息を整えながら、次の一手を読む。
まだやれる。
――だが、その思考が組み上がるよりも先に…
『…やめておけ』
ロキが、静かに言った。
『…何?』
『これ以上は、無意味だ』
『…ッ』
その言葉と同時に、空間を覆っていた圧がわずかに緩む。
だが――気配は消えない。
いつでも、終わらせられる位置にいる。
『…無意味、だと?』
『お前では、届かない』
『…ッ』
言い返そうとした瞬間――外側から、かすかな声が届いた。
『兄さん…?』
『!』
アレンの声だ。
ほんのわずかな沈黙。
ロキの視線が、シールドの外へと向く。
『…』
その一瞬で、空気が変わった。
先ほどまでの圧が、わずかに引く。
『…おい』
ロキが、ふいに口を開く。
『あれは――本当にノーマルなのか』
『…は?』
一瞬、思考が止まる。
『何言って――』
『…』
ロキはグレンの言葉には反応せず、ジッとアレンを見つめている。
グレンもその視線を追って、シールドの外にいるアレンへと視線を向けた。
そこには、何も知らず、ただこちらを心配そうに見ている弟の姿。
『…あいつは、ノーマルだ』
『…』
『間違いなくな』
『…そうか』
ロキが、小さく呟く。
だがその目は、わずかに細められていた。
『…妙だな』
『何がだ』
『あの空間』
『…?』
『あれは、「何も持たない」人間のものではない』
『…ッ』
その言葉に、グレンの背筋がわずかに冷える。
『…それがどうした』
『…』
ロキは答えない。
ただ一瞬だけ、再びシールドの外へ視線を向ける。
『…』
そして――
『殺す理由が、なくなった』
『…!』
『それに』
わずかに、声の温度が落ちる。
『あれに手を出すつもりもない』
『…』
次の瞬間、ロキの姿が消えた。
同時に、周囲を覆っていたシールドが音もなく崩れる。
『…ッ』
グレンは即座にシールドの外へ出た。
『兄さん!?何今の!?大丈夫!?』
駆け寄ってくるアレン。
ノアも、周囲を警戒しながらグレンのもとへ駆けつけた。
『…』
グレンは息を切らせながら、さっきまでロキがいた空間を睨みつける。
『…間違いない』
『え?』
『あいつが、ロキだ』
『…』
そして、もう一つ――
『アレン…お前、あいつに何かされたか?』
『え?いや、何も…普通にお客さんだよ?』
『…』
アレンの言葉に嘘はないようだ。だが…
『…そうか』
グレンは小さく息を吐いた。
『…今後は絶対に、あいつと会うな』
『え?なんで!?』
『なんでって、あいつは「ロキ」だぞ?』
『…』
『存在しているのかいないのか分からなかった伝説上のサイキックが、本当にいた。
しかも、あれは誰にも仕留められない。放置するしかできない化け物みたいな奴だ』
『…』
『そんな奴とこれ以上関わりを持っていいはずがないだろう』
『…』
アレンは納得していない顔をしていたが、それ以上は何も言わなかった。
『…』
グレンは視線を落とす。
――あいつは知っている。アレンの「何か」を。
『…』
それが何なのかは分からない。
だが、――間違いなく、普通じゃない。




