#04 消えた痕跡
二人はグレンのテレポートで立ち入り禁止区域内へと降り立った。
――相変わらず乾いていて、埃っぽい地域だ。
『…一人では来るなとあれだけ言っておいたから、来ているとは思わないけど…』
『分からないよ。あいつバカだから』
ノアの毒舌に苦笑したグレンが、ルーカスが「怪しい」と言っていた、地下通路があるらしい場所の辺りで足を止め、神経を集中させる。
『…』
ゆっくりと息を落とし、意識を沈める。
視覚も、聴覚もいらない。全身の感覚を、空間へと溶かす。
――グレンが持つPSIをかけ合わせれば、その場に残る痕跡を感知することは可能だ。
『…』
そっと、空間に触れる。――何もない。
そう断じるには、あまりにも整いすぎていた。
まるで最初から何もなかったかのように、不自然なほど綺麗に削ぎ落とされている。
『…消されてるな』
『え?』
グレンのつぶやきにノアが問いかける。
だが、グレンはその声に反応はせず、さらに意識を深く沈めた。
『…』
空間に残るわずかな揺らぎ。時間の流れの継ぎ目。
それらが、かすかに重なった瞬間――グレンの感覚が、奥へと滑り込んだ。
『ッ…』
――いる。確かに、この場所に。
断片が、流れ込む。
焦り、警戒、そして、電気のようにざらついた気配。
これは――ルーカスだ。
その輪郭を掴みかけた次の瞬間――全身の感覚が、軋んだ。
『…』
違う。これは、表面に残された痕跡じゃない。
もっと深い層…誰かの手で歪められ、封じられた痕跡に触れている。
そして、その奥で…
「何か」が、こちらを見た。
まるで、人の気配ではない――
『ッ!!』
反射的だった。
振り返るより先に、力が解き放たれる。
空気が裂け、見えない何かを叩き潰すように、圧倒的なエネルギーが空間を薙いだ。
――だが…
『…』
何も、いない。
『グレン、急にどうしたの?』
突然のグレンの攻撃に、ノアが心底驚いてこちらを見ていた。
『…いや、』
ただ、静寂だけが残る。
砂だけが、遅れて舞い上がった。
今のはいったい…
『なに?何かいた?僕は全然気づけなかったけど…』
『…』
痕跡を視ていたはずだ。
それなのに、感じたのは「今、この場にいる何か」の気配。
グレンは、わずかに目を細める。空間は、再び沈黙していた。
だが確かに、ほんの一瞬だけ――
自分の認識の外側に、「存在」があった。
『…ルーカスは、ここに来ていたかもしれない』
『何か、痕跡を見つけたの?』
『見つけたような気がする…でも、その瞬間に、「何か」と目が合った』
『…どういうこと?』
グレンの言葉にノアが表情を曇らせる。
…分かりづらいよな、こんな言い方をされても。
グレンはそう思ったが、他にどう表現していいのか分からないのも事実だった。
『…なんか、まだ背中がゾクゾクしてる気がする。見ちゃいけないものを見たっていうか…』
『分かんないよ。そんな言い方をされても』
『まぁ、そうだよな。ごめん』
『…』
ノアが心配そうな顔で自分を見るので、「大丈夫」と笑っては見せたが、グレンは内心、かなり緊張していた。
――何だったんだ、さっきの気配は。
あれは「人」ではなかった。
まるで異質の、得体の知れない何か…
『…』
ルーカスの痕跡を掴みかけた。それは確かだろう。
だが、その瞬間に「あれ」と目が合ったのだ。
おそらく、表面上に痕跡が何も残されていなかったのは「あれ」のせいなのだろうとグレンは思った。
そして、痕跡が綺麗に消されていたのは、esの襲撃現場も同じ。
――これは、単なる偶然なのだろうか。
『…ノア』
『ん?』
『…犯人は、意外と近くにいるのかもしれない』
『…』
もしかしたら、自分たちが辿り着けないだけで、「向こう」はとっくに、自分たちを見ている。
…もしそれが「ロキ」という存在なのだとしたら…
『…』
そもそも――勝負にすらなっていないという可能性を、なぜ考えなかったのか。
『…一度、ちゃんと話し合おう』
『…』
『命懸けになる…それは、そんなに先の話ではないかもしれない』
『…』
『異捜のやつら、何でまだいるんだろうね』
『確かにな』
二人はT-15地区から直接、esへと立ち寄っていた。
本当ならT-14地区へ移動して聞き込みを続ける予定だったが、グレンが急遽esへ向かうと言い出したのだ。
その直前でのグレンの様子をとても気にしていたノアは、何も言わず、黙ってグレンの指示に従った。
『esには何の痕跡も残っていない。俺たちが外への捜査に切り替えたことも知っていて、まだこれだけの人数をここに寄越しているとは、異捜の部長の考えもまったく理解できないな』
グレンがため息交じりにそうつぶやく。
だが、今はそれもいいカモフラージュになってくれるので助かるかもしれない、とも思う。
…自分たちがesの内部を調べるにあたって、異捜の人間がいてくれた方が、esの意識も分散するだろうと考えたのだ。
『…ノア、あの襲撃現場に何の痕跡も残されていなかったのは、俺もノアも確認したよな?』
『うん、したね』
『あの場は本当に何もなかった。でも、さっき、立ち入り禁止区域内で痕跡を探した時には、一瞬だったけど見つけたんだよ。ルーカスの痕跡を』
『…』
グレンが悔しそうな表情をする。
それと同時に、酷く緊張しているようにも見えた。
『表面上は綺麗に痕跡が削られていた。多分、並のサイキックには読み取ることは不可能だろうなって思う』
『…』
『俺にしたって本当に一瞬だけ…奇跡のようなタイミングで見えただけだ。しかも、見えた瞬間に、邪魔をされた』
『…誰に?』
『分かんね。…人じゃないみたいだったけど、もし…』
『…』
『もし、あの場所の痕跡を消した奴と、さっき俺と目が合った「あれ」が同じ存在だとしたら…』
『…意外と、ロキは僕たちの近くにいるってこと?』
『…』
ノアの問いに一瞬言葉を飲み込んだように見えたグレンが、「まだ断定はできないけどな」と小さく笑った。
『ここの中も調べないとなぁ…』
グレンとノアは、形式だけの報告をヴェイルに行うと、そのままesの建物内をまるで散歩でもするかのように歩いていた。
異捜の人間が動き回ってくれているおかげもあって、自分たちがこの場を歩いていても何ら違和感はない。
『ノア、今日中にこの建物内のすべての監視カメラの位置を把握してくれ』
『…面倒だなぁ…いくつあると思ってるの?』
『仕方ないだろ。本当なら他の建物だって知っておくべきだけど、とりあえずこの棟だけでいいって言ってるんだから』
『はいはい。分かりました』
二人は時折立ち止まったり、あえてesの人間に話しかけたり、捜査の延長線上のような言動を見せながら、今自分たちがいる研究棟のすべての監視カメラの位置を見て回る。
…もちろん、普通の人間には認識できるはずのない地下施設は除いて――




