【第三部】#01 悪夢の再来
『…シヴァ・フォレスト…ですか』
『あぁ、そうだ』
esの最高責任者であるアルドリック・ヴァルディス総裁の部屋に
マーゴット・ヴェイルはいた。呼ばれたのは自分だけではない、
自分の隣には、ナンバー2であるガイウス・レイカー統括執行監もいた。
『もう八十年以上も昔の話だ。当然私も当時の様子は知らない』
『…』
『esの歴史の中でも最高の実験体だったようだが、逃げられた上に、一度襲撃を受け
て壊滅的なダメージを受けている』
『…』
『そのせいで、サイキック研究に関してはその後二十年もの遅れを取った』
『…』
『その者は当時わずか十歳余りだったようだが』
『…十歳…』
『ただでさえ寿命の長いサイキックだが、その者は実験の影響も受けている。おそらく、今もなお余裕で生存している可能性が高いだろう』
『…ですが、さすがに九十を超えるくらいの年齢であれば、気力・体力・PSIの数値全てにおいてピークは十二分に過ぎているかと…』
『私もそうは思うが、実験データを見る限り、その保証はないとも言える』
『実験データが残っているのですか?』
通常の研究データであれば、ランクごとに十年、十五年、三十年保管の末、削除に至る。公にはできない研究に関しても、通常なら三十年から五十年で表面上は削除となる。
――当然、貴重な実験データなので、完全消去とはいかないが、通常アクセスはできない状態となるのが普通だ。それなのに、八十年以上も前のデータが残っているということか?
ヴェイルが驚いていると、ヴァルディスがレイカーを見る。
『極秘中の極秘データだがな。このデータは本来、総裁と私の二人だけにしかアクセス権限のないものだ』
『…』
『代々トップの二人には受け継がれてきた貴重な財産だが、これまでこのデータを開く必要性は一度も起きなかった』
『…では、今はその必要性があるということなのですね?』
『そうだな』
レイカーが勿体ぶった様子で、静かに右手を持ち上げる。
その瞬間、何もない空間に淡い光が収束し、やがて掌ほどの立方体が形を成した。
透き通るような光の中で、無数の文字列と波形がゆらゆらと揺らめいている。
『…』
ヴェイルの視線がわずかに細まる。
それがただのデータではないことは、一目で理解できた。
『触れるな』
レイカーが低く告げる。
『これは「データ」だが、同時に「記録そのもの」だ。下手に干渉すれば、何が起きるか分からん』
そう言いながら、レイカーはその立方体を指先で軽く弾いた。
――瞬間、キューブの一面が静かに展開し、幾層にも重なった情報の断片が空中へと広がる。
数値、映像、記録、そして――異常なまでに歪んだ波形。
『…これは…』
ヴェイルの声が、わずかに揺れる。
『理解する必要はない』
レイカーは淡々と言い放つ。
『ただ一つ確かなのは――』
ゆっくりと、その光の中心へ視線を落とす。
『このデータの主が、未だ存在している可能性があるということだ。あらゆる数値を、ほとんど劣化させることなく…な』
――室内の空気が、わずかに変わった。
ヴェイルは息をのんで総裁に視線を送る。
ヴァルディスはヴェイルの視線に小さく頷くと、イスから立ち上がり話し始めた。
『建物への襲撃事件に加えて、オブザーバーまでやられた。このesのセキュリティを掻い潜って入り込むなど、本来なら絶対にあり得ない』
『…』
『ノーマルの回収にも邪魔が入り、頓挫していると報告が入っている。――これらのことを、我々を相手に可能にできる存在など、「奴」以外にはいないだろう』
『…』
『八十余年前の襲撃事件の際にも、「奴」はたった一人でここのセキュリティを難なく突破し、施設全体が壊滅状態になるまで暴れている』
『…』
『早急に手を打たないと、取り返しのつかないことになる。そこで、主に現場を指揮している君にも情報を共有してもらおうと呼んだ次第だ』
『…はい』
ヴェイルはこれまで、シヴァの存在など微塵も知らなかった。
ここまで上り詰めても知らないことなどあるのかというショックもない訳ではなかったが、それ以上に、グレンやノアでさえ比にならないほどのサイキックが自分たちを狙っているかもしれないと聞いて、無性に恐怖を感じたのだ。
『…』
いや、待て。
確かにシヴァというサイキックの存在は知らなかった。
だが、この既視感のようなものは何だろう…。ヴェイルは一瞬考え、弾かれたように顔を上げた。
『まさか…「ロキ」の正体がシヴァということは…』
『…我々もそう考えている』
『…』
この国に住むサイキックなら、誰しも一度は聞いたことがあるだろう、その名。
桁外れのPSI。一度狙われてしまったら絶対に逃げることは不可能。
誰もその顔を見たことはないのに、畏怖の念とともに長い年月の間語り継がれてきた特異な存在…。
単なる都市伝説だと思っていた。
だから、真剣に探そうなどという気も起きなかったのだが――
『私は具体的に何をすればよろしいのでしょうか』
ヴェイルが保持するPSIは三つあるが、主に「観測・解析・実験」に特化したPSIであり、戦闘向きのPSIは備わっていない。
根っからの研究者タイプと言える。
そんな自分が、この巨大科学研究所を、たった一人で壊滅させるだけの力を持つサイキックと対峙したところで、いったい何ができるというのだろう。
もちろん、研究対象としてはこれ以上ないほどの存在だが、それは、別のサイキックたちにしっかりと捕獲をしてもらった後の話でなければ意味がない。
『…ヴェイル、現場を統括しているのは君だ』
『…』
『そして、間もなく大きな成果を得られるであろう「適応強化計画」についても、君に一任している』
『…』
『どれだけの人員を割いても構わない。在籍するハイレベルなサイキックをすべて
使ってでも、シヴァ・フォレストを捕獲しろ』
『…』
『そして、最強の人類兵器に仕上げるのだ』
『…』
『過去のesにできなかった偉業を、我々の代で叶えようじゃないか』
『…』
ヴァルディスの言葉に、ヴェイルは恐怖を感じるのと同時に、この上ない高揚感に襲われた。
esを壊滅させるほどの能力の持ち主――
そんな規格外のサイキックを、自分のPSIで思う存分調べ尽くすことが出来たら…
そして、このサイキックを兵器化することに成功できれば、esが国を…いや、世界を牛耳るのも時間の問題だろう。
『…承知いたしました。お任せください』
ヴェイルは、最高のモルモットを手に入れ、研究欲を存分に満たし、esの歴史に自分の名を残せるかもしれないと、嬉々として総裁の部屋を後にした。




