#39 残影
翌日――
まだ人けのない早朝。シヴァはリリアの墓の前に佇んでいた。
『…』
…人間とは呆気ないものだ。
一昨日までは確かに息をしていたのに。
自分を見つめて、自分に笑顔を向けて、何気ない日常の中に当たり前に存在していたのに。
『…』
今リリアが土の下に眠っているなんて、シヴァにはまだ実感が沸かない…いや、そもそも理解ができていなかった。
『…』
今墓を掘り起こせば、まだその姿は自分の記憶にあるリリアのままだろう。
だがそのうち、土の中で朽ち果て、自然へと返り、消えてなくなる。
…リリアが、この世からいなくなる。
いや…
『…もう既に、いないのか』
今にもあの弾むような声が聞こえてきそうなのに。
嬉しそうに楽しそうに自分を見つめる笑顔が、振り返ればすぐそこにあるような気がするのに。――自分に能力がなかったばかりに、リリアを失った。
『…』
テレポートがあと一瞬早ければ。ヒーリングのPSIがもっと強力に使えていたら。そもそも…リリアを置いて町へなど行かなければ…
『…』
どれだけ後悔しても遅い。
自分はリリアを助けられなかった。ただ、それだけだ。
それだけのことで…生きる意味を失った。
『シヴァ、あなた、ここを出ていくの?』
ふいに背後から聞こえた声に、シヴァが振り向く。
リリアと親しくしていた村人の女性が、心配そうに自分を見つめていた。
『…そんな恰好をしているの、あなたがこの村に来た頃以来、見ていなかったから』
『…』
『リリアが寂しがるわ。このままこの村に落ち着くことは出来ないの?』
『…』
この女性は、声を掛けながらも、反応の薄いシヴァを見て不安になる。
昨夜はあんなにも涙を流していた。
リリアの話では二人は付き合っていた訳ではなさそうだったが、昨日のシヴァの姿を見る限り、きっと、リリアの片想いではなかったのだろうと、この女性は思っていたのだ。だが、埋葬の翌日に旅立ちの準備のような恰好をしているシヴァを見て、取り残されてしまうリリアを不憫に思うのと同時に、万が一、シヴァが良からぬことを考えていたら…と心配にもなった。
『…シヴァ、出ていくのはいつでもできるわ』
『…』
『せめて、リリアがちゃんと天に召されるまでの間、ここで見守ってあげることはできない?』
『…』
この女性が、村に伝わる死者への風習についてシヴァに話して聞かせた。
『この村には「三灯」っていう儀式があってね、人が亡くなると、家や教会で三日三晩絶やさずに、明かりを灯すの』
『…』
『亡くなった人の魂は、その灯を頼りに「別れの準備」をするのよ』
『…』
『そして、三日目の夜明けに、完全にこの世から離れるの。天に召されるのよ』
『…』
この世を離れる時にはもう、魂は二度とこちらを振り返らないのだと、女性は言う。…それならば…
『俺には関係がない。勝手にやってくれ』
『…シヴァ、リリアは誰よりもあなたに見送ってほしいと思うわ』
『…』
なぜ…
なぜ、自分が、リリアとの永遠の別れを見届けなければならないのか。
別れたいわけではない。この世から完全に消えてなくなる瞬間を、見たいだなどと思うわけがない。
『…くだらない風習だ』
『外から来たあなたにとってはそうかもしれないけれど、大事な儀式なのよ』
『…』
『リリアのことを大切に想うなら、見送ってあげて』
『…』
シヴァは、女性の顔を見つめた。
…リリアが日頃からよく世間話をしていた、仲の良い友人だ。
シヴァとの会話の中にもこの女性の名前はよく出てきた。きっと今、自分と同じように、この女性もリリアの死に必死に向き合おうとしているのだろう。
だが――
『…悪いがそれはできない』
『…』
そう告げると、シヴァは逃げるように村を後にした。
女性は、シヴァの後ろ姿を見送りながら、シヴァの目に光がまったく宿っていなかったことをずっと気にしていた。どうか、辛くても生きてほしい。間違っても、リリアの後を追うようなことだけはしないでほしいと、切に願いながら。
リリアの家は、主を失い寂しげに佇んでいる。
庭で飼っていた生き物たちは、きっと村人たちがしっかりと受け継いで世話をしてくれるだろう。…家の中は、今後誰かが住むのでも問題のないように、綺麗に片付いている。二人が使っていた家具も、食器も、すべてがそのままだ。
ただひとつ、机の上に置かれていた日記帳だけは、姿を消していた。
『やめて…!』
暗い路地の奥で、女性の声が響いた。
数人の男が一人の女性を取り囲んでいる。
…最近こういう事件やトラブルが後を絶たない。
止める傍から発生する…と、小さくため息をつきながら、
音も無く現れた一人のサイキック――
『…』
次の瞬間、空気が変わったかと思うと、
男たちは跡形もなく消えていた。
女性は一瞬、何が起きたのか分からず呆然としたが、
その場に立つ黒づくめの存在に気付き、その顔を見上げる。
『あの…い、今…助けてくれたんですか…?』
何が起きたのか分からない女性が、答えを求めて話しかける。
…が、返答はない。
ただ、静かな視線だけが向けられる。
『…え…?』
女性が何かに気づき、目の前の男性の顔をジッと見つめた。
その顔には見覚えがあった。
『あなた…』
記憶が蘇る。もう十年以上も前の話だ。
自分はまだ子どもだった。友人たちと山で遊んでいた時に、
野犬に襲われて怖い思いをしていた時、
同じように、誰かに救われたことがあったのだ。
美しい銀色の髪に、宝石のように輝く瞳、抜けるように
白い肌を持つその人物に、一瞬、野犬の存在も忘れて
見惚れた自分がいた。男性とも女性ともつかない…
いっそ人間離れをしたような、怖いほどの美しさだった。
そして、そんなにも美しい姿をしているのに、
その人はとても悲しい目をしていた。
氷のように無表情で、確かに自分たちを助けてくれたのに、
どこか背筋が寒くなるような恐怖も同時に感じたのだ。
――そんな存在を、いくら子供だったからと言って
忘れることはできない。…まして、あの時と何も変わらぬ姿で、
再び自分の目の前に現れたのだ。
『あなた…あの時の…?』
『…』
『でも、そんな…だって、あなた…』
『…』
『何も…変わって、ない…?』
男性は何も答えない。
女性が一歩近づく。…夢ではない。
あの後、幾度となく夢に出てきた美しい青年が、
今、自分の目の前に立っている。
『私、あの時、ちゃんと「ありがとう」って
…言えなくて…』
その瞬間、男性の姿は消えていた。
まるで、最初から存在していなかったかのように。
『ッ!?…どういうこと?…今のは、夢…?』
それは、助けられる側にしてみればあり得ない
「二度目」だったのだろうが、
「彼」にとっては当たり前のこと――
もはや、同じ時を生きているのかも分からないほどの
曖昧な存在とも言えた。そして、同じような出来事は、
この後も各地で繰り返されていく…




