#38 遺情
『…』
家の中を片付けたら、この村を出よう。
シヴァはそう決心した。
おそらく、この村の住人達は、シヴァがこの家にこの先も住み続けることを勧めてくれるだろう。だが、リリアとの思い出が詰まったこの家で一人生きていくことは、想像するだけで辛いことだった。
それに、自分は歳を取らない。
今はまだこの村へやって来て二年…見た目の変化がなくても特に違和感はないが、それでも、村人たちにリリアと大して変わらない歳と思われている時点で、シヴァの中では違和感しかない。サイキックの歳の取り方を知っているとしても、シヴァは中でも特殊なため、リリアがいない今となっては、そのうち不気味に思われるようになるかも知れない。
『…』
いや、そんなことはどうでもいい。
要は…リリアがいない――それが、すべてだった。
『…』
リリアは、もういない。
そう思うだけで、息が出来ない。いっそこのまま、死んでしまえればいいのに。
『…』
シヴァは、涙が溢れてくるのをグッと堪えて、リリアの部屋へ入った。
これまでは、当然だが許可なく入ることのなかった部屋だ。シヴァの性格から、そもそも、この部屋に入る必要性を感じたこともなく、リリアから頼まれごとを受けた際に数える程度、入っただけだ。
リリアの部屋はいつだって綺麗に片付いていた。
物をあまり置かず、すっきりと清潔感溢れる空間。だが、一階にあるリビングは反対に、布や小物で温かみのある空間を作っていた。
一度この違いについてリリアに聞いてみたことがあったが、その時リリアは、「眠るだけの部屋はスッキリと、くつろぐ部屋には温もりを」…そう言って笑っていた。
シヴァにとってそもそもインテリアなどまったく興味がなく、何が置かれていても、置かれていなくても、正直どうでも良かったが、リリアのこの言葉を聞いて以来、何となく、リビングで二人過ごす時間が温かく、心地の良いものになっていた。
『…』
机の上に、一冊の分厚いノートが置かれていた。
おそらく日記帳だ。
何度か、このノートにリリアが何かを書き留めている様子を見たことがある。
『…』
そのノートの中身を見たいと思ったことなどただの一度もなかったが、シヴァはふと、そのノートを手に取り、そっとページをめくる。
…盗み見しているような罪悪感はないとは言えなかったが、少しでも、リリアの考えていたこと、思っていたことを知りたいと思った。
『…』
〇月〇日
しつこいダグの誘いから助けてくれた旅人の男性。
歳は私と同じくらいかしら?もしかすると少し年上かも…?
とてもぶっきらぼうで一見怖い人かと思ったけれど、とても親切で優しい人だった。顔も声も、とても綺麗で素敵な人。思わず、強引にこの家に呼んでしまった。呆れていないかしら。(翌日、名前を教えてもらった。シヴァ・フォレスト…とても美しい名前。綺麗なその外見にもとてもよく似合った名前だと思う)
『…』
〇月〇日
シヴァがこの村にやって来て数日。
きっとシヴァはそろそろこの村を出たいと考えていそうだけれど、私はもうしばらく居てほしいと思ってる。一人が長かったせいで、今シヴァと過ごす時間がとても楽しいのと、やっぱり一人で暮らすことの不安や恐怖もある。
でも、私のわがままでシヴァの人生の邪魔をしてしまったらダメよね。
『…』
〇月〇日
シヴァはあまり睡眠が取れていないみたい。
たまに私が夜中に起きてしまった時に、必ずと言っていいほど、シヴァはリビングか庭にいる。…ここにいるのが辛いのかしら。もっとリラックスして過ごしてほしい。
寝る前に飲んでもらっているハーブティーの調合を少し変えてみようかしら。
『…』
〇月〇日
夜中にシヴァと二人で山へ入り、月光花を採取してきた。
狼が出て来てとても怖い思いもしたけれど、シヴァが助けてくれた。日頃あんなにクールな印象なのに、本当に誠実で優しい。それに、月夜に照らされたシヴァの姿は、これまでにないくらいに美しくてとても素敵だったわ。まるで、月の精のようだと思った。…また二人で夜の山にも行きたい。
月明かりの中でのシヴァをまた見たいわ。
『…』
〇月〇日
今日市場でマルタさんに「シヴァとは結婚しないの?」と聞かれた。
とてもビックリしたけれど、自分の気持ちを知られてしまったかのようでちょっと恥ずかしかったわ。結婚も何も、付き合っている訳でもないのに話が飛びすぎよね。でも、思わず想像しちゃったわ。シヴァと夫婦になった未来を。…そうなれたらいいな。でも、シヴァは私のことなんて何とも思ってないわよね。
あの鈍感さん、絶対に気づいていないもの。
『…』
〇月〇日
どうしよう。最近の私はシヴァのことばっかり考えてる。
同じ家に住んで、いつだってすぐ傍にいてくれているのに、ほんの一瞬、離れただけで、頭も心もシヴァでいっぱいになってしまうわ。
…この想いがもしシヴァにバレてしまったら、村を出ると言われてしまうかも知れない。なんとなく、シヴァはこういうのは苦手なように感じるもの。
ちょっと寂しいけれど、シヴァとこれからも一緒にいるためには、私のこの想いは知られない方が良いのかも知れない。それでも、ぜいたくを言うなら、シヴァに私を好きになってもらいたいわ。シヴァから好きだと言われたら、どれだけ幸せかしら。
『…』
〇月〇日
シヴァ、シヴァ、私はあなたの名前が大好きよ。
あなたにその名を付けてくれたご両親に感謝しているわ。
絹糸のように美しい銀髪も好き、月明かりを浴びた湖のように深い色合いをした瞳も好き、陶器のように白く滑らかなその肌も、長いまつげも、薄い唇も、華奢だけれど力持ちなその体や長い手足も、優しくて心地の良いその声も、そして何より、不器用な優しさと誠実な人柄が、何よりも愛おしいわ。
シヴァ、たとえあなたにとっての特別な存在になれなくても構わない。私の傍にずっといて。
『…ッ…』
〇月〇日
こんなことを言うのは今さらかなって自分でも思うけれど、シヴァはどうして私の名前を呼んでくれないのかしら。呼ぶ必要がないのかも知れないわね。だって私、いつでもシヴァの傍にいるもの。
シヴァが私に用があって顔を上げる時、私はいつだってシヴァのすぐ隣で目を合わせてしまうから、きっと呼ぶ暇もないのね。…それって完全に私のせいなんだけれど、それでも、呼んでほしいって思うのは我がままかしら。シヴァの声で、名前を呼ばれてみたい。きっと素敵よね。名前を呼ばれるたびに、ときめいちゃう気がするわ。
…一度で良いから、呼んでほしい。
『…』
シヴァは、せっかく堪えた涙を今度は抑えきれなかった。
この二年、毎日のように書かれていた日記のほとんどに、自分の名が刻まれていた。これほど大切に想われていた。これほど深く愛されていたのに、なぜ気づけなかったのか。…いや、気づいていたのに、それを愛とも認識できずにいただけなのだろうか。
リリアの優しさや明るさ、思慮深さ、思いやり、すべてを理解していたつもりだったが、それが、自分への愛ゆえだなど、考えもしなかった。
『…すまない』
この二年、満足していたのは自分だけで、リリアには寂しい思いをさせてしまっていたのではないだろうか。
『すまない…リリア…』
その夜、シヴァはリリアの部屋で一晩中、泣き続けた。
感情の起伏に乏しい…と最初リリアに思われていたシヴァがリリアのために涙を流す姿は、紛れもなく、普通の一人の人間の姿だった。




