#33 慕情
『リリア、あんた、シヴァとは結婚はしないのかい?』
『え?』
シヴァが村に来て二年の月日が流れていた。
最初こそ「用心棒兼作業手伝い」と紹介していたが、この二年の間でシヴァはすっかりこの村の住人として落ち着き、リリアとの生活も家族のように当たり前の風景になった。
…しかし、一つ屋根の下に男女が一緒に暮らしているのである。しかも、もう二年もだ。こうなると村人たちは、年頃になったリリアがシヴァとどういう関係性を築いているのか気になって仕方がない。
『何言ってるのよマルタさん、そんなことあるわけないでしょ?』
『何言ってるって、それはあんたの方だよリリア。あんなイケメンと二年も一緒に暮らしていて、何も思わないのかい?』
『…』
近所に住むこの女性はリリアの親世代の年齢で、性格はとてもいいが、少々お節介で噂好きな一面も持つ賑やかなタイプだ。日頃から会うたびにシヴァのことを「イケメンだ」と騒いでいるが、こんな風に直球で質問をされたのは今回が初めてだった。
『確かにシヴァはとても綺麗な顔立ちでカッコいいなって思うわよ?』
『それなら…』
『だからって結婚とか、話が飛び過ぎよ。私たち、お互いそんな風には見てないわ』
『本気で言ってるのかい?シヴァに惚れないで、いったいどんな男にならときめくって言うんだい』
『もー、この話はおしまい!』
これ以上は返答に困ると思ったリリアが、マルタに引き留められるのを無視して市場から家へと急ぐ。
今日はシヴァにヤギ小屋と鶏小屋の掃除を頼んでいたため、その間にリリアが一人で市場まで買い出しに来ていた。
最初はシヴァに「一緒に行く」と言われていたが、そもそも市場まではさほど距離も無く、一人で気軽に行き来できる距離でもあったため、せっかくの申し出を断り一人で来たのだが、そのせいで余計な詮索を受けてしまったと、リリアは頬を赤くしながら家路を急ぐ。
『…』
リリアは初めて会ったその日から、シヴァを美しい青年だと思っていた。
だが、出会った頃のシヴァは感情の起伏がほとんどなく、言葉も少なかったため、無表情なその美しさがまるで氷の人形のように感じられて、近寄りがたい印象も抱いていた。
それでも、ぶっきらぼうな言葉や行動とは裏腹に、とても優しく心配性な一面があることを知り、不器用なだけで本当は温かい人間なのだと思えるようになるに従い、リリアはシヴァに好意を抱くようになる。
『…結婚…かぁ…』
湖に映る月の光のように美しい銀色の髪、光の加減によって水色にも銀色にも紫色にも見える澄んだ瞳、まるで陶器のように白く滑らかな肌、華奢だけれど力仕事も難なくこなす体と長い手足、低めだけれど繊細で甘い響きも含む声――
『…』
見た目で分かるシヴァのすべてが素敵に見えるリリアだったが、中でも一番好きだと思えるのは、実はシヴァの内面だった。
一見とても冷たそうに見えるシヴァだったが、一緒に過ごせば三日と経たずに、その優しさや思慮深さに気がつく。言葉は圧倒的に少ないけれど、気遣いはストレートに
伝わってくる。リリアにはその不器用な優しさがとても嬉しかった。これほど、外見も内面も素敵な人なのに、なぜたった一人で流浪の旅など続けているのだろう。
シヴァをその地に留まらせるだけの存在は、今までに一人もいなかったのだろうか?
『…いない方が、いいわよね』
リリアはそう思った。
これまでに、シヴァが誰かを強く想うことがあったとしたら、自分はどう思うだろう。…そう考えるだけで、リリアは胸が苦しくなる。
『ダメね。こんな風に思うのはよくないわ』
シヴァに大切な人がいたかどうかなんて考える必要はない。
今シヴァは自分の傍にいる。すぐにでも村から出るかも知れない…最初はそう思って
とても不安だったが、シヴァは二年も自分の傍にいてくれているじゃないか。もちろんそれが、自分が「三食と寝床の提供」で依頼した仕事の繋がりだけだとしても。
『シヴァ、ただいま!』
『…お帰り』
今でもシヴァは、相変わらず言葉は少ないし優しさを表現するのも不器用だ。シヴァをよく知らない相手にしてみれば冷たそう・怖そうに映るだろう。
だが、リリアには分かる。以前よりも声が柔らかくなったし、微かだけれど笑顔も増えた。…と言っても、これはよく観察していないと分からないレベルかも知れないが。
『あのね、今日…』
「シヴァとは結婚しないのかい?」…そう言われたのよって本人に伝えて何になる?
そもそも、自分たちは本当にそういう関係性ではない。
この二年、おそらくシヴァにとって自分はただの「依頼者」に過ぎないのだ。誠実に接してもらえているとは思っているが、かと言って、特別な感情を抱いてもらえているとは到底思えない。
『今日は、新鮮な野菜がたくさんあって、何を買おうか迷っちゃったわ』
シヴァの性格を考えたら、周りからそんな風にからかわれたり詮索されたりすれば、気まずくなって自分と距離を取ろうとしてしまうかも知れない。
それは、自分の望むことではない。…シヴァがいなくなってしまうくらいなら、今のままでもいい。いや、これで充分なのだ。
『あ、掃除ありがとうね。大変だったでしょう?』
『問題ない』
『そう?…ごめんなさい、お腹が空いてるでしょう?すぐに昼食の準備をするわね』
『大丈夫。帰宅したばかりなんだから、慌てなくていい』
そう言って、リビングのソファに座ってくつろぐシヴァを見られるだけで、自分は充分だ。だって、最初の一年くらいは自分の部屋にいるか、外に出ているかばかりで、こんな風にリビングで自分と一緒に時間を過ごしてくれることなど滅多になかった。
それが、気がつけば同じ空間にいることが自然になっている。
リリアにとっては、そんなシヴァの変化が何よりも嬉しく、幸せを感じる瞬間だった。自分が少しずつでもシヴァの信頼を得られているような気がして。距離が縮まっていくように思えて。
『…』
ただ、リリアはまだ、シヴァの年齢も知らない。
どこで生まれてどこで育ち、どんな人生を生きて来たのか。そういうことの何一つ、シヴァから聞いたことはなかった。シヴァから話してくれるまで待とうと思っていたが、いまだに何も言う気配がないということは、おそらく自分には言いたくないのだろう。それが何故なのか聞いてみたいといつも思っているが、聞いてしまったら信頼を失う気がして、リリアは怖かった。
それに――
リリアは、シヴァが時折頭痛に悩まされていることも知っている。
リリアには見せないようにしているのだろうが、夜中にふと目が覚めてしまった時に、部屋の窓から、庭先で苦しそうにしている姿を何度か見てしまった。
病気ではないのか、それがとても気になったが、日頃のシヴァの話を聞く限り、サイキックはケガはあっても病気にはなりにくいと聞いていたし、自分に知られないようにしている中、無理にこちらから聞き出そうとするのも何か違う気がして、リリアは見ないふりをしている代わりに、タイミングを見て鎮痛効果やリラックス効果のある薬草をブレンドしたハーブティーをシヴァに出している。
おそらく、あまり眠りの質もよくなさそうなシヴァに、安眠効果のある薬花も使ったりしているが、どうもあまり効いているようには思えなかった。サイキックの体や心はノーマルのそれとは根本的に作りが違うのかも知れない…リリアはそう思い、地道に対処していくしかないと考えている。
『そういえば…』
リリアは昼食の準備をしながらふと、市場で聞いた話を思い出す。
『ねぇシヴァ、最近町の方でトラブルが続いているみたいなんだけど…』
『…トラブル?』
『えぇ。あの…ちょっと、言い辛いんだけど…』
『構わない』
『その…サイキックによるノーマルへの暴力事件とか、窃盗とか、ちょっと物騒な騒ぎが頻発しているんですって…』
『…』
『この地域一帯はかなり田舎なこともあって、人口はノーマルの方が多いのよね。この村にはサイキックはシヴァしかいないし、町に下りたとしても、サイキックはそんなに多いわけじゃないはず』
『…』
『それなのに、急にこんな騒ぎが起きるようになるなんて、不思議だなって』
『…』
リリアの話を聞いたシヴァの顔色が見る見る悪くなるのを見て、リリアは慌てた。
『あ、でも、私は自分で見聞きしたわけじゃないから、真相はよく分からないのよ』
『…』
リリアは、シヴァの顔色が変わったのを、自分がサイキックであるシヴァに対し失礼なことを言ったからと誤解したようだが、シヴァの内心は、もしこの騒ぎがesの仕業だったとしたら…もしかすると、自分を追ってきたのかも知れないと、リリアに及ぶかも知れない危害を想像し、不安になっていただけだった。
『ただ、一応しばらくの間は、山を下りるのはやめた方が良いかなって思って』
『…そうした方が良い』
シヴァはリリアの話を聞いて、気が気でなかった。
もし…もし万が一にも、その騒ぎの犯人がesの関係者であるなら、今すぐにでも町まで移動して、自分が全滅させてやるのに…
そう思いつつも、そんな自分の姿をリリアにだけは知られたくないと思う自分もいて、気ばかりが急いて、どうすべきかがまとまらない。
だが――
『シヴァ』
『ッ!』
リリアの声に我に返ったシヴァがリリアを振り返る。
すると、真剣な顔をしたリリアが、まっすぐにシヴァを見つめて言った。
『お願いだから、傍にいてね』
『…』
『町までは離れているから村への影響はないかも知れないけれど、一人になるのは怖いから』
『…』
『だから、どこにも行かないで』
『…分かっている』
そうだ。リリアを一人にはできない。
状況をよく把握できていない状況で、今動くべきではない。
シヴァは、リリアの言葉で気持ちが整理できた。
何をおいても、リリアを守ることが最優先だ。
シヴァはそう固く決意し、リリアに「大丈夫」と力強く答えた。




