#32 執心
『今後は一人で行かないようにするから大丈夫よ』
『…俺がこの村に来てから、夜に一人で出たことは?』
『ないわ。シヴァがこの村に来たのは春先だったでしょ?
私が必要としている花は今の時期、夏場にしか咲かないの』
『…』
『そもそも、もし私が夜に一人で出かけようとしても、シヴァには気配で気づかれそうだわ』
『…』
確かに。
自分がこの村へ来てから、リリアが一人で家を抜け出した日はないだろう。
起きていても眠っていても、ノーマルとは比べ物にならないほど、サイキックの五感は鋭い。まして、シヴァのように規格外のサイキックであれば、仮に物音ひとつ立てなかったとしても、空気の流れですぐに異変を察知できる。
『…今夜は、何時頃にここへ戻る?』
『そうね、日が変わる前くらいには来たいわ』
『…』
そんなに遅い時間帯に、以前は一人で山に入っていたのか?
シヴァは、落ち着き始めていた感情が再び苛立つのを感じる。だが、その苛立ちの原因がまったく分からない。
『…どんな花かを教えてくれたら、俺が一人で採りに来てもいい』
『ありがとう。でも、似たような花が咲いているし、自分が作る薬の原料だもの、ちゃんと自分の目で見て採取したいの。だから、二人で来たいわ』
『…分かった』
リリアはとても明るく優しく、温和な性格をしているが、薬師としての仕事には誇りを持っていて、責任感もとても強い。
…仕事なのだからそれは当然ではあるが、日頃がとても朗らかなだけに、仕事の話になると途端に頑固な一面をのぞかせるリリアにシヴァは最初、内心では驚くことの連続だった。
今ではすっかり、そういったリリアの性格も把握し、仕事に関してはプライドを傷つけないよう、あまり口を挟むことはしないように気をつけている。
『揚げた白蜜芋って、冷めてもべたつかずに美味しいわよね。すごいわ』
『…』
そういって残りの白蜜芋を黙々と食べるリリアを見て、シヴァは何とも言えない気持ちを持て余していた。
『良かった。綺麗に晴れて、月夜の美しい日ね』
『…』
『こんな日は月光花もとても綺麗に咲いて、香りもより強まるはずよ』
『…』
夜――
村がすでに寝静まる頃、リリアと二人でシヴァは再び山の中へとやって来た。
昼間リリアが言っていた「月光花」を採取するため。
ワクワクした顔つきで先を進むリリアの姿を見て、シヴァは昼間のモヤモヤが再び胸中によみがえって来ていた。
『…』
自分がこの村に来る前までは、こんな夜更けにたった一人で、こんなに警戒心の欠片もない状態で嬉々として山の中へと来ていたのだろうか。
よく、今まで危険な目に遭わずいられたものだ。もし…もしリリアの身に何かあったら…
『…』
イライラが抑えられない。こんなことは初めてだ。
シヴァが、自身の感情をどうコントロールしていいか分からず困っていると、リリアの嬉しそうな声が聞こえてくる。
『シヴァ、あったわ!ほら、綺麗に咲いてる!』
リリアに言われて視線を先に向けると、白くて小さい可憐な花が、辺り一面に咲いている。柔らかな甘さの中に微かな清涼感も感じる、とても心地の良い香りが充満していた。
『きっとまだ開花したばかりね。とてもいい香り』
『…』
『シヴァ、この花には薬草の苦みを抑える働きだけでなく、リラックス効果もあるの。この場で深呼吸をすると、まるで体の中が浄化されるような気持ち良さを感じない?』
『…良い香りだとは思う』
リリアは本当に気持ち良さそうに、何度も深呼吸を繰り返す。
リラックス効果…それは、自分にも効くものなのだろうか。シヴァは自身にも使えるヒーリングのPSIも持っているが、例えば薬や酒、食べ物やお香など、一般的に人が気持ちや体の緩和を図るための物質でその効果を得たことは一度も無かった。
花の匂いや、お香や香水の匂いも、良い匂いだなと思うものはあれど、それで気が休まることは無く、酒を飲んでも酔うことが出来ず、どれだけ頭痛がしたとしても薬が効いたことは無かった。
症状を抑えることができるとしたら、自分に向けて発動するヒーリングのPSIしか手段は無いが、シヴァの場合、あまりにも多くのサイキックのPSIや記憶を吸い取りすぎて、心身のケアが追いつかない状況になっていた。
…そんな中、リリアと過ごしてきたこの半年間は、シヴァの人生の中でもっとも心穏やかに過ごせていると言えるだろう。
『咲いたばかりで摘み取ってしまうのは本当に可哀想だけれど、ごめんなさい。多くの人たちの小さな救いになるために、あなたたちの命をいただくわね』
『…』
リリアは薬草でも薬花でも、採取する時に必ず祈りをささげる。
季節によってはほぼ毎日のように山の中へと入るのに、毎回毎回同じことを祈るため、ある時シヴァが「言わなくてもいいのでは?」と不躾な言葉を投げかけた。
草花どころか、数えきれないほどの人間の命を奪ってきたシヴァにとって、リリアのその行動は滑稽にすら映ったのだ。…とはいえ、本来なら怒られても文句は言えないほど、空気の読めない発言のはずだが、リリアは怒るでも呆れるでもなく、真っすぐにシヴァを見つめて言った。
「何かのために理不尽に命を奪われずに済むのは、人間だけよ」
「…」
「だからこそ、人は命を与えてくれるものに心から感謝をしないといけないわ」
「…」
シヴァは、リリアのこの言葉に何も答えられなかった。
自分は、その人間の命をいくらでも奪ってきた張本人だったからだ。だが、何も言えずその場に立ち竦んだシヴァを見て、リリアはまったく別の解釈をしたようだった。
「でも、思っていても恥ずかしくて普通はなかなか言えないわよね」
「…」
「私は子供の頃から言っているから気にならないけど」
「…」
「毎回聞かせちゃうのは申し訳ないけど、私の仕事上の「儀式」とでも思って我慢してね」
「…」
どこまでもお人好しで、シヴァのことを露ほども疑わないリリアらしい言葉だった。
シヴァは、リリアの純粋な心とは裏腹の、自分が歩んできた過去に対し居た堪れない気持ちでいっぱいだったが、リリアの祈りの理由を知って以来、その祈りを聞き、後ろめたい気持ちになることで、自分のやってきたことへの些細な贖罪になるのではないかと考えていた。
正直に言えば、シヴァは自分が行ってきた他者への行為に関しては後悔などまったく感じてはいない。ただ、両親やレナードに対しては、深い後悔と謝罪の念が消えずにいた。リリアの祈りを聞くことで苦しむ自分を自覚することが、せめてもの償いのように感じていたのだ。
『たくさん摘めたわ!シヴァ、ありがとう。そろそろ…』
『ッ!』
青白い月光が差し込む澄んだ空気の中、リリアが嬉しそうに、月光花がいっぱいに摘まれた浅籠をシヴァに見せようとしたその瞬間――
草陰から一匹の狼がリリアめがけて飛びかかって来た。
リリアはシヴァから少し離れた距離まで移動し花を摘んでいたため、咄嗟に守ることが出来ない。シヴァの目が光ったかと思うと、手の先から鋭い閃光が伸びて狼の体を貫く。悲鳴のような鳴き声を上げた狼が、そのまま数メートル飛ばされてバタンと落ちる。
『大丈夫か?』
『…』
恐怖で腰が抜けているリリアに駆け寄り、シヴァが声を掛けた。
その瞳がまだPSIの余韻でダイヤモンドダストのように揺らめきながら光っている。
――リリアはシヴァがサイキックだということは認識していたが、その能力を目の前で見たのは初めてだった。
半年もの間、シヴァはリリアの目の前ではPSIを発動しないように気遣っていたのだ。怖がらせてしまうかも知れない、そして、気味悪がられてしまうかも知れない…そう考えると、なぜだか自分のサイキックとしての姿を見せたくないと、シヴァは思っていた。どうしてそう思うのかは自分でも分からなかったが、出来れば、リリアの前では自分も、少しでも、リリアと同じ、ノーマルのように見せたかったのかも知れない。
『…』
リリアは驚いた表情でジッとシヴァの目を見つめていた。
おそらく、いつもとは色の異なる自分の目を気持ち悪いと思っているのかも知れない。先ほどの閃光も、サイキックと関わったことのないリリアにしてみれば、恐ろしい以外の何物でもない力だろう。
シヴァは気まずくなって、思わずリリアから視線を外した。…途端に、リリアが自分の両手をシヴァの頬に充てる。ビックリしたシヴァの顔をゆっくり自分へと向きなおらせると、リリアは感心したような声で告げた。
『シヴァ、あなたの瞳、とっても綺麗』
『…』
『まるで宝石のようにキラキラしているわ』
『…』
『サイキックって、力を使うとみんなこんな美しい瞳になるの?』
『…色は、人による』
『そうなのね。他のサイキックの瞳の色は見たことが無いけれど、きっとシヴァの瞳の色が一番綺麗だわ。私には分かる』
『…』
どうやら演技では無いらしい。
うっとりするような表情で自分の瞳を見つめてくるリリアに、シヴァは困惑した。怖がられたり気味悪がられたりしたくはなかったが、まさか、こんな風に至近距離で食い入るように見つめられるのも相当に困る。
『…君は、俺が怖くはないのか?』
『…どうして?』
『サイキックの力は、ああやって簡単に生き物の命を奪う』
『…』
『君が、もっとも嫌う行為だろう』
『…』
何を今さら――
リリアが知らないだけで、自分は人殺しだ。
きっと、リリアにとっては、人を殺めるという行為はどんな理由があれ許されることではないだろう。自分は、そういうことを数えきれないほどして来た人間なのだ。
それなのに今さら、狼を一匹殺したくらいで、何を気遣うフリをしている。…シヴァは内心、自虐の思いに溢れていたが、実際にリリアから拒絶の言葉を聞くことを無意識に恐れていた。
だが、リリアは――
『私を助けてくれるために、仕方なくやったんでしょう?』
『…』
『怖くなんかないわ。むしろ、ごめんなさい。私のために…』
『…いや、謝る必要はない』
リリアの清い心に触れるたび、シヴァは癒しと苦痛を同時に味わう。
リリアに許され受け入れられたい一方で、自分の過去を知られてリリアに拒絶されることを極度に恐れている。そして、なぜ恐怖するかさえ、自分で理解できていない。
『…君が怖くないのなら、それでいい』
『それは絶対にないわ。むしろ、とても綺麗だったもの』
『…』
『日頃のシヴァの瞳も好きだけれど、今みたいにキラキラ光る瞳もすごく素敵よ』
『…』
そう言って優しげに微笑むその姿を見て、シヴァは胸が苦しくなるのを感じた。
リリアの隣りは心地が良い。
だが、このままずっと一緒にい続けることは、いずれ自分の過去も知られてしまう可能性があるということだ。さすがに、今まで自分がしてきたことのすべてを知れば、
今のような優しい答えなどくれはしないだろう。そう、分かっているのに、シヴァはもう、自らこの村を去る勇気が持てなくなっていた。




