#30 揺心
シヴァが風呂を済ませて出てくると、食事の準備が出来ていた。
今朝焼いたパンに、同じく今朝作っていたチーズ、そして、干し肉と野菜の煮込みスープと、薬草をあしらったサラダが並んでいる。
『午後はずっと山に入っていたからお腹が空いたでしょう?』
『…』
『干し肉のスープはお昼ご飯を作る時に仕込んでおいたから、お肉も柔らかく戻っていて、旨味も充分に溶け込んでいて美味しいわよ?たくさん食べてね!』
『…』
『サラダはさっき摘んで来た薬草も少し入れているの。あまり入れすぎると効き過ぎちゃうけど、このくらいならほんのり香り付けと疲労回復に役立つわ』
『…』
『あ、お風呂はどうだった?薬草のお湯は疲れがとても取れるでしょう?』
『…』
リリアはとてもお喋りだ。
シヴァが答える間も与えずに、一方的に話しかけてくる。
今日だけで、シヴァのこれまでの何年分、話しただろうというくらいの多さだ。座ることも出来ず返答に困っているシヴァに気付き、リリアが慌てた。
『ごめんなさい!私一気に喋りすぎよね。シヴァ、早く座って!食べましょう』
『…あぁ』
シヴァがイスに腰掛けるのを見て、リリアが気まずそうにシュンとする。
『本当にごめんなさい。私、ちょっと浮かれてるわね』
『…』
『誰かとこうして食事を摂ったり生活を共にするなんて、本当に久しぶりだから』
『…』
『嬉しくてついお喋りになっちゃったわ』
『…』
『うるさいでしょ?ごめんね?』
『…別に、構わない』
『本当!?』
『…』
『それならたくさん話すわね!』
『…』
リリアは建前や謙遜という言葉を知らないらしい。
いや、実際にシヴァは、リリアのお喋りをうるさいとは思いながらも苦にはしていなかったため、好きなように喋ればいいとは思っているが、それにしても、人の言葉を鵜呑みにし過ぎるなと、内心で少し呆れた。
リリアは根本がポジティブなのであろう。ただでさえ人慣れをしていないシヴァにとって、リリアの言動は驚きの連続だ。
『シヴァはどんな料理が好きなの?』
『…特にない』
『っていうことは、何でも好きで食べられるってことで良い?』
『…』
『私、自炊はずっと続けているから、あまり豪華な物は作れないけどレパートリーは結構あるのよ?』
『…』
『あ、でも、食べられない食材とかはあるかしら?』
『…いや、』
『すごいわね!私も好き嫌いはほとんど無いんだけど、実は白蜜芋は苦手なの。シヴァ、白蜜芋って食べたことある?』
『…あぁ』
『あれ、ものすっごく甘くてホクホクしてるでしょう?美味しいの、すごく美味しいのよ?でも、あれって絶対に野菜じゃないわよね?』
『…』
『お芋の身でありながらあの甘さ…もう、野菜か果物かハッキリしろって思わない?』
『…』
思わない。
シヴァはそう答えたかったが、真剣に自分を見つめるリリアを見て、なんだか気が抜けた。白蜜芋とはどの地域にもある、ありふれた根菜だ。見た目はサツマイモに似ているが、皮も実も白い。火を通すと中心部がうっすらとピンク色になり、リリアの表現通りにホクホクでとても口当たりのいい野菜だ。
…まぁ、確かに、野菜という認識で口に入れてあの甘さだと、初めて食べる人間はきっと驚くレベルの糖度だろう。だが、その甘さゆえ、子供のおやつや離乳食にも重宝される。
そもそも――
『味が苦手というわけではなく、野菜らしくないから苦手ということか?』
『え?』
リリアは白蜜芋を「美味しい」と言った。
それならば、別に苦手な物とは言えないのではないか。シヴァのそんな疑問を、目を瞬かせながら聞いていたリリアは、急に吹き出しながら話し始める。
『確かにそうよね』
『…』
『美味しいって言っている時点で苦手なわけじゃないわよね。ただ、あまり料理に使わないのも事実だったから、何となく、自分では苦手だと思っていたわ』
そう言っておかしそうに笑うリリアを見て、本当に表情がコロコロとよく変わる。
言葉もなかなか途切れない。…疲れたりしないんだろうかとシヴァは本気で思った。
『…白蜜芋は、灰香油で揚げ物にすると甘さが気にならなくなる』
『え?』
『灰香油には甘さを抑える成分が含まれているから、白蜜芋も普通の芋の味と変わらなくなる。が、食感は普通の芋に比べて柔らかく滑らかだから食べやすい』
『…シヴァ、すごいわね。知らなかったわ、その情報』
『…』
…昔、クレアがよく作ってくれていた。
アーサーは甘く食べられる煮物が好物だったが、レナードや自分は揚げてもらった方が好みで、休日のおやつの時間には煮物と揚げ物の白蜜芋がよく食卓に並んだのだ。食になどなんの興味もないシヴァの、唯一と言っていいほどの知識である。
『食べてみたいわ。明日さっそく買いに行こうかしら』
『…』
『ねぇシヴァ、明日の朝、一緒に市場まで買い物に行きましょう』
『…』
『この地域独特の野菜や果物も、新鮮なものがたくさん売っているから、シヴァの食べたいものも一緒に買いましょうよ』
別に、食べたいものなど無い。
…強いて言うなら、白蜜芋の揚げ物を作るなら、それを食べたい気はするが…シヴァが考えていると、リリアが「明日は早起きしなくちゃ」と嬉しそうに予定を立てる。
…明日のことなど考えて生きたことがあっただろうか。
――シヴァはふと思う。
その日をやり過ごすのに精いっぱいで、明日のことなど考えたくもない日々が長く続いた。時間が経つにつれ気持ちが慣れて来ても、ほとんど無意識に未来を考えることは避けてきたような気がする。
そもそも、未来に目を向けてしまったら、途方もない延々とした「一人の時間」を自覚するだけのような気がして、目を向けるのが怖いという理由もあったかも知れない。
『シヴァ、今日からこの部屋を使ってね』
『俺は…』
『外はダメ!』
『…』
『せっかく一部屋空いているんだから、遠慮なく使って』
『…』
別に遠慮はしていない。
本当に、外で構わないと思っているだけなのだが…リリアの表情を見るに、これはどうも、外に出してはもらえなさそうだとシヴァは諦める。
――食後、リリアに声を掛けられ、家の二階部分へと上がって来た。隣りの部屋はおそらくリリアの部屋なのだろうが、もう一つ、空いている部屋に通され自由に使えと言われ、断ろうとしたらこの展開だ。
『分かった。使わせてもらう』
『良かった』
シヴァの返答にリリアが嬉しそうな笑みを向ける。
なぜ、こんな些細なやり取りでこんなにも表情豊かにできるのか。不思議に思いつつも、シヴァは「見ていて飽きないな」…とも思う。
『ベッドと机はあるから、あとは必要な物があればその都度補充しましょう』
『…別に、このままでいい』
『しばらく居てもらえるなら、無いと不都合なものも出てくると思うわ』
『…』
『…もちろん、無いなら無いで構わないのだけれど…』
シヴァの無言の視線に居た堪れなくなったのか、リリアが少し声を落とす。
正直なところ、この時点でシヴァはあまりこの家に長居をする気はなかった。
リリアの言動はシヴァにとって新鮮だったし、この家の居心地も悪くはない。だが、これまで同じ場所に長く留まることをしたことがないシヴァにとって、この家で過ごす時間もきっと数えるほどで終わるだろうと考えていたのだ。それに、あまり長居をしてしまえば、いざ立ち去る時にリリアの寂しさが今以上に増してしまうかも知れない。
ただでさえ、女性の一人暮らしだ。自分が長居をすることで、かえって心細さを強くさせてしまうのであれば、お互いに気を許す前に離れた方が良い。
『…寝床と食事があるだけで充分だ』
『え?』
『…そういう、意味で言った』
『…そうね。別に慌てなくてもいいわよね』
シヴァの言葉にリリアが嬉しそうに笑う。
…調子が狂う。
なぜ自分は今、自分の本心ではなく、リリアが欲しいだろう言葉を掛けたのだろうか。それをする必要性などあったのか?どうせすぐにいなくなる。
それなのに…
『そうだわ、明日は市場でシヴァの服や日用品も買いましょう!』
『…最低限のものは持っている』
『最低限、でしょ?古くなっている物は買い替えましょうよ』
『…』
『大丈夫!明日は私、奮発しちゃうから!』
『心配しなくても、自分の物を買うくらいの余裕はある』
にぎやかなリリアにつられて、自分の口数がこれまでよりもずっと増えていることに、シヴァはまだ気が付いていない。
『…』
夜の静けさが最も濃くなる頃――
村はすでに眠りに沈み、さすがのリリアでさえ、深い眠りについていた。
だが、シヴァは眠れず、ベッドに座り窓から月を見上げる。
『…』
宿を取ることも時にはあるが、野宿でもまったく気にしない生活を送ってきていたせいで、あまりに居心地の良い空間にいると逆に眠れない。そもそも、シヴァの睡眠はとても浅く、短いものであったため、日付の変わる前にベッドへ入ったところで眠れるわけが無かった。
――シヴァはリリアを起こさないよう、部屋からテレポートで庭先に出る。
ぽつりぽつりと、外灯もあるにはあるが、月が照らす光の方が眩しいのではと思えるくらいに、暗く静まり返った村の風景。
…とても美しい場所だ、とシヴァは思う。
この、のどかで美しい村に、もし、あの時のようにesの人間が乗り込んできたら…
自分がいることで、この風景も、そして、リリアにも危害が及ぶようなことになったら…そう考えるだけで、今すぐにでもこの村を後にしたくなる。
人との関わりが極端に少ない人生を歩んでいるシヴァにとって、自分に大切なものができる可能性など感じていない上、仮に出来たところで、どう大切に扱えばいいのかも分からないだろう。
この場所を美しいと思うなら留まればいい、ただそれだけのことなのだが、シヴァにはどうしても、そのシンプルな発想が浮かんでこない。
だが――
ほんの数日の滞在でしかない…と思っていたリリアとの生活は、思いのほか長く続くことになる。




