#29 微笑
『一人の方が、気が楽だ』
『!…そうかしら』
シヴァの言葉にリリアが振り返る。
意外な反応にシヴァが言葉を失っていると、リリアが続けた。
『…ごめんなさい。考え方は人それぞれよね。でも、一人が気楽なんて、私はちょっと寂しいなって思うわ』
『…』
『だって、一人だと、嬉しいことや楽しいことを分かち合うことも、寂しい時、辛い時に寄り添い合うことも、何もできないでしょう?』
『…』
『長いこと一人の時間を過ごしていると、ふと、自分が生きている意味が分からなくなることがあるわ』
『…』
『私は誰のために、何のために生きているのかしらって』
『…』
『もちろん、自分のために生きなきゃいけないんだけどね。そう思って、毎日一生懸命に生きているけれど、たまにふと思うの』
『…』
『…あら?それならいっそ、シヴァのように「一人が気楽」って思える方が人生楽しめるのかしら…』
このまま泣かれでもするのかとシヴァが身構えていたところで、急にリリアが閃いたようにシヴァを見る。
『シヴァ、あなたの考え方、場合によっては前向きかも知れないわね!』
『…』
『あーでもやっぱり、一人はよくないわ』
『…』
『でも、少なくとも今はお互いに一人じゃないものね。シヴァはどう?私と一緒にいて楽しいって思ってくれてる?』
『…』
うるさくて面倒だとは思っているが、さすがのシヴァでも、それをそのまま伝えれば
何か問題が起きそうだということくらいは分かった。
それに…
確かにうるさくて面倒ではあるが、リリアの音符のように弾む声と、くるくる変わる表情は見聞きしていて面白いとも思う。――少しだけ、母のクレアを思い出す。
クレアも、いつでも笑顔を絶やさず、家族がそろって過ごすことに心からの幸せを感じ、シヴァにはいつだって前向きで温かい言葉をかけてくれていた。
そう思い、ふと…こんな、親子ほども年の離れたリリアに母の面影を重ねるなどどうかしていると、シヴァは複雑な心境に陥った。
『シヴァは一つの村や町にどれくらいの間滞在しているの?』
『…特に決めてはいない』
『そう。…それなら、もうしばらくここにいてもらうことはできる?』
『…』
『もちろん無理にとは言えないけれど…もし、どこかへ急ぐ予定が無いのなら、私はもう少しシヴァと一緒に過ごしたいわ』
無理は言わない…その言葉も本心なのであろうが、目は必死に訴えているように思えた。…まだ親と一緒に暮らしていてもおかしくはない年齢で、あの家に一人きりは寂しいだろう。まして、もう解決したとはいえ、昨日のあの男のようなトラブルも起きていたのだ。誰に相談できるわけでもなく、一人で身の危険を感じながらの生活は気も休まらなかったかも知れない。
だが――
『怖くないのか?』
『え?何が?』
『…俺はサイキックだと言っただろう』
『…』
『見慣れている人間ならまだしも、この村の人間はほとんどがサイキックとは無縁の生活をしている。俺が居れば混乱を招くかも知れない』
『大丈夫よ』
『…』
『サイキックもノーマルも、皆同じ人間だわ』
『…』
『この村の人たちはそういったことで人を見る目を変えたりしない』
『…』
『それに、シヴァが良い人だって言うことは私が証明するから大丈夫よ』
『…』
リリアの笑顔にシヴァは完全に拍子抜けした。
だいたい、リリアの言っていることはシヴァには適当にしか映らなかった。
自分のことを何一つ知らないくせに、いったい何を証明するというのか。
自分がこれまで、どれだけ多くの人間をこの手にかけて来たか。…他人だけではない、親同然の人間までこの手で殺めた。母親も父親も、自分のせいで死んだのに…
そんな人間だと知っても、果たして自分を肯定などできるのか。シヴァはリリアに軽い苛立ちを覚えたが、そんなことなど露知らずのリリアは大きな瞳でシヴァを真っ直ぐに見つめてつぶやく。
『私には分かるの。あなたは優しくていい人だわ』
『…悪いが、それは誤解だ』
『いいえ、私には絶対に自信がある』
『…』
シヴァはリリアの言葉が行き過ぎて無神経にも思えた。
シヴァにしてみれば「いい人」など皮肉でしかない。
これ以上適当なことを言うなら、今すぐにでも山を下りる…そう、言葉が出かけた瞬間、リリアが真剣な声音でシヴァに告げた。
『誠実な人は、多くを語らない』
『…』
『でも、何も考えていないわけではないわ。むしろ、背負うものが大きすぎて、人に助けを求められなくなっていることも多いのよ』
『…』
『人と目を合わせない人は、…そうね、中にはやましいことがあるからっていう場合もあるでしょうけど、繊細な人も多いのよ』
『…』
『目を合わせると自分の弱さや背負っているものが伝わってしまうでしょう?』
『…』
『それが怖くて、人と向き合えない人もいる』
『…』
『でも、そういう人ほど、行動は優しくて真っすぐだわ』
『…』
『シヴァ、昨日は一睡もせず、家の様子を守ってくれていたでしょう?』
『…そもそも、あまり寝ない人間なだけだ』
『ふふッ…それもあるのかも知れないけれど、それなら、起きていたって他に自分の
好きなことをすればいいのに、シヴァはずっと、家の周辺を見回ってくれたり、玄関前に座って家を守ってくれていたわ』
『…』
てっきり眠っているとばかり思っていたのに、リリアも起きていたのか。
シヴァはリリアの言葉に気まずくなる一方であったが、リリアはさらに言葉を続けた。
『シヴァはとても美しい目をしているんだから、もっと目を合わせてほしいなって思うけど、別に、合わなくても私は平気よ?』
『…』
『うーん、これって何かしら…もしかしてサイキックのオーラってやつ?』
『…』
『私には、シヴァからとても優しくて温かい空気が流れているのを感じるから、とても安心できるのよ』
『…君には、何か別のものが見えているらしいな』
照れるでもなく、真正面からそんな言葉を真っすぐに向けるリリアに、シヴァは困惑した。自分から温かいオーラなど流れているはずが無いだろう。だが、リリアの目には強い確信だけが宿っている。シヴァは自分だけが感じている大きな矛盾に、一言を返すのが精一杯だった。
『シヴァのおかげでいつもよりたくさんの薬草が採れたわ。ありがとう』
『…別に、俺は何もしていない』
陽が落ちる頃、リリアとシヴァの二人は薬草を山ほど抱えて家に戻って来た。
シヴァはリリアに言われるまま、薬草を作業小屋へと運ぶと、すぐ隣りにある水場で手と顔を洗った。リリアも家の中で手洗いを済ませると、ちょうど家の中へと入って来たシヴァに冷たい麦茶を差し出す。
『お疲れ様。すぐにお風呂の準備をするので、ゆっくり疲れを取ってね』
『…俺は外の水場で構わない』
『何言ってるの?人に見られたらどうするのよ』
『それくらい、PSIでどうにでもなる』
『…便利なのね』
『…』
『でも、外は水しか出ないんだからダメよ。ちゃんとお湯に浸かってね。入浴用の薬草も作ってあるの。疲れにとてもよく効くから、ぜひ試してほしいわ』
『…』
そもそも疲れていないのだが…シヴァはそう思ったが、敢えて口にするのはやめた。
しかし…自分のPSIを「便利」だなんて言われたのは初めてではないだろうか?
いつだって、シヴァが持つPSIは周りの人間から怖がられ、不気味がられて、挙句、実験体にさせられるようなものでしか無かった。もちろん、まだリリアには自分の能力のほんの爪先ほども見せてはいないが、それでも、怖がるそぶりも嫌がるそぶりも見せず、それどころか「便利」だなんて言われるとは…
『…シヴァ、あなた、笑った方が絶対に良いわよ』
『え?』
『すごく素敵』
『…』
リリアの言葉に我に返る。
今、自分は笑っていたのか?
――笑ったとは言っても、口元がほんの僅かにほころぶ程度だろう。
それでも、人から見て「笑っている」と認識されるほどの表情の変化はもう、何十年も出来ていなかったように思う。
それなのに…
『…』
…そうか。自分は、笑ったのか。
傍から見れば些細なこと。
だが、シヴァにとってはあまりにも大きすぎる自身の変化だった。




