#26 薄明
『…』
シヴァは物音で目を覚ます。
疲れていたのか、珍しく、少しの間、寝入ってしまったようだ。辺りはすっかり暗くなり、人々が寝静まった時間帯であることが分かる。物音ひとつしない中、家の中から言い争う人の声が聞こえてきた。
シヴァはため息をついて立ち上がり、そのまま家の中へと入っていく。
『さっきの男はどうした?ここに泊めたんじゃなかったのか?』
『ダグには関係ないことでしょう?』
『どうせ逃げられたんだろ。外にもいなかったぜ?』
『…そんなはずは…』
『あんな奴を家に入れようとして俺を挑発するなんていい度胸だ。今日こそはお前を俺のものにしてやる』
『やめてッ!だ、誰か…』
『どうせ誰も来ねぇよ!』
シヴァが部屋の様子を覗くと、男が女性を床に押し倒して言いたい放題騒いでいる姿が目に入った。シヴァはそのまま男の傍まで歩いていき、襟元を掴んで吹き飛ばす。
『うわッ!』
女性がすぐに起き上がりシヴァの後ろに隠れたが、手がカタカタと震えているのが背中越しに伝わって来た。
…あんな目に遭えば確かに怖いだろう。好意を抱く相手に恐怖心や嫌悪感しか与えていない事実に、この男は気付いていないのだろうか。
それとも、愛情云々ではなく、ただただ、目の前の女性を自分のものにしたい…それだけの話なのだろうか。シヴァにしてみれば、そのどちらも理解は出来なかったが、同じ村人である以上、この男を今この場で始末するのは難しいと考え、まずはこのままおとなしく帰るように忠告する。
だが――
『ふざけるなッ!だいたいお前、どこから出てきた!外にもいなかっただろッ!』
認識阻害のシールドを張っていたのだ。
実際には庭先で寝転んでいても、他の者がシヴァの存在に気づくことは出来ない。見えているのに、見えているという認識が出来ていなかったはずだ。
『よそ者が話に入って来るんじゃねぇよ。そいつは俺の女だ。さっさと出ていけ』
『…これが最後の忠告になる。お前こそ、今すぐ出て行った方が良い』
体格もよく背丈もあるこの男にしてみれば、華奢で自分よりも背の低いシヴァは、いざケンカになれば一撃で伸せそうな印象だった。
そんなシヴァが落ち着いた口調で自分に偉そうな口をきいてくる…それだけで、目が血走るほどの怒りといら立ちを隠せないでいた。
『お前こそ、死にたくなければさっさと出ていけ』
『ダグ!なんてことを言うのッ!?』
『うるせぇッ!こいつ、マジで許せねぇ。表へ出ろッ!!』
こんな夜更けに外へ出て揉め事を起こすのは、他の村人たちに迷惑がかかる。
そう思った女性が男を引き留めようとしたが、シヴァが「問題ない。ここで待っていろ」と告げて、男の後を追って二人で家の外へと出ていく。女性は心配で仕方が無かったが、言われた通り、家の中でギュッと目をつむり必死に祈った。
『おいお前…』
庭先へと出て、男が言いながら振り返ると同時、シヴァが男の額に手を当てた。
『は?お前何を…』
その瞬間、シヴァの目が光り、男の表情が見る見る呆気に取られていく。
ものの数十秒ほど、シヴァの手が男の額から離れると、ハッと我に返った男が「あれ?俺はなんでこんなところに…」と慌てて辺りを見渡し、そのまま逃げるように走って自分の家へと帰っていく。
『…結局、汚い感情しか持っていなかったか』
シヴァは、この男から女性への興味や執着、これまでの経緯などの記憶を全て吸い取っていた。一時的に追い払ってもまたすぐにやって来るだろう。
それでは、自分がこの村を去った後の女性の身に危険が及ぶ可能性が高い。ならば、この女性に対する関心そのものを無かったことにしてしまえばいいと、記憶をごっそり抜き取ったのだ。だが、吸い取ったことで、男の女性に対する感情が、純粋な愛情ではなく、欲望でしかなかったことを知ったシヴァの、先ほどの一言だった。
『あ、大丈夫でしたか?』
シヴァが家の中へ戻ると、女性が心配そうな顔で声を掛ける。
特に物音などもしなかったが、男がおとなしく帰るはずなどないと思っていた女性が、シヴァが何か危害を加えられていないか怖かったのだ。
『問題ない』
『ありがとうございました』
そう告げて深々と頭を下げた女性。
…スカートをギュッと握るその手は、まだ微かにふるえていた。
『…親はどうした?』
『え?』
『まさか、その若さでこの規模の家に一人暮らしではないだろう?』
『…』
部屋数はそこまで多くは無さそうだが、一人で住むにはかなり広い。しかも、見たところこの女性はまだ二十歳そこそこではないだろうか?その若さで、結婚をしている訳でもないのに一人暮らしとは考え辛かった。
だが、女性は――
『実は、一人暮らしなんです』
『…』
『両親は、十年ほど前に騒がれた「ノーマル大量失踪事件」の被害者だと思います』
『…』
『ある日、いつものように両親ともに仕事に出掛けたまま、戻って来なくて…』
『…』
『最初は周りの人たちに「捨てられたんじゃないか」って噂されてとても辛かったのですが』
『…』
『のちにニュースであの事件が騒がれるようになって、おそらく両親も攫われてしまったのではないかと…』
『…』
『確信は無いんですけどね。でも、大切にされていた自覚はあったので、二人が私を置いて出ていくなんて、やっぱり考えられなくて』
そういって寂しそうに笑う女性を見て、シヴァは返す言葉が見つからなかった。
自分が見て見ぬふりをし続けたあの事件のせいで、この女性は最愛の両親を失ったのかも知れない。もちろん、悪いのは攫った方であってシヴァの責任ではないのだが、親を失う悲しみや苦しみが痛いほど理解できるシヴァにとって、なんとなく、罪悪感めいたものが胸の内を支配した。
『当時私はまだ九歳だったんですけど、近くに親せきが住んでいることもあって、この家にそのまま住み続けました。いつか両親が帰って来るかも知れないって思ったし、身内が近くにいるのによその場所へ引っ越す必要も無いなって思って』
『…』
『最初の一~二年は、夜は怖くて親戚の家に泊まりに行ったりもしていましたけど、そのうち慣れて、以来ずっとここで一人暮らしなんです』
『…そうか』
『えぇ。だから、空いている部屋もあるので、用心棒としてしばらくここにいてほしいんです。…ダメですか?』
『あの男は…』
あの男はもう、言い寄ってくることは無いだろう。
…シヴァはそう伝えるつもりだった。
だが…
『…あまり長居は出来ないが、それでも良ければ』
『ありがとうございます!』
シヴァの言葉にパァッと顔を輝かせた女性が、お礼と共に再び頭を深く下げる。
その姿を見たシヴァは、何とも言えない気まずさを感じていた。
なぜ自分はここに留まることにしたのか。
この女性に危険はもう無いはずなのに。
親を失ったという話を聞いて、自分と重ね合わせたのか。それは、あまりにも違い過ぎる人生を歩んでいる自分と彼女にとって、ほんの欠片ほどの共通点でしかない。それなのに、何を良識ぶっているのだろうか。
『…もう遅い。今日は休むと良い』
『えぇ。あの、あなたは…』
『外で構わない』
『…』
そう答えると、シヴァは女性の返事を待たずに家の外へ出る。
行く当てもない、何の目的もない、そんな自分にあるのは時間ばかり――
それならば、この村でほんの少し寄り道をしても問題はないだろう。そう自分に言い訳をして、シヴァは月夜を見上げながら、夜明けまでの時間を一人、何をするでもなく過ごした。




