#19 暴走
『シヴァ、落ち着いてくれッ!』
『お前が…お前がッ…』
まるで、蜘蛛の巣に捕らわれた蝶のように、もがいても抗っても抜け出せない、シヴァのPSIの圧力。目には見えない強大なエネルギーに圧されて、逃げ出そうにもろくに抵抗することすらできなかった。
――これが、たった十一歳の子どもの力だろうか。
『シヴァ、僕と何年も訓練してきただろう。このままでは君の体が危ない…』
『うるさい…うるさいッ!お前がお母さんを殺したんだッ!』
母親を殺されたことで完全に自我を失っている。
もはや、シヴァにとって誰が何をしたのかなどどうでもいい。
怒りの矛先はすべて自分に向いている――
レナードは、自身の命の覚悟は出来たが、もし自分がいなくなった後のシヴァとアーサーのことを思うと、ほんのわずかでもいい、シヴァの理性にこの声が届いてくれたらと強く願う。
『ッ…シヴァ、僕は君のお母さんを心から愛していた。そして、君のこと…も、アーサーのことも、本当に…大切に、思っていたんだ…』
『黙れッ!もう騙されないッ!』
『…シヴァ…頼むから、強い人間に…なってくれ。その力は…他者には向けず、自分を守ることだけに使うんだ』
『うるさい!うるさいッ!!』
『シヴァ…君は僕の大切な息子だ…強く生きるんだ…そして、アーサーのことも…頼んだ、ぞ…』
レナードの言葉は切実で、最期までシヴァに対する慈愛に満ちたものだった。
だが、我を忘れた子どものシヴァにそれが伝わるはずもなく…シヴァは、レナードの命が尽きるその瞬間まで、決して自分のPSIを緩めることもせずに、その能力と寿命を乱暴に、力任せに奪ってしまった。
だが――
『…あ…そ、そんな…』
吸い取るのはPSIや寿命だけではない。
相手の記憶や感情の一部まで吸い取ってしまうシヴァの稀有な能力が、たったの十一歳の少年に、あまりにも残酷な事実を突きつけた。
『…ッ…』
レナードがどれほどクレア、シヴァ、アーサーの三人を深く愛していたか。この幸せな時間が永遠に続けば良いと、どれほど心から願っていたか。
そして、強大なPSIを生まれ持ってしまったシヴァにとって、自分が最後まで「良心」として寄り添い、守り、導いていけたらと切に願っていたこと。
辛い過去を経験したシヴァに、溢れんばかりの愛情を注ぎ、心からの笑顔と笑い声、そして、未来を夢見る力を与えたいと本気で思っていたこと。
esとの関係性は、学生時代に就職先として受けた先だったが、二年ほど勤めていた間に何度も違和感を感じ、自分には合わない場所だと判断し辞めて以来、何の関係も無かったこと。
クレアにその事実を言えなかったのは、隠したいわけでも騙したいわけでもなく、ただただ、クレアを不安にさせたくない。クレアに離れていかれたくなかっただけの、愛情ゆえのものだったということ。
そういった様々なレナードの思いや記憶が、洪水のようにシヴァの中に流れ込んで来た。
そして――
本を読みながら真剣な顔で質問をする少年。
自分と共に一生懸命に訓練を続ける小さなサイキック。
小さなアーサーの手を引き、優しく歩く頼もしい兄。
母親を手伝う、健気で面倒見の良い長男。
山や森の中を共に歩き、美しい自然の中で笑う大切な自分の息子。
――そうしたシヴァの姿を、レナードは愛おしく、そして、誇らしく思っていた。
レナードの記憶の中には、数えきれないほどのシヴァとの思い出が詰まっていた。
その記憶がすべて、シヴァの中で溢れ返る。
『…』
自分は、怒りの感情に任せて我を失い、こんなにも自分を愛してくれていた相手を信じず、誤解によって死なせたのだ。
『あ…あ…ッ…』
シヴァの目からぽろぽろと涙がとめどなく零れ落ちる。
許容を超えた怒りと、一度に複数人のPSIや記憶・感情を取り込んだ混乱と、自身の未熟さで大切な人間の命を奪ってしまった罪悪感、その、大切な人からの、受け止めきれないほどの愛情と信頼が、シヴァを今にも壊してしまいそうなほどの圧力となって圧しかかる。
『…ッ…』
あまりの怒りと悲しみと自己嫌悪に襲われて、息が出来ない。
頭も心も、何をどう考えればいいか、どう受け止めればいいのか分からず、収まらないPSIだけが、さらに暴走を始める
『…ゥッ…あ…アァッ…』
涙の止まらないその瞳が、複雑な色を宿していびつに光る。
その瞬間、シヴァが忽然と姿を消した。
『何事だ!』
『分かりません!地下の実験エリアで大規模な爆発があったみたいです』
ヴァルター・エルンストは、現在この研究棟を統括する統括研究監である。
近年、esは実験体の管理体制を一新し、より効率と結果を重視する方針へと移行していた。エルンストはその中で抜擢された人物であり、感情を排した冷徹な判断と、極めて合理的な思考をもって、短期間で研究成果を引き上げていた。
シヴァという規格外の存在については、エルンストは記録と数値で把握していたに過ぎない。だが、その危険性だけは充分に理解していた。
統括研究監の職に就いて間もない頃、血眼になって探していたシヴァ親子の居所がついに分かる。「サイキック・インターフェレンス」と「クレヤボヤンス」を扱うハイレベルなサイキックを筆頭に、主に索敵能力に優れた相当数のサイキックを動員して、何年もかけて行方を捜していた。
ある時シヴァ親子らしい人物が浮上したため、敢えて、PSIを感知させないようノーマルに念入りな周辺調査を行わせた上で、確信を持って乗り込んで行ったのだ。
親子が予想以上に遠く離れた場所まで逃げていたこと、そして、並外れた能力のサイキックによる強力な保護シールドによって何年にも亘り守られていたことにエルンストは驚いたが、とにかく、シヴァは確実に生きて取り押さえること、母親は可能であれば一緒に連れて来てほしいが、場合によっては切り捨てても良い、そして、その場合は確実に息の根を止めるようにと指示を出していた。
もうすぐ、あの規格外の被験体と対面できる――
エルンストは湧き上がる感情を表に出すことはなかったが、その思考は既に次の実験段階へと移行していた。今度こそ容赦はしない。思う存分研究し尽くして、esに役立つ兵器にしてやる。そう、考えていた。
それなのに――
『…どういうことだ』
報告を受け、慌てて研究棟の地下にある実験エリアまで急ぐ。
駆け付けたエルンストの目に映ったのは、爆破で使い物にならなくなった実験施設全体と、いるはずの研究員がほとんどおらず、精神を破壊された研究員が数名、床に転がっている光景だった。
『…まさか…』
esのセキュリティには何の異常も起きていない。
それなのに、今esは内部でこれだけの攻撃を受けている。
…研究員の数が少ないのは、おそらく、能力と寿命をゼロになるまで吸い取られた者が、姿形すら失っていたからだろう――
こんなことが出来るのは、一人しかいない。




