#13 境界
『お母さん、明日はレナードと一緒に町まで降りて来てもいい?』
『…町へ?シヴァも行くの?』
スヤスヤと眠り続けるアーサーを隣りに見ながら三人で夕食を囲んでいると、シヴァがクレアにそう問いかける。クレアは返事に困ったようにチラとレナードを見た。
そんなクレアの胸の内を理解しているレナードは、優しく笑って言葉を返す。
『クレア、気持ちは分かるが、シヴァもこれから成長して行くに従って、この村の中だけで生活していくことは困難になる。今から少しずつ慣れて行くこと、強くなることは大切だと思うよ?』
『…確かに、そうだけれど…』
クレアは極端に「外の世界」を恐れていた。
家の中やその周辺は、レナードが張ってくれているシールドのおかげでesの存在に怯える必要はないが、村を出るということは、そのシールドの外へ出るということだ。もし自分の目の届かない場所でシヴァに万が一のことがあれば…そう考えるだけで、クレアは胸が押し潰されそうなほどの不安と恐怖に駆られてしまう。
『クレア、僕がちゃんとシールドを張るから大丈夫』
『レナード…』
『僕のPSIを見くびってもらっては困るよ?この家とシヴァ個人、そのどちらにもシールドを張るくらいのこと、どうってことないさ』
『…』
『ちゃんと無事に、二人で帰って来るよ』
『…分かったわ。シヴァをお願いね、レナード』
クレアの言葉にシヴァの表情が明るくなる。
なかなかこの村から出してもらえずにいたシヴァにしてみれば、一時間ほど歩けば辿り着く町に行けるというだけでも大冒険の気分だろう。
もともと、積極的に人と会ったりどこかへ行きたがるようなタイプではなかったが、まだ十歳の子どもだ。時には自分の知らない風景を目にしたくもなるだろう。
レナードのシールドはとても強力だ。そして、レナード本人に対する自分たちの信頼も厚い。ここはレナードを信じて任せてみるのもいいかも知れない…クレアはそう考えた。
『それなら明日、町への買い出しにシヴァも連れて行こう』
『シヴァ、しっかりレナードの言うことを聞くのよ?』
『うん』
シヴァが時折見せる、年相応の明るく無邪気な表情が、クレアにとって何よりも嬉しく、癒しの瞬間になっていた。
シヴァと自分、そして、アーサーとレナードの四人での穏やかでつつましく、温かな幸せがこれからもずっと続けばいいと、切に願う瞬間でもある。
『行ってきます!』
『気を付けてね。レナード、シヴァをお願いします』
『分かってるよ。安心してアーサーと留守番を頼んだよ』
翌日、シヴァとレナードは朝の早い時間から町を目指して村を出た。
大人の足で一時間ほど歩けば着く距離のため、週に一~二度の買い出しには特に困らない距離ではあるが、今回はシヴァも一緒のため、子どもの足に合わせるという
こと、道中の半分ほどは山道であること、そして、万が一にもesの気配を感じ取ることがないよう細心の注意を払うという意味では、レナードにとっていつもとは違う、緊張をはらんだ道のりになりそうだった。
『今日は何を買うの?』
『そうだな、肉がもう無いから、まずは肉だな。多めに買って、半分は家で干し肉にしよう。他にも石鹸と、アーサーに着させるベビー服を数着、クレアに頼まれているよ。シヴァは何か欲しいものはあるかい?』
『…』
レナードの言葉にシヴァが黙り込む。
――シヴァはこの年頃の子にしては物欲がまったく無い子だった。
そもそも、都会に住む子供たちと同じようなものを欲しがるかどうかは分からない。
こんな田舎の村に住んでいる上、友達もいないシヴァにとっては、あまり手元にあっても意味のない物も多いのだろう。
だが、食べ物でも洋服でも良い。
そして、とても賢く、本を読むのが好きなのだから、せめて本くらい強請ってくれたら良い。…だがシヴァは、レナードはもちろんのこと、クレアに対してもそういった自分の希望を伝えることはほぼ無かった。
何事に対しても興味が無い…と言うよりは、遠慮や気遣いなのでは?と、レナードは思っているが、本当の父子のように接してほしいと願いつつも、あまりそこに踏み込むことも出来ず、無力感だけがいつも胸に残る。
『そうだ、もうあの本は読み終わってしまったのだろう?』
『…うん』
『それなら、新しい本を買うと良い。何冊かまとめて買っていこう』
『え、一冊で良いよ』
『構わない。いつも僕やお母さんの手伝い、アーサーのお世話をしてくれているだろう?そのご褒美だと思うんだ』
『…それなら、レナードだっていつも仕事をしたり、お母さんのことを手伝ってくれたり、俺やアーサーとも遊んでくれるでしょ?』
『…』
『お母さんだっていつもレナードや俺に美味しいご飯を作ってくれるし、家を綺麗にしてくれているし、アーサーのお世話も俺よりたくさんしてる』
『…そうだな。それなら、お母さんにはご褒美にクッキーを買って行こう』
『レナードは?』
『そうだな。僕はビールでも買って帰るとするよ。最近飲んでいなかったからね』
レナードがいたずらを思いついたかのように笑いながらそう答えるのを見て、シヴァも笑顔になる。
…IQの割にシヴァの言葉が拙いのは、長い間自分を押し殺しすぎた結果だろうとレナードは思っていた。そもそも、言葉を発すること自体があまり多くなかったこと、
そしてそれが、「話せない」のではなく、自らの意思で「話さない」選択をしたからこそのものだということを理解していたのだ。だからこそ、自分やクレアともっと
たくさん話してほしいし、本もたくさん読んでほしい。そして、アーサーがもう少し成長した頃には、兄としてたくさん話し相手になってあげてほしいと思っていた。
そうすることで、シヴァの中に単なる知識だけではなく、経験や感情が伴った本物の言葉や会話、思い出が増えてほしいと、レナードはいつでも願っている。




