#11 安寧
『シヴァ、そろそろ戻るとしようか』
『うん』
周りを山々に囲まれた自然豊かな小さな村。
その外れに、畑を耕し家畜を飼い、自給自足でつつましく暮らす家族の姿があった。
少しだけ白髪が生え始めた、穏やかで紳士的な40代くらいの男性。
かご一杯に野菜を詰めたその男性が、色白で華奢な銀髪の少年に声を掛ける。少年が持つ浅めのかごには主に葉野菜が、男性が持つ深めのかごには主に根菜類が収穫されている。
『たくさん育って良かったな。お母さんが料理の腕を振るってくれるはずだ』
『そうだね』
二人で話しながら、畑の向こう側に建つ家に向かって歩いていく。
さほど大きくはない家だが、家族数人で住むにはちょうど良い規模だろう。手作り感にあふれた、温かみのある家だ。
畑の横には花畑もあり、蝶々やみつばちが飛んでいる。放し飼いにしている鶏たちが辺りを楽し気に駆け回り、同じく放し飼いにされたヤギからは、毎朝新鮮なミルクを飲むことが出来た。
家の裏手へと回ればきれいな川が流れていて、美味しい魚も釣れる。とても美しく、穏やかで、平和な環境で暮らしていることが分かる。
『お母さん、こんなにたくさん採れたよ!』
『シヴァ、ありがとう。今日はポトフにしようかしら』
シヴァの声にクレアがにっこり笑って返す。
クレアの腕には、小さな赤ん坊が抱かれていた。
『アーサーったら、お兄ちゃんが帰って来たのが嬉しいのかしら』
愛らしい表情でクレアに抱かれていた赤ん坊が、シヴァを見つけて、抱っこをされたそうに「あ、あ、」と手を伸ばす。そんな赤ん坊を見て笑ったシヴァが「おいで」とクレアから赤ん坊を抱き寄せた。
『レナード、お疲れ様』
『あぁ、ただいま』
クレアと見つめ合い、優しく微笑んだこの男性の名はレナードと言うらしい。
赤ん坊の名はアーサー…この二人の間にできた子どもということだろうか。
クレアとシヴァがesから逃げ出したあの日――
クレアは酷だと理解した上で、それでもわずか四歳のシヴァに自分も一緒に移動できるよう、テレポーテーションのPSIを使わせた。
万が一座標を正確に取れず、事故に遭ったとしても構わない。どうせここにいても、よくて今以上に酷なモルモット、最悪の場合は殺されるだろう。それならば、我が子の能力を信じてイチかバチか、飛んでみるしかない。
そう考えたクレアは、シヴァにできるだけ遠くに移動するよう伝え、あとは必死に祈った。
幸い、シヴァは座標を見失うことなく長距離を上手く移動してくれた。しかも、連続して三回も移動したのだ。その後は人目を避けながら休み休み、esから離れることだけを考え、ひたすら南へと旅を続けた。
山を越え、谷を越えて、いくつもの町や村を越えて、母子が辿り着いた先は、のどかで人の行き来もそうそう無い、大自然が美しいこの村だった。
最初は二人きりで森の中に紛れるように息をひそめた生活だったが、料理が上手なクレアが様々なレシピで地元の野菜や果物を使った料理やお菓子を作り、それを村の人たちに振る舞うことで少しずつだが交流が生まれ、そのままこの村に溶け込んで生活ができるようになる。
『お母さん、アーサーお腹が空いているんじゃない?』
『そうね。そろそろミルクの時間かも知れないわね』
…とはいえ、この村での生活を始めてから一年ほどは、シヴァはほとんど喋れない状態だった。クレアが話しかければ返事くらいは出来ていたが、自分から話しかけることはせず、他人とはまったく会話をすることが出来ない状態…。
だが、クレアはそれも仕方のない、当然のことだと割り切って、根気よくシヴァの心が回復していくのを待った。この子はわずか三歳で父親を亡くし、一年間も恐ろしい大人たちに理不尽な研究材料にされ、今度は母親を人質に人類兵器にされそうになった子なのだ。
辛い記憶が人間不信を招いたり、心を閉ざす原因になってしまっても無理はない。
それでも、母親である自分はこの子を信じて、一日も早く普通の子どもとしての幸せを感じさせてあげたいと、クレアは愛情深く寄り添い、シヴァを支えた。
その甲斐もあって、ここでの生活が一年を過ぎたころから、クレアとなら普通に会話ができるようになる。喜怒哀楽は相変わらず乏しかったが、それでも、自分からクレアに話しかけたり、時には笑顔が見えることもあった。
ちょうどその頃、山を降りた先の町に住んでいたレナードが、週末のたびに訪れるほど愛着を持っていたこの村に引っ越してくる。
山岳地帯の自然環境や生態系を研究する自然研究者であり、その研究内容をまとめた書籍や研究記録を執筆する作家でもあるレナードにとって、この村は公私ともに自分にとって最適の場所だった。
たまたま母子の家から一番近い距離に住み始めたレナードは、やがて挨拶だけでなく世間話をするようになったクレアからシヴァの様子を聞くようになった。
クレアはシヴァの身に起きたことはもちろん、自分たちがこの村へと流れついた経緯に関しても最初はすべて伏せて話していたため、レナードは内心では時折クレアの話に疑問や違和感を感じることがあったが、それでも、言いたくないことなら無理に聞く必要はないと、いつでも穏やかで大らかな対応でクレアの話を聞いてくれていた。




