#05 異変
『ジュリアン、やっぱりシヴァは最近変よ』
ある夜――
シヴァが眠った後、クレアはそうジュリアンに話しかけた。
シヴァが訓練を始めて四か月半ほどが経ち、以前よりは、暗い表情や不安定な様子も減ってきていたので、ジュリアンは少し驚きながらクレアを見る。
『変って…最近はまた、笑顔も増えてきているじゃない。何が不安なの?』
『あなた、本当に分からないの?』
『…』
クレアの顔は切羽詰まっているようにも見えた。
最近、シヴァよりもむしろクレアの方が、暗い顔をしていることや不安そうに何かを考え込む姿を見ることが増えていたが、ジュリアンには新たに問題が発生しているようには思えなかったため、不思議そうな顔でクレアを見つめるしかなかった。
『…この一か月ほどあなたの仕事が忙しいから、私がずっとシヴァを迎えに行っているけれど…』
『あぁ、それは申し訳ないと思ってるよ。でも、来週からは落ち着いてくるから、また僕も交代で迎えに行けるからね』
最近は残業続きで、保育棟が終わる時間までに迎えに行くことが出来ず、連日クレアにシヴァのお迎えをお願いしていた。一瞬そのことで不満でも溜まっていたのかと思ったが、そもそもクレアは、同じ敷地内の別棟に迎えに行くだけのことで文句を言うようなタイプではない。では、お迎えの時に何かあったのだろうか。
『…保育棟で、何かあったの?』
呆れた顔で自分を見つめるクレアに、ジュリアンは気まずそうに質問した。
『…シヴァが、大人と話をしなくなってる』
『え?』
聞けば――
シヴァは子ども同士ではそれなりにコミュニケーションも取っているし、一緒に遊んだり笑ったりする姿も見られるようだが、保育士やお迎えに来る他の子どもの親など、大人に対しては口をきかなくなってしまっているという。
『…人見知りでは無くて?』
『確かにシヴァはおとなしいし人見知りもするけど、これまで話していた相手とも急に話さなくなるなんておかしいでしょう?』
『まぁ、確かに…』
『それに…』
『…それに?』
クレアが言いかけてキュッと唇を結んだのが気になり、ジュリアンはできるだけ穏やかに、静かに問いかけた。
『ソフィーに聞いたのよ。シヴァはもしかすると教育棟ではプログラムを受けていないかも知れないって』
『…それ、どういうこと?』
ソフィー・ラング研究員はクレアより二つ年上だが、同じ部署で長年勤めていることもあり、クレアが公私共に仲よくしている大切な友人だ。ソフィーは八歳と六歳の二人の男の子の母親で、二人ともesの教育棟で「初期能力開発段階(小学生低~中学年相当)」の教育を受けている。esに勤務している研究員の子供たちは、外の学校へ学びに通うのではなく、esの中にあるサイキック専用の教育プログラムを受ける。
教育棟では基本的な教育も行うが、サイキックとしてその能力を伸ばすこと、PSIを用いて社会に貢献できる人材を育てることを最優先にしたプログラムが組まれている。そして、クラス分けなどは年齢やPSIの能力値によって細かく分かれており、その中でも、未就学児でありながらハイレベルなPSIを持つ子どもがプログラムを受ける教室は、就学児たちが集う教室のあるフロアとは別のフロアに配されていた。
本来は、大人も子どもも関係なく、自分と関係のないフロアへ入ることは禁じられているのだが、ソフィーの子供の兄の方が、友人と一緒にイタズラで未就学児専用フロアへ入り込んでしまったのだそう。そこで教師に見つかり注意を受けたが、その際、兄やその友人たちはどの教室にも人の気配が無かったことを確認しており、また、教師も「ここには今は誰もいないんだから」と言いながら、自分たちの教室へ戻るよう促したという。
『…それならシヴァは、一体どこでプログラムを受けているんだ?』
『それが分からないから不安になっているんでしょう?』
ジュリアンも、クレアの話を聞いて胸がざわついた。
――ふと、ぐっすりと眠っている我が子の寝顔を見つめる。
『…』
この子は一体、毎日どこで何をしているんだろう。
てっきり、訓練も順調にいっているのだとばかり思っていたが、そうではないのか?
そもそも、教育の担当ではなかったとしても、未就学児が就学児エリアで教育を受けると決まったからには、教育棟で働いている教師たちがその事実を知らない訳がない。それなのに、その教師は子供たちに「今はこのフロアには誰もいない」とハッキリ言った。それは、「今の時間はいない」ということなのか、それとも、「今は使っていない」という意味だったのか。
…もし後者なら、シヴァは一体、どこで何をされているんだ?
『…明日、僕が確認してみるよ』
『私、場合によってはここを出てもいいと思ってる』
『クレア』
『だって、シヴァより大切なものなんて私たちには無いでしょう?研究だって、我が子を犠牲にしてまでやりたいものではないわ』
『もちろん、それは僕も同じだよ。万が一にでも、シヴァが辛い目に遭っているのなら、プログラムなんてすぐに止めさせて、それで居辛くなるような職場なら辞めたって良い』
『ジュリアンお願い。ちゃんと確認してきて』
『あぁ、大丈夫だよ』
――これが、家族で過ごす最後の日となる。
翌朝――
『…上手くいくだろうか…』
ジュリアンは出勤後、急ぎの仕事が無いことを確認し、イーサンに所用があって少しだけ席を外す旨を伝えると、人気のない場所までやって来た。
――フロアの奥にある資料保管庫だ。
ここは日中でも人の気配がほとんどない。
特に、今ジュリアンがいる保管庫はかなり古い資料ばかりを集めたエリアになるため、週に一~二度、人が入るかどうかという場所だった。
『…』
ジュリアンは緊張気味に目を閉じ、意識を集中させる。
ジュリアンが持つPSIは「クレヤボヤンス」――このPSIは透視系のPSIで、壁や障害物の向こう、または、遠くの状況などの確認ができる。
索敵能力としても優れているため、シヴァを探そうと思えば探せる能力だ。ただ、ここは他でもないesである。建物内外に強力なシールドが張られているため、よほどの能力の持ち主でない限り、建物内で自分勝手にPSIを発動させることは容易ではなかった。仮に、無理にシールドを突破しようとすれば、esのセキュリティに触れ、すぐにバレてしまうだろう。
だが――
『…どこだ』
ジュリアンの銀色の目が青く光る。
ジュリアンはPSIを一つしか持たない、サイキックの中では平凡の類に入る存在だ。
ただ、クレア以外の誰にも言っていない秘密があった。それは、そのたった一つのPSIが桁外れに強大すぎること。ジュリアンには、esのシールドを突破しながら索敵を行えるほどの強大なPSIが備わっていた。しかも、その数値をesに対しても誤魔化し続けている。
なぜ誤魔化したのか。
そこに特別な理由などは無かった。
esへの不信感や警戒…そのような感情は、今回のシヴァの一件が起きるまでジュリアンの中で皆無だったからだ。ただ、「突出しすぎる能力は誰のためにもならない」…
自分と同じように強すぎるPSIを持つが故に苦労をして来た父親の言葉を、幼い頃から嫌というほど聞かされて育ったジュリアンにとって、自分のPSIの能力を隠したり誤魔化したりすることは当然のことのようになっていたのだ。
だからこそ、自分と同じように強大すぎるPSIを持って生まれたシヴァに対し、複雑な感情が常に付きまとっていた。まして、自分と違ってシヴァは三つものPSIを保持している。そして、そのうちの一つは超特殊能力だ。
…このままでは穏やかな人生は送れないかも知れない…そういった焦りや不安が、ジュリアンがシヴァをesに託す理由になっていた。
『…』
それなのに――
もしも、自分の判断ミスで我が子に辛い思いをさせているのなら…
未来を憂うあまり、今の幸せを、親である自分が奪ってしまっているのなら…
『…シヴァ、どこだ』
何としてでも、助けなければ。
ジュリアンの目が深い青に染まっていく。
あまりにも広大すぎる敷地内に建ち並ぶesの各施設。
そこに従事する人間の数も半端な数ではない。
そこから、強力なシールドを破りつつ、自分の存在を隠しながらたった一人の幼子を見つけ出すには、自分の限界ギリギリまでのPSIを発動させなければ不可能だ。
『…いた』
ジュリアンが見つけたのは、真っ先に確認した教育棟とは程遠い、いくつかある研究棟のうちの一つ…その地下三階に存在する、無機質な実験フロアだった。
一つの部屋に、シヴァだけがぽつんと座らされている。その手にはあろうことか、手錠が掛けられていた。
――いや、手だけではない。足にも枷が取り付けられている。
シヴァは泣きもせず動揺もせず、静かにその場に座っているが、その姿を隣室で見ているホルトや他の研究員たちの姿――
嬉しそうにも楽しそうにも見えるその姿は、正直なところ、ジュリアンにも見覚えがあった。研究者なら誰しもが多少なりとも理解してしまえる光景だったかも知れない。
『…ッ』
あれは、これ以上にない研究の対象を見つけた時の、科学者の顔である。
手に入れたことで、自分が望んでいる実験が思う存分行える…そういった喜びに満ちた顔なのだ。決して、わずか三歳の子を苦しめることに喜びを見出しているのではなく、彼女らの中では立派な研究・実験のつもりなのだろう。
だが――
我が子がモルモットにされている光景を目の当たりにした親の気持ちはどうなるのか。いや、そんなことよりも、三歳という幼さで大人たちの手によって実験の材料に
されている我が子の気持ちは、一体どうしてくれるというのだろう。
『シヴァ…』
ジュリアンの怒りは頂点に達した。
今すぐにでも乗り込んで我が子を救い出したい。
だが、自分にはテレポーテーションのPSIは備わってはいない。
いくら何でも、部外者の自分が正面から実験室のあるフロアへ赴くことは不可能だ。せめて自分が勤務しているこの研究棟の地下ならまだしも、別の棟である。一体どうすれば良いのか…
『…』
ジュリアンは、テレポーテーションのPSIを持つイーサンを頼ろうと、急いで自分の職場まで戻ることにした。




