#03 見えない視線
T-15地区は、多くの住宅と商業施設が立ち並ぶ、どこにでもある街だ。
階級に基づいた街作りの最下層であるということを除けば、ごく普通のエリアである。
少し離れた高台から見下ろせば、夕刻の光に照らされた住宅街と、通りを走る自動走行車の光の筋が、静かに交差している。
『…別に、何も嫌な感じはしねぇんだよな、この区域』
『異議なし』
ノアはあっさり賛同した。
サイキックには、生まれながらのPSIとは別に、いわゆる「第六感」と呼ばれるような鋭敏な感覚を持つ者が多い。
五感が優れているのはもちろんだが、それらを超越した「勘」のようなもの――
悪意や危機の気配を、空気の「ざらつき」として感じ取る力だ。
グレンもノアも、それを何度も研ぎ澄ませてみた。けれど、この区域に「何かが潜んでいる」気配は、どうしても掴めない。
『…』
…掴めない、のだが…。
何かがおかしい。
グレンはチラと隣りに佇むノアの顔を見る。
ノアは本当に何も感じてはいないらしい。
もちろん、グレン自身も何も感じ取れてはいないのだから、恐らくそれは間違ってはいないのだろう。
ただ、何かがおかしい。
確かに嫌な感じはしない。
自分やノアほどのサイキックが何も感じないということは、たとえこの地で何かが起きていたのだとしても、その痕跡は残っていないと断言できる。
ただ、それとは別に、上手くは言えないが妙な感覚を覚えるのだ。
そう…それはまるで、見えない圧を感じるような。
知らない誰かに、自分の一挙手一投足まで監視をされているかのような…
――実体のない視線ほど、厄介なものはない。
姿が見えないのに、確かにそこに「何か」がいる。
人の気配など微塵も感じないのに、何かがそこに在るかのような感覚を覚え、グレンは一瞬目を閉じ、呼吸を整えた。
『…ッ』
その瞬間、空気だけが静かに沈んだ。
音も動きも無いのに、世界の密度だけが一段重くなる。
『…』
いや、…気のせいだろう。
ノアが全く反応していないのだから。
本来、気配を感じるのは自分よりもノアの方が鋭い。
それならば、今自分が感じた「これ」は気のせいか、考え過ぎなのだろう。
『例えば…家出なら、年間である程度の人数は上がるよな?』
『まぁ、そうだね』
『でもこの時代に家出人なんてたかが知れてる。逃げる理由も無いのに、こんな異常なペースで、しかも特定の地域だけで行方不明者が多発するなんて――』
『だから、自らの意思では失踪していない。連れ去られてる…って考えた方が自然だよね、どう考えても』
『…そう、なるよな』
グレンは髪をぐしゃりとかき上げ、深く息を吐いた。
この時代には、大昔のような貧困の問題はほとんど存在しない。
国同士の格差も、国内の生活レベルの差も、表面的には大きく是正されていた。
もちろん、金持ちもそうでない者もいるにはいるが、例えば、衣食住に困るような極端な貧困層はいないと言っていい。たとえ質素な暮らしだとしても、人間の尊厳を奪われない最低限のレベルは保てるような社会作りがされている。
どの国を見ても、貧困の最低ラインは大きく底上げされていた。
その代わり、PSIによる差別や偏見は確実に存在している。
ノーマルに対する差別は、街の作り方にまで影響を及ぼしている。
サイキックとノーマルでは明確な住み分けがなされており、T-15地区はその最下層であり、ノーマルの中でもあまり生活に余裕のない者たちが主に住んでいるエリアになっていた。
また、この時代ではサイキックによるPSI犯罪が凶悪事件の大部分を占めるようになっていた。
サイキックにはサイキックでしか対抗できない。しかも、証拠を一切残さない犯罪も多い。どれだけ優秀な人材を揃えても検挙率は下がる一方という悪循環。
警察に対する信頼も、その存在意義も、もはや「あってないようなもの」と揶揄されつつある。
『証拠がなぁ…紙切れ一枚でも落ちててくれりゃ、そこからどうにでもなる気がするんだけどな』
『そんな間抜けなP-C、いる訳ないでしょ』
『そりゃそうだ』
ノアの突っ込みに、グレンはようやく少し笑った。
それでも、と呟きながら、T-15地区の街並みをもう一度ぐるりと見渡す。
この静けさのどこかに、何かがある。
そう確信できるだけの異常な数字が、すでに積み上がっていた。
『…なぁ、ノア。「es」って、どう思う?』
ふいにグレンが口にした名前に、ノアは少しだけ眉を寄せる。
『さぁ?あまり良い印象でないことは確かだけど?』
『…だよな。でもまぁ、世間一般的には、クリーンなイメージの機関なんだろうけど』
『…なに?グレンは今回の事件にesが関わっていると思ってるってこと?』
『いや、そこまでは…』
グレンの複雑な気持ちはノアにもよく理解できた。
―es―
この国に住む人間ならその名を知らない者はいないくらいに認知された、巨大な科学研究所。国内外に支部を持ち、時には警察への捜査協力も行う半公的機関でもあり、最先端のテクノロジーと、優秀なサイキック達の頭脳が集う場所でもある。
――表向きは、そういうことになっている。
だが警察の内部では、以前から様々な噂が飛び交っていた。
優秀なサイキックへの強引な勧誘によるトラブル
ノーマルへの過度な差別意識
違法な兵器の開発
――など。
中には「人体実験もしているようだ」など、さすがにデマでは無いかと疑われるような極端な噂話を耳にすることもある。
火の無いところに煙は立たない…とは言うが、実際のところは良く分からない。
ただ、これまでにもesが絡んでいるとみられる事故や事件はあった。
けれど、そういった案件は公になる前に、警察組織の上層部によって「強制的に解決」させられたという噂を聞いたことは一度や二度ではない。
そのため、esと警察はズブズブの関係だとか、協力を仰ぐ機会も多い手前何も言えない立場にいるだとか、主に末端から中間層の署員の間でまことしやかに囁かれている仄暗い噂話だ。
『仮に五十年前の失踪事件にも今回の事件にもesが関わっていて、警察トップがその事実を隠しているんだとしたら――』
『今回も迷宮入りは確定、だよね』
ノアがさらりと言葉を続ける。
『…でも、それなら何でわざわざ特治の僕達を現場へ派遣したんだろうね。他の部署ならダミーとも考えられるけど、よりによって特治…しかも、グレンと僕だよ?
何?真実を暴いて膿を出させようとしてる?…さすがに無いよね』
『その可能性は低いかもな』
グレンは眉間に皺を寄せる。
『それとも…上の中にはまだ「まともな奴」もそれなりにいるってことだろうか』
『その線も捨てきれないね』
正義感の塊のような男と、その右腕。
警察にとって「知られたくない事実」があるとして、それに最も近づきやすい二人をあえて現場に送る意味。そこに「善意」があるのか、「監視」の意図があるのか、今のところ、判断はつかない。
二人が所属している「特別治安執行局:通称特治」は「執行局長」を筆頭に、「執行監」が五名、そして、この執行監の下に「上級執行官」「執行官」「補佐執行官」「分析・管制官」が所属する班が存在する。
A班からE班まであるが、通常は「上級執行官」が二~三名、「執行官」が六〜八名、「補佐執行官」が三〜四名、「分析・管制官」が一〜二名で、全体として十五名前後の班を作っている。
ただ、グレンとノアが所属するA班に限っては、「上級執行官」はグレン一人だ。
「分析・管制官」もノア一人だが、グレンの「一人」はそれよりも特別な意味を持つ。
精鋭部隊として知られる特治。その中でも更にトップのA班。
そのA班の指揮官である「上級執行官」が一人で務まるということは、そのままグレンの能力の並外れた高さを証明していた。
もちろん、能力だけでなく人望もあってのことだが。
そんな優秀なA班を率いている執行監もまた、能力・人格共に申し分のない人物ではあるが、果たして今回の任務が、この直属の監の思惑によるものなのか否かは現時点では分からない。
『…まぁ、現時点でesが絡んでいるという証拠は何一つ無い。そもそも、esをきな臭く思っているのは警察の人間だけで、世間一般的には社会貢献でも有名な優良団体でしかないしな』
『まぁ、そうだね。とにかく、今は――』
ノアは一度言葉を切り、T-15地区の街並みを見下ろした。
自分達が住むエリアに比べると、かなりさびれた雰囲気の街だ。
静かすぎる通り。人けもまばらな風景。
…そんな街で、今月の行方不明者が十九名。
ノーマルだけが、跡形もなく消えている。
『…何かしらの情報を得ないことには、何も始まらないよ』
『…そうだな』
『まずは、失踪者達が「最後に足を踏み入れた場所」
からだ。この街のどこかに最初の鍵が必ず落ちてる』
そう呟くと、ノアが大きく伸びをした。
グレンもコートを手に取り袖を通す。
T-15地区で何が起きているのか。
そして、その背後で、誰が何を伝えようとしているのか。
何かが既に始まっている。
その気配だけは、街の空気の隙間に静かに潜んでいた。
この時点で二人はまだ知らない。
この事件の背後に、五十年前の失踪、科学研究所es、そして、やがて出会うことになる一人のサイキック――「ロキ」の影が差していることを。
物語は静かに、しかし確実に動き始めていた。




