#13 帰る場所
『ただいま』
『あ、兄さんお帰り』
今日は、やけに一日が長く感じられた。
身体的な疲れだけじゃない。
どちらかと言えば精神的にハードな一日だった。
それでも――弟の前では、疲れた姿は見せたくない。
リビングへと繋がるドアの前で一度深呼吸をして表情を整えてから、いつものように声をかける。グレンの声に明るい声が重なり、柔らかい笑顔が出迎えた。
『遅かったね、ご飯はどうする?』
『もちろん食べるよ。腹ペコだ』
『了解。ちょっと待っててね。あ、ちゃんと手を洗って来てよ?』
『はいはい』
『「はい」は一回で良いの!』
柔らかく笑いながらそう言い、キッチンへと移動したこの人物はアレン・ブラッド。
グレンの弟だ。
四歳下のこの弟は、グレンに比べると小柄な印象だ。
手足は長いがとても細く、色も白い。一見するとあまり健康そうには見えないが、所作や雰囲気には育ちの良さが滲んでいた。
深いグレーの髪色に同じくグレーの瞳。
漆黒の髪と瞳を持つ兄グレンから色素を抜いたような雰囲気で、顔立ちもとても似ている。だが、グレンに比べるとかなり柔和で優し気な雰囲気だ。
綺麗な二重の瞳は、意志の強さを感じさせるグレンとは異なり、見る者を柔らかく包み込むような慈愛に満ちている。ニコニコと笑いながら兄の夕食の準備をする姿に、グレンの表情も日中とは別人かと見紛うほどに穏やかになった。
『美味そうだな』
『兄さん、ハンバーグ好きだもんね』
『今日は昼もロクに食べていなかったから、好物が夕食で嬉しいよ』
『忙しいのは分かるけど、ちゃんと食べないと体がもたないよ?』
一瞬不安そうな表情を見せた弟アレンに、グレンが「俺はそんなにヤワじゃないよ」と笑う。
サイキック一家のブラッド家において、アレンは唯一、ノーマルな人間だった。
それを変にコンプレックスに思う様子は無かったが、自分がサイキックであれば兄の助けになれたのに…そんな申し訳なさがいつだって漂う弟を、グレンは誰よりも大切に思っていた。
繊細で優しい弟が傷つくことのないように…
自分らしく生きていけるように…
アレンがノーマルだと知った瞬間から、グレンはずっとそう思い続けて傍に寄り添ってきた。
そして、それはノアも同じ――
『お邪魔しま~す』
『あ、お疲れ様!ノアの分もご飯出来てるよ!』
『マジで?サンキュ。僕もうお腹ペコペコだよ』
『…なんか、仕事を終えた気がしねぇんだけど』
『仕方ないでしょ?グレンが働かせすぎるからこんな時間に空腹なんじゃん』
『いや、自分ちで食えよ』
『兄さん、ノアの家は隣なんだから、半分はここが家のようなものだよ』
そう言って笑うアレンを見て、グレンとノアの表情もリラックスする。
日頃、警察という殺伐とした職場で心身を削って働いている二人にとって、アレンの優しさと包容力、そして、屈託のない笑顔が救いになっていた。
兄弟同然に育ってきた三人にとって、こうやって集う時間は何よりの癒しだ。
『グレンと二人でいると、何だか仕事の延長線上ってイメージが消えないんだけど、アレンがいるとリセットできるんだよね』
『俺と一緒だと思いっ切りプライベート感が出るんでしょ?』
『まぁね。こういう時、幼馴染っていいよね』
『俺だって幼馴染だろ?』
『グレンはもう、僕にとって上司だから嫌なんだよ』
『嫌って何だよ』
『ふふッ。兄さん、ノアは兄さんより俺と一緒の方が楽しいんだって』
嬉しそうに笑うアレンの雰囲気は少し幼げにも見えるが、歳はグレンの四つ下で、ノアとは二つ違いになる。幼い頃からいつでも三人一緒に行動をしてきたアレンだが、実兄であるグレンは勿論のこと、ノアのことももう一人の兄のように慕っていた。
また、一人っ子のノアにとっても、グレンを兄のように慕うのと同時に、アレンのことは弟のように可愛がっている。子供の頃から身体が弱く、あまり友人のいないアレンにとって、グレンとノアは大切な家族であり親友でもあった。
『そういや、これ、昨日よりさらに成長してない?』
『そうかな?』
『そうだよ。見る度にでかくなってる気がするんだけど』
『あんまり意識してないけど…まぁ、元気に育っているなら良いんじゃない?』
ノアが呆れたように見つめる先には観葉植物の鉢植え。
なぜかこの家では植物がとても良く育つ。
昔からそうだった。
アレンには植物を育てる才能があるのか、育てやすい品種はもちろん、枯れかけているような状態の植物でも、見る見る生き返らせることが出来た。
植物だけではなく動物にも好かれるタイプで、元気のない生き物もアレンの手にかかれば瞬く間に走り回り、空を飛び、水の中を泳ぎ、生命力をみなぎらせることが出来るのだ。
そんな特技を活かして、アレンは花屋を営んでいる。
戸建ての一階部分で花屋を経営し、二階部分で兄と二人、生活をしていた。
そして、そのすぐ隣りで独り暮らしをしているノアは、ほぼ毎日この兄弟の家に入り浸っている状態だ。
『花屋の評判も良いんでしょ?』
『おかげさまで♪』
『聞いたぞ?アレンの店で購入する植物は、他の店で買うよりもずっと長生きするんだ…って』
『兄さんそれ本当?』
『あぁ、この前話しているのを聞いた。切り花は日持ちがするし、鉢植えは元気で丈夫なんだってさ』
『嬉しいなぁ。少しでも長生きしますようにって心をこめて育てているから、そのおかげかもね』
『いや、そんなんで元気になるなら、どこの花屋も大盛況だよ』
『ノアってば、祈ることは大切だよ?』
『僕は神頼みはしない主義なんでね』
『別に良いけどね。ノアの分も俺が祈っておくからさ』
アレンに何か特別な信仰心があるわけではない。
ただ、彼にはグレンやノアのようなPSIも、同年代の若者のような体力もない。
だからこそ、いつしか思うようになった。「自分に出来るのは祈ることくらいだ」と。
サイキックである二人にとって、神頼みはどうしても曖昧で頼りないものに映る。
だが、アレンにとって大切な誰かの幸せを願うという行為は、それだけで充分に「力」を持った神聖な儀式であり、意味のあるものだった。
『家で出来る仕事だし、そもそも平日に一人でどこかへ出かけるということも無いとは思うけど…』
『ん?』
『アレン…最近、ノーマルの失踪者が増えている。まぁ、この地区ではまず問題はないと思うが、用心するに越したことは無いからな』
『…うん、わかったよ』
アレンの気配ならいつどこにいても感じ取れる。
グレンもノアも、万が一アレンの身に危険が及べば、瞬時にアレンの元へ飛んでくることは可能だろう。だが、何事にも「絶対」は無い。
それに、自分たちが助けられるとしても、アレンに無用な恐怖や不安、痛みなどを経験させたくはない。だからこその、注意だった。
『…行方不明になっている人たちが一日も早く、一人でも多く見つかると良いね』
アレンの言葉に一瞬、
返す言葉が見つからなかった二人だが――
『必ず、解決させてみせるよ』
まるで、自分に言い聞かせるかのように静かに呟いたグレンの言葉に、アレンが小さく笑みを浮かべ、ノアは緩んでいた表情に少しだけ緊張を取り戻す。
――解決させなければ。
これ以上、犠牲者が増える前に。
自分たちの大切な存在が巻き込まれてしまう前に。
だが、それ以前に、自分たちはこの事件の担当に戻ることは出来るのだろうか――
――同時刻。
無機質な空間に、淡い光だけが浮かんでいる。
壁一面に展開された複数の映像。
そのいくつかが、T-15地区を映し出していた。
『…検知ログを回せ』
低く、感情の読めない声が落ちる。
常に追っている訳ではない。
だが、条件が揃えば、必要な記録だけが自動的に引き上げられる。
『余計な接触が増えているな』
一つのモニターが拡大される。
そこには、少し前までの行動断片が断続的に再生されていた。
視線は、その映像に静かに固定されている。
ただ、淡々と――観測だけが続いていた。




