#57 届いてほしい願い
『兄さんありがとう』
『あぁ。…俺は自分の部屋にいるから、下へ下りる時には必ず呼ぶんだぞ』
『分かった』
心配そうなグレンに小さく笑って見せ、アレンは自分の部屋のドアをノックする。
『…』
心臓がやたらドキドキと脈打つのを感じる。
緊張しているのが分かる。
そんな自分を少し面白く思いながらも、アレンはドアを開け部屋に入った。
『…』
いない。
まさか、行ってしまったのではないか。
途端に、焦燥感に襲われたアレンが窓を開けベランダへと出る。
――庭先にも、周辺の道路にも、その姿はない。
…当たり前だ。シヴァがこの場を去ったなら、おそらくテレポートで一瞬にして遠い場所まで行ってしまっているだろう。
『…そんな…』
アレンが震える声でぽつりつぶやくと、
『…ここだ』
と声が聞こえる。
アレンが驚いて上を見上げると、屋上からシヴァがこちらを見ている。
無表情にも見えるその顔は、心なしか冷たい緊張感が幾分和らいでいるようにも見えた。
『あ…』
『お前と会うまではここにいろと言われたからな』
その瞬間、アレンは屋上に立っていた。
シヴァがアレンを自分の目の前にテレポートさせたのだろう。
『…あ、あの…』
『…』
戸惑うアレンを一瞥しただけで、シヴァは何を見るでもなく、ぼんやりと風景に目をやっていた。
――アレンは今さらながら、シヴァがこの場所にいることが何となく信じられない気持ちでいた。自分で、シヴァにも平穏な生活を知ってほしいと思ったはずなのに、
いざ、自分の日常の風景の中にシヴァの姿を見ると、違和感しか感じない。
つい数時間ほど前までは、人ではなくなってしまったものや、esのサイキックたちと戦い、建物をあれほどまでに崩壊させ、最終的に、自分の中に存在する無数のPSIによる「自家中毒」で苦しむ姿を目の当たりにした。
…そういう風景の中にいる方が自然に見えるだなんて、むしろそれこそが異常だ。
今自分の目の前にいるこの人は、そういう異常な世界にいったい、どれだけの長い年月、身を置いてきたのだろう。温かいリビング、温かい家族や友人、そういった風景の中にいる姿が想像できないなんて…
『…なぜ泣く』
『…ごめんなさい…』
『…』
『俺…』
『…』
『俺は…少しはあなたの役に立てましたか?』
『…』
自分に向けたシヴァの表情が、驚いているようにも見える。
『俺、正直に言うと、あの時の状況をはっきり覚えていません』
『…』
『兄に抱えられていたあなたを見て、助けたいと思いました』
『…』
『何が起きていたのか分かりませんでしたが、とにかく、その一心で駆け寄って…』
『…』
『ただ、強く願ったんです。あなたを助けたい、と』
『…』
アレンの言葉を聞いていたシヴァの様子は、どこか動揺しているようにも見えた。
きっと、救う側の存在としてしか生きてこなかったのだろう。
自分を助けたいと思う人間が存在するなど、想像もして来なかったはずだ。
実際に、これまでシヴァを救える者など、一人も存在しなかった。
――力が強大すぎて、自分で勝手に壊れていく以外に、終わらせる術がなかったのだ。だが、壊れる直前で、自分を救う者が現れた。
その事実に、シヴァ自身、まだ気持ちが追いついていないようにも見える。
『俺は、あなたに生きてほしいと思ったし、生きたいと思える人生であってほしいと思いました』
『…』
『あなたにとっては余計なお世話だったかもしれない。でも、俺は、あなたを死なせたくはなかった。だから、必死に願いました』
『…』
そこまで伝えた瞬間、大きな眩暈に襲われて、アレンがよろける。それを咄嗟に支えたシヴァが、屋上に置かれていたベンチにアレンを座らせた。
『…ありがとうございます』
『…広い庭のほとんどを畑にし、屋上にはこれだけの花々とイスやテーブル』
『え?』
『家も広くて綺麗だ。実に恵まれた環境だな』
『…すみません』
『なぜ謝る』
シヴァが嫌みではなく、見たまま事実を言っているだけなのは見ていて分かる。
だが、自分たちが育ったこの環境とは、似ても似つかない人生を歩んで来たであろうシヴァに言われると、なぜだか申し訳なさが先に立つ。
だがそれは、失礼な話かもしれないと、アレンは複雑な胸中になった。
『…種類に限らず、PSIは強く使えば使うほど、副作用が出る』
『…』
『サイキックは、ご都合主義で何でもできる魔法使いなわけではない』
『…』
『継続して使い続ければ心身に負担がかかる。一度きりであっても自分の許容を超える使い方をすれば同じく危険だ』
『…』
『自分の健康、時に命と引き換えにしても構わないと思うなら、際限なく使えばいい』
『…あなたは?』
『…』
『あなたは、加減して使っているんですか?』
『…』
アレンの問いに一瞬黙り込んだシヴァだったが、すぐに淡々と答えた。
『…生きる意味がない』
『…』
『生きていることに理由も未練も無いなら、力をどう使おうがお前の知ったことではない』
『…』
生きてほしいと願う自分の思いは、この人に響くことはないのだろうか。
それとも、自分の思いや言葉は、この人の歩んできた人生に向けるにはあまりに軽々しく、安っぽい感情なのだろうか。
『…それでも、俺はあなたに…』
『心配するな。お前のせいで、当分は死ねない』
『え?』
淡々と、感情の読めない表情と抑揚のない声で言われる。
冗談で言っているのかどうかも分からない。
…冗談?そもそも、この人がそんな軽口を言うだろうか。
『お前に無効化されたおかげで、自分でコントロールができる程度の数までPSIが減らされた』
『…』
『同時に強化型ヒーリングが働いたのか、取り込んだ無数の人格や記憶、感情もかなり消えている』
『…』
『自分の内側が静かになったからな。もう暫くは耐えられるだろう』
『…』
人生とは、耐えるものなのだろうか。
アレンは、純粋な疑問とともに、自分が気を失うほど強く「救いたい」と願った結果でも、シヴァの中にあるほんの一部にしか影響を及ぼせなかったことに、驚きと悔しさを感じていた。
それでも、それがキッカケでシヴァが少しでも生きる上で苦しさを軽減させられたのなら、自分のやったことに意味はあると、言い聞かせる。
――本当なら、救いきってあげたかった…それが、本音ではあるが。
『俺や兄さんたちが、あなたの 「生きる意味」にはなりませんか?』
『…』
アレンの言葉にシヴァが驚いてアレンを見る。
『すぐには無理でも、こうして、俺たちと会ったり話したり、時間を共有することで少しずつ…』
『悪いが、俺には不要だ』
『…』
『生きることに意味などない』
『…』
『…意味を作れば、生きるのが怖くなる』
『…』
無表情に、淡々と。
それでも、言っていることは相当に辛い。
これまでに、シヴァにとって「生きる意味」となった人はいたのだろうか。
いたけれど失った…もしそうなら、「怖い」と思う気持ちも理解できる。
それでも…
『少なくとも、俺にとっては既にあなたは、俺が生きる意味の一部です』
『…』
『あなたにも幸せになってほしい。生きる意味がないだなんて思ってほしくない』
『…』
『俺は、あなたにとって、生きる意味の一部になることはできませんか?』
『…』




