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Transmission  作者: 琉風
第三部「伝達」

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#55 静かな世界

――暗い。

どこまでも、沈み込むような闇。

だが、その奥で――


「返せ」

「違う、あれは俺のものだ」

「やめろ」

「見ろ、まだ終わっていない」

「お前のせいだ」

「助けてくれ」

「奪われた」

「許さない」


無数の声が、重なっている。


男とも女ともつかない声。

若い声。老いた声。

怒り、恐怖、嘆き、嘲笑――


すべてが混ざり合い、境界を失い、一つの濁った「何か」となって、耳の奥に流れ込んでくる。


「お前がやった」

「違う、俺じゃない」

「見ろ」

「思い出せ」

「これはお前だ」

「いや、違う」

「違わない」


――うるさい。


誰の声だ。

これは、俺のものではない。

だが、どれも、確かに「内側」にある。


「奪ったのはお前だ」

「俺の記憶を返せ」

「私のPSIを返せ」

「俺の身体を返せ」

「私の人生を――」


違う。

違う、違う。

俺は――


「誰だ?」


声が、途切れる。

一瞬、静寂が訪れる。

だが、それも束の間――


「お前は不要だ」

「ただの器だ」

「何もない」

「だから奪った」

「だから満たした」

「だから――」


…だから、何だ?

問いかける声すら、自分のものか分からない。

意識が、沈む。

沈んでいく。

奥へ。さらに奥へ。


――その時。


微かな光が、差し込んだ。


「…」


誰かの笑い声。


遠い。

だが、確かにそこにある。


「ほら、こっちよ!」


柔らかい声。

ざわめきが、わずかに引く。


「…」


見える。


温かなリビング。

薬草の匂い。

差し込む光。

…窓際に立つ影。


「遅いよ」


振り返る。

その仕草を、知っている。


「…」


胸の奥が、かすかに軋む。


「相変わらず、ぶっきらぼうね」


聞き慣れたはずの、声。


「お前は…」


言葉が出ない。

名前が、出てこない。

だが、確かに、知っている。


「ほら、ちゃんと見て」


手を伸ばされる。

触れられないはずなのに、確かにそこにある。


「忘れちゃダメだよ」


その一言で――

崩れていた何かが、わずかに繋がる。


「シヴァ…」


ざわめきが、遠のく。

無数の声が、薄れていく。


「…ッ」


呼吸が、戻る。


「シヴァ・フォレスト」


やさしい声。


「私は、あなたの名前が大好き」


あぁ、君は――


「あなたが、大好きよ」


柔らかな言葉が、光に溶ける。

――視界が、白く弾けた。








『…』


今、自分は夢を見ていたのか。

…ということは、眠っていたということか。

――眠れたのか、この俺が。

夢を見るほど…


『…』


意識が一気に浮上していく。

背中に感じる温かく柔らかい感触で、いつぶりだかしれない、ベッドで就寝していたことに気がつく。


『…』


物音がして視線を向けると、グレンがソファに座っていた。










『…フォレスト…』


グレンは何かを思い出したように顔を上げた。

そして、そのまま部屋を出て行こうとして、シヴァに止められる。


『…やめておけ』

『!?』


慌てて振り返ると、シヴァがベッドの上で体を起こしていた。


『…大丈夫か?』


グレンの言葉に無言のシヴァだったが、

一瞬不思議そうな表情を浮かべて、自分の両掌を見つめた。


『…おい?』


グレンは、シヴァが完全に別人格になってしまっていないか、不安になっていた。

意識を失う前のシヴァは完全におかしかった。

自我を失うギリギリのところで抗っているように見えたからだ。

今、心なしかすっきりしたようにも見えるその表情は、果たして本来のシヴァのものなのか…


『…そういうことか』


目を覚ましたとはいえ、その視線はすぐには定まらなかった。

何かを確かめるように、自分の内側へ意識を潜らせているようにも見える。

今目の前で喋っているのが、本当にシヴァ本人なのか――

グレンにはまだ判断がつかなかった。

…自分の手を見つめたまま、そうぽつりとつぶやくシヴァを見て、グレンが再び問いかける。


『おい、大丈夫なのか?』

『…』

『何が「そういうこと」なんだよ』

『…』


その問いかけにも応じないシヴァに、グレンがもう一度口を開こうとした瞬間――

シヴァは一度だけ目を閉じ、呼吸を整えるような間を置いた。

まるで、自分の中で起こった異変を、静かにかみ砕くかのように。

そのあとでようやく、低く言葉を落とした。


『…弟は?』

『え?…あぁ、無事だよ。今下で両親が見てる』

『…そうか』

『…お前は、アレンがサイキックだって、気づいていたのか?』

『…』


まだ断定はできないが、おそらくあれは、ヒーリング系のPSIなのだろう。アレンに抱き締められた時に、シヴァの様子が楽になったように感じられたから。

だが、シヴァの言葉を聞いて、グレンは言葉を失う。


『あれは、アンチ・サイの持ち主だ』

『…アンチ・サイ』


アンチ・サイとは、文字通り、

サイキック能力を無効化・弱体化させる力だ。


『アレンがアンチ・サイの持ち主?』

『それともう一つ、強化型のヒーリングも持っている』

『…強化型、ヒーリング』


それは、通常の治癒を超えた、

異常レベルの回復力を付与する能力のことだった。

回復・安定系のPSIとはいえ、

その二つはかなり強力なPSIの部類に入るものだ。


『…本当にアレンがそうなのか?…根拠は?』

『俺が受けたからだ』

『…』


シヴァが?

確かに、ヒーリングを受けたことで状態が少し良くなったのだろうと思えるような感じではあったが…


『昔からなかったのか?』

『…何が?』

『強化型ヒーリングは人に限らず「生きているもの」に優しい』

『…』

『植物でも動物でも、成長を促したりケガを治したり…』

『…』

『近くにいると気が休まったり、エネルギーが補充できるような感覚を覚える』

『…それは、覚えがある』


なるほど。

アレンが昔から動植物の扱いに優れていたのも、自分たちがアレンといると癒されると感じていたのも、「弟」だからというだけではなく、アレンが潜在的に保持していたPSIの影響もあったのか。


『強化型ヒーリングについては納得できる。だが、アンチ・サイの根拠は何だ?』

『…だいぶ、整理された』

『え?』


シヴァの言葉の意味が理解できず、グレンは続きの言葉を待った。


『…PSIだ』

『…』

『もう、コントロールは無理だろうと思っていた』

『…』

『だが、かなり消えている』

『…どういうことだ』


その言葉にシヴァがグレンを見上げる。


『…自分で扱えるくらいの数に、なっている』

『…』

『…頭の中で、声がしない』

『…』


その言葉を口にするシヴァが、わずかに戸惑っているように見えた。

「静かであること」そのものに、まだ慣れていない。

そんな風に見えて、グレンは返す言葉を失う。


『俺は寝ていたのだろう?』

『…あぁ』

『それも、大きな証拠の一つだ』

『…』

『…いつでも、人の声がうるさくて眠れなかった』

『…』

『だが、寝ていた時も、今も、静かだ』

『…』


そうつぶやいたシヴァの表情が、心なしか穏やかに見えた。

グレンは、今の言葉で、シヴァがどれだけ過酷な人生を生きて来たのか、ほんの少しでも理解出来たような気がした。


『お前の中にある数えきれないくらいのPSIの一部が、アレンのアンチ・サイで消えたというのか』

『まぁ、そんなところだ』


冷静に考えると、それは必ずしもいいことではない。

例えば、自分やノア、ルーカスが、アレンに自分のPSIを無効化されてしまったら、それは、生きていく上での大きな損失になってしまう。


だが、シヴァのように、捨てたくても捨てられず、むしろ、意識とは裏腹にPSIが増え続けてしまうような立場のサイキックにとっては、救いになったということだ。


『強く意識しなければ、無差別的にPSIを無効化するわけではない』

『…』

『まして、通常ならPSIを消滅させるほどの能力は無いはずだ』

『…』

『ただ、自己防衛には使える』

『…』

『もうお前の弟は、お前たちに守ってもらうだけの存在ではなくなる』

『…』

『自分で自分を守れるということは、弟のためにもなるだろう』

『…』


そう言って、シヴァがベッドから降りる。

グレンは、シヴァがそのままテレポートで消えてしまいそうな気がして、咄嗟に叫んだ。


『待てッ!』

『…』

『あ、いや…その、アレンが起きるまで待っていてほしい』

『…』

『アレンは心底お前を心配していた』

『…』

『実際に、お前の命の恩人でもある』

『…別に、頼んではいない』

『それはそうだけど!…でも、お前は救われたんだ、アレンに』

『…』

『だから、せめてアレンが起きるまではここにいてくれ』

『…』


今ここでまた、何も言わずに消えられたら堪らない。

ようやく助かったかもしれない命を、また一人で手放すような真似だけはしてほしくなかった。それが自分の身勝手だとしても、グレンは引き下がれなかった。


『…』


一瞬視線の泳いだシヴァが、「呼べばいつでも来る」と言って、背を向ける。

グレンは咄嗟にその腕を掴んだ。


『…何して…』

『呼んだってお前はもう来ない』

『…』

『それなら、せめてアレンと会ってからにしてくれ』

『…』

『頼む』

『…』


暫く返事に困っていたように見えたシヴァだったが、真剣に自分を見つめるグレンに、やがて「分かった」とだけ告げた。


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