#46 適応の果て
ヴェイルはこの様子をシールド内から見つめていた。
――欲しい。
あの、最強のサイキックを研究できたら、どんな成果が得られるのだろうか。
あれだけの顕在能力に加えて、潜在能力や実験で追加できる未知の能力など――
もし、このサイキックで実験が成功すれば、間違いなく、今ある「未完成品」など足元にも及ばない、最高の”アダプテッド”――
実験に適応した個体が生まれるのではないだろうか。
…ヴェイルは、今自分が置かれている状況もそこそこに、目を異様に光らせてグレンを見つめている。そして、その目が視界の端に捉えた物陰に気づく。
『…来たわね』
ゾクゾクと狂気に満ちた笑みで、ヴェイルはグレンに迫る数々の「未完成品」の姿を捉えていた。
『…来たか』
グレンも、室内に入って来る前からこの「未完成品」たちの存在に気がついていた。T-15地区の立ち入り禁止区域内の地下へと潜った際、一度見ている「それ」は、やはり何度見ても慣れそうにないほど、異質で、不気味で、哀れで、怒りしか沸いてこないほどの、悲しい生き物だ。
『…』
それでも、あの時に見た者に比べて、幾分、人としての原型は留めている。ただ、肢体が何倍にも膨れ上がり、異常な筋肉の発達や強度が見て取れる。
フィジカルだけではない――どんなPSIを扱うのかもまったくの未知数だ。
下手に攻撃を仕掛ければ返り討ちに遭う可能性もゼロではない。
『…どう出るか…』
ざっと見て二十体ほど…
もちろん、これですべてかどうかも分からない。
コイツらを、あの三人がいる部屋へは絶対に通すわけにはいかない。
『…』
一歩、踏み出す。その瞬間――
床を蹴る音もなく、最前列にいた一体が消えた。
『ッ…!』
――速い。
認識と同時に、グレンの体はすでに横へとずれている。
直後、空気を裂く衝撃。
元いた位置の床が、抉り取られるように砕けた。
『…』
目で追うよりも早く、感覚が警鐘を鳴らす。
――来る。
だが…
『ッ…!?』
その「来るはずの位置」に、何もいない。
一瞬のズレ。
その瞬間、視界の外側から叩き込まれる衝撃。
『ぐッ…!』
咄嗟にサイコキネシスで防御を展開するが、完全には殺しきれない。
グレンは弾かれるように後退した。
――靴底が床を削る。
『今のは…』
プレコグニションが、僅かに外れた。
――いや、違う。読めていない。
『…そういうことか』
低く呟く。
目の前の存在は、ただの強化個体ではない。
動きに規則がない。思考の流れも、断片的にしか拾えない。
――読ませない。それが、コイツらの異常性だった。
『ッ…!』
二体、三体と同時に動く。四方からの挟撃。
だが――
『甘い』
瞬間、グレンの姿が消える。
――テレポーテーション。
空間を跨ぎ、包囲の外側へと抜ける。
同時に、振り向きざまに手をかざす。
『止まれ』
――サイコキネシス。
圧縮された力が、一体の動きを正面から叩き止める。
『――ッ』
だが、止まらない。
『な…』
確かに捉えている。
だが、完全には拘束しきれない。
軋むように、押し返される感覚。
『チッ…!』
力を増す。
ようやく動きを止め、そのまま床へと叩きつける。
――が、
『…ッ!?』
叩きつけられたはずの個体が即座に跳ね起きる。
まるで、損傷を感じさせない動き。
『…再生か、それとも…』
考える暇はない。すでに次が来ている。
――来る。
だが今度は、複数だ。しかも…
『ッ…読めない…!』
軌道が定まらない。直線的でもなければ、連携とも違う。
まるで、バラバラに動いているはずなのに、結果として最適な位置に収束してくる。
『ッ…!』
一瞬の判断。迎撃ではなく、回避。
グレンは後方へと跳ぶ。直後、空間が歪む。
複数の衝撃が、同時に一点へと叩き込まれる。
『…なるほどな』
静かに息を吐く。「当たれば終わる」類の打撃。
フィジカルも、PSIも、通常のサイキックとは比較にならない。
『数に加えて、質もか』
皮肉にも似た呟き。
だが、次の瞬間にはすでに動いている。
消えた瞬間に、背後へ回る。
『…まずは数を減らす』
最も近い一体へと、サイコキネシスを集中。
今度は叩きつけるのではなく――
『…潰す』
圧力を一気に収束させる。
骨が軋む音。肉が押し潰される感触。
だが――
『…まだか』
完全には止まらない。
動きが鈍るだけで、機能は失われていない。
『厄介だな』
その一瞬の隙を突くように、別の個体が突っ込んでくる。
――速い。
『ッ…!』
回避が間に合わない。咄嗟に腕で受ける。
…その瞬間、今まで一度も受けたことのない衝撃がグレンを襲う。
『ぐッ…!』
骨が軋む。そのまま後方へと吹き飛ばされる。
床に叩きつけられる直前、咄嗟に空間を捻じ曲げた。
―――テレポーテーション。
衝撃を殺し、着地する。だが――
『…』
静かに、息を吐く。
…大丈夫、ダメージは浅い。
だが、確実に、削られている。
『…』
グレンの視線の先。
――二十体。
一体一体が、先ほどのサイキックたちとは比較にならない「異物」。
そして、そのすべてが一斉にこちらを見ている。
『…来い』
短く告げる。次の瞬間、空気が爆ぜた。
一斉に動き出す実験体たち。
その数、その速度、その圧。すべてが圧倒的だ。
…それでも。
グレンの姿が消える。現れる。叩き、捻じ伏せ、吹き飛ばす。
――だが、減らない。
止まらない。
…まるで、終わらない。
『チッ…!』
わずかに漏れる舌打ち。これまでとは違う。
明確に、「戦い」になっている。
そして――
『…時間を稼ぐしかないか』
一瞬だけ、背後の三人の位置を意識する。
ここを抜かせるわけにはいかない。絶対に。
ならば――
『ここで止める』
静かに、構える。その目に、迷いはない。
だが――完全に余裕も、消えていた。
『兄さん大丈夫かな』
『グレンなら大丈夫。僕たちやesのサイキックすべてと比べても一番強いからね』
『それに、このシールドがあれば、万が一敵がこっちへ回って来てもしばらくは平気だろ』
ルーカスが笑って、三人を囲むシールドを見上げる。
ヴェイルがグレンに言っていたシールドは、確かにこの実験エリアには近距離ごとに多数設置されていた。
実験中の事故やトラブルのリスクを想定して、研究員たちの身を守るため、es本来のセキュリティシステムとは別系統のセキュリティが存在している。
それも含めてすべて潰してやりたい気持ちは山々だが、とりあえず今の自分たちにとっては相当に都合がいい。
ノアがいち早くこのシールドの存在に気づき、その中に三人で避難しつつ、ヴェイルが言っていた、es全体に関わる別系統のセキュリティシステムをすべて、探し出している途中だった。
『…ルーカス、お前の索敵能力と僕のロジックマスターをかけ合わせなければ難しい。別系統がいくつあるのか。そのバックアップも含めれば相当手こずるはずだ』
『…お前に不可能なんてなかったんじゃねぇのかよ』
『…不可能とは言っていない。難しいと言っているだけだ。早く協力しろ』
『マジでその偉そうなのどうにかしろよ』
二人がぶつぶつ言いながらもセキュリティシステムを探し始めたその隣で、アレンはグレンのことが気になって仕方がなかった。
確かに兄は強い。
自分が知る限り、兄より強いサイキックなど存在しないだろう。
だが、相手はesだ。まして、得体の知れない「実験体」がどれだけ隠れているかも分からない。
…ノアやルーカスが自分ほどグレンのことを心配しないのは、同じサイキックとして信頼があるからなのだろうか。
それとも、他人だから?…そんなことを考えてしまうほど、アレンは気が気でなかった。
――自分がほんの少しでも役に立てる存在であったなら…
今だって、二人は戦闘にこそ関わっていないが、esを壊滅させるために重要な役割を果たしている。兄に至っては言うまでもない。では、自分は?
こんな危険な場所に助けに来てもらうだけの、迷惑をかける存在でしかない。
――力になりたい。
自分だって、兄を、ノアを、ルーカスを、支えられる存在になりたい。
『…』
アレンの体を淡く包む、まだ本当にささやかな白い光が生まれ始めている事実に、二人はもちろん、アレン自身もまだ気がついていない。




