#44 救出の刻
――速報。
警察本部において、複数の上層部職員に対する大規模な内部調査が開始された。
関係者の一部はすでに拘束されており、長年にわたる不正と組織的な隠蔽の可能性が指摘されている。
今回の件を受け、警察組織は一時的な指揮系統の再編を余儀なくされ、各部署においても対応の見直しが進められているという。情報は断片的でありながらも、ひとつの事実だけは、既に広く認識され始めていた。
――警察組織に内在していた歪みは、もはや隠しきれるものではなかった。
一連の事態を受け、その構造が白日の下に晒されつつある。
そして、その裏側に存在していたのが――
es。
『すぐに実験へと移りましょう。
例の薬剤を持ってきて』
『はッ!』
アレンを楽し気に見つめていたヴェイルの表情が瞬時に代わり、研究員へと指示を出す。その目は、一分一秒でも早く、自らの手で目の前のモルモットを存分にいじりたい衝動に駆られているように見えた。
『…』
どうしよう…
ただの検査ならまだ我慢できた。
でも、何か変な薬を体に打たれるのは怖い。
もし…もし、あの時に見た「ワープの道具」のような生き物にされてしまったら…
そう思うと、アレンの恐怖は一瞬で膨れ上がる。
『あなたたち、データをしっかり取るのよ!』
『はい、問題ありません』
『…見てなさい。
私の勘が外れていなければ、この薬剤の効果は…』
『…ッ…』
すぐにでも準備された注射器と怪しげな薬剤。
楽しそうにアンプルから注射器へと薬剤を移すヴェイルを見て、アレンは背筋が寒くなるのを感じた。
…きっと、ここで命を奪われたり、望まない形にされてしまったノーマルたちも、こんな風に耐え難い恐怖や不安の中、尊厳を奪われていったのだろうと…
『あなた、まだ自分がノーマルだと本気で信じてる?』
『…え?』
『あまり怖がらなくて良いわよ。どうせこの薬剤を打ってもあなたは何も変わらないわ』
『…』
『それを今、私が証明してあげる』
そう言われて、ヴェイルに左腕を掴まれる。
咄嗟に抵抗しようとしたら、研究員たちに左右の腕を掴まれて拘束された。
『あなたにふさわしい薬剤は、後ほど私がゆっくりじっくり選んで打ってあげるわ』
『…』
『とりあえず今は、あなたが「普通ではない」ということを分からせてあげる』
『…やめろ。触るな』
針先から漏れる薬剤。
完全に実験を楽しむ顔つきをした狂気の研究者を目の前に、アレンは大声で叫んだ。
『兄さんッ!!!』
その瞬間、アレンとヴェイルの間に三つの影が現れ、驚いたヴェイルの体が吹き飛ばされる。アレンを拘束していた二人の研究員も、同じように左右に跳ね飛ばされた。
『呼んでくれて助かった。広すぎてどこから探そうかと悩んでいたところだ』
『兄さん、俺…ごめんなさい』
『謝る必要はない。ノア、アレンを頼む』
『了解』
『ルーカス、行くぞ』
『任せろッ!!』
ヴェイルを守るように瞬時に駆けつけたサイキックたちを相手に、ルーカスが楽し気に腕を回す。
『お前らよくもアレンを怖い目に遭わせてくれたな?何百倍にもして返してやるぜ!』
ノアがアレンを連れて距離を取ったのを確認したグレンとルーカスが、一瞬だけ目を合わせ確認を取ると、それぞれに攻撃を仕掛ける。その瞬間、音もなくグレンが消える。
――テレポーテーション。
視界から完全に消失したその一瞬の空白。
次に現れたのは、敵の背後だった。
『どこへ行った!?』
『ここだ』
短く落とされた声と同時に、サイコキネシスが発動する。
見えない力が、標的の体を正確に捉えた。
『ッ!?』
抵抗する暇も与えず、そのまま床へと叩き伏せる。
動きは最小限。だが、その一手一手が確実に「終わり」へと繋がっている。
一方で――
『グレン、あんま張り切んなよ。俺がやる!』
ルーカスが軽く言いながら、一歩踏み込む。
その瞬間、空気が震えた。
――フォノンキネシス。
圧縮された音が一点で弾け、接近してきたサイキックの体を横殴りに吹き飛ばす。
『ぐッ…!』
崩れた体勢。そこへ、間髪入れずに雷が走る。
――エレクトロキネシス。
『甘いな』
短く吐き捨てるように言い、電撃が逃げようとした敵を正確に貫く。
焼ける音とともに、その場に崩れ落ちる。
『…まぁ、こんなもんか』
わずかに息を吐き、ルーカスは次の標的へと視線を移す。
無駄な動きは一切ない。
その横で――グレンがすでに次の敵の懐へと入り込んでいる。
『遅い』
テレパスによる先読み。
回避行動を取るよりも早く、その動きは読まれている。
『くッ…!』
逃げようとした方向に、すでにグレンがいる。
逃げ場はない。
『終わりだ』
サイコキネシスによる拘束。そのまま床へと叩きつけられ、意識を断たれる。
――戦闘は、まったく成立していなかった。
『数はいるが、連携が甘いな』
グレンが淡々と告げる。
『質に頼るなら、もう少し徹底するべきだ』
『だな。数で来るなら、もうちょい頭使えって感じだ』
ルーカスが指を鳴らしながら応じる。
『この程度で止められると思われてるなら、舐められたもんだ』
再び踏み込む。今度は近距離。
拳を振り抜くと同時に、音の振動が重ねられる。
『――どけよ』
衝撃が、空間ごと押し流す。
正面に立っていたサイキックが、何もできないまま吹き飛ばされた。
『ッ…!』
『悪いな、手加減する余裕はねぇ』
静かだが、芯のある声。その直後に背後からの攻撃。
だが――
『見えてるぞ』
グレンがわずかに身を引く。
攻撃は空を切り、そのまま無防備を晒した敵に対し、
『遅い!』
一瞬で距離を詰め、叩き伏せる。無駄がない。
一切の迷いもない。
『…これで終わりか?』
周囲を見渡しながら、ルーカスが低く呟く。
倒れ伏す敵。動ける者は、もういない。
『大丈夫そうだな』
グレンが短く答える。
『…ところで、そこに隠れているお前、さっさと出て来いよ』
ルーカスの言葉に、陰に隠れていたヴェイルが息をのむ。
どうする?
研究員たちは皆あっけなく、無様に倒されてしまった。
だが、このまま彼らを逃がすわけにはいかない。
むしろ、アレンだけでなく他にも欲しかったサンプルが目の前に揃っている。
どうにかして四人全員を捕獲せねば…
『…あなたたち、まさか、esのサイキックがたったこれだけの人数だとでも思っているの?』
『…』
『すぐにでも、他のエリアから精鋭たちが駆けつけるわ』
『…だが、地下施設の存在を知っているのはごく限られた人間だろう?果たして、俺たちをまとめて倒せるほどのサイキックが何人もいるのか、疑問だな』
『…あら、別に、戦力となるのは「普通のサイキック」だけとは限らないわよ?』
『…』
ヴェイルの言葉に四人がそれぞれ、「実験のなれの果ての存在」を想像する。
…まさか、ああいったものが、他にも多数存在するとでも言うのか。
『…そもそも、今es内はすべてのセキュリティがダウンしている。存在を知られないように張られていた地下周辺のシールドが消えた今、ここの存在をどう誤魔化すつもりだ?』
『多少時間はかかっているけれど、esのセキュリティが一系統だけのはずはないでしょう?破られたら他系統のセキュリティが起動する仕組みになっているわ。…それに、esにも、あなたの上司のように、情報や記憶を操作できる人間が多数いるの』
『…』
『無事にセキュリティが復活して、地下へのシールドも張り直せたら、あとは、事実を知ってしまった者たちの記憶を改ざんしてしまえば済むこと』
『…』
ブラックウッドのように、情報や記憶を自分たちの都合のいいように改ざん・隠ぺい・誘導できるということか。
…できれば、別系統のセキュリティまでも潰しておきたいが、それよりも、この事実を改ざんが追いつかないレベルで広く知らしめる方が重要な気もする。
――グレンは悩んだが、今は一分一秒すら惜しい状況だ。




