#43 戦場を支配する者
『特治とは、PSI犯罪に対処するために設けられた、警察内の特殊執行機関です』
『…』
『決して、警察内の悪事を隠蔽する機関でも、ノーマルを差別・排除する機関でもない』
『…』
『あなただって、最初はまっとうな正義を持ってこの世界に入ったのではないのですか?ノーマルは守るべき存在であって、壊すべき存在ではない』
『バカなことを。私が警察に入った動機は、さきほど話した私の「正義」に他ならない』
『…』
『幼い頃から虫唾が走って仕方がなかったんだよ。ノーマルを目にするとね』
『…』
『どうすればコイツらをこの世から失くせるか。それは年齢を重ねるごとに、明確な私の信念となり正義となっていった』
『…』
今自分が見ているこの男は、本当に特治のトップなのか?
警察の中でもトップレベルの組織を率いる、能力・人望に優れた者でなければならないこのポストに、なぜこんなクズが就いている…?
『…あなたのような人間を組織に採用するとは、警察の人間は見る目がない』
『…』
『いや、私も含め、これまで皆騙されていたのだから、いっそ役者にでも転身してはいかがですか?』
『…』
『少なくとも、あなたはこの世界にいていい人間ではない』
『…』
『特治のトップともあろう者が、私利私欲に走り、あの悪魔のような組織の犬に成り下がるとは…』
『…』
『恥を知れッ!!』
一瞬、身構えた両者だったが、ほぼ同時に執務室のドアをノックする音がした。
『失礼します』
数名の人間が、音もなく室内へと踏み込んできた。
その中心に立つ男が、真っ直ぐブラックウッドを見る。
『エドワード・ブラックウッド執行局長』
『…何のつもりだ』
『国家内部監査局です』
『…』
『あなたを、重大な規律違反および組織不正の疑いにより拘束します。取り調べのため、ご同行願います』
空気が凍る。
『…随分と強引だな。午後からと聞いていたが?』
『緊急執行権限が発動されています』
淡々とした声。
『まぁ、もう午後と言って差し支えないしな。もう少し時間が欲しかったが…』
『拒否権はありません』
ブラックウッドを囲むように人員が動く。
その瞬間、周囲の空間にわずかな違和感が走った。
――何かが遮断されたようだ。
フロストがそれを察知する。
『…空間同期を切っているな』
『正確には、干渉を無効化しています』
別の担当官がフロストへ向き直る。
『フロスト執行監。本件は当局の直轄管理下に移行しました』
『取り調べ場所は?』
『非公開施設です。位置情報は開示されません』
『理由は』
『対象の能力特性上、情報流出リスクを排除する必要があるためです』
短く、そして明確に担当官が答える。
『なるほど』
『あなた方の報告は受理済みです。以降は我々が引き継ぎます』
『…まぁ、半数とは言え本庁の上層部までもが腐っていた以上、外部に頼るしかないのは理解できる。彼のPSIにはくれぐれも気をつけてください』
『問題ありません』
ブラックウッドが彼らに連れて行かれる。
その後ろ姿を眺めながら、フロストは小さなため息を吐いた。
『…』
統括監理局の対応の早さには驚いたが、ここまでが腐っていなかったことは本当に幸いだった。
短期間でブラックウッドや異捜に関する不正の証拠を集めるのには、多少なりとも苦労が要った。それが報われたことに、安堵している。
だが、異捜や本庁上層部の人の入れ替えや体制の立て直し、社会への報告義務など、後々のことを考えれば少々面倒だとも思う。
これだから、今までの自分は「自分の正義さえ貫けば…」という逃げの姿勢だったのだが、今後はもう、そうも言っていられないだろう。
ブラックウッドの言葉にあれほどの怒りを感じることができた自分は、自分が思っていたよりもよほど、警察官としての正義と信念を抱えていたのだろうと自覚ができたから。
『…フロストだ。A班は全員、esに向かうように。ブラッドとコールドウェルが先に向かっているはずだ。援護を頼む』
フロストは、マーカス・ブラッドから聞いていたグレンとノアのesへの攻撃に、少しでも他の部下たちが協力できるよう、指示を出した。そして、他の四人の執行監に対し、緊急事項としてB班からE班までも可能な限り人員をesに向かわせてもらうよう連絡をする。
すべきことを済ませた上で、本庁へと向かおうと執務室を出たフロストに、背後から呼び止める声――
『よぉ、どこに行くんだ?』
『…』
振り返ると、異捜の部長であるグラント・ヘイルがフロストを睨みつけていた。
『まったく余計なことをしてくれたよなぁ』
『…』
『特治の局長様が今、連行されていくのを見たぜ?』
『…』
『まぁ、俺もこれから取り調べを受けなきゃなんねぇんだけどよ』
『…』
『お前、これが必要悪だってことくらい分からねぇのか?』
『…』
『みんな、持ちつ持たれつなんだよ。何柄にもなく正義感丸出しで冷めることしてくれてんだ』
『…早く、取り調べに行ったらどうです?』
いくら署内にいるからといって、取り調べを行うつもりの人物を野放しとは少々緩すぎかとは思うが、先ほどのブラックウッドの件を見る限り、おそらくコイツも監視は
されているのだろう。
フロストはそう思い、ヘイルの言葉を無視して歩き始める。
『ちょっと待った。逃げんじゃねぇよ』
『…逃げてなどいない。忙しいだけです』
『…チッ』
舌打ちと同時に、ヘイルが踏み込む。
『逃がすかよッ!!』
――インパクト・クラッシュ。
叩き込まれた衝撃が空間ごと歪ませ、廊下の壁面を軋ませながら、
目の前の存在を押し潰す…はずだった。
『…』
鈍い衝撃音が、わずかに遅れて廊下に反響する。
だが――
『…は?』
砕けたのは、目の前の空間ではない。
「自分の拳の軌道」そのものだった。
打ち込んだはずの力が、まるで別のベクトルへと滑っていく。
いや、違う…「返されている」。
『…チッ!』
反射的に距離を取るヘイル。
その視線の先、フロストは廊下の中央に微動だにせず立っていた。
『…読んでいるのか』
『違うな』
フロストは静かに否定する。
『解析しているだけです』
その瞬間、張り詰めた空気が廊下全体に広がる。
――タクティカル・アナライズ。
――プレディクション・ライン。
――エリア・シンク。
重なり合う複数の演算が、この閉鎖された空間そのものを書き換えていた。
ヘイルが踏み込む。次の一手を読ませないよう、意図的にリズムを崩しながら。
だが――
『無駄です』
フロストの声は、あまりにも冷静だった。
振り抜かれる二撃目。
だがその拳が届く寸前――「軌道が逸れる」。
壁際をかすめるように、衝撃が流れる。
見えない何かに流されるように、攻撃がわずかにズレる。
『なッ…』
『力の流れは単純だ』
フロストの瞳がわずかに細まる。
『解析してしまえば、あとは返すだけでいい』
その瞬間。ヘイルの打撃の「衝撃」が、逆流する。
『…ッ!?』
体勢を崩したのは、ヘイルの方だった。
本来、相手を押し潰すはずの衝撃が、そのまま自分へと跳ね返る。
『ぐッ…!』
数歩よろめきながら、壁に手をついて無理やり踏みとどまる。
『…面白ぇじゃねぇか』
口元に血を滲ませながら、ヘイルが笑う。
『完全防御じゃねぇ。利用してやがるな?』
『ようやく理解しましたか』
フロストは一歩、前に出る。その動きには一切の無駄がない。
いや、無駄という概念そのものが排除されている。
『あなたの能力は優秀です』
淡々とした声。
『だがそれは、「過去を追う能力」に過ぎない』
一瞬の沈黙。
『戦闘において重要なのは、未来です』
その言葉と同時に、フロストの姿がぶれる。
ヘイルが反応するよりも早く――すでに目の前にいた。
『遅い』
低く、確定した宣告。次の瞬間。ヘイルの視界が激しく揺れる。
何をされたのか、認識できない。ただ一つ確かなのは――
自分の動きが、すべて「先に処理されていた」という事実だった。
『――ッ…!』
衝撃に弾かれ、ヘイルの体が廊下の床を大きく滑る。
壁際にぶつかり、ようやく止まる。――静寂。
『…』
フロストはその様子を一瞥するだけで、静かに視線を外した。
『トップに立つ理由は、能力の強さではない』
わずかに間を置き――
『戦場を支配できるかどうか、です』
『クソッ…お前さえいなければ、全部、上手く回ってたんだよ!』
駆けつけた職員たちに取り押さえられるヘイルを背に、フロストは今度こそ本庁へと向かった。




