#42 対立する正義
『やぁ、フロスト』
『…』
わざわざフロストの執務室までやって来たブラックウッド。
本来であれば、立場的に局長が執行監個人を訪ねることなど、そうそうないことだが、逆を言えば、そうせざるを得ないほどの、緊急事態なのだろう。
――もちろん、フロストには、その緊急事態を自身が作ったという自覚があった。
『統括監理局というものは、実に仕事が早い』
『…』
『今朝の出来事だろう?今はまだ昼なのに、すでに私の所へ話が来たよ』
『…』
フロストは一瞬、やはり統括監理局もグルなのかと諦めかけたが、ブラックウッドの次の言葉に顔を上げる。
『午後にでも、私の所と異捜、そして、本庁の役員たちの所に調査が入るそうだ』
『…そうですか』
『まさか君が身内を売るような奴だとは思わなかったな』
『…告発者の素性は守られるはずでは?なぜ私だと思うのです?』
『ここ最近、君が私にウソをついていることくらい、気づいていたからね。それは、用心もするし、何かあれば真っ先に疑うはずだろう?』
『…』
ブラックウッドの言葉にフロストが眉を寄せる。
『ウソ、とは?』
『私が気づかないとでも思っているのかい?君の部下たちのことだ』
『…』
『出勤もせず、好き放題しているらしいが、君はそれを黙認している』
『…』
『…私のPSIで大人しく従っているのだと思っていたが、どうやら違ったようだ』
『…』
余裕のある笑顔で穏やかに話すブラックウッドだが、長年この男を見てきたフロストには、その目の奥に相当な苛立ちと、自分に向ける憎しみが宿っているのが分かる。
『…確かにあなたは、情報や認識を操作するタイプのサイキックだ。これまで、自分に都合の悪いことを散々書き換えてきたように、私の記憶や認識にも干渉したつもりでしょう』
『…』
『ですが、私が得意とするのは、状況への瞬時の解析と、受けた攻撃への反転制御です』
『…』
『自分のPSIを少し応用すれば、あなたに掛けられたPSIを交わしつつ、その目的に気づくことも可能です』
『…』
『まぁ、騙されているフリをした方が都合が良かったのでそうしましたが』
『…』
『証拠集めがはかどったことと引き換えに、部下からの信頼を失いましたよ』
『…』
淡々と話すフロストの言葉に、ブラックウッドの顔が微かに引き攣る。
『…それは、部下のPSIをロクに把握していなかった私の落ち度ということか。
ただ、私をまるで悪のようにつるし上げるのはいかがなものかな?』
『…どういう意味でしょうか?』
『君は実に優秀な部下だった。言ってしまえば、他の執行監たちに比べて実に扱い易い部下だったよ』
『…』
『それが、ここへ来て突然私のことを嗅ぎ回るなど、いったいどういう風の吹き回しだ?』
『…』
ブラックウッドの言葉を聞いてフロストは思う。
確かに自分は、上の人間にとっては使い易く、下の人間にとっては取っつき難い存在だっただろう。自分の中に在る、警察官としての主軸は実に単純なものだった。
言動に多少の難があったとしても、それが「正義」に基づいているものであれば構わないと思っていたし、正直、人のことなどどうでも良かった。最終的には自分の中に在る正義さえブレなければ、それで構わないとも思っていたのだ。
だが――
『私はあなたのことを、一人の人間としてはまったく信じてはいない』
『…』
『ですが、警察の人間として、上に立つ人間としては、「正義」と「信念」を持った存在だと認識していました』
『…』
『尊敬などはしていませんが、仕えるに問題はない上司だと思っていたのです』
『…』
『ですが、自分の中で見て見ぬフリをしてきたことが限界を迎えそうになった頃、
タイミング良く、あなたの「悪意」を知ることになった』
『…』
『私は私の「正義」に基づいて、あなたの悪事を然るべき場所に報告したまでです』
『…君のような人間が一番厄介だな』
ブラックウッドがため息を吐く。
心なしか震えているように感じたのは、弱さではなく相当な怒りによるものだろう。
『自分の「正義」に基づいて…と言ったな?』
『…』
『まるで私に「正義」がないかのように言うじゃないか』
『…』
『もちろん、私にだって正義はあるよ』
『…』
『これでも一応、警察官なのでね』
『…』
そう言うと、ブラックウッドが一呼吸おいて話し始めた。
『フロスト、君には分からないだろうが、組織を動かすのは簡単なことではない』
『…』
『頂点に立つ者は、「個」ではなく「バランス」を重視するものだ』
『…』
『どの世界にも「必要悪」というものは存在する』
『…それは、理解しています』
『そうだろう?決して公にはできないが、社会全体が円滑に周るためには存在せざるを得ない者たちが、一定数はいるものなのだよ』
『…esほどの規模の組織を「一定数」と呼べるとは思いませんが』
『…君は、esが本当に「悪」だと思うかね?』
『…』
ブラックウッドが自信ありげに問いかける。
確かに、esが社会に及ぼす「良い影響」というのも存在する。
それも、決して少なくはない領域の中で。
医療や福祉、科学の分野を筆頭に、esが存在しているからこそ、人々の生活が守られているという側面も、決して無視してはならない。
だが――
『どれだけ素晴らしいことをしていたとしても、人を人とも思わない実験を行っている時点で、組織全体が許されない存在になるのは当然でしょう』
『…フロスト。君に、私の正義とは何かを教えようじゃないか』
真っ直ぐにブラックウッドを見つめるフロストに、ブラックウッドが余裕の笑みを崩さずに話し始める。
『私の正義とは、この世界からノーマルを失くすことだよ』
『…ッ』
『ノーマルなど、実に邪魔な存在だと思わないか?』
『…何を言って…』
『彼らにいったい何の価値がある?PSIを持たず、秀でて社会に貢献できる何かがあるわけでもない』
『…』
『まだ、家畜の方が「人様のエサになる」という存在意義を持っている。そう、彼らは家畜以下なんだよ』
『…』
『そんな無駄な生き物を一掃し、サイキックだけの世界を作ることこそが、私の理想であり正義だ』
『…』
『幸い、esの理念と一致する部分があってね。それならば、互いの利益のために協力し合おうじゃないかと、今の関係性を結ぶことになったのだよ』
『…』
フロストには、ブラックウッドの言っていることが理解できなかった。
何を言っている。自分たちは警察の人間だぞ?
弱き者を守るのが、自分たちに課せられた最重要項目ではないのか?
『…あなたが局長に昇進した時、おかしいと思ったんです』
『…』
『本来なら、マーカス・ブラッドが就任して当然の流れでした。だが、蓋を開けてみればあなたが局長という、筋の通らない展開になっていた』
『…』
『esとの関係性?それは、警察の内情についての横流しや、部下から上がって来る報告に関しての改ざん・隠ぺいなど、あなたがesに使われているだけの関係性だ』
『…』
『それのどこがウィン・ウィンの関係性なのです?』
『私がいいように使われるわけがないだろう。見返りはしっかり確保できている』
『…』
『ゆくゆくのノーマル全滅、そして、警察がesの傘下に納まった暁には、私が最高
トップの座に就くという事実だ』
『…』
クセの強い男だとは思っていたが、まさか、ここまで腐っていたとは…
フロストは今朝、統括監理局の前でブラッドに会った際、質問を投げかけていた。
「ブラッドさん、あなたが警察を辞めてから、ブラックウッドが局長に就任するまでの半年間に、警察上層部で何があったと考えますか?」
「…」
「私は、局長に就任するのはあなただと思っていました。そして、それは至極まっとうな評価であり昇進であるとも思っていました」
「…」
「ですが、辞令が出ると思われた直前でいったん保留となり、あなたが退職。そして、彼がその座に就いた」
「…」
「…何か、あったのですよね?」
この問いに、ブラッドは明確な返事はしなかった。
「今となってはどうでもいいことだ。ただ一つ言えるのは、こうなることが予想できたはずにも関わらず、私は警察を辞めたということだよ」
「…別に私は、あなたを責めているつもりはありません」
「もちろん、そんなこと思ってはいないさ。ただ、私に警察の人間としての自覚が足りなかったというだけのことだ」
「…」
正直、あのやり取りでは真実は分からないままだ。
だが、esの圧力によって、急遽ブラックウッドの名が浮上したのは間違いない。そして、それをアッサリと承認した本庁上層部の人間にも、esの犬がいた。それだけのことなのだろう。
一人で立ち向かうにはあまりにも強大すぎて、なす術がないと諦めてしまったブラッドを責める気は微塵もない。なぜならば、自分の正義さえ貫けばそれでいいと考えていた自分も、人のことが言えないからだ。
ただ、彼の息子であり自分の部下でもあるグレン・ブラッドと、その右腕、ノア・コールドウェル…この二人を守るのは、上司としての自分の義務だ。




