#38 分岐点に立つ者たち
『ブラッド元管理官…奇遇ですね、こんな場所で会うとは』
『…その呼び方はもう適切ではないよ。普通にブラッドと呼んでくれ』
『その呼び方だと、息子さんと被ってしまうので妙な感覚がありますね』
「統括監理局」の前で偶然、グレンとアレン、二人の父親であるマーカス・ブラッドと、フロストが鉢合わせする。
マーカスは、グレンから警察とesの癒着に関する証拠を集めたデータと、紙の資料をどちらも託されていた。自分たちがesに乗り込んでいる間に、「統括監理局」に報告書を上げてほしいと頼まれていたのだ。
「統括監理局」は基本的には警察内部の人間や関係者のみ立ち入りできる組織だが、外部や一般人からの告発、情報の持ち込みなどにも対応できるよう、窓口が設けられている。マーカスはグレンの身内であり、自身も元警察官ということで、特に厳しい審査もなく報告書を上げることができるはずだが、この場でフロストと会うとは思いもしなかった。
――フロストにとってマーカスは同じ部署に所属したことはなかったが、エリートで正義感の強いマーカスの存在をフロストは良く知っており、若い頃はガラにもなく憧れを抱いた先輩でもあった。
『…そうか』
マーカスは短く応じる。
その視線は、わずかにフロストの胸元へと向いた。
コートの内ポケットに何かを収めているのだろう。
こんな場所にいる割に、持ち物が少ない。手にした書類も薄い。
だからこそ、胸元のそれが今回の「本命」であることは明白だった。
――とはいえ、
『…珍しいな』
マーカスが静かに言う。
『君なら、すべてデータで持ち込むと思っていた』
『ええ。初めはそのつもりでした』
フロストは淡々と答える。
『ですが…』
ほんの一拍、間を置く。
『データは信用できない。あの組織は、いくらでも書き換える』
『…』
『だから、こちらもあえて「残る形」で用意した。それだけです』
余計な感情は乗っていない。ただ、合理的な判断としての言葉。
マーカスはわずかに目を細める。
『…同じだな』
短く言ったその一言に、説明は含まれない。
だが、互いに理解していた。持ち込もうとしているものの「重さ」も、それが、隠蔽や改ざんでは覆いきれないものであることも。
『お互い、ここに来る理由は同じ…と考えても?』
フロストが平坦な声で問う。
『…どうかな』
マーカスは視線を建物へと向ける。
『少なくとも、軽い用件ではない』
『でしょうね』
フロストもまた、同じ方向を見る。
無機質な外観。外界と切り離されたような静寂。
『内部に提出するのですか?』
『そのつもりだ』
『…そうですか』
フロストはわずかに間を置き、
『私も、同様に』
とだけ言った。
それ以上の言葉は不要だった。
『…』
マーカスがフロストを見る。
『単独か?』
『ええ』
『組織を通していない、と』
『はい』
フロストは即答する。
『この件に関しては、内部の手続きに乗せるべきではないと判断しました』
『…同じだな』
マーカスが静かに言う。
フロストは何も返さない。ただ、その沈黙で充分だった。
『…中はどうなっていると思う?』
『さぁ、どうでしょうか』
フロストが短く答える。
『機能していればいいが』
『…そうですね』
『…グレンやノアが、君に対する失望と絶望を深く感じていたようだが、それは二人の誤解だったということで、いいのかな?』
『…敵を欺くにはまず味方から…と言えば聞こえはいいですが、まぁ、彼らの私への信頼の無さが功を奏したという皮肉でしょうね』
フロストの言葉にマーカスが一瞬驚き、そして、小さく笑う。
思えばこの男は、まじめで熱い正義感が見た目の印象に見事に隠されてしまうという気の毒なタイプだったことを思い出したのだ。
『では、行くとしようか』
『えぇ』
二人は並ぶでもなく、わずかに間を空けたまま、統括監理局の入口へと歩き出した。同じ目的を持ちながら、同じ道を進む。
だが――その先に待つものが同じである保証は、どこにもなかった。
当然、統括監理局が、味方であるという保証も…
『ようこそ、esへ』
『…』
es研究棟の地下――
ひと言で地下と言っても、地下一階は「権限のある者だけが行き来できる特殊な空間」という、実在する階として全職員に認知されている。
だが、地下二階から地下四階までは、その存在すら、大半の職員は知らないエリアだ。
もっと言うならば、地下二階はあえて使われていないエリアになっている。
万が一にでも存在を知られてしまった場合に、予備施設として現状は一切稼働していないエリアだと説明できるようにしてあるという念の入れようだ。
そのため、実際には地下三階と地下四階が、人体実験を行う秘密のエリアとなっている。特に地下四階は、攫ってきたノーマルやサイキックを隔離しておく部屋や、より難易度が高い実験や極秘中の極秘である実験などを行うエリアであり、ヴェイルが常駐しているのもこのエリアだった。
『おそらくあなたのお兄さんたちに、たった三体しかないesの大切な実験成功例を、もう二体もやられてしまっているのよ』
『…』
『腹が立って仕方がなかったのだけれど、あなたが手に入ったから許してあげるわ』
『…』
『きっとあなたなら、あの三体など足元にも及ばない素敵な成功例になってくれるはずだから』
『…』
『あなたにはリラックスした万全の体調で実験に臨んでほしいから、衣食住に関しては丁重におもてなしをするわ』
『…』
『他のノーマルのように雑に扱われることがないよう、関係する研究員には伝えてあるので安心してちょうだい』
『…』
『まずは簡単な身体検査からさせてもらうわ』
『…』
『それと、いくら丁重におもてなし…と言っても、それはあなたが協力的な態度を見せてくれたらの話。間違っても無駄な抵抗などはしないようにね』
『…』
マーゴット・ヴェイルは、目の前にいるアレンを嬉しそうに見つめながらそう話し始めた。アレンは、不安や恐怖を感じながらも、極力大きな動揺を見せないように振る舞った。
あまりに強い感情の揺れを起こせば、兄がそれに気づいてこの場へ乗り込んでくるような気がしたのだ。
――もちろん、助けてほしい気持ちでいっぱいだが、兄にとってこの場が危険ではないと判断できない限り、ただやみくもに助けを求める訳にはいかない。
もう、誰の負担にもなりたくないと、アレンは思っていた。
自分の危機感のなさでこんな所まで攫われてしまった。
本来なら、自分で何とかすべき問題だ。
それを、「ノーマルだから」のひと言で、兄に丸投げしたくはない。
『…』
まずは身体検査から。
…ということは、少なくともこのタイミングでは自分は実験されるわけじゃない。アレンは、恐怖を必死に抑えながら、兄たちが助けに来てくれた時に少しでも情報が伝えられるよう、些細なことも見逃さないようにと神経を集中させた。
『…』
シヴァは独自にesの建物内へ侵入し、es壊滅の機会を窺っていたが、特定のエリアだけでなくesの全棟・全エリアを無にするために、esの裏の顔を知らない善良な研究員やサイキックたちを極力避難させたいと考えていた。
だが、一人で声を掛ければ済むような人数ではない、何千・何万規模の職員たちだ。現状ではなかなか難しく、どうすべきか決めかねていた。
『…』
いっそ、あの三人に協力すると言った方が良かったか。
四人いればなんとか、罪のない人間をある程度は逃すこともできたかもしれない。だが、そもそもシヴァは、あの三人がすぐにでもesへの攻撃を仕掛けるものだと思っていた。それが、未だに何の音沙汰もないとは、何とも呑気なものだ。
『…!』
そんな中、地下深くにふと感じた違和感。
『…捕まったか』
シヴァは小さくため息を吐いた。
今頃あの兄は大慌てだろう。気づいていないはずはない。
…自分が助けに行くのでも構わないが、パッと見、相当厄介なエリアに連れ去られていそうだ。自分でさえ、索敵に少々てまどうくらいに異質な空間が広がっている。
不気味に張り巡らされた時空の糸を丁寧に解していきたいところだが、これ以上PSIを強めると自分の存在を察知されてしまうため、それも難しい。
『…』
――自分のしたいこととは、いったい何であったか。
esの裏の顔を知らない善良な研究者たち?それがいったい、どうしたというのだ。
まして、サイキックなど、本来どうでもいいはずだ。
『…』
救うべきはノーマルであって、サイキックではない。
少なくとも、自分にとってはそうだ。
ならば、何も考えず今この瞬間にでも、esのすべてを破壊してやればいい。
『…』
そのはずだった。
どうでもいい。そう、結論づけたはずだった。
だが――いつからか、自分は少しおかしい。
『…』
――ノーマル。
本来なら、それだけで充分なはず。
そもそも、「救う」ことが目的であって、「交流」など望んではいない。
まして、サイキックなど…
『…』
人と関わることなど…もう絶対に、自分には不要だ。
自分に「特別な存在」ができることは、その者を危険に晒すということだった。
『…』
いつだって、そうだった。
守りたいと思うものほど、自分の傍には残ってくれない。
――いや、違う。
守りたいと思うものほど…自分が、壊してきたのだ。
『…』
理不尽な目に遭っても、深層に沈んだ意識は恐怖に潰されてはいない。
押し殺されている――それでも、まだ、消えていない。
『…』
彼は、ただのノーマルではない。
『…面倒なものを拾ったな』
吐き捨てるように呟く。
興味はある。だが、踏み込む必要はない。
ただ、救ってやればいい。それだけだ。
そしてもし…救うのに手間取るなら、自身を危険に晒してまですることでもない。
『…』
だが…
『…』
視線が、わずかに下がる。
地下深く――歪んだ空間の中心。
『…』
――完全に、割り切ることができない。
『…チッ』
小さく舌打ちをする。
『…一度だけだ』
――例外は、ここまで。
誰に向けた言葉でもない。
ただ、自分に対する「言い訳」のように落とされる。
意味などは、ない。
『…』
次の瞬間、シヴァの姿が、音もなく消えた。




